昨日はだるま祭り最終日。言い伝え通り、雨が降ったけれど、風がとても強くて冷たい雨。今日も風が強く、あちこちで屋根が飛ばされ消防車が走り回っていた。
そんな中、だるま祭り会場そばにある、秋田市大町の「秋田ニューシティ」が13日をもってテナントの営業をすべて終了。近日中に事務所なども退去し、29年の歴史に幕を閉じる。
開店当初はもっと濃い色だったはずだが、白っぽく塗り直された
簡単にニューシティの歴史をまとめると、
1981(昭和56)年にダイエー秋田店を核テナントとしてオープンした、地下1階・地上5階の商業ビル。老舗呉服店が発祥で秋田経済界の重鎮である「辻兵(つじひょう)」系列の所有で、建物は途中から日本生命の所有になった。
2002年、ダイエーグループの経営不振に伴い、秋田店が閉店。以後、食品スーパーなどテナントの出入りが繰り返され、最近は一部フロアが閉鎖されてオフィスや秋田市中央公民館が入居していた。
日本生命との関係があったらしく、これ以上の存続をしないこととし、4月での全館閉鎖(当初3月末だったがだるま祭りに合わせて延長)を決定。解体されるようだが跡地利用は未定とのこと。
※建物の名称としては「秋田ニューシティ」、運営会社名は「秋田大町ニューシテー(旧秋田ニューシテー)」だそうで、「ニューシティー」の表記は間違い。本記事では、主に建物のことを扱うので「ニューシティ」と表記します。
最後は1階だけで営業していた
ニューシティ閉鎖は、イトーヨーカドー秋田店閉店とともに、秋田市中心市街地の衰退の象徴として報道などでは扱われている。
でも、そのわりには、あまり市民の関心がない(例えば扱っているブログの数など)ようにも思う。秋田市中心市街地の賑わいなど“過去の栄光”になってしまったことの象徴なのか…
以下は個人的な思い出です。
我が家はニューシティの徒歩圏内にあり、僕が物心ついた頃にオープンしたこともあり、非常になじみ深い存在だった。
駅前や広小路には、ジャスコ(今のフォーラス)、イトーヨーカドー、協働社(今のベルドゥムール・ランドマーク秋田の場所)などがあったし、旭川を越えた大町側(=ニューシティの向かい)にも「本金(現在は駅前に移転し秋田西武)」や「名店街(1985年に閉店)」といった商業施設があったが、ニューシティは大町にとっては今までにない形態の店舗だった。
開店当初は秋田では珍しかったディッパーダン(1階。今はサティや駅にあるけれど)、イタリアントマト(地階と2階)、ミスタードーナツ(隣接地。秋田市内では2店目?)をはじめ、レストラン街・ゲームセンター(5階)、家電売場・書店・レコード店(4階)、ドムドムハンバーガーなどのフードコート(地階)もあり、なんでも揃っていた。そして「ダイエー」という、総合スーパー自体が目新しかった。ダイエー商品にはずいぶんお世話になった。
子どもの僕にとっては、こんな身近に、こんなものができて、タマゲタものだ。テレビで当時の映像を見ても、賑わっていたのは間違いない。【16日追記】1日2万人が来店した日があったそうだ。
北東角の交差点に面した2台のエレベーター
日立製24人乗り×2台のエレベーターは、この当時建設の商業施設に多い、ドアと反対側が外に向いたガラス張りのタイプ(秋田駅前のフォーラスやヨーカドーも同タイプ)。
外から見ると、2台の動作が見えておもしろいし、飾りの電飾が付いていてきれい
今から考えると信じられないが、ニューシティ開店当初は、“エレベーターガール”が乗っていた。
インフォメーションカウンターのお姉さん(近年とは違う赤い制服?)が交代で乗っていたはず。カゴ内の階数ボタンの下の鍵付きのフタの中に、専用の操作盤があり(今も残っている)それを操作していたが、客が側面にある車椅子用の階数ボタンを押すと「そちらのボタンはナントカカントカでございまして、うんぬん」と説明&怒られたものだ。当時は、車椅子対応のエレベーターがまだ出始めだったはずだが、そんなにお説教しなくたって…と思ったものだ(ドアの開放時間が延長されたり、もう1台との協調運転に支障が出るのかもしれないけれど)。
※1988年の秋田市営バスの冊子時刻表に掲載された、ニューシティの広告はこの記事後半。
1階の吹き抜けの広場にあった時計が毎正時にキンキン鳴っていたことや小学校2年生の時、開店前の時間に社会科見学に来たのも思い出。
今でも、だるま祭りやヤートセ秋田祭、竿燈まつりなどイベント時は賑わう大町だが、昔はいつも賑やかだった。
大町に、秋田市中心市街地に、あの賑わいがよみがえるのだろうか。
今日のニューシティ。この出入口は閉鎖されていた
今日のところ、上階のオフィスは営業していたようで、エレベータ側の出入口は開放され、エレベーターも動き、なぜか外周の照明も点き、客待ちタクシーもいた。まるで休業中のようで閉店してしまったという実感はまだない。
ついでに気になったのが、
・秋田駅前の元祖ファミレス「レストランニューたけや」跡。何やら工事している。事前に「春に改装の上、開店する予定」との掲示があったのだが、何になるんだろう。
・弘前駅前のダイエーがあった商業ビル「JoppaL(ジョッパル)」。弘前市の出資する3セクの経営破綻で、突然の閉鎖となり、今後は未定。先日の市長選では前副市長の新人が、現職を破って当選したが、どうなるのだろう。
そんな中、だるま祭り会場そばにある、秋田市大町の「秋田ニューシティ」が13日をもってテナントの営業をすべて終了。近日中に事務所なども退去し、29年の歴史に幕を閉じる。
開店当初はもっと濃い色だったはずだが、白っぽく塗り直された
簡単にニューシティの歴史をまとめると、
1981(昭和56)年にダイエー秋田店を核テナントとしてオープンした、地下1階・地上5階の商業ビル。老舗呉服店が発祥で秋田経済界の重鎮である「辻兵(つじひょう)」系列の所有で、建物は途中から日本生命の所有になった。
2002年、ダイエーグループの経営不振に伴い、秋田店が閉店。以後、食品スーパーなどテナントの出入りが繰り返され、最近は一部フロアが閉鎖されてオフィスや秋田市中央公民館が入居していた。
日本生命との関係があったらしく、これ以上の存続をしないこととし、4月での全館閉鎖(当初3月末だったがだるま祭りに合わせて延長)を決定。解体されるようだが跡地利用は未定とのこと。
※建物の名称としては「秋田ニューシティ」、運営会社名は「秋田大町ニューシテー(旧秋田ニューシテー)」だそうで、「ニューシティー」の表記は間違い。本記事では、主に建物のことを扱うので「ニューシティ」と表記します。
最後は1階だけで営業していた
ニューシティ閉鎖は、イトーヨーカドー秋田店閉店とともに、秋田市中心市街地の衰退の象徴として報道などでは扱われている。
でも、そのわりには、あまり市民の関心がない(例えば扱っているブログの数など)ようにも思う。秋田市中心市街地の賑わいなど“過去の栄光”になってしまったことの象徴なのか…
以下は個人的な思い出です。
我が家はニューシティの徒歩圏内にあり、僕が物心ついた頃にオープンしたこともあり、非常になじみ深い存在だった。
駅前や広小路には、ジャスコ(今のフォーラス)、イトーヨーカドー、協働社(今のベルドゥムール・ランドマーク秋田の場所)などがあったし、旭川を越えた大町側(=ニューシティの向かい)にも「本金(現在は駅前に移転し秋田西武)」や「名店街(1985年に閉店)」といった商業施設があったが、ニューシティは大町にとっては今までにない形態の店舗だった。
開店当初は秋田では珍しかったディッパーダン(1階。今はサティや駅にあるけれど)、イタリアントマト(地階と2階)、ミスタードーナツ(隣接地。秋田市内では2店目?)をはじめ、レストラン街・ゲームセンター(5階)、家電売場・書店・レコード店(4階)、ドムドムハンバーガーなどのフードコート(地階)もあり、なんでも揃っていた。そして「ダイエー」という、総合スーパー自体が目新しかった。ダイエー商品にはずいぶんお世話になった。
子どもの僕にとっては、こんな身近に、こんなものができて、タマゲタものだ。テレビで当時の映像を見ても、賑わっていたのは間違いない。【16日追記】1日2万人が来店した日があったそうだ。
北東角の交差点に面した2台のエレベーター
日立製24人乗り×2台のエレベーターは、この当時建設の商業施設に多い、ドアと反対側が外に向いたガラス張りのタイプ(秋田駅前のフォーラスやヨーカドーも同タイプ)。
外から見ると、2台の動作が見えておもしろいし、飾りの電飾が付いていてきれい
今から考えると信じられないが、ニューシティ開店当初は、“エレベーターガール”が乗っていた。
インフォメーションカウンターのお姉さん(近年とは違う赤い制服?)が交代で乗っていたはず。カゴ内の階数ボタンの下の鍵付きのフタの中に、専用の操作盤があり(今も残っている)それを操作していたが、客が側面にある車椅子用の階数ボタンを押すと「そちらのボタンはナントカカントカでございまして、うんぬん」と説明&怒られたものだ。当時は、車椅子対応のエレベーターがまだ出始めだったはずだが、そんなにお説教しなくたって…と思ったものだ(ドアの開放時間が延長されたり、もう1台との協調運転に支障が出るのかもしれないけれど)。
※1988年の秋田市営バスの冊子時刻表に掲載された、ニューシティの広告はこの記事後半。
1階の吹き抜けの広場にあった時計が毎正時にキンキン鳴っていたことや小学校2年生の時、開店前の時間に社会科見学に来たのも思い出。
今でも、だるま祭りやヤートセ秋田祭、竿燈まつりなどイベント時は賑わう大町だが、昔はいつも賑やかだった。
大町に、秋田市中心市街地に、あの賑わいがよみがえるのだろうか。
今日のニューシティ。この出入口は閉鎖されていた
今日のところ、上階のオフィスは営業していたようで、エレベータ側の出入口は開放され、エレベーターも動き、なぜか外周の照明も点き、客待ちタクシーもいた。まるで休業中のようで閉店してしまったという実感はまだない。
ついでに気になったのが、
・秋田駅前の元祖ファミレス「レストランニューたけや」跡。何やら工事している。事前に「春に改装の上、開店する予定」との掲示があったのだが、何になるんだろう。
・弘前駅前のダイエーがあった商業ビル「JoppaL(ジョッパル)」。弘前市の出資する3セクの経営破綻で、突然の閉鎖となり、今後は未定。先日の市長選では前副市長の新人が、現職を破って当選したが、どうなるのだろう。