先日に続いて、新年度の秋田の様子です。今回は秋田市南西部、新屋地区にできたものとなくなったもの。
●新屋支所跡地
JR新屋駅や秋田市役所西部市民サービスセンター近くの秋田市役所新屋支所跡地では、秋田県警秋田中央署「新屋交番」の新築と秋田市による通路の新設が行われていた。
最近あまり新屋に行っていなかったが、とっくに完成したらしく、いただいたコメントによれば「交番は3月23日から業務を開始している」とのこと。4月2日には開所式が行われ、5日付地元紙にその記事が掲載された。配置警察官は10名、総事業費4000万円。
※話が逸れるが、この新聞記事中に「西部市民センター」という表記があった(見出し・本文中・写真解説)。秋田市役所にとっては、「市民サービスセンター」「市民センター(雄和と河辺)」「市民サービスセンター(アルヴェ内)」はそれぞれ目的・権限や根拠となる条例が異なる、別の施設。たしかに紛らわしい名称で、市の周知も足りないし、一般市民にとってはあまり違いがないとはいえ、プロの新聞記者が間違えてしまうとは… ちょっとネットで調べれば分かるでしょ。
逆光ですが、新屋駅側から
参考までに
支所があった頃のほぼ同アングルの写真(再掲)
松(保存樹)と建物の間、桜があった部分が通路になっている。
松の左が道路、右側が通路。通路はかなり広い
交番横から駅方向を振り返って
通路というより立派な歩道だ。思っていたより広くて歩きやすい。新屋駅からここまでは狭い道をたくさんの車が通って歩きづらいのだが、一部区間とはいえ、とても歩きやすくなった。
県道の交差点から市民サービスセンター・駅方向
交番はあまり大きくなく、駐車スペースが広く取られた。なお、交差点名は「日吉神社前」のまま。
ところで、昨年の記事で、新屋支所前にライオンズクラブから寄贈された、交通安全の塔状のモニュメントの画像を掲載したが、支所解体とともに撤去されてしまった。
昔の秋田市広報紙「広報あきた」1294号(平成5年10月10日)に、それが設置された時の記事が出ており、1993(平成5)年9月設置とのこと、もっと古いものだと思っていた。
秋田西中近くの旧交番前を通ると、建物はそのまま残っていた。そして、車道からは見えない位置に交番所属と思われるパトカーと警察官3名。さらに少し離れた物陰にも警察官らしき人物が立っていた。
通る車両のシートベルトか携帯電話使用の取り締まりをしていたようだが、あまり“成果”がなさそうで、手持ちぶさたのご様子。
交通安全の一環として取り締まりは必要だが、ここでこんなことに4名も張り付けるよりも、雄物川堤防や住宅地の細い道を歩行者がいるのに明らかに速度超過の猛スピードで走る車の取り締まりとか、歩行者と自転車が通行区分を守るよう現場に立って呼びかけるとか、信号機や標識に不具合がないかパトロールするとか、ほかにもやるべきことがあると思う。
新屋交番跡地はどうなるんだろう。まさか“取り締まり基地”にでもなるの?
●養護学校移転
ここでちょっと新屋から離れますが、
秋田駅の南東、低い山が迫った平地に田んぼが広がるのが、秋田赤十字病院や日赤秋田短大などがある、上北手(かみきたて。古くからの市民は「かみきたで」と濁る)地区。
その一角(日赤の向かい辺りから入る)の丘が、秋田県住宅供給公社(既に解散したのかな?)が造成・分譲した「南ヶ丘ニュータウン」。その中に、この春「あきた総合支援エリア“かがやきの丘”(正式名称は秋田県こども総合支援エリア)」が誕生した。「本県特別支援教育・療育の拠点(県のサイトより)」であり、秋田市内に散在していた、特別支援・医療療育関係の機関を再編・移転したエリアの総称(=特定の施設の名前ではない)。
具体的には、「医療療育センター」(秋田商業高校奥の福祉団地内の太平療育園と八橋の児童会館向かいの小児療育センターを統合)、「秋田きらり支援学校」(新屋の秋田養護学校と福祉団地内の勝平養護学校を統合)、「盲学校」(土崎の秋田中央高校隣から移転)、「聾(ろう)学校」(土崎の自衛隊向かいから移転)の4施設・学校ならなる(いずれも秋田県立)。
※「養護学校」が「支援学校」に変わったのは、法律改正による全国的な流れ。また、かつては養護・盲・聾各学校の総称を「特殊教育学校」と呼んでいたが、現在は「特別支援学校」と言う。
各機関を集めたのは、支援と医療を必要とする児童・生徒に対する教育と療育を連携して行えること、施設や職員を共同で配置でき効率化が図れることが目的と思われる。
新しい支援教育拠点の誕生を祝い、みんなが安心して元気に過ごせる秋田になるよう、今後に期待したい。
それに水を差すようで申し訳ないのだが、いわゆる「南ヶ丘ニュータウン問題」を忘れてはいけないと思う。
この南ヶ丘ニュータウンは宅地分譲の売れ行きが芳しくなく、販売数を縮小した経緯がある。その売れない分を県営住宅や支援エリア用地として県が買い取ったことについて、県議会などで批判を浴びた。
たしかに、日赤病院に近い以外、取り立ててメリットのない場所に思えるし、支援エリア構想自体が唐突に出てきた感はある。
支援エリアを日赤病院跡地など中心市街地に造ったっていいだろう。また、南ヶ丘に秋高・北高・南高を統合して「スーパー進学校」を造ってもいいかもしれないし、県庁を移転したってよかったのではないか(←あくまでも過激な例です)。
「空き地に何かを造る必要があって」、「手頃なところ」で支援エリアが造られたと考えられなくもない。
新屋に戻ります。
南ヶ丘に移転する秋田養護学校は新屋栗田町にあり、その向かいには同じく県立の「栗田養護学校」がある。
道路の左が栗田養護、右が秋田養護
両校は対象とする障害(障碍)が違い、秋田養護学校は肢体不自由児のための学校なのに対し、栗田養護学校は知的障害児のための学校。元は「秋田養護学校栗田分校」で、1986年に独立校となった。
当初は秋田養護の建物を転用した校舎だったが、2000年に同じ場所に新校舎ができた。

栗田養護学校は南ヶ丘には移転せず、このまま。
したがって秋田市内の特別支援学校で南ヶ丘以外にあるは、同校のほかは保戸野の秋田大学附属特別支援学校だけ。
県立の栗田養護学校が南ヶ丘に移転しないのは、学校の性格(対象とする障害)が異なるのが理由かもしれないが、校舎がまだ新しいからかもしれない。
校舎ができた2000年当時、まだ南ヶ丘ニュータウンの問題は出ていなかったはず。問題が浮上してきたので、唐突に支援エリア構想ができ、まだ新しい栗田以外の古い建物の学校・施設だけ移転を決めたのでは? と勘ぐってしまいたくなる。
支援エリア始動と南ヶ丘ニュータウンの問題を結びつけて考えるべきではないし、当時の県の責任者の多くは退任しただろうし、多くの県民が忘れてしまったと思うが、この記事に記憶を残しておきたい。
お金、特に税金は大事に使ってほしいし、子どもたちや現場の人たちにしわ寄せが行かないようにして、移転してよかったと後で思えるようになってほしい。
南ヶ丘移転前の各学校では、児童生徒と地元住民との交流が盛んだったと聞いている。小学校や中学校と同じような“地元の学校”という意識が住民にあったのだろう。子どもたちは学校の外でも、将来のための社会経験を積むことができたと思う。
市街地から離れており、新興住宅地である南ヶ丘では、まったく同じようにはいかないかもしれないが、引き続き地域との連携を図る方針であるようだし、新屋の皆さんも栗田養護学校と引き続き交流を続けることだろう。
さて、気になるのが、移転した施設の跡地の使い道。2月定例県議会で説明されたようだが、議事録等がサイトに未アップだし、報道も少ない。確認できたのは2月12日付「秋田建設工業新聞」のサイト。
それによれば、いずれも跡地利用は今年度に本格検討するそうだが、福祉団地の太平療育園と勝平養護は解体・更地が決定、秋田養護学校は埋蔵文化財センターへの転用などが考えられ、盲学校は隣接する秋田中央高校建て替えと連動した活用が考慮されているそうだ。
秋田養護学校
秋田県埋蔵文化財センターは、大仙市の払田柵跡(ほったのさくあと)近くにある。それの一部または全部が移転するのか、建物は新築するのかなど不明。
【9日追記】今日の報道によれば、栗田養護学校の新設学科が秋田養護の旧校舎を使用しているとのこと。一時的なのか、ずっと使うのかは不明。
県立秋田中央高校は、1982年に秋田市立高校から移管されて県立になったものだが、校舎は市立時代からのもの。隣接地が空くから、一体的に新校地にするのだろうか。秋田南高校の立て替え時に、隣接する県教育センター(現在の天王の県総合教育センター)跡地も含めて校地にしたのと同じことだろう。
ほかの空き屋・空き地はどうなるんだろう。てっきり民間に売り払うのかと思ったが、引き続き県有地にするつもりなのだろうか。
大住の旧農業試験場跡地のように、市街地に近い住宅地の需要はあると思うし、南ヶ丘の土地購入費の穴埋めにもなるし、換金した方がいいんじゃない?
●新屋支所跡地
JR新屋駅や秋田市役所西部市民サービスセンター近くの秋田市役所新屋支所跡地では、秋田県警秋田中央署「新屋交番」の新築と秋田市による通路の新設が行われていた。
最近あまり新屋に行っていなかったが、とっくに完成したらしく、いただいたコメントによれば「交番は3月23日から業務を開始している」とのこと。4月2日には開所式が行われ、5日付地元紙にその記事が掲載された。配置警察官は10名、総事業費4000万円。
※話が逸れるが、この新聞記事中に「西部市民センター」という表記があった(見出し・本文中・写真解説)。秋田市役所にとっては、「市民サービスセンター」「市民センター(雄和と河辺)」「市民サービスセンター(アルヴェ内)」はそれぞれ目的・権限や根拠となる条例が異なる、別の施設。たしかに紛らわしい名称で、市の周知も足りないし、一般市民にとってはあまり違いがないとはいえ、プロの新聞記者が間違えてしまうとは… ちょっとネットで調べれば分かるでしょ。

参考までに

松(保存樹)と建物の間、桜があった部分が通路になっている。


通路というより立派な歩道だ。思っていたより広くて歩きやすい。新屋駅からここまでは狭い道をたくさんの車が通って歩きづらいのだが、一部区間とはいえ、とても歩きやすくなった。

交番はあまり大きくなく、駐車スペースが広く取られた。なお、交差点名は「日吉神社前」のまま。
ところで、昨年の記事で、新屋支所前にライオンズクラブから寄贈された、交通安全の塔状のモニュメントの画像を掲載したが、支所解体とともに撤去されてしまった。
昔の秋田市広報紙「広報あきた」1294号(平成5年10月10日)に、それが設置された時の記事が出ており、1993(平成5)年9月設置とのこと、もっと古いものだと思っていた。
秋田西中近くの旧交番前を通ると、建物はそのまま残っていた。そして、車道からは見えない位置に交番所属と思われるパトカーと警察官3名。さらに少し離れた物陰にも警察官らしき人物が立っていた。
通る車両のシートベルトか携帯電話使用の取り締まりをしていたようだが、あまり“成果”がなさそうで、手持ちぶさたのご様子。
交通安全の一環として取り締まりは必要だが、ここでこんなことに4名も張り付けるよりも、雄物川堤防や住宅地の細い道を歩行者がいるのに明らかに速度超過の猛スピードで走る車の取り締まりとか、歩行者と自転車が通行区分を守るよう現場に立って呼びかけるとか、信号機や標識に不具合がないかパトロールするとか、ほかにもやるべきことがあると思う。
新屋交番跡地はどうなるんだろう。まさか“取り締まり基地”にでもなるの?
●養護学校移転
ここでちょっと新屋から離れますが、
秋田駅の南東、低い山が迫った平地に田んぼが広がるのが、秋田赤十字病院や日赤秋田短大などがある、上北手(かみきたて。古くからの市民は「かみきたで」と濁る)地区。
その一角(日赤の向かい辺りから入る)の丘が、秋田県住宅供給公社(既に解散したのかな?)が造成・分譲した「南ヶ丘ニュータウン」。その中に、この春「あきた総合支援エリア“かがやきの丘”(正式名称は秋田県こども総合支援エリア)」が誕生した。「本県特別支援教育・療育の拠点(県のサイトより)」であり、秋田市内に散在していた、特別支援・医療療育関係の機関を再編・移転したエリアの総称(=特定の施設の名前ではない)。
具体的には、「医療療育センター」(秋田商業高校奥の福祉団地内の太平療育園と八橋の児童会館向かいの小児療育センターを統合)、「秋田きらり支援学校」(新屋の秋田養護学校と福祉団地内の勝平養護学校を統合)、「盲学校」(土崎の秋田中央高校隣から移転)、「聾(ろう)学校」(土崎の自衛隊向かいから移転)の4施設・学校ならなる(いずれも秋田県立)。
※「養護学校」が「支援学校」に変わったのは、法律改正による全国的な流れ。また、かつては養護・盲・聾各学校の総称を「特殊教育学校」と呼んでいたが、現在は「特別支援学校」と言う。
各機関を集めたのは、支援と医療を必要とする児童・生徒に対する教育と療育を連携して行えること、施設や職員を共同で配置でき効率化が図れることが目的と思われる。
新しい支援教育拠点の誕生を祝い、みんなが安心して元気に過ごせる秋田になるよう、今後に期待したい。
それに水を差すようで申し訳ないのだが、いわゆる「南ヶ丘ニュータウン問題」を忘れてはいけないと思う。
この南ヶ丘ニュータウンは宅地分譲の売れ行きが芳しくなく、販売数を縮小した経緯がある。その売れない分を県営住宅や支援エリア用地として県が買い取ったことについて、県議会などで批判を浴びた。
たしかに、日赤病院に近い以外、取り立ててメリットのない場所に思えるし、支援エリア構想自体が唐突に出てきた感はある。
支援エリアを日赤病院跡地など中心市街地に造ったっていいだろう。また、南ヶ丘に秋高・北高・南高を統合して「スーパー進学校」を造ってもいいかもしれないし、県庁を移転したってよかったのではないか(←あくまでも過激な例です)。
「空き地に何かを造る必要があって」、「手頃なところ」で支援エリアが造られたと考えられなくもない。
新屋に戻ります。
南ヶ丘に移転する秋田養護学校は新屋栗田町にあり、その向かいには同じく県立の「栗田養護学校」がある。

両校は対象とする障害(障碍)が違い、秋田養護学校は肢体不自由児のための学校なのに対し、栗田養護学校は知的障害児のための学校。元は「秋田養護学校栗田分校」で、1986年に独立校となった。
当初は秋田養護の建物を転用した校舎だったが、2000年に同じ場所に新校舎ができた。

栗田養護学校は南ヶ丘には移転せず、このまま。
したがって秋田市内の特別支援学校で南ヶ丘以外にあるは、同校のほかは保戸野の秋田大学附属特別支援学校だけ。
県立の栗田養護学校が南ヶ丘に移転しないのは、学校の性格(対象とする障害)が異なるのが理由かもしれないが、校舎がまだ新しいからかもしれない。
校舎ができた2000年当時、まだ南ヶ丘ニュータウンの問題は出ていなかったはず。問題が浮上してきたので、唐突に支援エリア構想ができ、まだ新しい栗田以外の古い建物の学校・施設だけ移転を決めたのでは? と勘ぐってしまいたくなる。
支援エリア始動と南ヶ丘ニュータウンの問題を結びつけて考えるべきではないし、当時の県の責任者の多くは退任しただろうし、多くの県民が忘れてしまったと思うが、この記事に記憶を残しておきたい。
お金、特に税金は大事に使ってほしいし、子どもたちや現場の人たちにしわ寄せが行かないようにして、移転してよかったと後で思えるようになってほしい。
南ヶ丘移転前の各学校では、児童生徒と地元住民との交流が盛んだったと聞いている。小学校や中学校と同じような“地元の学校”という意識が住民にあったのだろう。子どもたちは学校の外でも、将来のための社会経験を積むことができたと思う。
市街地から離れており、新興住宅地である南ヶ丘では、まったく同じようにはいかないかもしれないが、引き続き地域との連携を図る方針であるようだし、新屋の皆さんも栗田養護学校と引き続き交流を続けることだろう。
さて、気になるのが、移転した施設の跡地の使い道。2月定例県議会で説明されたようだが、議事録等がサイトに未アップだし、報道も少ない。確認できたのは2月12日付「秋田建設工業新聞」のサイト。
それによれば、いずれも跡地利用は今年度に本格検討するそうだが、福祉団地の太平療育園と勝平養護は解体・更地が決定、秋田養護学校は埋蔵文化財センターへの転用などが考えられ、盲学校は隣接する秋田中央高校建て替えと連動した活用が考慮されているそうだ。


秋田県埋蔵文化財センターは、大仙市の払田柵跡(ほったのさくあと)近くにある。それの一部または全部が移転するのか、建物は新築するのかなど不明。
【9日追記】今日の報道によれば、栗田養護学校の新設学科が秋田養護の旧校舎を使用しているとのこと。一時的なのか、ずっと使うのかは不明。
県立秋田中央高校は、1982年に秋田市立高校から移管されて県立になったものだが、校舎は市立時代からのもの。隣接地が空くから、一体的に新校地にするのだろうか。秋田南高校の立て替え時に、隣接する県教育センター(現在の天王の県総合教育センター)跡地も含めて校地にしたのと同じことだろう。
ほかの空き屋・空き地はどうなるんだろう。てっきり民間に売り払うのかと思ったが、引き続き県有地にするつもりなのだろうか。
大住の旧農業試験場跡地のように、市街地に近い住宅地の需要はあると思うし、南ヶ丘の土地購入費の穴埋めにもなるし、換金した方がいいんじゃない?