秋田新幹線にちなむ話題を3つ。
●ホーム延長・大曲駅でも
2月下旬の記事の通り、秋田新幹線の新型車両導入に伴う(6両から7両に増えるため)、秋田駅のホーム延長工事が行われている。
まずは前回紹介後の進捗
2月25日。床面ができている
その後、足場が組まれた。
3月14日。ホームから撮影
4月7日。赤い矢印が既設部分との境界
足場が取れ、屋根ができた。屋根や柱は既存部分とよく似たデザインになっており、ぱっと見では、継ぎ足しだとは分からなそう。
でも境目で屋根(天井)が切れているようにも見えるし、床面にはまだタイルなどは貼っていなかったが、この後、どうなるのだろうか。
※続きはこちら
秋田駅同様、ホームの延長が必要になるのが、(新幹線としては)秋田の隣駅の
大仙市の大曲駅
駅名標が白色LEDを照明にした「エコ薄型電気掲示器」(こちらやこちら参照)になっている。秋田駅にはまだ設置されていないはずだが、五能線の能代駅にも設置されていた。昼間は、照明のスイッチを切っているようだ。
大曲駅は橋上駅舎だが、ホームの配置が変わっている。線路配置上、秋田新幹線の列車がスイッチバック(列車の向きを変える)するためだ。
ホーム配置略図(1番線は省略)。オレンジの矢印はとりあえず無視してください
1・2番線は、在来線で一般的なレール幅(狭軌)の奥羽本線。
3番線は、新幹線のレール幅(標準軌)になっており、角館・田沢湖方面の田沢湖線の普通列車が発着する(上の写真の電車)。
11・12番線も標準軌で、秋田新幹線「こまち」が発着する。
※システム上は、田沢湖線の普通列車が11・12番線に入ることも、こまちが3番線に入ることも可能だと思われる。
スイッチバックの配線なので、3・11・12番線は行き止まり構造になっており、その先には「乗換改札口」がある。
車止めと乗換改札口
駅舎は橋上なので、階段などで上に上がる必要がある。2・3番線にはその設備があるが、新幹線の11・12番線上にはそれが一切ない。
したがって、「こまち」を降りた客は、必ず前方(横手方向)に進み、乗換改札を通って(特急券のみ回収)、2・3番線に出て、上へ上って、改札口から外へ出ることになる。
どうしてそういう設計にしたのかは分からない(物理的な制約か、客の動線などへの配慮か)し、大きく遠回りをさせられるというわけでもないが、大曲で降りる客は2回改札を通る必要があり、渋滞することもある。
そんな大曲駅でも、ホームの延長が行われているはず。改札と反対のホーム端を見てみる。
この先で田沢湖線が盛岡方面へ右に分岐、まっすぐが奥羽本線秋田方面
先に行くほどホームが狭くなっていて、末端は
ギリギリ
出発信号機もホーム先端の目前にあり、ここにホームを延長するのは(線路付け替えなど大がかりな工事をしな限り)無理そう。
戻って乗換改札へ来ると、その(横手方向の)窓の外に驚きの光景が!!
新しい線路と建物!!!
秋田方向にホームを延長できないため、横手方向にホームと線路を延長することで対応していたのだ!(上の写真右端の普通列車用の3番線の線路も延長するようだ)
ところが、それだと乗換改札口が邪魔だから、略図のオレンジ色矢印のように、乗換改札口を上へ移動させるわけだ。
というか実際には、移動でなく、ほぼ同じものを新築していた。完成からまだ13年しか経っていないのに。
ほぼ同じ構造と思われる乗換改札口
たかが(といっては失礼かもしれないが)ミニ新幹線が1両増えるだけなのに、こんな大がかりな工事をするなんて。さすがJR東日本。
まさか昔の急行列車みたいに「後ろ○両はホームにかかりませんので、前の車両からお降り願います」なんて言うわけにもいかないだろうけど(今もローカル線ではたまにある)。
乗客にしてみれば改札が遠くなるわけで、若干歩く距離が伸びることになる。
新改札への切り替え、現改札の取り壊し、自動改札機の移動などはどんな手順でやるんだろう。一晩でやるのか?
※その後の様子はこちら
●車内間違い探し
現在の秋田新幹線「こまち」用E3系電車には、製造された時期によって、デザインや機器に差がある。
こちらで紹介した、いちばん古い試作車的存在の「R1」編成は1995年製、最新の「R26」編成は2005年製だから、10年の差があるわけで、当然と言えるかもしれない。
頻繁にこまちに乗る方は、普通車の座席に違いがあることにお気づきかもしれない。
形・座り心地・座席回転方法(レバーとペダル)・肘掛けの加工(クッションの有無)・テーブルの大きさ・小物入れポケット(ゴムベルトと網袋)などが異なる。座面がスライドし、ペットボトルホルダーと足置きが付いているのが、2002年以降に製造された、R18からR26までの9本の列車。
ほかにも違いはあって、ここで2枚の「こまち」車内をご覧いただく
左の写真が最終グループの「R24」編成、右が開業当初からの「R4」編成
写真が同一条件でなくて申し訳ないけれど、どちらかが、何かが欠けた見慣れない内装だと思いませんか?
それは荷棚(いわゆる“網棚”)。左の方が珍しい。
右の写真のように多くの車両では、座席3~4列ごとに、荷棚から天井へアーチ状の支柱のようなものが延びている。ところが、左の車両ではそれがない。
理由は分からないが、いちばん最後に製造されたグループの中のさらに一部に、このような荷棚の車両が存在する。
アーチは車内を広く見せるための工夫だと聞いた記憶があるが、個人的には、逆に圧迫感を感じるような気もしていた。でも、支柱がないのを見ると、アクセントがなくて物足りない気がする。
強度確保のような目的もあるのかと思っていたが、なくてもいいのなら、完全な飾りだったのだろうか。
●秋田新幹線車両保有株式会社
秋田駅南側にある、JR東日本秋田支社の建物
壁面に広告がいくつか出ているが、
「秋田新幹線新型車両E6系いよいよデビュー」
この建物には、JR東日本とその関連会社が入居している。
玄関脇の表示
いちばん下に「秋田新幹線車両保有株式会社」という表示が
同社は、秋田県が99.6%を出資する第3セクター(残りはJR東日本出資?)。
秋田新幹線開業前2年前の1995年に設立され、実はこの3月いっぱいで解散(出資金は県へ戻った)した、現在はない会社(したがって本来なら玄関に表示がないはず)。
秋田県の資料によれば、沿革は「奥羽線・田沢湖線の高速化利便性向上のため、秋田・盛岡間新幹線在来線直行特急化事業に係る秋田・東京間の新幹線在来線直行運転車両を確保することを目的として、秋田県が中心となり東日本旅客鉄道株式会社と共同して、第三セクターとして設立。」で、主たる業務は「新幹線在来線直通運転車両のリース」。
つまり、「こまち」の車両は、この会社が所有し、JR東日本に貸して(リース)いたもの。
正確には、「こまち」の全車両でなく、開業当初からあった5両×16本(R1~R16編成の14号車以外)がこの会社の持ち物。
後で増備されたR17~R26編成の6両×10本はJRの直接の所有であっただけでなく、最初の16本のうち、後で追加された14号車もJRの所有だった。
リース期間は2009年度までとなっていたらしく、期間満了に伴いJRに全車両の所有権が移り会社解散となった。
秋田と同様のミニ新幹線である山形新幹線でも、「山形ジェイアール直行特急保有株式会社」という第3セクターが車両などを保有していたようだ(更新された新型車両はJR保有)。
ミニ新幹線の工事費には、沿線自治体の費用負担も大きかったと記憶しているが、車両についても同じことのようだ。
高度経済成長期の“列島改造”計画の頃ならともかく、現在の情勢では一地方都市へフル規格新幹線を造るのは難しい。並行在来線が廃止されないという点でも、ミニ新幹線化はベターな選択だったと思う(一部区間を改良するなどして、スピードアップなどはもっとできるかもしれないが)。JRにだけ費用を負担させるわけにもいかず、こういうやり方が必要だったのだろう。
秋田新幹線は、車両のリースが終わってJRの所有になり、さらには後継車両が造られようとしている。“軌道に乗って”安定期に入ったことの象徴だと思うが、高速道路料金の問題、秋田県の人口減少、東北新幹線の新青森開業など、取り巻く環境は変化している。
それに伴って、秋田新幹線はこれからどんな風に変化していくのだろう。
●ホーム延長・大曲駅でも
2月下旬の記事の通り、秋田新幹線の新型車両導入に伴う(6両から7両に増えるため)、秋田駅のホーム延長工事が行われている。
まずは前回紹介後の進捗
2月25日。床面ができている
その後、足場が組まれた。
3月14日。ホームから撮影
4月7日。赤い矢印が既設部分との境界
足場が取れ、屋根ができた。屋根や柱は既存部分とよく似たデザインになっており、ぱっと見では、継ぎ足しだとは分からなそう。
でも境目で屋根(天井)が切れているようにも見えるし、床面にはまだタイルなどは貼っていなかったが、この後、どうなるのだろうか。
※続きはこちら
秋田駅同様、ホームの延長が必要になるのが、(新幹線としては)秋田の隣駅の
大仙市の大曲駅
駅名標が白色LEDを照明にした「エコ薄型電気掲示器」(こちらやこちら参照)になっている。秋田駅にはまだ設置されていないはずだが、五能線の能代駅にも設置されていた。昼間は、照明のスイッチを切っているようだ。
大曲駅は橋上駅舎だが、ホームの配置が変わっている。線路配置上、秋田新幹線の列車がスイッチバック(列車の向きを変える)するためだ。
ホーム配置略図(1番線は省略)。オレンジの矢印はとりあえず無視してください
1・2番線は、在来線で一般的なレール幅(狭軌)の奥羽本線。
3番線は、新幹線のレール幅(標準軌)になっており、角館・田沢湖方面の田沢湖線の普通列車が発着する(上の写真の電車)。
11・12番線も標準軌で、秋田新幹線「こまち」が発着する。
※システム上は、田沢湖線の普通列車が11・12番線に入ることも、こまちが3番線に入ることも可能だと思われる。
スイッチバックの配線なので、3・11・12番線は行き止まり構造になっており、その先には「乗換改札口」がある。
車止めと乗換改札口
駅舎は橋上なので、階段などで上に上がる必要がある。2・3番線にはその設備があるが、新幹線の11・12番線上にはそれが一切ない。
したがって、「こまち」を降りた客は、必ず前方(横手方向)に進み、乗換改札を通って(特急券のみ回収)、2・3番線に出て、上へ上って、改札口から外へ出ることになる。
どうしてそういう設計にしたのかは分からない(物理的な制約か、客の動線などへの配慮か)し、大きく遠回りをさせられるというわけでもないが、大曲で降りる客は2回改札を通る必要があり、渋滞することもある。
そんな大曲駅でも、ホームの延長が行われているはず。改札と反対のホーム端を見てみる。
この先で田沢湖線が盛岡方面へ右に分岐、まっすぐが奥羽本線秋田方面
先に行くほどホームが狭くなっていて、末端は
ギリギリ
出発信号機もホーム先端の目前にあり、ここにホームを延長するのは(線路付け替えなど大がかりな工事をしな限り)無理そう。
戻って乗換改札へ来ると、その(横手方向の)窓の外に驚きの光景が!!
新しい線路と建物!!!
秋田方向にホームを延長できないため、横手方向にホームと線路を延長することで対応していたのだ!(上の写真右端の普通列車用の3番線の線路も延長するようだ)
ところが、それだと乗換改札口が邪魔だから、略図のオレンジ色矢印のように、乗換改札口を上へ移動させるわけだ。
というか実際には、移動でなく、ほぼ同じものを新築していた。完成からまだ13年しか経っていないのに。
ほぼ同じ構造と思われる乗換改札口
たかが(といっては失礼かもしれないが)ミニ新幹線が1両増えるだけなのに、こんな大がかりな工事をするなんて。さすがJR東日本。
まさか昔の急行列車みたいに「後ろ○両はホームにかかりませんので、前の車両からお降り願います」なんて言うわけにもいかないだろうけど(今もローカル線ではたまにある)。
乗客にしてみれば改札が遠くなるわけで、若干歩く距離が伸びることになる。
新改札への切り替え、現改札の取り壊し、自動改札機の移動などはどんな手順でやるんだろう。一晩でやるのか?
※その後の様子はこちら
●車内間違い探し
現在の秋田新幹線「こまち」用E3系電車には、製造された時期によって、デザインや機器に差がある。
こちらで紹介した、いちばん古い試作車的存在の「R1」編成は1995年製、最新の「R26」編成は2005年製だから、10年の差があるわけで、当然と言えるかもしれない。
頻繁にこまちに乗る方は、普通車の座席に違いがあることにお気づきかもしれない。
形・座り心地・座席回転方法(レバーとペダル)・肘掛けの加工(クッションの有無)・テーブルの大きさ・小物入れポケット(ゴムベルトと網袋)などが異なる。座面がスライドし、ペットボトルホルダーと足置きが付いているのが、2002年以降に製造された、R18からR26までの9本の列車。
ほかにも違いはあって、ここで2枚の「こまち」車内をご覧いただく
左の写真が最終グループの「R24」編成、右が開業当初からの「R4」編成
写真が同一条件でなくて申し訳ないけれど、どちらかが、何かが欠けた見慣れない内装だと思いませんか?
それは荷棚(いわゆる“網棚”)。左の方が珍しい。
右の写真のように多くの車両では、座席3~4列ごとに、荷棚から天井へアーチ状の支柱のようなものが延びている。ところが、左の車両ではそれがない。
理由は分からないが、いちばん最後に製造されたグループの中のさらに一部に、このような荷棚の車両が存在する。
アーチは車内を広く見せるための工夫だと聞いた記憶があるが、個人的には、逆に圧迫感を感じるような気もしていた。でも、支柱がないのを見ると、アクセントがなくて物足りない気がする。
強度確保のような目的もあるのかと思っていたが、なくてもいいのなら、完全な飾りだったのだろうか。
●秋田新幹線車両保有株式会社
秋田駅南側にある、JR東日本秋田支社の建物
壁面に広告がいくつか出ているが、
「秋田新幹線新型車両E6系いよいよデビュー」
この建物には、JR東日本とその関連会社が入居している。
玄関脇の表示
いちばん下に「秋田新幹線車両保有株式会社」という表示が
同社は、秋田県が99.6%を出資する第3セクター(残りはJR東日本出資?)。
秋田新幹線開業前2年前の1995年に設立され、実はこの3月いっぱいで解散(出資金は県へ戻った)した、現在はない会社(したがって本来なら玄関に表示がないはず)。
秋田県の資料によれば、沿革は「奥羽線・田沢湖線の高速化利便性向上のため、秋田・盛岡間新幹線在来線直行特急化事業に係る秋田・東京間の新幹線在来線直行運転車両を確保することを目的として、秋田県が中心となり東日本旅客鉄道株式会社と共同して、第三セクターとして設立。」で、主たる業務は「新幹線在来線直通運転車両のリース」。
つまり、「こまち」の車両は、この会社が所有し、JR東日本に貸して(リース)いたもの。
正確には、「こまち」の全車両でなく、開業当初からあった5両×16本(R1~R16編成の14号車以外)がこの会社の持ち物。
後で増備されたR17~R26編成の6両×10本はJRの直接の所有であっただけでなく、最初の16本のうち、後で追加された14号車もJRの所有だった。
リース期間は2009年度までとなっていたらしく、期間満了に伴いJRに全車両の所有権が移り会社解散となった。
秋田と同様のミニ新幹線である山形新幹線でも、「山形ジェイアール直行特急保有株式会社」という第3セクターが車両などを保有していたようだ(更新された新型車両はJR保有)。
ミニ新幹線の工事費には、沿線自治体の費用負担も大きかったと記憶しているが、車両についても同じことのようだ。
高度経済成長期の“列島改造”計画の頃ならともかく、現在の情勢では一地方都市へフル規格新幹線を造るのは難しい。並行在来線が廃止されないという点でも、ミニ新幹線化はベターな選択だったと思う(一部区間を改良するなどして、スピードアップなどはもっとできるかもしれないが)。JRにだけ費用を負担させるわけにもいかず、こういうやり方が必要だったのだろう。
秋田新幹線は、車両のリースが終わってJRの所有になり、さらには後継車両が造られようとしている。“軌道に乗って”安定期に入ったことの象徴だと思うが、高速道路料金の問題、秋田県の人口減少、東北新幹線の新青森開業など、取り巻く環境は変化している。
それに伴って、秋田新幹線はこれからどんな風に変化していくのだろう。