広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

中三倒産とハイローザ跡地

2011-03-31 23:07:52 | 津軽のいろいろ
●中三が
昨日、青森市に本社のある百貨店「中三(なかさん)」が30日付で民事再生手続きに入ったことが分かった。負債総額は122億5千万円。
昨日から休業しており、1週間程度で営業を再開するが、4月末で全従業員を解雇。スポンサーの支援を得て、営業再開したい方針。

中三は、1896(明治29)年、現在の五所川原市で創業。(創業地の五所川原店は2006年に閉店)
現在は青森市の本店、弘前店、岩手県の盛岡店の3店舗が、それぞれの中心市街地にある。
一時期イオンと提携しており、その際に秋田市郊外のイオン秋田ショッピングセンター(現イオンモール秋田)に秋田店を出店(1997年)したが、2008年に閉店・撤退している。
商品仕入れは三越と提携しているそうだ。

現在、盛岡店は3月14日に発生した爆発事故を受けて休業中だが、盛岡店も含めた3店舗すべてを存続したい方針。


青森の地場百貨店で現在も残るのは、中三だけ。(「さくら野」も地元百貨店の流れを汲んではいる)
そして老舗だけに、地元の人の信頼や親近感は強い。今日の陸奥新報によれば「津軽地域の住民には「手土産は中三の包装紙かどうかで違う」と言われるほど老舗百貨店として別格の存在。」。(秋田で「木内」の包装でないと…と言われたのと同じだ)


秋田店の撤退などから分かるように以前から中三の経営は思わしくなかったのだろうし、そこに爆発事故と大震災による消費低迷が打撃を与えたようだ。

僕は中三については、弘前市下土手町にある弘前店しか知らない。(秋田店にも行ったことなかった)
土手町は大正時代に東北地方で初めて百貨店ができた街であり、戦後には中三を含めて3つの百貨店があった(中三は1962年開店)という。2つは後に閉店や移転し、土手町に残ったのは中三だけだった。
毛綱毅曠(もづなきこう)設計の現店舗は1995年完成
土手町のみならず弘前市中心市街地の核となる店舗だから、弘前市民や商工界のショックは大きいだろう。
営業を再開する方針であるのが救いだ。
【2024年8月30日追記・その後の中三について】
2011年以降、経営再建が続けられ、2019年以降は弘前店のみが営業を継続していた。
ところが2024年8月29日、破産手続き開始。負債総額約9億円で、全従業員を解雇。土手町の衰退や、弘前店の建物の今後(解体する方針との報道も)を不安視する声が出ている。(以上追記)

・「苦して」?
陸奥新報サイトでは、このニュースを知った買い物客の声として「「つぶれればどうするべと苦して来た」」とあるが、「苦して」ってどういう意味?
そんな方言は聞いたことないし、「苦労して」とか「苦しくて」とかの間違いだとしても意味が通らない。どなたか分かりませんか?
【4月2日追記】「苦して」について、皆様からコメントで教えていただきました(コメント欄をご覧ください)。ありがとうございました。

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●ハイローザ跡地が
中三弘前店の近く、下土手町と一番町付近に、「ドテヒロ」という空き地がある。感覚的には中三のはす向かいかな(実際は離れている)。スクランブル交差点に面した角地で前にバス停がある。
元は上記、東北初の百貨店「かくは宮川」があり(1978年閉店)、1980年から1998年まで「ハイローザ」というファッションビル(?)があった。
ハイローザは閉店後解体されて、弘前商工会議所所有の空き地になり、屋台村のイベントなどが開催されていた。(秋田市の産業会館跡地と同じようなもんだ)
「ドテヒロ」は、その空き地の愛称。

そのドテヒロが、5月にマンション開発業者に売却される見通しであることが先日分かった。29日の陸奥新報によれば「業者は購入した土地に分譲マンションを建設する意向だという。」。

あそこもマンションになってしまうのか。
秋田市広小路の「協働社」跡地がマンションになった時、街の性格が変わってしまったように思え、かつての賑わいはもう戻らない気がした。
ハイローザ跡地もそれと同じようになってしまわないだろうか。
空き地にしておくよりはいいのかもしれないが、土手町と弘前公園の間のあの場所をマンションにしてしまうのはもったいない。

弘前駅前の「ジョッパル(旧ダイエー)」が経営破綻し買い手がつかずに空き屋になっているし、弘前も秋田市中心市街地と同じように、衰退に拍車がかかってしまうのではないかと気がかりだ。

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コメント (9)
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