広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

フォンテ屋上看板

2011-03-19 20:54:08 | 秋田のいろいろ
秋田駅前「フォンテAKITA」の記事。※前回はこちら
昨年10月のイトーヨーカドー秋田店閉店直後に真っ白にされ、以後ずっとそのままだったフォンテ屋上の看板(ルーフサイン)。
先週頃から足場が組まれ、変化がありそうだった。

3月14日、東側(秋田駅側)
黄色時に黒い線。これは「Loft」だ。
縦画から引き始めるのか…

北側のぽぽろーど側には壁面に表示がある
せっかく秋田にロフトができても、今までは秋田駅側(フォンテの東面)から見ると、それを示す表示が一切なかった。
※以下の写真は16日の撮影です
秋田駅から見るとこうなる
目立つしアクセントとしてもいいのではないでしょうか。

では、他の3面も「Loft」なのか?
南側と東側
南側は「本」。
各種情報では、5階に「宮脇書店秋田本店」が入ることになっているが、フォンテを運営する秋田ショッピングセンターからの発表、地元の報道はまだない。
しかし、この看板を見ると、少なくとも書店が入るのは誰の目にも明らか。(書店名はこの時点では表示がなかった)

分かりづらいですが北側と西側
北側は「ザ・ガーデン自由が丘SEIBU」。
西側はこの段階では上部に「FONTE」のロゴがあったが、それ以外の下側大部分は白いようだった。今後入る店舗のために空けておくのか?

※続きはこちら
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地震の記録

2011-03-19 19:42:09 | 地震
マグニチュード9.0の大規模地震から1週間。
秋田市では、燃料と一部の食料、公共交通機関以外、ほぼ平常の生活に戻ったと言ってよい。
今なお満足な環境が整わない被災地や原発事故の推移は気がかりだが、いちおう一区切りとして、地震当日の記録を中心にこの記事をアップします。

さて、今まで、当ブログでは漠然と「地震」と表記してきた。
地震自体は、気象庁が「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」と命名したが、地震に伴う災害(震災)については、「東北関東大震災」「東日本大震災」など各マスコミがさまざまな呼び方をしている。いずれ国が統一した名称を決めるだろう。

地震が発生した3月11日14時46分頃、僕は外出中で秋田駅近くを歩いていた。
揺れを感じたので、周りの建物や電柱・電線が落ちてこないか確認すると、電線が大きく揺れているのが分かった。3月9日の昼前に、三陸沖を震源とする地震があった(秋田市で震度4)のでその余震(実際には9日のが“前震”で、これが“本震”だったのだが)かと思い、大したことないだろうと思っていた。
だが、それにしては強い揺れなので、もっと近くが震源かもしれないとも思った。
駐車場に停まっている車は、誰かが車体を押したり揺らしたりしているかのように左右に大きく揺れた。前後方向にも揺れ、エンジンがかかっていないのに動き出すのではないかと思うほど。


僕は小学生の時、1983年5月26日の秋田県沖を震源とする「日本海中部地震」を経験している。マグニチュード7.7、秋田市では旧震度階級(1996年まで)で震度5(当時は体感による観測、秋田地方気象台の位置・建物も異なるので一概には比較はできない)だった。
その時は、まるでシェイカーに入れられて振られているようなものすごい縦方向の揺れだった記憶がある。

今回の地震は10段階の上から4番目の震度5強と観測された。※今回の震度についてはこちら。秋田市中心部では震度5強よりはやや弱かったようだ。
僕が今まで経験した揺れの中では、日本海中部地震に次いで強い揺れだと思うが、日本海中部地震の時ほどの恐怖は感じなかった(子どもと大人の違いもあるだろうけど)。
日本海中部地震の時と比べると、ゆっくりとした横揺れで、とても長く続いた気がした。「船に乗っているような」と表現した人もいるが、まさにそんな感じ。


周辺の建物から次々に人が道路に出てきた。走行中の車は止まったものが多い。
まだ揺れが続く中、ふと、近くの信号機を見ると、消灯していた。しかし、その先方の信号機は点灯している。
この段階で既に東北電力エリアの大部分で停電が発生しており、点灯していた一部の信号機は非常用自家発電機で稼動していたわけだが、その時の僕は「地震で広域に停電する」ということは頭になく、一部の範囲だけが何らかの事情で停電してしまったのだと思い込んでいた。建物から外に出てきた人は、揺れの強さに加えて停電したから出てきた人も多かったのだろう。

大きな揺れだったので、秋田駅を通ってとにかく帰ることに。
JR東日本秋田支社前 屋内は停電し、2階の窓が開いている
秋田駅ビルの店舗はまっ暗。ここまで来て、僕はやっと広範囲で停電していることを知った。
駅周辺やぽぽろーどは、周りの施設から出てきた人がたたずんでいた。
「大津波警報が出た」「震源は三陸」「秋田は震度5強」だったといった話が聞こえてきた。
「アルス」前
アルスと同じ建物のホテルメトロポリタン秋田には、専門学校の卒業式の看板が立っていたがこの時点で式は終わっていたのだろうか。
18日付秋田魁新報社会面によれば、この左隣の「秋田フォーラス」6階(と7階の一部)の「ジュンク堂書店秋田店」では、在庫50万冊の約半分が落ちて散乱、本棚もゆがむなど破損があったという。本に傷みがないか確認しながら、現在約4割を復元して営業。通常営業になるのは来週半ばとのこと。
秋田市内の一般家庭では、震度5強という強さのわりには物が倒れたという話はほとんど聞かなかったが、高層階だから被害が発生したのだろうか。

14日に復旧作業の様子を先にアップしたが、
「トピコ」2階のぽぽろーど側入口
ぽぽろーどとトピコの天井の“つなぎ目”の細長い化粧板みたいなのが垂れ下がっていた。
復旧作業中の様子(14日の記事の再掲)

同様に、
ぽぽろーどのつなぎ目も
1997年にできた秋田駅側から2000年に西側へ延長された部分のつなぎ目の天井も落ちていた。中には完全に落下したものもあったし、垂れ下がっていない板も浮き上がって変形していた。
14日の時点では、すべての板が撤去されていたが、復旧はされず穴が開いたままだった。
大屋根下。左がフォンテ、右奥が西武
ぽぽろーど西端の大屋根下も、フォンテAKITAや西武秋田店から出てきた人でごった返していた。
西武の前だけ、人の密度が高いながらも整然として見えたが…
整列
西武の青い旗(上の写真右側)を先頭に、各売り場の従業員が並んでいた。
客の避難誘導を行った後、このように集結する決まりになっているのだろう。
若干通行の妨げの気もしなくもなかったが、ほかの店ではこのような対応は見かけず、さすが百貨店だと思った。

交通整理にでも向かうのか、パトカーがサイレンを鳴らして走っていた。
ゆうちょ銀行秋田支店前
ゆうちょ銀行秋田支店の店舗内の一部も電気が点いていた。昔は「貯金事務センター」だったので非常電源が必要だったのだろうが、事務センター機能がなくなった今、こんなに電気を点けておく必要があるのかなと思った。
前の交差点の信号機は消灯。車の合間をぬって歩行者が渡っていた。

信号機が作動している交差点では、道端の箱の1つがうなりをあげていた。
融雪装置操作盤などと同色で、切妻屋根でやや背が高い、今まで何の目的なのかよく分からない箱が発電機が入った箱だったんだ。
この箱の中に発電機
なお、発電機が設置されていない一部交差点では、民生用のディーゼル発電機を仮設(路上に置いて)し、そのケーブルを電柱にある制御箱に接続して信号機を稼働させていた箇所もあった。

この日の秋田市は15時の気温は0.4度。積雪は2センチだったが、1時間後には5センチと急速に雪が降り積もった。雷も鳴って荒れて寒い中での停電となった。

その後、丸1日強、停電。
秋田市のほとんどの地域では、水道やガスは正常だったが、いかに電気に頼って暮らしているのかよく分かった。
頭では分かっていたつもりだが、「食料、電池で動く照明・ラジオとその電池、電気なしで使える暖房の備え」を痛感した。鍋で炊飯する方法も覚えておくといいと思った。
我が家は幸いどれもあった(意識して備えていたというより、たまたまあったというべき状態)が、風呂は沸かせないし、いつ停電が復旧するか分からないし寒く、時折余震が来る中、早々に布団に入るしかなかった。
消防団が火の扱いに注意するよう呼びかけながら巡回していた。

停電中はラジオが情報源として役に立った。
僕は普段ラジオを聴かないので詳しくないが、コミュニティFMがあったはずだとチューニングしたが、見つからない。コミュニティ局も停電で停波していたようだ。
結局、NHKとABS秋田放送を聴いた。秋田に関しては「停電の復旧のめどなし」程度の情報しかなく、あとは太平洋側で大きな被害があることを繰り返していた。
意外な意味で役に立ったのが、NHK仙台放送局からの放送。「今、仙台のスタジオで揺れを感じています」と話があってから、1分近くしてから秋田市が揺れたので、簡易的地震速報となった。

翌日、秋田魁新報は紙面数は少ないながらも届き、全国紙も10時近くになったが配達された。
翌夕、電気が復旧してうれしかったが、テレビを点けるとすさまじい被害を目の当たりにした。

大災害だからそちらをメインに報道するのは当然だが、停電復旧後も含めて、もっと秋田の情報を知りたかった。
地元ケーブルテレビの独自チャンネルは通常の番組を流し続け、データ放送の「緊急」の項を見ても「災害への備えをしましょう」なんてのん気な情報が掲載されているだけでまったく役に立たなかった。今週に入ってから、通常番組を中止して秋田市がまとめた被害情報や文字ニュースを流しているが…
なお、秋田ケーブルテレビで見られるIBC岩手放送では、ラジオ・テレビ同時放送で、安否情報・避難情報などを流している。

今回の一晩の生活を忘れず、日頃から備えをしておきたい。
地震後、節電・燃料の節約を心がけるようになり、今までより早く寝るようになった。慣れてしまえばどうってことないし、健康的だ。今までの暮らしを見直す機会になった。
あとは、毎日たくさん来ていた、各種企業からの広告メール(スパムではなく登録した企業から)がぱたりと来なくなった。不急のメールで回線を使わないようにという配慮だろう。自粛の意味もあるだろうけど。


被災地はまだ復旧すらされていないが、やがて復旧から復興へと移るだろう。
今は全国的に被災地支援の動きがとても高まっているが、時が経てば薄れてしまうかもしれない。長期的・継続的に被災地を支援することが復興には必要だと思う。
被災地に近い我々こそ、それができるはずだから、意識し続けたい。

だけど、被害のなかった我々は、被災地のことを心に留めながらも、ある程度普通の生活をしていかなければいけないと思う。そうでなければ国全体が衰退してしまうし、気持ちも暗くなってしまうから。
東北地方の被害を受けなかった観光地などでは、予約キャンセルが相次いでおり(現段階では当然だが)、春の観光シーズンが懸念されている。開業したばかりの東北新幹線新青森や関連キャンペーンも大きな打撃を受けるだろう。そういった方面を支えていく(利用する)ことも、間接的には復興支援と言えるかもしれない。
そういえば地震の翌日に、九州新幹線博多-新八代間が開業していたが、そのことはすっかり忘れてしまっていた。
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