広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

さよならニューシティ

2010-04-14 20:12:19 | 秋田のいろいろ
昨日はだるま祭り最終日。言い伝え通り、雨が降ったけれど、風がとても強くて冷たい雨。今日も風が強く、あちこちで屋根が飛ばされ消防車が走り回っていた。
そんな中、だるま祭り会場そばにある、秋田市大町の「秋田ニューシティ」が13日をもってテナントの営業をすべて終了。近日中に事務所なども退去し、29年の歴史に幕を閉じる。
開店当初はもっと濃い色だったはずだが、白っぽく塗り直された
簡単にニューシティの歴史をまとめると、
1981(昭和56)年にダイエー秋田店を核テナントとしてオープンした、地下1階・地上5階の商業ビル。老舗呉服店が発祥で秋田経済界の重鎮である「辻兵(つじひょう)」系列の所有で、建物は途中から日本生命の所有になった。
2002年、ダイエーグループの経営不振に伴い、秋田店が閉店。以後、食品スーパーなどテナントの出入りが繰り返され、最近は一部フロアが閉鎖されてオフィスや秋田市中央公民館が入居していた。
日本生命との関係があったらしく、これ以上の存続をしないこととし、4月での全館閉鎖(当初3月末だったがだるま祭りに合わせて延長)を決定。解体されるようだが跡地利用は未定とのこと。
 ※建物の名称としては「秋田ニューシティ」、運営会社名は「秋田大町ニューシテー(旧秋田ニューシテー)」だそうで、「ニューシティー」の表記は間違い。本記事では、主に建物のことを扱うので「ニューシティ」と表記します。
最後は1階だけで営業していた
ニューシティ閉鎖は、イトーヨーカドー秋田店閉店とともに、秋田市中心市街地の衰退の象徴として報道などでは扱われている。
でも、そのわりには、あまり市民の関心がない(例えば扱っているブログの数など)ようにも思う。秋田市中心市街地の賑わいなど“過去の栄光”になってしまったことの象徴なのか…

以下は個人的な思い出です。
我が家はニューシティの徒歩圏内にあり、僕が物心ついた頃にオープンしたこともあり、非常になじみ深い存在だった。
駅前や広小路には、ジャスコ(今のフォーラス)、イトーヨーカドー、協働社(今のベルドゥムール・ランドマーク秋田の場所)などがあったし、旭川を越えた大町側(=ニューシティの向かい)にも「本金(現在は駅前に移転し秋田西武)」や「名店街(1985年に閉店)」といった商業施設があったが、ニューシティは大町にとっては今までにない形態の店舗だった。

開店当初は秋田では珍しかったディッパーダン(1階。今はサティや駅にあるけれど)、イタリアントマト(地階と2階)、ミスタードーナツ(隣接地。秋田市内では2店目?)をはじめ、レストラン街・ゲームセンター(5階)、家電売場・書店・レコード店(4階)、ドムドムハンバーガーなどのフードコート(地階)もあり、なんでも揃っていた。そして「ダイエー」という、総合スーパー自体が目新しかった。ダイエー商品にはずいぶんお世話になった
子どもの僕にとっては、こんな身近に、こんなものができて、タマゲタものだ。テレビで当時の映像を見ても、賑わっていたのは間違いない。【16日追記】1日2万人が来店した日があったそうだ。
北東角の交差点に面した2台のエレベーター
日立製24人乗り×2台のエレベーターは、この当時建設の商業施設に多い、ドアと反対側が外に向いたガラス張りのタイプ(秋田駅前のフォーラスやヨーカドーも同タイプ)。
外から見ると、2台の動作が見えておもしろいし、飾りの電飾が付いていてきれい
今から考えると信じられないが、ニューシティ開店当初は、“エレベーターガール”が乗っていた。
インフォメーションカウンターのお姉さん(近年とは違う赤い制服?)が交代で乗っていたはず。カゴ内の階数ボタンの下の鍵付きのフタの中に、専用の操作盤があり(今も残っている)それを操作していたが、客が側面にある車椅子用の階数ボタンを押すと「そちらのボタンはナントカカントカでございまして、うんぬん」と説明&怒られたものだ。当時は、車椅子対応のエレベーターがまだ出始めだったはずだが、そんなにお説教しなくたって…と思ったものだ(ドアの開放時間が延長されたり、もう1台との協調運転に支障が出るのかもしれないけれど)。
※1988年の秋田市営バスの冊子時刻表に掲載された、ニューシティの広告はこの記事後半。

1階の吹き抜けの広場にあった時計が毎正時にキンキン鳴っていたことや小学校2年生の時、開店前の時間に社会科見学に来たのも思い出。


今でも、だるま祭りやヤートセ秋田祭、竿燈まつりなどイベント時は賑わう大町だが、昔はいつも賑やかだった。
大町に、秋田市中心市街地に、あの賑わいがよみがえるのだろうか。
今日のニューシティ。この出入口は閉鎖されていた
今日のところ、上階のオフィスは営業していたようで、エレベータ側の出入口は開放され、エレベーターも動き、なぜか外周の照明も点き、客待ちタクシーもいた。まるで休業中のようで閉店してしまったという実感はまだない。


ついでに気になったのが、
 ・秋田駅前の元祖ファミレス「レストランニューたけや」跡。何やら工事している。事前に「春に改装の上、開店する予定」との掲示があったのだが、何になるんだろう。
 ・弘前駅前のダイエーがあった商業ビル「JoppaL(ジョッパル)」。弘前市の出資する3セクの経営破綻で、突然の閉鎖となり、今後は未定。先日の市長選では前副市長の新人が、現職を破って当選したが、どうなるのだろう。
コメント (12)
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だるま祭り

2010-04-12 20:32:48 | 秋田の季節・風景
最近の秋田市内は、暖かいんだか寒いんだかよく分からない天気だが、スイセンが咲いて、ツバメが飛んで、春らしくなってきた。
旭南(馬口労町)の「刈穂橋」から見る太平山と旭川
曇っていたのに山並みがくっきり見えた。ここからの眺めは、南通・駅前のビルのすき間から見える雪山のバランスがちょうどよくて、好き。
そして今日は風が強い。
ウミネコも川反へ避難
今日・明日は、秋田に春を告げる、川反(大町)の星辻神社の「だるま祭り」。(概要・昨年の様子等はこちら
いつもは人通りがまばらな大町も、(日曜と重なった昨年ほどではないが)賑わっていた。

「ファッションアベニューAD」から「イーホテルショッピングモール」に名称変更して1年経つのに、一向に名前が定着せず、当事者もほとんど周知していない商業施設でも、協賛イベントが行われ、青森県の鰺ヶ沢からあの「わさお」さんと飼い主さんが来てくれ、昼前後に行われたイベントには100人以上が集まったとのこと(「秋田経済新聞」サイトに記事があります)。
右の垂れ幕は、やっと新しくなったが、左は「AD」のまま…
ニューシティなき後、頼りになるのはおたくだけなんだからね。
神社前の通り

神社
これは午後の様子だが、常に人はいるものの、ほぼ待たずにだるまを買える程度の人出。
報道や人の話を総合すると、午前中は神社の外まで行列していた時間があったそうだ。昨年も思ったが、僕は夜の方が賑わうと思っていたが、少なくとも午前中にも人出のピークがあるようだ。

秋田放送(ABS)のラジオ中継が来ていた。
移動中継車?(ラジオカー?)「ラジPAL」
ナンバーが「936」だが、秋田での周波数(茨島のイオンタウンにある送信所)の「936kHz」にちなんだ希望ナンバーだった。
その運転席には、
ダルマさん
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秋田新幹線3題

2010-04-10 20:24:32 | 秋田のいろいろ
秋田新幹線にちなむ話題を3つ。
●ホーム延長・大曲駅でも
2月下旬の記事の通り、秋田新幹線の新型車両導入に伴う(6両から7両に増えるため)、秋田駅のホーム延長工事が行われている。
まずは前回紹介後の進捗
2月25日。床面ができている
その後、足場が組まれた。
3月14日。ホームから撮影

4月7日。赤い矢印が既設部分との境界
足場が取れ、屋根ができた。屋根や柱は既存部分とよく似たデザインになっており、ぱっと見では、継ぎ足しだとは分からなそう。
でも境目で屋根(天井)が切れているようにも見えるし、床面にはまだタイルなどは貼っていなかったが、この後、どうなるのだろうか。
※続きはこちら

秋田駅同様、ホームの延長が必要になるのが、(新幹線としては)秋田の隣駅の
大仙市の大曲駅
駅名標が白色LEDを照明にした「エコ薄型電気掲示器」(こちらこちら参照)になっている。秋田駅にはまだ設置されていないはずだが、五能線の能代駅にも設置されていた。昼間は、照明のスイッチを切っているようだ。

大曲駅は橋上駅舎だが、ホームの配置が変わっている。線路配置上、秋田新幹線の列車がスイッチバック(列車の向きを変える)するためだ。
ホーム配置略図(1番線は省略)。オレンジの矢印はとりあえず無視してください
  1・2番線は、在来線で一般的なレール幅(狭軌)の奥羽本線。
  3番線は、新幹線のレール幅(標準軌)になっており、角館・田沢湖方面の田沢湖線の普通列車が発着する(上の写真の電車)。
  11・12番線も標準軌で、秋田新幹線「こまち」が発着する。
 ※システム上は、田沢湖線の普通列車が11・12番線に入ることも、こまちが3番線に入ることも可能だと思われる。

スイッチバックの配線なので、3・11・12番線は行き止まり構造になっており、その先には「乗換改札口」がある。
車止めと乗換改札口
駅舎は橋上なので、階段などで上に上がる必要がある。2・3番線にはその設備があるが、新幹線の11・12番線上にはそれが一切ない。
したがって、「こまち」を降りた客は、必ず前方(横手方向)に進み、乗換改札を通って(特急券のみ回収)、2・3番線に出て、上へ上って、改札口から外へ出ることになる。
どうしてそういう設計にしたのかは分からない(物理的な制約か、客の動線などへの配慮か)し、大きく遠回りをさせられるというわけでもないが、大曲で降りる客は2回改札を通る必要があり、渋滞することもある。

そんな大曲駅でも、ホームの延長が行われているはず。改札と反対のホーム端を見てみる。
この先で田沢湖線が盛岡方面へ右に分岐、まっすぐが奥羽本線秋田方面
先に行くほどホームが狭くなっていて、末端は
ギリギリ
出発信号機もホーム先端の目前にあり、ここにホームを延長するのは(線路付け替えなど大がかりな工事をしな限り)無理そう。
戻って乗換改札へ来ると、その(横手方向の)窓の外に驚きの光景が!!
新しい線路と建物!!!
秋田方向にホームを延長できないため、横手方向にホームと線路を延長することで対応していたのだ!(上の写真右端の普通列車用の3番線の線路も延長するようだ)
ところが、それだと乗換改札口が邪魔だから、略図のオレンジ色矢印のように、乗換改札口を上へ移動させるわけだ。
というか実際には、移動でなく、ほぼ同じものを新築していた。完成からまだ13年しか経っていないのに。
ほぼ同じ構造と思われる乗換改札口
たかが(といっては失礼かもしれないが)ミニ新幹線が1両増えるだけなのに、こんな大がかりな工事をするなんて。さすがJR東日本。
まさか昔の急行列車みたいに「後ろ○両はホームにかかりませんので、前の車両からお降り願います」なんて言うわけにもいかないだろうけど(今もローカル線ではたまにある)。

乗客にしてみれば改札が遠くなるわけで、若干歩く距離が伸びることになる。
新改札への切り替え、現改札の取り壊し、自動改札機の移動などはどんな手順でやるんだろう。一晩でやるのか?
※その後の様子はこちら

●車内間違い探し
現在の秋田新幹線「こまち」用E3系電車には、製造された時期によって、デザインや機器に差がある。
こちらで紹介した、いちばん古い試作車的存在の「R1」編成は1995年製、最新の「R26」編成は2005年製だから、10年の差があるわけで、当然と言えるかもしれない。

頻繁にこまちに乗る方は、普通車の座席に違いがあることにお気づきかもしれない。
形・座り心地・座席回転方法(レバーとペダル)・肘掛けの加工(クッションの有無)・テーブルの大きさ・小物入れポケット(ゴムベルトと網袋)などが異なる。座面がスライドし、ペットボトルホルダーと足置きが付いているのが、2002年以降に製造された、R18からR26までの9本の列車。

ほかにも違いはあって、ここで2枚の「こまち」車内をご覧いただく
 
左の写真が最終グループの「R24」編成、右が開業当初からの「R4」編成
写真が同一条件でなくて申し訳ないけれど、どちらかが、何かが欠けた見慣れない内装だと思いませんか?

それは荷棚(いわゆる“網棚”)。左の方が珍しい。
右の写真のように多くの車両では、座席3~4列ごとに、荷棚から天井へアーチ状の支柱のようなものが延びている。ところが、左の車両ではそれがない。
理由は分からないが、いちばん最後に製造されたグループの中のさらに一部に、このような荷棚の車両が存在する。

アーチは車内を広く見せるための工夫だと聞いた記憶があるが、個人的には、逆に圧迫感を感じるような気もしていた。でも、支柱がないのを見ると、アクセントがなくて物足りない気がする。
強度確保のような目的もあるのかと思っていたが、なくてもいいのなら、完全な飾りだったのだろうか。

●秋田新幹線車両保有株式会社
秋田駅南側にある、JR東日本秋田支社の建物
壁面に広告がいくつか出ているが、
「秋田新幹線新型車両E6系いよいよデビュー」
この建物には、JR東日本とその関連会社が入居している。
玄関脇の表示
いちばん下に「秋田新幹線車両保有株式会社」という表示が
同社は、秋田県が99.6%を出資する第3セクター(残りはJR東日本出資?)。
秋田新幹線開業前2年前の1995年に設立され、実はこの3月いっぱいで解散(出資金は県へ戻った)した、現在はない会社(したがって本来なら玄関に表示がないはず)。
秋田県の資料によれば、沿革は「奥羽線・田沢湖線の高速化利便性向上のため、秋田・盛岡間新幹線在来線直行特急化事業に係る秋田・東京間の新幹線在来線直行運転車両を確保することを目的として、秋田県が中心となり東日本旅客鉄道株式会社と共同して、第三セクターとして設立。」で、主たる業務は「新幹線在来線直通運転車両のリース」。
つまり、「こまち」の車両は、この会社が所有し、JR東日本に貸して(リース)いたもの。

正確には、「こまち」の全車両でなく、開業当初からあった5両×16本(R1~R16編成の14号車以外)がこの会社の持ち物。
後で増備されたR17~R26編成の6両×10本はJRの直接の所有であっただけでなく、最初の16本のうち、後で追加された14号車もJRの所有だった。
リース期間は2009年度までとなっていたらしく、期間満了に伴いJRに全車両の所有権が移り会社解散となった。

秋田と同様のミニ新幹線である山形新幹線でも、「山形ジェイアール直行特急保有株式会社」という第3セクターが車両などを保有していたようだ(更新された新型車両はJR保有)。
ミニ新幹線の工事費には、沿線自治体の費用負担も大きかったと記憶しているが、車両についても同じことのようだ。
高度経済成長期の“列島改造”計画の頃ならともかく、現在の情勢では一地方都市へフル規格新幹線を造るのは難しい。並行在来線が廃止されないという点でも、ミニ新幹線化はベターな選択だったと思う(一部区間を改良するなどして、スピードアップなどはもっとできるかもしれないが)。JRにだけ費用を負担させるわけにもいかず、こういうやり方が必要だったのだろう。

秋田新幹線は、車両のリースが終わってJRの所有になり、さらには後継車両が造られようとしている。“軌道に乗って”安定期に入ったことの象徴だと思うが、高速道路料金の問題、秋田県の人口減少、東北新幹線の新青森開業など、取り巻く環境は変化している。
それに伴って、秋田新幹線はこれからどんな風に変化していくのだろう。
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卵アイス・ポタージュアイス

2010-04-09 22:55:46 | 各地お土産・食べ物
カップに入ったちょっと高級な「プレミアムアイスクリーム」をたまに食べたくなる。四国旅行とその道中で食べた2種類を紹介します。
●「土佐ジローのタマゴを使った濃厚なバニラ」

高知市の南隣、いの町にある「有限会社高知アイス」の製品。牧野植物園のショップで200円で購入。
落花生みたいな形は高知県の地図?
同社はゆずや文旦など、高知県産農産物のシャーベットも作っていて、これは秋田市のスーパーランドヤマトでも売っていた(現在は未確認)。もしかしてこのバニラアイスもあったかもしれない。

「土佐ジロー」というのは、高知原産種と外国種を交配した、高知特産のニワトリの品種名。これはその卵を使ったバニラアイス。
秋田でも「比内地鶏」の卵のソフトクリームやプリンがあるのと同じようなもの。
バニラの粒が見える
それほど「濃厚」ではないと思ったが、価格も手頃でおいしかった。

ちなみにこの製品は無脂乳固形分11%、乳脂肪分8%(8%より少ないと、分類上は「アイスクリーム」でなくなる)。
おなじみハーゲンダッツのバニラは10%と15%、明治Ayaのバニラは10%と18%なので、乳脂肪分はこれらより少なめ。僕は(多くの人は?)乳脂肪分の多さで「濃厚かどうか」を判断してしまっているのかもしれない。


●「コーンポタージュアイス」
列車の車内販売でもプレミアムアイスはおなじみ。
北海道・九州などでは、地元メーカー産が売られていたが、JR東日本(NRE)では、コーヒー用ミルクでおなじみ「名古屋製酪(めいらく)」の「スジャータ」ブランドのアイスが売られていることが多いようだ。(数年前中央本線の「あずさ」では小岩井乳業のアイスだった。長野新幹線でも別製品が売られている)
スジャータの公式サイトには、このアイスの存在が掲載されていない。「車内販売専用」の製品なのだろうか。

JR北海道では、バニラと月替わりの果物系を中心としたアイスの2種類を扱っていたが、今まで東日本ではバニラのみだった。
ところが、四国旅行帰りの「こまち」で「“おすすめ商品”は『コーンポタージュアイス』でございます」という放送が!
東日本で2種類のアイスを扱っているのにも驚いたが、コーンポタージュアイスというものの存在にもびっくり。
ということで、買ってみた。バニラと同じ260円。(今はコンビニでも260円だから、車内で買っても高くはない)
[粒入り]ですか
これもスジャータブランド。そういえば、同社はアルミ紙パック入りのポタージュも作ってたな。
無脂乳固形分6.0%、乳脂肪分4.0%で分類としては「アイスミルク」。
バニラアイスよりも黄色い。ポタージュの色そのもの
味もコーンポタージュそのもの。冷たいので、甘さ・塩分の感覚がやや違うとはいえ、スープをそのままアイスにしました、という感じ。スープをうまく再現している。
コーンの粒
決してまずくはないけど…
プレミアムバニラアイスの味を期待する人には、あまりお勧めしないかも…

3月の限定品などではなく、他の方々のブログによれば4月に入っても今のところは販売されているようだ。興味のある方はお試しください。
【5月7日追記】7日現在、NREが車内販売を担当している、八戸-函館間の特急「白鳥」でも販売していたとのこと。
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秋田人は旅先で…

2010-04-08 19:31:18 | 旅行記
慣れない旅先、あるいは転居先で、住んでいる(住んでいた)土地を連想させるものを見ると、懐かしく、うれしく思ってしまうもの。
高知のホームセンター「ブリコ」(「ブリコ」は秋田でハタハタの卵を意味する)のような期待外れもあるけれど。
先日の四国への道中、関西で見つけたものを2つご紹介。

●秋田の郷土料理?
大阪市の阿倍野区と天王寺区の境に、「阿倍野橋」とか「天王寺」と呼ばれるエリアがある。繁華街であり、鉄道路線が集まる交通の要衝でもある。
JR西日本と近鉄の駅が大きく、道路を挟んで向かい合っているが、駅名はJRが「天王寺」、近鉄が「大阪阿部野橋」と異なる。(地名や地下鉄駅名は阿“倍”野橋、近鉄の駅名は阿“部”野橋、ほかにも“あべの橋”とひらがな書きする場合もある)

その近鉄の駅構内の柱。
「きりたん」
秋田県人としては、瞬時に「ぽ」を追加して、郷土料理の「きりたんぽ」を連想し、その広告かと思った。(「ぽ」が物陰か何かに隠れているのかと思った)

※全国的にすっかりおなじみかと思うが、秋田県北部発祥のご飯をつぶしてチクワ状(?)にしたものを「きりたんぽ(切蒲英)」という。ひらがなで書くのが一般的。
 焼いて味噌を付て食べることもあるが、鍋物にすることが多い。鍋物のことは全国的には「きりたんぽ鍋」と“鍋”を付けて呼ぶ場合が多いようだが、秋田では単に「きりたんぽ」できりたんぽ自体を指すことも、鍋料理のことを指すこともある。

郷土料理の広告にしては、書体や色合いがふさわしくなさそう。(そもそも「ぽ」が抜けてるけど)
何の広告?
ちなみに右奥が改札口。この駅は自動改札機の導入がとても早く、1966年に試験設置(現在と方式が異なる)された。
拡大。「ん」の下の空間に「ぽ」を書き加えたくなる~!
近くにある「大阪キリスト教学院 大阪キリスト教短期大学」という短大の広告だった。公式サイトにも「きりたん」の略称が出ている。ということで、これも秋田人としては期待外れ。

全国的に「○×短期大学」を「○たん」と略すのは一般的。語呂がいいし、「たん」という響きがかわいらしいからかもしれない。
でもここの場合、「きり」ってキリスト教、キリスト様の「キリ」。建学の精神とか、大学の根幹にかかわる大事なものだと思うけど、略してひらがな書きしちゃっていいの?
※大学の略称については、過去の記事に秋田大学の例もありました

●神戸の秋田美人
神戸市の繁華街「三宮(さんのみや)」。そこにあるJRの駅が「三ノ宮」駅。神戸駅よりも利用者が多い。
その下りホーム
向こうの壁に、他の広告に混じって「あきたこまち」の文字が見える。
JRホーム側を向いた広告だが、設置されているのは隣接する新交通システム「神戸新交通」の敷地だと思われる。
「美人を育てる秋田米 あきたこまち」
秋田県内でもたまに見かける、「JAグループ秋田・JA全農あきた」による広告。秋田では「美人を育てる秋田米」のコピーは、たしかあきたこまち登場以前から使われていたし、市女笠(いちめがさ)のこまち娘もすっかり定着している。
これは「ブリコ」や「きりたん」とは違い、本物の秋田のものだ。

首都圏では、距離的な近さ、同じJR東日本エリアということもあって、東北や秋田のポスターなど広告類を比較的よく見かけるが、関西では少ない。
そんな中、神戸のど真ん中で、ズバリ秋田の広告を見つけたのは、うれしかった。
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フレッシュランチ革命?

2010-04-07 20:40:58 | ランチパック
新年度、個人的には先日紹介したバス時刻表の集約と並んでうれしいことがあった。たけや「フレッシュランチ」が少し(良い方向に)変わった気がするのだ。
 ※当ブログ「ランチパック」カテゴリーでは、秋田・青森両県以外で全国発売されている山崎製パンの菓子パン・惣菜パン「ランチパック」と、ヤマザキからライセンスを受けて秋田県のたけや製パン、青森県の工藤パンが製造・販売している「フレッシュランチ」を紹介しています。
  発売された全種類をご紹介するつもりはなく、気になったものだけを掲載します。味については、同一条件(製品の状態、体調、個人の好み等)で同時に比較することは不可能なので、あくまでも参考とお考えください。

その前に、まずは紹介し損ねていた、3月の新製品をもう1つご紹介。
「チーズケーキ風味」チーズケーキ風味のクリームをサンドしました。
今月も引き続き発売されているのを確認。相変わらずの2色刷の地味な包装だが、イラストのチーズケーキに惹かれて購入。
本家ランチパックとしては発売されていない味のようで、たけやのオリジナルなのかもしれない。

中味の写真はないが、黄色いクリーム状。
レアチーズの味はするけれど、かなり甘く(僕は甘い物好きだが)、そしてとても脂肪分を感じる。まるでマーガリンを多量に食べているような感じ。
個人的には、これはダメ。今まで食べたランチパック中、いちばん嫌な製品になってしまった。
原材料は「小麦粉・油脂加工品(水飴・自家製ベース・マーガリン…)」ううっ。いかにも脂っこそう…

この一件で、やっぱり「たけやフレッシュランチ」は…と幻滅しかけて、4月になって店頭に行くと、びっくり!
●フレッシュランチ革命?
まず、ラインナップ(同時に発売する製品数)が増えた気がする。一部しか仕入れない店も多いが、おそらく全種類を仕入れていると思われるスーパー「いとく」に10種類近くあったのではないだろうか。

そしてそれらのパッケージも変わった。先月から引き続き発売されている製品は2色刷のままだが、
4月発売の新製品はカラフル
3色刷になり、製品名が記載された部分のデザインが本家ランチパックに似たものになった。

そして製品自体も写真の「津軽りんごジャム」「蔵王牛乳入りクリーム」のほか、「照り焼きハンバーグ」「小倉&抹茶クリーム」など、なんか本家ヤマザキっぽい感じが。(過去にヤマザキ側で発売されていて、聞き覚えのあるような製品名が多い)

今までは、よく言えば独創的だが、悪く言えばラインナップに偏りがあり、かつ貧弱な感じがしたたけやフレッシュランチだったが、突如としてランチパックに近づいた印象がした。ヤマザキとの提携内容が変わったとか、生産ラインに余裕が出たとかしたのだろうか? これは「たけやフレッシュランチ革命」か!!
肝心の味はどうだろう。

「津軽りんごジャム」津軽りんご使用のジャムをサンドしました。
昨年12月と今年2月、本家ヤマザキのりんごジャムとクリーム(カスタードやホイップ)の製品を紹介したが、これはジャムだけ。
ジャム中 津軽産りんご23%使用」と明示しているところに好感が持てる。
リンゴの品種「つがる(ひらがな書き)」を使ったということでなく、産地が青森県津軽地方ということだろう。
ジャムがたっぷり
僕はジャムだけのパンってあまり好きでないのだが、おいしかった。個人的にはクリームを入れてほしいけどね。

「蔵王牛乳入りクリーム」蔵王牛乳入りクリームをサンドしました。(←この説明文は必要なの?)
チョコ系が多かったたけやとしては珍しいクリーム系。こちらも「クリーム中 蔵王産牛乳10%使用」と律儀な表示。
てっきり生(ホイップ)クリームかと思ったが、
カスタード
本家の「ミルキークリーム」に量や流動感が似ている。そしてとてもおいしい! ミルキークリームに匹敵するおいしさ。個人的にはベスト・オブ・フレッシュランチかも。

なお、本家ヤマザキでは、各地域の牛乳を使用した「○○牛乳クリーム」味の製品を出しており、(秋田・青森以外の)東北地方では、「カスタードクリーム(蔵王産牛乳入りクリーム使用)」というものを昨年末あたりから発売している(いた?)ようだ。おそらくそれのたけやへの“移植版”なのだろう。

今月の新商品はとてもレベルが高い。味もヤマザキにまったくひけをとらない。たけやの何かが変わった。見直した。
りんごジャムの残り77%と牛乳の残り90%はどこ産? とか、せっかくなら秋田産りんごや牛乳を使ったら? とか言いたくなりそうだが、たけやさんの努力に敬意を表し、今後に大いに期待したい。
【9日追記】おなじみ「ツナサラダ」「タマゴ」も、3色刷のパッケージになっていた。バーコードの番号(JANコード)も変更されたかもしれない。
【10日追記】値段を記載し忘れていた。チーズケーキ風味は126円(駅のコンビニ)、4月の2商品は108円(サティ)だった。値段を考慮すると、4月の新商品はスゴイ!
【12日追記】サティで4月新商品を見たら、価格が126円になっていた。108円は特売だった模様。

参考までに、
●工藤パン版フレッシュランチは?
秋田と同様の事情であるお隣・青森の工藤パンではどんな製品が出ているのだろう?
3月までは毎月更新されるサイトの新製品情報の中に、必ずフレッシュランチの新製品が紹介されていたのだが、4月の新製品の中には、ない。なぜ?

●本家ヤマザキフレッシュランチ
ヤマザキの公式サイトによれば、4月は「グリコ味」、「ミルキークリーム」は引き続き発売中。
目新しい商品では、あの栃木県のご当地飲料「レモン牛乳」とのコラボ「関東・栃木レモンクリーム&ホイップ」をはじめ、「醤油餅風(キッコーマン醤油入りたれ使用)」「きなこもち」「苺大福風味」など(餅系が多い)、相変わらず興味深そうなラインナップ。
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年度を越えて2

2010-04-06 20:19:29 | 秋田のいろいろ
先日に続いて、新年度の秋田の様子です。今回は秋田市南西部、新屋地区にできたものとなくなったもの。
●新屋支所跡地
JR新屋駅や秋田市役所西部市民サービスセンター近くの秋田市役所新屋支所跡地では、秋田県警秋田中央署「新屋交番」の新築と秋田市による通路の新設が行われていた。
最近あまり新屋に行っていなかったが、とっくに完成したらしく、いただいたコメントによれば「交番は3月23日から業務を開始している」とのこと。4月2日には開所式が行われ、5日付地元紙にその記事が掲載された。配置警察官は10名、総事業費4000万円。
※話が逸れるが、この新聞記事中に「西部市民センター」という表記があった(見出し・本文中・写真解説)。秋田市役所にとっては、「市民サービスセンター」「市民センター(雄和と河辺)」「市民サービスセンター(アルヴェ内)」はそれぞれ目的・権限や根拠となる条例が異なる、別の施設。たしかに紛らわしい名称で、市の周知も足りないし、一般市民にとってはあまり違いがないとはいえ、プロの新聞記者が間違えてしまうとは… ちょっとネットで調べれば分かるでしょ。
逆光ですが、新屋駅側から
参考までに
支所があった頃のほぼ同アングルの写真(再掲)
松(保存樹)と建物の間、桜があった部分が通路になっている。
松の左が道路、右側が通路。通路はかなり広い

交番横から駅方向を振り返って
通路というより立派な歩道だ。思っていたより広くて歩きやすい。新屋駅からここまでは狭い道をたくさんの車が通って歩きづらいのだが、一部区間とはいえ、とても歩きやすくなった。
県道の交差点から市民サービスセンター・駅方向
交番はあまり大きくなく、駐車スペースが広く取られた。なお、交差点名は「日吉神社前」のまま。

ところで、昨年の記事で、新屋支所前にライオンズクラブから寄贈された、交通安全の塔状のモニュメントの画像を掲載したが、支所解体とともに撤去されてしまった。
昔の秋田市広報紙「広報あきた」1294号(平成5年10月10日)に、それが設置された時の記事が出ており、1993(平成5)年9月設置とのこと、もっと古いものだと思っていた。


秋田西中近くの旧交番前を通ると、建物はそのまま残っていた。そして、車道からは見えない位置に交番所属と思われるパトカーと警察官3名。さらに少し離れた物陰にも警察官らしき人物が立っていた。
通る車両のシートベルトか携帯電話使用の取り締まりをしていたようだが、あまり“成果”がなさそうで、手持ちぶさたのご様子。
交通安全の一環として取り締まりは必要だが、ここでこんなことに4名も張り付けるよりも、雄物川堤防や住宅地の細い道を歩行者がいるのに明らかに速度超過の猛スピードで走る車の取り締まりとか、歩行者と自転車が通行区分を守るよう現場に立って呼びかけるとか、信号機や標識に不具合がないかパトロールするとか、ほかにもやるべきことがあると思う。
新屋交番跡地はどうなるんだろう。まさか“取り締まり基地”にでもなるの?


●養護学校移転
ここでちょっと新屋から離れますが、
秋田駅の南東、低い山が迫った平地に田んぼが広がるのが、秋田赤十字病院や日赤秋田短大などがある、上北手(かみきたて。古くからの市民は「かみきたで」と濁る)地区。
その一角(日赤の向かい辺りから入る)の丘が、秋田県住宅供給公社(既に解散したのかな?)が造成・分譲した「南ヶ丘ニュータウン」。その中に、この春「あきた総合支援エリア“かがやきの丘”(正式名称は秋田県こども総合支援エリア)」が誕生した。「本県特別支援教育・療育の拠点(県のサイトより)」であり、秋田市内に散在していた、特別支援・医療療育関係の機関を再編・移転したエリアの総称(=特定の施設の名前ではない)。

具体的には、「医療療育センター」(秋田商業高校奥の福祉団地内の太平療育園と八橋の児童会館向かいの小児療育センターを統合)、「秋田きらり支援学校」(新屋の秋田養護学校と福祉団地内の勝平養護学校を統合)、「盲学校」(土崎の秋田中央高校隣から移転)、「聾(ろう)学校」(土崎の自衛隊向かいから移転)の4施設・学校ならなる(いずれも秋田県立)。
 ※「養護学校」が「支援学校」に変わったのは、法律改正による全国的な流れ。また、かつては養護・盲・聾各学校の総称を「特殊教育学校」と呼んでいたが、現在は「特別支援学校」と言う。

各機関を集めたのは、支援と医療を必要とする児童・生徒に対する教育と療育を連携して行えること、施設や職員を共同で配置でき効率化が図れることが目的と思われる。
新しい支援教育拠点の誕生を祝い、みんなが安心して元気に過ごせる秋田になるよう、今後に期待したい。


それに水を差すようで申し訳ないのだが、いわゆる「南ヶ丘ニュータウン問題」を忘れてはいけないと思う。
この南ヶ丘ニュータウンは宅地分譲の売れ行きが芳しくなく、販売数を縮小した経緯がある。その売れない分を県営住宅や支援エリア用地として県が買い取ったことについて、県議会などで批判を浴びた。

たしかに、日赤病院に近い以外、取り立ててメリットのない場所に思えるし、支援エリア構想自体が唐突に出てきた感はある。
支援エリアを日赤病院跡地など中心市街地に造ったっていいだろう。また、南ヶ丘に秋高・北高・南高を統合して「スーパー進学校」を造ってもいいかもしれないし、県庁を移転したってよかったのではないか(←あくまでも過激な例です)。
「空き地に何かを造る必要があって」、「手頃なところ」で支援エリアが造られたと考えられなくもない。


新屋に戻ります。
南ヶ丘に移転する秋田養護学校は新屋栗田町にあり、その向かいには同じく県立の「栗田養護学校」がある。
道路の左が栗田養護、右が秋田養護
両校は対象とする障害(障碍)が違い、秋田養護学校は肢体不自由児のための学校なのに対し、栗田養護学校は知的障害児のための学校。元は「秋田養護学校栗田分校」で、1986年に独立校となった。
当初は秋田養護の建物を転用した校舎だったが、2000年に同じ場所に新校舎ができた。

栗田養護学校は南ヶ丘には移転せず、このまま。
したがって秋田市内の特別支援学校で南ヶ丘以外にあるは、同校のほかは保戸野の秋田大学附属特別支援学校だけ。
県立の栗田養護学校が南ヶ丘に移転しないのは、学校の性格(対象とする障害)が異なるのが理由かもしれないが、校舎がまだ新しいからかもしれない。
校舎ができた2000年当時、まだ南ヶ丘ニュータウンの問題は出ていなかったはず。問題が浮上してきたので、唐突に支援エリア構想ができ、まだ新しい栗田以外の古い建物の学校・施設だけ移転を決めたのでは? と勘ぐってしまいたくなる。

支援エリア始動と南ヶ丘ニュータウンの問題を結びつけて考えるべきではないし、当時の県の責任者の多くは退任しただろうし、多くの県民が忘れてしまったと思うが、この記事に記憶を残しておきたい。
お金、特に税金は大事に使ってほしいし、子どもたちや現場の人たちにしわ寄せが行かないようにして、移転してよかったと後で思えるようになってほしい。

南ヶ丘移転前の各学校では、児童生徒と地元住民との交流が盛んだったと聞いている。小学校や中学校と同じような“地元の学校”という意識が住民にあったのだろう。子どもたちは学校の外でも、将来のための社会経験を積むことができたと思う。
市街地から離れており、新興住宅地である南ヶ丘では、まったく同じようにはいかないかもしれないが、引き続き地域との連携を図る方針であるようだし、新屋の皆さんも栗田養護学校と引き続き交流を続けることだろう。


さて、気になるのが、移転した施設の跡地の使い道。2月定例県議会で説明されたようだが、議事録等がサイトに未アップだし、報道も少ない。確認できたのは2月12日付「秋田建設工業新聞」のサイト。
それによれば、いずれも跡地利用は今年度に本格検討するそうだが、福祉団地の太平療育園と勝平養護は解体・更地が決定、秋田養護学校は埋蔵文化財センターへの転用などが考えられ、盲学校は隣接する秋田中央高校建て替えと連動した活用が考慮されているそうだ。
 秋田養護学校
秋田県埋蔵文化財センターは、大仙市の払田柵跡(ほったのさくあと)近くにある。それの一部または全部が移転するのか、建物は新築するのかなど不明。
【9日追記】今日の報道によれば、栗田養護学校の新設学科が秋田養護の旧校舎を使用しているとのこと。一時的なのか、ずっと使うのかは不明。
県立秋田中央高校は、1982年に秋田市立高校から移管されて県立になったものだが、校舎は市立時代からのもの。隣接地が空くから、一体的に新校地にするのだろうか。秋田南高校の立て替え時に、隣接する県教育センター(現在の天王の県総合教育センター)跡地も含めて校地にしたのと同じことだろう。

ほかの空き屋・空き地はどうなるんだろう。てっきり民間に売り払うのかと思ったが、引き続き県有地にするつもりなのだろうか。
大住の旧農業試験場跡地のように、市街地に近い住宅地の需要はあると思うし、南ヶ丘の土地購入費の穴埋めにもなるし、換金した方がいいんじゃない?
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四国を後に

2010-04-05 20:08:37 | 旅行記
【四国旅行記13】旅行記の最初の記事はこちら、直前の記事はこちら
四国に来て4日目。「バースデイきっぷ」は有効最終日の3日目。いろんなものを見られた高知を後にし、さらに四国も後にしなければいけない。
この日は高知市から徳島市に移動して1泊し、翌日は行きと逆ルートで秋田まで一気に帰る行程。

夕方近くの「南風」で高知から瀬戸内海沿いの宇多津まで。行きと同じアンパンマン列車のグリーン車。
窓から駅前広場やはりまや通りのヤシ並木が見えた
土讃線は全線単線なので、秋田新幹線「こまち」同様、特急といえども途中で反対列車待ちがある。(列車本数がやや少ないこともあるだろうが、こまちほど待つ回数・時間が少なかった気がする)
徳島県境近く、高知県大豊町の「土佐岩原」駅で列車交換。駅と山の間を吉野川が流れている。
ソメイヨシノと思われる桜がほぼ満開だった。高知市内より早い
4月4日のニュースで高知城の桜がまだ見頃というニュースをやっていたが、花の咲く期間が長い。今年だけなのかどうか分からないが、東北の桜ほど散り急がないのか。

次は宇多津から高松まで、20分ほどだが、せっかくなので特急に乗る。
松山から来た「いしづち」
松山-岡山の「しおかぜ」と松山-高松の「いしづち」だけが、四国を走る電車の特急(他はディーゼルカー)。8000系という車両が使われており、指定席車は数年前にリニューアルされている。
松山発のしおかぜ・いしづちは、宇多津駅で切り離しを行うので、連結されていた側の車両は、
真っ平ら!
130km/h程度では、空気抵抗などほぼ関係ないからこれでもいいのだけど、通常の先頭車が新幹線みたいにとんがってカッコイイのと比べると、なんとも。もうちょっとなんとかできなかったのかね。
 
以前乗った時は、車内はごく普通の特急列車だったのだが、リニューアルされた指定席は暖色系でまとめられ、木製素材が多用されて、明るい。座り心地も快適。
デッキは床が板張りで、ドアには絵が描いてある。洗面所は、
ボウルが砥部焼(違う柄のものもあるらしい)どっかの居酒屋のトイレみたい
ガラガラだったし、久々に電車に乗ると(ディーゼルと違い)音と振動が小さいのを実感して、快適に高松へ着いた。

すぐに接続する特急「しおかぜ」で徳島まで。
行きより1両多い3両編成だったが、指定席はやはり16席だけ。海外旅行帰りのようなグループもいて、ほぼ満席(っていっても13人)。自由席の方も、高松から各地へ帰宅する人で8割方埋まっていた。

泊まるのは徳島県庁そばのホテルだったので、徳島の1つ隣、ホテル近くの「阿波富田」駅まで普通列車で行って、バースデイきっぷの使用終了。グリーン車には2回しか乗らなかったが、充分得したと思う。
阿波富田は秋田市の上飯島駅みたいな、無人駅だった。

翌朝は、おみやげを買ってから、まずは10時発の高速バスで神戸の「高速舞子」まで。乗るのは「阿波エクスプレス神戸号」のジェイアール四国バス担当便。
ライバルの徳島バスも同時発車のようだ。
 
ニンジン(徳島県とJA全農とくしま)とサツマイモ“なると金時”(JA徳島市川内支所)の広告。
秋田の農産物もこれくらい派手にPRしてもいいんじゃない?
これが乗ったバス
JRバス東北などは、国鉄バス当時とほぼ同じ青いラインの車体だが、JR四国はコーポレートカラーの水色と黄色のライン。ツバメマークがなければ、JRバスとは思えないが、明るい印象で悪くない。(国鉄時代からの青が落ち着いていて好きだけど)
そしてこのバス、2007年にフルモデルチェンジした、新しい「三菱エアロエース」だ。(行きに乗ったのは、先代に当たる「エアロバス」)初めて乗る。三菱のバスのデザインって好きだし、旅の最後が新しいバスでラッキー。
中はきれいだったが、乗った感じとしては(行きと同じ位置の席なのに)窓から景色が見やすかったほかは、特に行きのバスと違わなかった。
それにしても、一般路線用と高速用の違いがあるものの、高知で見た28年前のバス(前回記事参照)と同じメーカー製で、こんなにデザインが違うとは… 隔世の感。

徳島駅発車段階からかなり席が埋まっていたが、途中の「松茂」「高速鳴門」停留所から、それぞれ10人以上乗ってきて、ほぼ満席になった。予約なしの飛び込み客は1人だけだった。こんなに乗ってるんじゃ予約しないと断られかねない。
同発の徳島バスにも同じくらい乗っていたようだ。この日は土曜日だったけど、このくらい乗っていれば、この路線に限っては高速道路1000円の影響は軽微なのだろうか。
前の席では、偶然、知人と隣同士の席になり「あら、どちらまで?」「ちょっと神戸まで展覧会に」「私も(神戸の)三宮に…」などと話す方々がいた。多くの皆さんが気軽な格好・荷物だったし、徳島の人にとって神戸・関西は身近な存在のようだ。

僕が本格的な高速バスに乗ったのは、この旅行が初めてだったが、特にこのバスの運転士さんはよくしゃべる。自動放送もあるのに、運転しながら各停留所の到着時刻まで案内していた。
淡路島内の高速道路は順調に流れていた。犬が助手席に乗っていた軽トラや花見団子を食べながら運転していた車などを抜いて、快調に走る。
明石海峡大橋を渡って本州へ
風が強く、小さな波が立っていた。橋から見える神戸や明石の街並みは、びっしりと密集していて、淡路島や四国とは違う。やっぱり大都会だ。
路上の表示板にこの先の阪神高速が渋滞(たしか7キロ?)していると出ていた。運転士からも「渋滞を避けるため経路を変更するので、神戸市内各停留所への到着が遅れるかもしれない」と案内があった。これは高速道路1000円の悪影響か。

僕は橋のたもとの「高速舞子(舞子バスストップ)」で下車。5分ほど遅れたが、これは渋滞のためでなく、途中バス停の乗車に手間取った(前にもバスがいて)からだろう。
舞子で降りたのは僕のほか2人だけ
あとは、在来線で京都、東海道新幹線で東京、京浜東北線で大宮、秋田新幹線で秋田、というルート。秋田着は22時。(以前から当ブログをご覧の方はご承知の通り、所々在来線を使っているのは、料金節約のためです)

京都-東京は「ひかり」自由席。先発の「のぞみ」の3両だけの自由席が満席だったので心配したが、「ひかり」の5両の自由席はガラガラ。
この「ひかり」は、名古屋まで各駅・豊橋・新横浜・品川という停車パターンで、東京まで所要時間は「のぞみ」より数十分余計なだけ。皆さんどうしてそんなに「のぞみ」に乗りたがるのかね。
なお、豊橋からはほぼ満席になり、富士山は見えなかった。

東京から大宮までは、上野まで行って宇都宮(東北)線か高崎線を利用しようかと思ったが、時間があったので、京浜東北線1本で行った。50分弱かかるが、乗り換えなし&大宮が終点だから、楽。
そして、最後尾の車両に乗ったら、信じられないほどガラガラで快適だった(若干遅れが生じていて、先行列車との運転間隔が短かったためかもしれない)。追い越して行った高崎線はぎゅうぎゅう詰めだったので、乗らなくてよかった。

節約と混雑を避けるため、最速の乗り継ぎではないのに、徳島から秋田まで12時間で着いてしまうのって、早い。
四国が意外に近い、というより、徳島と関西がとても近くてアクセスが便利というのが大きい。

今回もいい旅だった。僕には大都会よりも、今回のような地方都市の気候や文化の違いを感じる旅が楽しい。またいつか四国へ行きたい。
お土産・食べ物等を後日、随時アップします。
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所変われば・高知編2

2010-04-03 21:00:37 | 旅行記
【四国旅行記12-2】
前回に続いて、まとまりに欠けますが、高知市内のいろいろな話題を紹介します。
●秋田では食べ物、高知ではホームセンター?
高知市内にあったホームセンター
近くには行かなかったが、遠目に見る限り、全国どこにでもある店舗形態。
見慣れない看板なので、地元資本の店だろうか。店舗名は…
「ホームセンターブリコ」!!
秋田では、県民魚とさえ言われるハタハタ。その卵をのことを「ブリコ」と呼ぶ(アクセントは語尾)。独特の食感を好む人が多い。
このホームセンターは、高知を地盤とする企業グループの1社による経営で、高知市内で3店舗、楽天とヤフーで通販をしている。
まさかハタハタの卵という意味ではないだろう。看板の「BRICO」から調べると、フランス語で「日曜大工、器用仕事」を意味する「bricolage(ブリコラージュ)」が由来だろう。

●地球33番地と倉庫
秋田県大潟村には、北緯40度線と東経140度線が交わる「経緯度交会点」がある。10度単位で交わるのは、国内でここだけだが、田んぼの中で車でなければ行かれない場所。

高知市には、北緯33度33分33秒、東経133度33分33秒という、3が12個並ぶ場所がある。
地球上で、緯度経度に同じ数字が12個並ぶ場所は陸上で9か所あるが、砂漠などにあるものが多く、容易にアクセスできるのはここだけとのこと。
「地球33番地」と呼ばれ、モニュメントがあるそうなので、話のタネに行ってみた。路面電車ではりまや橋から4つ目「知寄町一丁目」電停で降りて、北へ500メートルほど歩けばよく、本当にアクセスは容易。
「地球33番地通り」という大通りもあるが、1本裏通りを歩くと近い。
川沿いに出た
こちら側(南側)の白いモニュメント(左の矢印)は昭和37年に建てられたもので、本当の“33番地”は、対岸近くの川の中。そこにも新しいモニュメントがある(右の矢印)。
南岸には花に囲まれた説明板
なお、現在は、測量基準が変わり、それによればここから400メートル離れた所がさらに本当の33番地とのことだが、「地球33番地」実行委員会では、元の場所に愛着を持って変更しないそうだ。
川の中が33番地
どこかの店で「到達証明書」を発行してくれるそうだし、対岸へ行こうとも思ったが、面倒なのでやめて戻ることにした。近くにあったのは、
「藁工(わらこう)倉庫」
酒田の山居倉庫、秋田の米倉庫と雰囲気は似ているが、デザインは違う(どれも素敵だ)。今は店舗などに利用されているようだ。

●寛永通宝信号機
地球33番地通りの信号機
まずは、信号機の制御(サイクル)。矢印が3つ(←↑→)付いている。
見ていると、青信号にはならず、すべて矢印で進行を指示するようだ(裏面は通常の青のみ)。
裏面や歩行者用が青の間は、左折と直進のみが点灯(←↑)。その後、裏面と歩行者用が赤になってから右折(→)させるという、方式だった。
時差式信号と思想は同じだが、より右折を明確に区別しているようだ。対向車や横断歩行者との事故を防ぐ狙いだろうか。
矢印信号機が余計に必要になるから、秋田県ではやらなさそう。

もう1つは信号柱のてっぺんにある、何やらのオブジェ。
寛永通宝!
高知の、特にこの場所との寛永通宝のつながりが分からない。なぜ?

●新しい信号機
秋田にもある、薄型のLED式歩行者用信号機
写真で分かりにくいかもしれないが、高知では隣り合った別方向を向いた2台の信号機を、1本のアームにまとめて設置していた。
昔はどうだったのか知らないが、薄くてかさばらない薄型なら無理なく設置できるし、設置費用の節約にもなるだろうから、いいアイディア。「歩行者自転車専用」という看板は律儀に両方に付けていた。【2020年3月27日追記】このような設置方法は「双子」と通称され、徳島以外の四国各県や福島ではよく行われるようだ。これから10年ほど経って、秋田県でもこの設置方法が行われるようになった。
そして車両用、
 
従来のものより、LEDの粒がかなり大きく、丸い粒でなく見える。
メーカーの京三製作所のサイトを見ると、「面拡散型」というもので、正面以外の角度でも見やすく、夜間に正面から見た場合のまぶしさを軽減したものだそうだ。直進しやすいLEDの光を、周囲に広げる(拡散)ようにした、ということかな。
秋田ではまだ見かけないが、将来は設置されるのだろうか。

●クジラとニワトリ
高知城そば、市役所向かいの高知市消防局中消防署の
「火災調査車」
ナンバーが「119」だ(もう1台RV車みたいなのも119だった)。
隣に車がいたので見にくいけど、クジラが描かれていた

ちなみに、秋田市消防本部の高規格救急車には、イルカが描かれている。1995年に「親しみやすく、優しく、時には素早い動きを見せるイルカの様子を、救急車にたとえたもの」で、イラストは消防本部職員がデザインしたそうだ。(1995年9月10日付「広報あきた」1363号より)

忘れていたが、尾羽が長く、時には10メートルに達するニワトリ「オナガドリ」も土佐産。
市内の商店街の道案内や時計にデザインされていた。
 

●未だ現役
地方のバス会社の経営は厳しい。自治体から補助金をもらったり、大都市圏の中古車を購入できるとはいえ、特に一般路線バス用の車両は古いものが多い。
青森の弘南バスは20年前の車両でもまあまあきれいに走っているが、秋田市のバス会社では、10年ほど前の車両でも外側は錆が浮いて継ぎ接ぎ補修、車内もあまりきれいとは言えない。

ところが高知(土佐電鉄や高知県交通)では、20年以上前のバスが現役で走っているというので、見られるのではないかと密かに楽しみにしていた。
路面電車の停留所にいると…
来た!!!
路面電車も運行する土佐電鉄の子会社「土佐電ドリームサービス」所属の車両だ。ネットの情報では、三菱「K-MP518M」という形式で、なんと昭和57(1982)年製。“28年選手”だ。ナンバーは「高知22」でなく「高22」。
この形式の車両は、旧秋田市交通局にも多数在籍していたので、個人的には懐かしい。秋田市営バスが冷房車導入を始めたのと前後した時期だったので、同じ形式なのに冷房付きの車とそうでない車があり、冷房付きの車は2000年頃までは走っていたように思う。

この車両、バスに詳しくない方にはどのように映るだろうか?
現在のバスとは違う構造(モノコックボディ)なので、デザイン的には古く見えるかもしれない。

久しぶりに見た古いバスだが、予想していたよりも違和感がなかった。車体がきれいで錆などほとんどないし、白い部分は泥はね1つなく真っ白。黒煙と爆音をまき散らして走っているかとも思っていたが、そんなこともなく、流れに乗ってちゃんと走っているのには感激した。
また、こんな古いバスに、LED式行き先表示器を設置しているのもとても珍しい。それも古さを感じさせないのかもしれない。(車内にはICカードリーダーもあるはず)
路面電車と同じく、丁寧に手入れされ、大事に運行されているのだろう。
夜になっても走っていた。屋根も真っ白できれい
高知滞在中、この車を3回見た。高知市と阪神タイガースのキャンプ地・安芸市を結ぶ路線をよく走るようだ。片道35キロ、1時間半以上かかる路線だから、ラッシュ時間帯の応援要員的な車両でなく、フル稼働しているようだ。
【5日追記】上の写真を見ると、屋根上に冷房装置がないので、冷房車ではないようだ。夏の間は窓を開けて走るのか、お休みしているのか?(秋田市交通局は、このバスと同い年の1982年度購入分から冷房付き。当時の公営バスはお金持ちだったし、秋田の人は暑がりですから)【2011年8月26日訂正】冷房付きであるとのご指摘をいただきました。コメント欄をご覧ください。

30年近く経ってこの状態を保っているのだから、単なる「古いバス」ではなく、蒸気機関車やボンネットバスのような「保存車両」として扱ってもいいと思う(他県ではそうしている会社もある)。末永く走り続けてほしい。


いろんな発見があった高知や四国だったが、きっぷの有効期限もあるし、そろそろ帰らなければいけない
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所変われば・高知編1

2010-04-03 21:00:25 | 旅行記
【四国旅行記12-1】旅行記の最初の記事はこちら、直前の記事はこちら
長々と続く旅行記ですが、そろそろ終盤。高知市内の様子をまとめて紹介します。
●はりまや橋
駅前の国道32号線「はりまや通り」
歩道と車道の境に、「はりまや通り」という、道路名の標識がある(写真の赤矢印)。途中何か所にも設置されていたが、全国的に見て、かなりの大型だと思う。秋田市内でも一部県道に設置されているが、これの10分の1くらいのサイズだ。

高知駅からはりまや通りを南へ1キロ弱、高知市中心部にある「はりまや橋(播磨屋橋)」は「よさこい節」(やそれを内包した「南国土佐を後にして」)にもうたわれる、高知の名所。
江戸時代に豪商「播磨屋」さんと富商「柩屋(ひつや)」さんが行き来するために橋を私設したのが始まりの、短い橋。
現在は国道が通る
1928年に路面電車も通る国道32号線が開通、1960年代に川が埋め立てられ、大都会に変貌するとともに、かつての橋はなくなってしまった。現在は、国道の橋の脇に、水路と橋が復元されており、「はりまや橋公園」となっている。
 
国道のすぐ西側にある赤いのが復元された木製はりまや橋。親柱には「平成十年三月完成」とある。

はりまや橋を札幌の時計台などと並ぶ「がっかり観光名所」だと言う人もいる。
たしかに復元された橋と本来の欄干が保存されているだけで、特に見るべき場所ではないかもしれない。でも、それをして「がっかり」と呼んではいけないと思う。何百年か前、ここでお坊さんがかんざしを買ったのか…などと昔の街の様子に思いをはせ、遠い街に来たんだなと思うのも旅先ならではのものだと思うのだけど。
 
僕が前回来た時は気付かなかったのだが、赤い復元橋と国道を隔てた反対側(国道の東側)にもう1つ、緑の鉄製の橋があった。「明治期はりまや橋」だという。
これには「明治四十一年十月架」とある。解説板によれば、この橋自体は復元のようだが、鋳鉄製の親柱は保管されていたものを利用(再設置)したとのこと。以上、はりまや橋は3つ存在することになる。

車道上にも、ここが名所「はりまや橋」であることを示す案内板があった。
イラストは、現在の橋のようだ
ところで、橋の名前における「橋」の読み方について。
西日本と東日本で異なるのかもしれないが、秋田では「通町橋」「百石橋」など、ほぼすべてで「○○ばし」と濁音で呼ぶ。例外は「○○大橋(おおはし)」や「由利橋(ゆりきょう)」くらいか。
ところが、橋の親柱記載の名称のかな書きは、「とおりまちはし」など、ほぼ100%「○○はし」と濁らない。由利橋でさえ「ゆりはし」だった。建設・土木業界の慣例みたいなものかと思っていた。
はりまや橋の場合、復元された2つの橋の親柱は「はりまやばし」、現役の橋は「はりまやはし」、案内標識は「Harimayabashi=はりまやばし」とまちまちだった。あまりこだわりがないのかな。

●はりまや交差点
はりまや橋のすぐ南の交差点で、3方向の国道32号線と県道が交わる。秋田市の「臨海十字路」と性格が似ているし、交通量も同じくらいだろうか。高知駅のすぐそば、繁華街をこんなに車が通っているが、路面電車も人もたくさん通るから、活気を感じる。
その交差点名は「はりまや交差点」
以前から書いているとおり、信号機のそばにある表示看板は交差点名ではなく、厳密にはあくまでも「主要“地点”名」。
そして、ここは「はりまや“橋”交差点」ではない。交差点北側が「はりまや町」という地名だからだろうか。
わざわざ「はりまや“交差点”」と表示している(ローマ字はHarimaya)
ここがはりまや町のど真ん中ではなく、他の町との境界にあるので、はりまや町のど真ん中だと誤解されないためだろうか。秋田市の「山王“十字路”」も交差点の周囲は山王と旭北の境だから、単に「山王」ではそぐわないのかもしれない。
はりまや通りの信号機
上の写真の信号機を見て、気付いたことがあった。信号機の色とアルファベット表示だ。次に紹介します。

●白物信号機
今まで紹介してきたように、最近の信号機は様々な色のものがある。上の写真の通り、はりまや通りの信号機は白。
お弁当箱タイプの薄型信号機も白(2009年7月製だったのでまだ新しい)。冷蔵庫みたい…
“白物家電”ならぬ“白物信号機”だ。清潔感にあふれ(?)きれいだが、汚れやすそう。
駅前の信号機
奥は設置されたばかりでカバーをかぶって稼働前の白い信号機。手前は高松でも見た、青い信号機だ。
この交差点は、青い信号機が設置された通りにあり、はりまや通りと交わる側だけ、白い信号機が設置されているようだ。柱は共通で白に青いラインが入っている。
秋田では、交わる通りで信号機の色が異なる場合、どちらか片方に統一する(五丁目橋など)が、1つの交差点内に2色が混在するというやり方は意外。
この信号機は高松のほど光沢感がない気がする。ネイビーか
製造時期で違うのかもしれないし、天気や光の状態で違って見えるのかもしれない。
これは高松と同じに見える(メーカーは同じ)
青空に映える青い信号機。南国らしい。

●交差点ABC
上の写真の交差点には「B」と表示がある。はりまや交差点には「H」、ほかにも高知市内の多くの交差点に、アルファベット1文字が表示されていた。
案内標識にも「T」
高知では主要交差点に固有のアルファベットを付けているようだ。
道路管理者や県警の管理用かと思ったが、案内標識にもあるから、道案内用だろう。アルファベットは順番でなくランダムに付けられている感じ。何なんだ?

調べてみると、「ココ!マーク高知(高知県交差点記号化プロジェクト)」(http://www.pref.kochi.lg.jp/~douro/cocomark/index2.htm)という県主導のプロジェクトだった。交差点を記号化し、地理不案内な人への道案内をスムーズにする目的らしく、研究機関と連携して2005年から始まり、2009年度グッドデザイン賞を受賞したそうだ。
アルファベット順にはなっていない(できない)が、一部は「Harimaya」の「H」など名称にちなみ、かつ同じ文字の交差点は近接しないよう配慮しているという。

ネットに地元の方や旅行者の感想がいくつか出ているが、何を示すのか分からないという声や否定的な意見が多い。僕も(旅行者としても仮に地元の人の立場だとしても)、プロジェクト化して賞をもらうほどのことではないと思う。その理由は次の通り。
 1)アルファベットでは、文字と場所を直感的に関連づけれらず、現場の地理を把握している人にはかえってややこしく、混乱や意思疎通において誤解を招きかねない。
 2)よそ者にしても、地図や一覧表など、アルファベットと場所を対照するものがないと役に立たない
  そして今のところ、本システムを採用した地図などはきわめて少ない
 3)日本語を読めない人には有益かもしれないが、それにしても地点名表示とそのローマ字表記を充実させることで解決できるはず。
 4)(少なくとも県外からの旅行者向けには)主催者による周知がまったくないと言っていいほど、なされていない
  本気で広めたいのなら、アルファベットの周囲に「ココ!マーク高知」と併記するくらいでないと。
 5)既存の地点名表示板が老朽化等で撤去されて記号のみの表示になってしまい、歴史や文化などを背負ってきた、意味のある地名を消してしまうおそれがある。
  住居表示実施による旧町名再編や平成の大合併同様、“地名という文化”を衰退させかねない
【5日追記】さらに理由を追加する。
 ・アルファベットの聞き間違い(ビー、ディー、イーなど)、覚え違い(単なる記号なので丸暗記しなければならない)のおそれがある。
 ・通りすがりの人に「『X』の交差点はどこですか?」と聞いて、答えが返ってくるだろうか。
  システム対応の地図かカーナビがないと、話にならないのではないか。子どもや高齢者など、アルファベットが苦手な人もいるだろう。道路はカーナビ付きの車で走る人だけのものではない。
 ・上記の通り、一部では交差点名にちなむ文字が割り当てられている。
  はりまや橋「H」、知寄町(ちよりちょう)「C」は妥当だが、県庁前「K」(Kencho mae)、高知駅前「S」(Station?)、高知城前「J」(Kouchi Jo??)など、ちなむ文字か無意味な文字かどうかの付与基準が明確でなく、しかもちなむ文字であっても頭文字でなかったり、英語か日本語かもまちまちで法則性がない。これでは、主催者の独断による押し付けであり、かえって混乱する。
 ・交差点名で案内する場合、「『県庁前』交差点を右折」と聞いていれば、近づくにつれて、官庁街らしくなり、通りや店などの名称、建物自体が見えてくるなど、目的地が近いことが認識できて、心の準備ができると思う。
  でも「『K』交差点を右折」と聞いていては、現地に近づいても、案内標識や交差点を見るまではそれを認識できない。ほかにここが「K」であることを示すものがないのだから。
  これでは、かえって余裕というかゆとりがなく、「運転」でなく指示通りにハンドルを切るだけの「機械操作」になってしまいそう。
はりまや交差点の「H」
また、公式サイトでも触れられていないが、信号機のアルファベット表示を囲む青い枠の一辺に切れ込みが入っているのだ。
これはおそらく、北を指しているのだと思う。つまり、上の写真の場合、表示に向かって後方が北。(真北が角の場合はどうなるの?)
このことも、せっかく機能があるのに、その周知がなっていない。

なお、元高知県知事(その前はNHK記者)のハシモトダイジロウ氏でさえ、自身のブログ(2009年5月25日付「信号機の謎(5月20日)」http://daichanzeyo.cocolog-nifty.com/0403/2009/05/post-0980.html)で、疑問に思い、しかも「テレビカメラで渋滞状況を監視する、管制センターの業務と関係があるのではないか」などとトンチンカンなことを書いておられる。(県庁でも県警でもNHKにでも聞けばいいでしょうに。元知事、元記者なんだから)

秋田県のように、まったく表示をしない不親切なのは論外だが、高知のやり方も、研究者の理論上は素晴らしいとしても、実際の運用面での効果や利用者の意見・心情を充分にくみ取っているとは思えないし、何より元知事でさえ知らないほど周知が足りなすぎる。一考の余地があると思う。よそ者が偉そうにして恐縮ですが。
【追記】考えたら、このプロジェクト開始が2005年、ダイジロウさんの知事退任が2007年12月。ってことは、自分の任期中にやってた事業なのに知らなかったの? これはちょっと問題では… 本当によそ者が申し訳ありませんが。


長くなったので、続編へ続きます
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年度を越えて

2010-04-02 20:15:58 | 秋田のいろいろ
旅行記にかまけているうち、年度が変わり、秋田のネタもたまってきたので、まとめてご紹介します。(旅行記の方はまもなく終盤で、以後小ネタ・ランチパック編等をアップする予定です)
●4度手間解消!!
まずは、個人的にはとてもうれしい変化。
1年前、秋田市のバス停の時刻表は、同一経路で同じ場所に行くにも関わらず、担当営業所など毎に別々の表になっており、とても探しづらいことを紹介した。
中でも、「通町」の秋田駅行き時刻表は4枚にも分かれており、乗客は4度探して、それを頭の中で並べ替えをさせられるという、とんでもない時刻表だった。
秋田市の公共交通関連の意見公募などの機会にそれを伝えており、バス会社も知っていたはずなのに、(通町については)そのままだったのだが、昨日のダイヤ改正後は、
あれ? 時刻表が貼ってない?
ではなく、裏面に
なんと1枚にまとまっている!!!
これなら分かりやすいし見やすい。
要望してから1年かかったわけだし、他のバス会社では当然のこととはいえ、このバス会社としては大きな前進だと思う。
これからもこの調子で、乗客の立場での案内をお願いしたい。

●角館線、“こころやり”線廃止
次もバスの話だが、一昨年、乗車記をアップした、秋田県南部を基盤とするバス会社「羽後交通」(本社横手市)。
秋田市には、湯沢市・横手市からの高速バス(共同運行)、由利本荘市本荘からの急行バス、そして仙北市角館からの急行バスの3路線が乗り入れていた。
角館行きの見慣れない形式のバス
 三菱製で、他のサイトによれば、大阪市交通局→大阪市の外郭団体(大阪輸送振興)を経て、羽後交通へ譲渡されたらしい。

だが、3月いっぱいで角館線は廃止された。
廃止の告知。「お知らせ」の文字がおもしろい(他の告知もこの書体だった)
かつては、角館の先、仙北市田沢湖駅前発着の特急バスもあったのだが、2年前に角館までに短縮されている。
秋田市内では中心部と御所野地区のイオンモール秋田間での利用もできたのだが、芳しくなかったのだろう。
これは見慣れたいすゞ製で、やはりどこかの中古車
他の公共交通機関で秋田から角館に行くには、1時間に1本の秋田新幹線「こまち」なら45分程度だが、特急料金(立席または特定特急券)込みで2430円。
大曲駅で普通列車どうしを乗り継げば1280円。所要時間はそれほどかからないが、大曲-角館間の列車本数が少ない。

羽後交通の角館線は、1日5本運行で、所要時間は1時間半ほど。運賃は不明だが、2000円以下だったはず。
僕は1度も利用したことがなく、偉そうなことは言えないが、帰省ラッシュでこまちが混雑する時などはこのバスが威力を発揮しそうだし、ダイヤ設定を見直し、宣伝すれば、お客を増やせなかったのだろうか。
県庁所在地と一大観光地・小京都角館を結んでいたのだし。

4月からは大仙市協和のJR奥羽本線羽後境駅前の「境営業所」と角館を結ぶ路線が1日4本運行(他に区間便あり)されている。
ということは、JRの秋田-羽後境間が480円、バスの境-角館間は1080円だそうなので、計1560円。羽後境での接続とやや時間がかかることに注意すれば、「こまち」よりは手軽な移動手段になり得る、かな…?

※その後、2014年に秋田-角館のバスが形を変えて復活することになった。


公共交通機関を取り巻く厳しい状況により、先日取り上げた船川線など、他にもいくつもの路線が、新年度に廃止・再編された。
昨日の魁新報では、大仙市を走る羽後交通の「心像(こころやり)線」という路線も廃止され、終点の地元住民が運転士に花束を渡して感謝の行事を行ったことが報道されていた。
路線は大曲-JR奥羽本線刈和野駅-心像というルートのようだ。車両の表示は「心像・鬼頭」で、終点が鬼頭(おにこうべ)という停留所。地図上では、奥羽本線峰吉川駅と田沢湖線角館駅を直線で結んだほぼ真ん中、国道46号線の南の山間部の集落のようだ。
大仙市心像という場所の存在も読み方もそこに行くバス路線もまったく知らなかったし、地名の由来も分からないが、温かみを感じる地名だし、そのイメージそのままの温かさを感じる話題だった。

●保育園開園の花束の意味
昨年10月に取り上げて以来、それっきりにしていた、秋田市長公舎を改築して民間保育園にするという話。
その後の経緯は、いざ建物を改築しようと思ったら、老朽化が激しく、基礎以外の解体・新築を決定。しかし、時間がないため市当局が市議会へ説明しないまま工事してしまうというドタバタがあった。結局、建物は無事完成し、運営者も決まった。

運営することになったのは、秋田駅東側の広面(ひろおもて)地区で保育園を運営している社会福祉法人。広面の分園扱いで、「みつば保育園」という名になった(みつばってセリ科野菜のミツバ?)。工事費用5600万円のうち5500万円を市などが補助した。
定員は0~3歳児30人だが、今のところ入園したのはその半分。具体的な開園予定がなかなか決まらなかったのでためらった人が多く、定員が埋まらなかったようだ。
それにしても3月1日現在、秋田市には247人の待機児童(0~5歳児)がいるそうだ。
左の門はそのまま。右はカーポートや敷石を撤去、舗装して駐車場になった
市長公舎時代、木々が茂り、手入れされたツバキなどが咲いていた庭。そのまま保育園の園庭にはできないだろうし、建物の解体・新築がされたとなれば、絶望的か、と思っていたが、
フェンス左が隣接する児童公園、右奥が園舎
庭を、園児が立ち入れるエリアとそうでないエリアに区切っているように見えたが、意外なことに、(厳密に比較したわけではないが)木の本数自体は減っていなさそう。
ただし、ツバキなど大きな木は、上部がバッサリ刈り取られ(3分の2くらい?)、今年の花は楽しめなさそうだ。安全・採光・通風上やむを得ないのだろう。

そして、とても引っかかったことがある。
昨日の夕方、秋田市長が出席して「開園式」が挙行された。その報道を見ると、式の中で園児が秋田市長に花束を贈呈していた。
 園児→市長 ですよ。これってどういう意味?
園の運営は完全に社会福祉法人に任されているだろうから、開園式も法人や園が主催・企画したのだろう。
たしかに保育園の認可、監督を行うのは秋田市役所。ましてここの場合、費用面などで秋田市にはとても世話になったわけで、その長を来賓として招くのまでは理解できる。
でも、なんでその人に花束を、しかも園児を使って渡さなければ(渡させなければ)ならないのだろう?
園児自身も、全員が園から歓迎されるべき「新入生」であるはず(入園式的なものは午前中に開催されたそうだが)だし、今まで待機児童だった子もいるだろう。

むしろ逆に、市長の方から「今まで入園したくてもできずに、(子どもと保護者に)不便な思いをさせてごめんね。もう少しすれば(定員が充足して)もっと友達が増えるし、入園したがっているみんなが入れるように(他の保育園を支援して)がんばるからね」と、子どもたちにお菓子かおもちゃの1つでも渡すべきではないだろうか。

これって、例えば新しい鉄道が開業した時などの出発式で、乗客代表や乗務員に花束を渡すが、そうでなくて国土交通大臣や地元首長に渡すようなもんじゃないだろうか?
学校の卒業式で、卒業生から来賓のエライ人に花束を渡すようなもんじゃないだろうか?
園としては世話になった市に対してお礼をしたかったのかもしれないが、この場でこんな形でするべきではないと思う。(裏でこっそりやられてもそれはそれで問題だけど)

また、今日は河辺地区(旧河辺町)にできた【追記:既存の2つの保育所を統合したもの】秋田市最大規模という「河辺保育所」の開所式が行われたことが報道されたが、そこでも園児たちが「こんなにすてきなほいくしょをありがとうございました」と言わされていた。ここは秋田市立の保育所だから、秋田市の意向なのかもしれないし、保育業界の“慣習”なのかもしれないが、なんかおかしいんじゃない?
年末の東北新幹線新青森開業時に乗客が「こんなにすてきなしんかんせんを…」とか、将来の秋田市庁舎新築時に市職員が「こんなにすてきなしやくしょを…」と言うのだろうか。
そして仮にお礼を言うのであれば、市長など来賓ではなく、納税者の市民に言うべきだ。

僕は内情は知らないし、イベントの1コマの些細なことだが、気になってしまった。
この園や秋田市だけに限ったことでないが、園と市の間でお礼を交わしているようなヒマとおカネがあったら、子ども、働く親、そして現場の園職員が不利益を被ったり嫌な思いをすることがないよう、国、自治体、各社会福祉法人の経営者は努力を続けてほしい。

●いつまでかかるの?
3月1日の記事で、19日までの予定通り終われそうだと思った、新国道の山王十字路南側歩道の融雪装置設置工事。
その後、順調にアスファルト舗装・点字ブロック設置が完了し、快適に(歩行者・自転車は)通行できるようになった。ただ、工事中の代替歩道だった、車道の1車線は塞がれたままで、多少なりとも車両の渋滞を招いていた。
工事期限の3月19日が過ぎ、
3月28日撮影
年度が変わっても(今日、通りがかりに確認)、塞がれたまま。まだ何かの工事はやっているようで、塞いだ車線に関係車両などは駐まっていたが、いつまでやるんだろう?
役所の工事って、看板に表示された期限までに終わるのものだと思っていたのだが… 当分はこの車線を供用するつもりがないのだろうか。
※続きはこちら

●県庁の課名変更
先週紹介した、秋田県庁の課などの名称変更
現在は秋田県公式サイトの「組織別案内」の課の一覧で、「広報広聴課(旧情報公開センター) 」といったように旧称を併記している。
当初の案とは若干異なるようで、「環境エネルギー推進課」→「温暖化対策課」(これはストレートでいい名称だと思う)といったものもあった。

新年度関連の話題、続く
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牧野植物園2

2010-04-01 22:55:43 | 動物・植物
植物学者 牧野富太郎を記念した、高知市の「高知県立牧野植物園」。
今回は、旅行記番外編として、南門近くの南園にある、広々として花盛りだった開園50周年記念庭園を中心に植物をご紹介します。
※アクセス等は旅行記の記事をご覧ください。

秋田では温室や鉢植えでしか見られない植物が、地植えされていた
ゴクラクチョウカ(ストレリチア)

いわゆる「クリスマスローズ」
ちなみに、ヘレボルス(ヘレボラス)という植物の中で、クリスマス頃に開花するものだけを「クリスマスローズ」と呼ぶそうだが、日本ではそれ以外の時期に咲くものもクリスマスローズと呼ぶことがあるとのこと。これはどっちなんだろう?
【2016年4月30日追記】クリスマスローズは耐寒性があり、秋田でも地植えされていることがありました。当時は知らなかった…
とにかく、やっぱりここは南国だ。

園内に「土佐寒蘭センター」という建物がある。
日本にも蘭が自生する。北日本ではシランやネジバナはよく見るが、南日本に自生するカンランという種を栽培化したものが展示されている。
 
秋から冬に咲くのでカンラン(寒蘭)というそうだが、今も花が咲いていた。派手ではないが、品のある花。栽培は非常に難しいそうだ。

お正月にめでたい植物として、赤い実を付ける植物が飾られる。
センリョウ(千両)やマンリョウ(万両)が有名だが、別名「百両」と言われるカラタチバナという植物があり、その園芸品種が展示されていた。
 
写真は白い実の株と縮れた葉の株。百両の名前は知っていたが、北日本には自生していないこともあり、見るのは初めて。マンリョウとカラタチバナは近縁で、「ヤブコウジ科」に属する。ヤブコウジという植物もあり、これは秋田市の千秋公園などの山や民家の庭に生えている。高さ15センチくらいのとても小さな「木」で、赤い実を付けるので、別名「十両」と言われるそうだ。

竹が植えられた一角も。北日本ではササが多く、タケは少ないので、竹林自体珍しいが、珍しい種のタケもあった。
 
金色と緑に色分けされているのはマダケの変種の「キンメイチク(金明竹)」。節が変わった形なのはモウソウチクの変種「キッコウチク(亀甲竹)」。いずれも初見。

春を告げるコブシの仲間も花盛りから終わりかけ。
これはコブシかな?
「北国の春」の歌詞の影響か、寒い土地の植物だと思ってしまいがちだが、高知にも自生するようだ。
北日本に多いのは、コブシの変種「キタコブシ」だが、これも近くで咲いていた。コブシに比べ、木・花ともやや大きく、枝分かれが少ないとの解説だったが、いまいち違いが分からない。
千秋公園にあるのは、どっちだろう。もう数週間で咲くかな。

もう少し経てば、もっと花が咲くのだろうが、それでも
桜・菜の花・サクラソウが咲いて、春、真っ盛り
後ろの方で濃いピンクの桜が咲いている。
 
一重咲きだが、花弁が大きく存在感がある。
おそらく高知城で咲いていた早咲きの桜もこれだと思うし、この植物園内でもたくさん咲いていた。
「センダイヤ(仙台屋)」という品種で、東北の仙台から高知に移って商売を始めた「仙台屋」の屋敷で咲いていたことから名付けられた桜で、牧野富太郎が好んだという。
宮城のヤマザクラの系統らしいが、遠く離れた高知で親しまれているようだ。
牧野富太郎の銅像。柄の長いキノコ(?)を持っている

マンサク科「トサミズキ」の花
「土佐」と名前が付いているが、北日本にはないのだろうか。初めて知った。
春先に淡い色の花を咲かせるのが、いかにもマンサクの仲間らしい。

最後に、展示されているのではなく、園内に自生している植物でも初めて見たものがあった。
 
白いタンポポ。西日本に多く分布する「シロバナタンポポ」だと思われる。
秋田では在来種でも黄色いタンポポしか見たことがないが、西日本では場所によっては白花がわりとメジャーなようだ。(今はセイヨウタンポポが増えてしまったけれど)
一般的に、日本在来種のタンポポは、萼の下の「総苞片」が反り返っていないのが特徴だが、シロバナタンポポは少し反り返っており、このタンポポもセイヨウタンポポほどではないが、やや外向きになっていた。
花は真っ白ではなく、舌状花という外側部分が白く、中央部は黄色い。舌状花の枚数は他の種より少ないようだ。

2時間かけてじっくり回った。
最後にミュージアムショップに寄ると、牧野自身のスケッチを元にした一筆箋など、手頃で植物好きにはうれしいオリジナルグッズが揃っていた。
ショップは園内に2店あり、経営者が違うので、商品構成が若干異なるかもしれない。

北国に住む者としては、同じ日本国内の温帯地域なのに、秋田とは違う植物がたくさんあり、初めて見た種も多くとても見応えがあった。
また、今まで訪れた植物園や植物をテーマにした公園の中には、手入れが追いつかず荒れている一角がたいていあったものだが、ここは隅々に至るまでとてもよく手入れが行き届いていたように感じた。
動物園や水族館ほど派手に脚光を浴びる施設ではないが、植物と人の関わり、高知が生んだ牧野富太郎の功績を伝える施設として、もっと注目されていいと思う。

間もなく完成する温室や、夏など他の季節にも来てみたいけれど、暑いのが苦手だから、融けてしまうだろうな…
帰りも遍路道の石段を下りていったが、行きと別の場所に出てしまった。でも川沿いの道路なので容易にバス停にたどり着けた。日頃歩いているせいか筋肉痛にはならなかったが、膝やもものヘンな場所が数日間痛くなった。
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牧野植物園

2010-04-01 19:21:54 | 旅行記
【四国旅行記11】旅行記の最初の記事はこちら、直前の記事はこちら
牧野富太郎(1862-1957)をご存じだろうか。
我が国の近代植物学に多大な功績をもたらした植物学者で、我々が見慣れた植物の中には、彼によって発見・命名(和名・学名とも)されたものも多い。
牧野は高知県出身で、高知市の五台山という所にその名を冠した「高知県立牧野植物園」がある。

植物好きの端くれとして、牧野は知ってはいたが、高知出身で植物園があるとは知らなかった。坂本龍馬の26歳年下ということになるが、僕としては龍馬関連よりこちらに興味があるので、ほぼ半日時間を取って行ってみた。

五台山は高知市南東部、比較的海(高知港)のそばにある標高146メートルの山で、植物園のほか四国八十八箇所の1つ「竹林寺」、テレビ塔などがある。秋田市の大森山みたいな場所かな? と思っていた。
牧野は高知市の出身ではないが、自身の「植物園を造るなら五台山」との意向を元に、没後翌年にオープンした。

アクセス方法を調べると、一部サイトには「竹林寺行き路線バス」があることになっていたが、それは間違い。路線バスは(少なくとも現在は)ない。
ただし、高知駅や桂浜などを回る観光周遊バス「MY遊(まいゆう)バス」が1~2時間毎に運行され、植物園前や竹林寺前に停車する。一部情報では「土日のみ運行」となっていたので、僕はそれを信じてしまったのだが、毎日運行されているらしい。(利用の際は各自、確認願います
なお、このMY遊バスはあくまでも「乗り降り自由の観光バス」であって、路線バスではない。その事情から、料金は「大人900円の1日乗り放題」で「乗車券は事前に特定の場所でのみ発売」。
短区間だけ乗る人には割高だし、車内での現金収受は一切しない(覗いたら運賃箱がなかった)ため乗車券を持たずに飛び乗ることはできないので、注意が必要。

地図を見ると、五台山は三方を川や海に囲まれてはいるが、北側のふもとから橋を渡った数キロの所を路面電車が走っている。
秋田市のJR新屋駅から大森山の上まで歩いて行かれるように、電車を降りて五台山まで徒歩で行くことも可能に思えてきた。竹林寺へ歩いて行くお遍路さんだっているはず。
だが、北側の道路は車両用らしく、人が通れるのは急な山道らしい。地図を見てもどこにあるのか分からない。地図上で秋田市の大森山(標高123メートル)と比較すると、五台山の方が山の面積が狭く等高線が密、すなわち急傾斜のようだ。北から歩いて登るのはやめておこう。

さらに地図を見ると、山の南側のふもとから植物園近くまで階段らしき線が引かれている。そして南側のふもとを通る路線バスもあるようなので、これで行くことにした。
高知県が提供する公共交通検索サイト「アクセスこうち」(http://accesskochi.com/index.html)内の「のりかえ検索」または「駅・停留所検索」で路線バスのルートや時刻が調べられた。(秋田の某社サイトの時刻検索よりはずっと使いやすくて役に立つ)
それによれば、高知市中心部はりまや橋交差点の「デンテツターミナルビル前」バス停などから乗車できる土佐電鉄の下記のバスで、五台山南側に行かれるようだ。
「前浜・パークタウン線」(1時間に1本程度)で「五台山農協前」下車。290円。
 1つ先の「坂本前」停留所下車としている一部資料もある。
前浜・パークタウン線が通る山のふもとに沿う道は、山の反対側が川になっており、その対岸のJA高知県本部などがある大きな道路を別の路線が運行している。少し歩くが、本数が多く、料金も安い。それが、
「種崎線」または「十津団地線」(1時間に2本以上)で「南吸江通」か「三ツ石」下車。240円。
 降車後、橋を渡らなければならない。川が何本か流れていて、橋の配置が若干複雑。
両路線とも、はりまや橋より先の「知寄町一丁目」「知寄町二丁目」で乗降すると、運賃が50円安くなる。僕は路面電車の一日券を持っていたので、電車で知寄町まで行ってバスに乗った。
行きは前浜線、帰りは種崎線を利用
バスは地方によくある路線バスの光景。お客は路面電車より高齢者、特に女性の比率が高い。
中型バスの車内外がとてもきれいに整備・清掃されていることと、お客や運転士が土佐弁を話している以外、秋田のバスと同じと言っていいほど。
市街地の初乗り運賃は路面電車と同額の190円。電車通りから離れると、何となく秋田市卸町や卸売市場周辺のような雰囲気の道を走り、橋を渡ると、今度は大森山の西側、浜田地区の旧道のような狭い道を走る。途中「吸江」という場所を通るが「きゅうこう」と読む。(帰りに乗った種崎線の方は、ずっと卸売市場周辺のような道で、本当に高知市中央卸売市場前を通った)
あっという間(10分強くらい?)にJA高知市五台山支所前に到着。山側にだけ家並みがあり、反対側はすぐ川。護岸が高くて川面は見えない。バス停の少し先に高知市立五台山小学校がある。
山の上にテレビ塔とお寺が見える
その先に、地図で見つけた階段の上り口があった。この辺りでは秋田市の千秋公園の裏側にありそうな雰囲気だったが…
以後、ひらすら上るというか登る
北側とともにこちら側も「遍路道」であるようで、近年整備された公園の“階段”でなく、いにしえからの伝わる“山道”と言った方が適切かもしれない。大森山や千秋公園の比じゃない。甘く見ていた…
段の幅・高さが不均一で歩きにくく、凹凸もある。そして急傾斜が長く続く。今日は晴れているけど、雨や夜は大変そう。全行程を歩きで回るお遍路さんの体力・精神力はすごい。

たしか1度、途中で舗装道路を横断して、ふもとから10分以上かかっただろうか、竹林寺山門の前の舗装道路に出た。
 
山門には桜が咲き(5部咲きくらい)、隣には木立のサボテン? が。
お寺のすぐ斜め向かいが牧野植物園の南門
通常はここからも入園できるが、今年4月24日までは隣接する温室の工事に伴い閉鎖されており、正門からしか出入りできない。
少し上って駐車場を抜けて正門から入園。門から受付までは長いプロムナードがあった。入場料は500円だが、来月の温室リニューアル後は700円に値上げされる。(4回で元が取れる年間入園券もある)

1999年に園内に「牧野富太郎記念館(本館・展示館)」ができ、リニューアルオープンした。
写真では撮りきれないが、斬新なデザイン
ただ植物が植えてあるだけの植物園ではなく、牧野に関する展示、各種資料の保存、さらに植物学の研究施設としても機能している。
高知駅舎も手がけた、内藤廣による設計
この日はとても良い天気で、すっかり春の陽気。入園者はちらほらしかいないが、芝生で日向ぼっこやする親子連れなどもがいた。併設のフレンチレストランは、昼時には満席になっていた。わざわざ車で食べに来たのだろうが、おいしいのかな。
コブシ・モクレンや早咲きの桜が見頃だった
園内なのか敷地外なのか分からないが、スモモ畑もあり花が満開。
 
モモ・リンゴ・ナシなどよりずっと小さい花。木は青森の旧来のリンゴ畑に似た、横に枝を広げる仕立て形だが、支え(?)のパイプが張り巡らされている。

広大(17.8ヘクタール)かつアップダウンのある敷地で、見て歩くのも疲れそうだし、時間もかかる。
園内の通路(左右)と交わる、古めかしい石畳の道
園内を遍路道が横切っており(というより遍路道の中に植物園ができたのか)、受付で「歩き遍路」であることを告げると、無料で園内を通行できる。実際、本当にお遍路さんが園内を歩いていた。四国を旅していると、お遍路さんを見ることは珍しくないが、楽な旅行をしている者としては身が引き締まる思いがする。

なお、園内のショップやレストランだけを利用する場合も入園料は不要のようだ。

高知市街地は見えないが、見晴らしがいい。田んぼはもう水を張っていた。
【追記】園外の展望台からは、港など市街地方向も展望できる模様。
桜・ユキヤナギ・レンギョウ
アセビ・ボケ・ハナモモ・早咲きのツツジなども咲いていた。秋田よりは1月と少し、季節が進んでいる。
植物だけでなく、鳥も
サギのコロニー(集団繁殖地・集団営巣地)が近くにある
秋田市の勝平山のコロニーにいる3種(アオサギ、ダイサギ、ゴイサギ)に加え、さらに3種(チュウサギ、コサギ、アマサギ)もいるようだ。
秋田市のコロニーよりは距離が遠い
「これ以上近づかず、静かに観察しましょう」と書いてあったが、秋田のサギたちを見る限り、この程度の距離ならどんなに騒いだって彼らは気にしなそう。(秋田にいない3種がデリケートなのかもしれないけど)
というかここの場合、これ以上巣に近づこうとすれば、崖下に転落するよ。

とても見応えがあり、少なくとも植物が好きな方には、ぜひおすすめしたい植物園だ。
もう少し園内の植物をご紹介したいので、続きは旅行記でなく「動植物」カテゴリーで追って記事にします
旅行記としての次の記事はこちら(高知市内のいろいろ)。
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