麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

工房修了公演終了

2006年03月20日 | 東演
 昨日は…というか、ここ数日すごい風で、劇場の搬入口脇に立っていた掲示板が壊れた。

 1978年、明大前から移転して劇団員が汗水垂らして鉄工所を改装した「東演パラータ」。掲示板は、翌年11月『楽園終着駅』(第42回公演)の時に造られたものらしい。補強など施しながら幾星霜・・・27年にわたり、東演のポスターをはじめ小屋を借りた若い劇団達のチラシや趣向を凝らした掲示物を、代田一丁目及び周辺に住む人々の目を楽しませてきたわけだ。
 何でもカンでも“縁づける”悪い癖が僕にはあるが、この長きのお勤めの最期が、養成所から「俳優工房」と名もシステムも変えた、その第一期生の修了公演の千秋楽だったってことは、東演における節目である“今”を、象徴するように思えてならない・・・。

 その工房。強風に負けない熱い演技で一年を締めくくりました。
 四人の工房生のうち一人が直前で体調を崩して、Wキャストのはずがシングル4ステージとなり、それは同じ釜の飯を食った同志としては残念なことだが“一人の俳優”にとっては貴重な体験になったと思う。一日2ステージを二日続けることは、俳優として体力的にも精神的にもハードなことだからだ。
 また、演目はチェーホフの、かの有名な『プロポーズ』と短編二編。今の若者にとっては「歴史上の人物」として認識はしていても、自ら触れることは少ない題材であり、体の中をこのような古典を通過させられたこと、これも大いなる体験になったと思う。
 いずれにしろ、お疲れさまでした。
で。打ち上げ。…そうそう、俳優工房のスタッフは、美術・照明プランに南保、照明オペに姶良、音響プランオペに古田、舞台監督原野という東演の先輩俳優陣が務めました。彼ら含め、仕込み・受付・バラシを手伝った先輩達に、養成所の卒業生も顔を出しての宴となりました。
 健闘を称えつつ、厳しい苦言もあり、夜は更けたのでした。
そして、それぞれの、ここからは新たな一歩。それは東演に入り、同期として名を連ねる仲間だとしても、一人の「俳優」として・・・。
               



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