麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

『舞台のバラード』他より

2006年03月26日 | 鑑賞
 本日、2度目の準劇団員の試験があった。
 受験者は違うが、語ることは前回とカブるだろうから省略して(新人については4月になったらどこかで紹介したい…)
 で。今日は客演の話・・・
                
 シアター×(カイ)で行われている「世界の秀作短編研究シリーズ:フランス編」(3/14~31)の5本のプログラムの中の、3/22夜、25夜、26昼に上演された『遺灰とちょうちん』『「舞台のバラード」他より』に、弊団所属・星野真広が出演した。二部構成で、星野は後者の『舞台~』のみ出演。

 この『舞台のバラード』の作者が、僕の観た25日夜の回、会場に来ていた。
 フランス劇作家協会の副会長でもあるジャン・ポール・アレーグル氏で、同日昼に上演された『隔室』を書いたミシェル・アザマ氏(彼は同会会長)とともに終演後挨拶をした。アザマ氏は、いわゆるフランスはパリの男という風情の、すらりとした長身で手足も長く、スーツの着こなしも洒落ていた。そしてシャイ。かたやアレーグル氏は、くせ毛と愛くるしい目を持ち、たわいもないセーターのお腹は出ていて、饒舌だった。南仏の気のいい男というところか。

 そんな彼、アレーグル氏の作品自体は、実にフランス的だった!
 コント集『舞台のバラード』から3編、『舞台のゲーム』から1編を選んだオムニバスで、例えば一本目は、未来人が「古代遺跡」として、観客のいる2006年3月25日のシアター×を発見し、実際に照明をつけたり音楽を流したり観客の腕時計から時間を読み上げたり……(『探検者たち』)。
 パンフレットに「クラウンが演じることを想定した道化芝居」とあるように、恐らくフランスであれば、ドカドカ笑いが起こる芝居だったのだが、元々笑わない日本の(特に東京の)客席は、サワっとなる程度。
 星野は上記作品には出演せず『可愛いブラウス』『最後の台詞』に登場した(他の作品の時は舞台下手の椅子に座っている)が、反応は似たようなものだった。
 ホンがつまらない、演出が悪い、役者がヘタ・・・そのどれでもなく、恐らく文化の違いなのだ。まあ、笑えばいい!ってわけではない。笑わなくても面白かったと思って帰路についた人は多かったろうし、こーゆー作品に触れること、気に入った人はまた観に来て、友人に勧めたり、自分で上演したりすること・・・それがこのシリーズの狙いであると察せられる。

 別役(一の会への客演)に続き、東演ではまず扱わない作品=フランス現代演劇へのアプローチを果たした星野。また今回は、演出が青年座の新鋭・千田恵子氏、共演者も青年座・昴・朋友と、錚々たる劇団の俳優たちとの手合わせとなった!
 本番は勿論、稽古場での“作品創り”の中に、きっと新たな発見とこれまでやってきたことへの確信・・・二律背反を感じたのでないかと思った。

 あ。数行前に「文化の違い」とまとめては見たものの、関わった演出も俳優も新劇畑が多く、戯曲をきっちりと非常に丹念に積み上げていたようですが、恐らくそのアプローチ自体が「文化の違い」のひとつで。もっと肩の力を抜いて演っていただければ、客席もリラックスできたのになぁ…なんて。
 ・・・冬季五輪でカーリング女子が、その活躍からのちに「カーリング娘。」と言われて人気を得るが、特にマリリンこと本橋麻里はTVに向かって耳を引っ張りひょうきんな顔を全国(あるいは世界)へ発信したわけだが、それはそれとして、彼女はプレイには真剣に臨んでいたわけで・・・。
 かなり解りづらい例だと我ながら思うのだが、この日の舞台に限らず、つい「新劇」の陥る“魔”であって、それはあまりに深い課題だから、この程度のわかりにくさで勘弁してください・・・
明日は、小池友理香の客演の話を・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする