麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

おせち~07年初のアフォリズム5

2007年01月12日 | 身辺雑記
 おせちもいいけどカレーもね

 数あまたあるキャッチの中でも、なかなかのものだと僕は思う。しかもちゃんと数字につながってる気がするし・・・。

 と、唐突に思ったのは、1月3日。
 まだかみさんは磐田の実家で、前日自分の実家にも顔出して、一人高円寺で過ごす静かなお正月の、暮れなずむ時刻にコンビニに向かう僕の鼻に、インスタントラーメンを煮る匂いがした、その時でした。

 それが冒頭のカレーならぬ「おせちに飽きたラーメン」を家族で食べるところなのか…それも正月返上で頑張る受験生くんがいて「小腹減った」と二階から降りてきて、母「お節わるわヨ」、子「ラーメンでいいよ」ってな展開なのか、はたまたロッカー志望の若者が故郷にも帰らず黒豆の一つも口にしない、日々の延長線の哀切漂う醤油味なのかは知らないが、その瞬間は、前者だと勝手に思ったのだ。

 確かに、昆布=よろこぶ、数の子=子孫繁栄、などなど縁起も担げて、たまに食べるのはいいけれど、保存の為だろう、やや濃いめの味付けはロングスパンは少々きつい。後半は、かまぼこのようなサッパリ系にしか箸が出なくなる。
 ああ。
 縁起といえば、僕は今年、厄年、しかも本厄らしい…。らしいというのは、そーゆーのまるで信じてなくて、だから詳しくないからなのだ。今年の正月に実家でおふくろから云われて「へー」と思った次第。

 話を戻すと。
 僕の子供の頃、年末になると、おばあちゃんの陣頭指揮のもと、長女であるおふくろ以下三姉妹に、ある時からはミッキ兄ちゃん(母の弟。つまりは叔父だが、僕はそー呼んでいた。叔母達もカズコ姉ちゃん、エミコ姉ちゃんで、その呼び方は今も続いている…)の嫁さんも加わり「おせち」を作っていた。
 会場(?)は、川崎のばあちゃんちで、塗りのお重に美しく詰められていた。。。

 祖母が亡くなってからは僕の家に移ったが、大将を失った戦のようなもので、というのは言い過ぎか? …徐々にそれぞれの生活の場が遠くなり、齢(ヨワイ)を重ねる中で絆も少々ヨワクなって(笑。一応シャレです)、最近はすぐ下の妹のカズコ姉ちゃんが来るくらい…(家も近いし)。

 どうやらそれはうちに限らず世間一般の流れのようで、京都老舗の味、みたいなブランドお節が百貨店で人気だとか、スーパーには1~2人前の小ぶりなお節が並んで、確かに作らなくても済む現代だ。
 
 朝のワイドショーで、キムチを町のオモニ達が総出で漬ける韓国のレポートを見た。
 向こうは一年分だから量も膨大で、だからこその変わらぬ協同作業なのだろう……。でも、ちょいと昔は日本のおせちだって、隣近所でわいわい云いながら作っていた、そんな記憶が微かにある・・・。

 さて今日も、3階の稽古場ではそんなアナログな、ワーワーギャーギャー、あ~でもないこ~でもないと、出番があってもなくっても出演者がガン首揃えて、芝居の稽古をしています。
・・・きっとこればっかりは、永遠。
   
コメント (2)
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