昨日はカップ麺の話から、1977年の話になった。
当時、僕は小学校5年生だった。
【文中敬称略】
僕ら世代では、キャンディーズとピンクレディーが人気を二分していて、前者がこの年の夏に「普通の女の子に戻りたい」と宣言、我々を大いに困惑させたものダ。
一方、後者の静岡出身の二人組は、スバリ『カルメン77』という曲で、この年のシングルリリースをスタートさせている。前年11月発売の『SOS』と、初のミリオンとなった『渚のシンドバッド』等で、当時は権威のあった、この年の日本レコード大賞・大衆賞を受賞。そして翌年には『サウスポー』で日本歌謡大賞、『UFO』で日本レコード大賞の二大タイトルを手にするわけなのだが・・・それはまた別の話。
さて、77年度の二冠は『勝手にしやがれ(沢田研二)』。
紅白帽をハスに被って歌い、ほかにも『失恋レストラン(清水健太郎)』や『あずさ2号(狩人)』など、ホウキをギターやマイクスタンドに見立て、大いに歌ったものダ
また、ジュリーに拮抗するとすれば、アイドルを脱し女王への道を歩み始めた百恵だろう、などと評論家めいた会話もしてたなぁ~。工事現場のH鋼の上で…。
で、そんなことは川崎の片田舎以外でも考えられていたようで、翌年の、これまた当時は国民的大イベントだった紅白歌合戦で、二人はトリを務めることになるのだけれど・・・これもまた、別の話。
その山口百恵は、この年度『夢先案内人』『イミテイション・ゴールド』『秋桜』をリリース。
奇しくも「母の日」が終わったばかりですが、時代を超えて今も歌い続けられている名曲のひとつ『秋桜』は、この年の西条八十賞(レコ大作詞賞)の対象曲。
ちなみに、作詞賞なので、受賞自体はさだまさし(『雨やどり』と2曲対象)
母といえば…「母さん、僕のあの帽子どうしたでしょうね」・・・角川映画『人間の証明』も、この年に当たった作品のひとつ。
映画ではほかに、森谷司郎監督の『八甲田山』(東宝系)も大ヒット!
青森の血を引く僕も、当然映画館に足を運んで観ましたが、いやあド迫力でした。キャストも豪華だったし・・・。
流行した「天は我々を見放した」は、北大路欣也(青森歩兵第五連隊・神田大尉役)のセリフだけど、弘前歩兵第三十一連隊・徳島大尉役の高倉健は、同年、山田洋次監督『幸福の黄色いハンカチ』(松竹系)にも主演。
子供心に「あんまり芝居上手くないよな」と思ったものの、その存在感には確かに圧倒されました。
ちなみに『幸福~』は、栄えある第1回目の日本アカデミー賞受賞作品。そのほかの映画賞も総ナメでした。
そうそう、この頃は演歌も元気で、八代亜紀『愛の終着駅』(レコ大・最優秀歌唱賞)、石川さゆり『津軽海峡冬景色』(同・歌唱賞)、千昌夫『北国の春』などがヒットを飛ばしたっけ。
『津軽~』『北国~』に、前述の映画の『幸福~』は北海道が舞台、『八甲田山』は青森と、今思えば《北》がやたら当たった!ってことだなぁ…。
1977年はそんな年でした
当時、仲の良かった嘉門とはいまだつるんでいる。もう一人の達男はどうしてるのだろうか?
当時、僕は小学校5年生だった。
【文中敬称略】
僕ら世代では、キャンディーズとピンクレディーが人気を二分していて、前者がこの年の夏に「普通の女の子に戻りたい」と宣言、我々を大いに困惑させたものダ。
一方、後者の静岡出身の二人組は、スバリ『カルメン77』という曲で、この年のシングルリリースをスタートさせている。前年11月発売の『SOS』と、初のミリオンとなった『渚のシンドバッド』等で、当時は権威のあった、この年の日本レコード大賞・大衆賞を受賞。そして翌年には『サウスポー』で日本歌謡大賞、『UFO』で日本レコード大賞の二大タイトルを手にするわけなのだが・・・それはまた別の話。
さて、77年度の二冠は『勝手にしやがれ(沢田研二)』。
紅白帽をハスに被って歌い、ほかにも『失恋レストラン(清水健太郎)』や『あずさ2号(狩人)』など、ホウキをギターやマイクスタンドに見立て、大いに歌ったものダ
また、ジュリーに拮抗するとすれば、アイドルを脱し女王への道を歩み始めた百恵だろう、などと評論家めいた会話もしてたなぁ~。工事現場のH鋼の上で…。
で、そんなことは川崎の片田舎以外でも考えられていたようで、翌年の、これまた当時は国民的大イベントだった紅白歌合戦で、二人はトリを務めることになるのだけれど・・・これもまた、別の話。
その山口百恵は、この年度『夢先案内人』『イミテイション・ゴールド』『秋桜』をリリース。
奇しくも「母の日」が終わったばかりですが、時代を超えて今も歌い続けられている名曲のひとつ『秋桜』は、この年の西条八十賞(レコ大作詞賞)の対象曲。
ちなみに、作詞賞なので、受賞自体はさだまさし(『雨やどり』と2曲対象)
母といえば…「母さん、僕のあの帽子どうしたでしょうね」・・・角川映画『人間の証明』も、この年に当たった作品のひとつ。
映画ではほかに、森谷司郎監督の『八甲田山』(東宝系)も大ヒット!
青森の血を引く僕も、当然映画館に足を運んで観ましたが、いやあド迫力でした。キャストも豪華だったし・・・。
流行した「天は我々を見放した」は、北大路欣也(青森歩兵第五連隊・神田大尉役)のセリフだけど、弘前歩兵第三十一連隊・徳島大尉役の高倉健は、同年、山田洋次監督『幸福の黄色いハンカチ』(松竹系)にも主演。
子供心に「あんまり芝居上手くないよな」と思ったものの、その存在感には確かに圧倒されました。
ちなみに『幸福~』は、栄えある第1回目の日本アカデミー賞受賞作品。そのほかの映画賞も総ナメでした。
そうそう、この頃は演歌も元気で、八代亜紀『愛の終着駅』(レコ大・最優秀歌唱賞)、石川さゆり『津軽海峡冬景色』(同・歌唱賞)、千昌夫『北国の春』などがヒットを飛ばしたっけ。
『津軽~』『北国~』に、前述の映画の『幸福~』は北海道が舞台、『八甲田山』は青森と、今思えば《北》がやたら当たった!ってことだなぁ…。
1977年はそんな年でした
当時、仲の良かった嘉門とはいまだつるんでいる。もう一人の達男はどうしてるのだろうか?