たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「踊り子の唄声」(再)

2021年10月07日 15時34分41秒 | 詩・エッセイ

7年も前、2014年6月7日、
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に書き込んでいた記事を、
コピペ、リメイク(再編集)してみた。


「踊り子の唄声」(再)

記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中に「踊り子の唄声」と題した詩(もどき)が有る。「昭和43年5月20日」の日付が記されており、今から53年も前、当時、静岡県浜名郡舞阪町に有った独身寮に暮らしていた数年間に書いたもののようだ。マイカー等まだ夢だった時代、休日は レコードを聴いたり、同室の先輩とヘボ碁を打ったり、親しい同寮友人等と、舞阪、浜名湖、弁天島、新居等を、ぶらつくことくらいしか、無かったような気がしているが、ある時、勤務先の同僚先輩3人に強引に誘われて、南伊豆方面へ1泊2日の慰安旅行をしたことが有った。もちろん、列車、バスを乗り継いでいく旅行であり、かなり強行スケジュールだったと思う。南奥伊豆、静岡県松崎町の大沢温泉に宿泊、河津、下田、石廊崎まで、足を伸ばしたような気がするが、カメラも持っておらず、写真は極くわずかしかなく、なかなか記憶が炙り出てこない。
どうやら、同じバスで宿泊先の大沢温泉に到着した女性グループに、川端康成の「伊豆の踊り子」を重ね合わせて、旅の感傷と妄想で、メモしたのかも知れない。50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、想像も出来なかった詩の類、よくもまあ、これまで仕舞い込んでいたものよ、我ながらあきれてしまっている。

「踊り子の唄声」

伊豆の山と谷は険しい、
バスは くねる坂道を 息を切らして登ってゆき、
また ゆっくり 深い谷へと 下りてゆく、
その谷の底、清流に沿って 細長く広がった平地に、
鄙びた山の里 大沢温泉郷があった、
静かな古い軒のあちこちに 湯けむりが上がっている、
雨雲が 谷まで下りてきた、
靄に包まれた山の 九十九折の山道を、
今にも あの「踊り子」の あどけない唄声が、
下りてくるような そんな気がして、
せせらぎに 耳をすませ、
旅の宿の湯船に 疲れた体を浸し、
一人 しばし 静寂に耐える、
同じバスで 同じ旅館に着いた 二階の娘達が
賑やかに 大風呂に入ってきた、
彼女達の 明るい笑い声や歓声に、
あの「踊り子」の絵姿を追っていた私は
思わず 苦笑した、
あの娘達も 明日には もう ここにいないだろう、
ふと 出会った視線が懐かしく、
また どこかで 会えるような気がした、
伊豆の旅の感傷は、
相変わらず 私の心を駆り立てた、

(昭和43年5月20日)

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「石廊崎の少女」(再)

2021年09月30日 11時33分11秒 | 詩・エッセイ

7年も前、2014年5月20日
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に書き込んでいた記事を、
コピペ、リメイク(再編集)してみた。


「石廊崎の少女」(再)

記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中に、「石廊崎の少女」と題した詩(もどき)が有る。「昭和43年5月19日」の日付が記されており、今から53年も前、当時、静岡県浜名郡舞阪町に有った独身寮に暮らしていた数年間に書いたもののようだ。マイカー等まだ夢だった時代、休日は レコードを聴いたり、同室の先輩とヘボ碁を打ったり、親しい同寮友人等と、舞阪、浜名湖、弁天島、新居等を、ぶらつくことくらいしか、無かったような気がしているが、ある時、勤務先の同僚先輩3人に、かなり強引に誘われて、南伊豆方面へ1泊2日の慰安旅行をしたことが有った。もちろん、列車、バスを乗り継いでいく旅行であり、かなり強行スケジュールだったと思うが、南奥伊豆、静岡県松崎町の大沢温泉に宿泊、河津、下田、石廊崎まで、足を伸ばしたような気がするが、写真が極くわずかしかなく、なかなか記憶が炙り出てこない。
「雨の石廊崎にて」、「途中のバス車内にて」とも、記されており、記憶曖昧だが、石廊崎では、雨だったようだ。トコトコ走る路線バスの中で、旅の感傷と妄想で、メモしたのかも知れない。50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、想像も出来なかった詩の類、よくもまあ、これまで仕舞い込んでいたものよ、我ながらあきれてしまっている。

アルバムに貼ってあった古い写真、
多分、石廊崎の写真だと思われる。

「石廊崎の少女」

そぼふる雨に
しっとり濡れた岩肌で
かわいい花を見つけたと
私に告げた少女
その白くやさしい手のひらに
ぽっちり小さく咲いていた
可憐な野の花
薄紅の花びらが
潮風にゆれていた
石廊崎に 黒潮が砕け
歯をむいて しぶきが吹き上げる
その岸壁に ひっそり秘かに
誰をか待って 咲いていた
その名も知らぬ 野の花
美しい(いとしい)花
私は 少女の汚れない笑顔と
それを 見比べた
二つの美しい(いとしい)ものよ
爽やかなるものよ
私は 少女を とても好きになっていた
ぱっちり 瞳が愛らしく
長い黒髪が いとしい
野の花は 小さな幸せ
はにかんだ少女は
その花を そっと 私に差しのべた
しっぽり 雨に濡れていく
我が身も忘れて
しばし 石廊崎に咲いた
美しい光景に感謝した。

(昭和43年5月19日)


「弁天島慕情」(再)

2021年09月25日 10時51分34秒 | 詩・エッセイ

7年も前、「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に書き込んでいた記事を、
コピペ、リメイク(再編集)しているところだ。


「弁天島慕情」(再)

記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中に有った「弁天島慕情」と題した詩(もどき)。「昭和42年11月19日」の日付が記されており、今から54年も前、当時、静岡県浜名郡舞阪町に有った独身寮に暮らしていた数年間に書いたもののようだ。マイカー等まだ夢だった時代、休日は レコードを聴いたり、同室の先輩とヘボ碁を打ったり、親しい同寮友人等と、舞阪、浜名湖、弁天島、新居等を、ぶらつくことくらいしか、無かったような気がしている。多分、友人と浜名湖、弁天島等を、夕方までぶらついて、日暮れ時の感傷的な情景が印象的だったことから、妄想し、メモしたのかも知れない。50数年後に、他人様に公開される等とは 当時、想像も出来なかった詩の類、よくもまあ、これまで仕舞い込んでいたものよ、我ながらあきれてしまっている。

アルバムに貼ってあった古い写真、
多分、浜名湖か弁天島辺りの雨が降っていない日の夕暮れの写真。

「弁天島慕情」

そぼふる雨の
静かなる 浜名の夕暮れ
秋深く 沈んだ旋律

声もなし 影もなし
ひたぶるに うら悲し
一人 遠く ノスタルジー

そぼふる雨に
静かにかすむ 島影
秋深く 感傷の旋律

音もなし 波もなし
水面に影る 舟つき場
一人 憂愁の想いに沈む

(昭和42年11月19日)

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「雄々しき夕映え」(再)

2021年09月17日 16時54分12秒 | 詩・エッセイ

 


7年も前にブログに書き込んでいた記事「雄々しき夕映え」を
コピペ、リメイク(再編集)してみた。


「雄々しき夕映え」(再)

記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・

その中の1枚に、「雄々しき夕映え」と題した詩(もどき)も入っていた。隅に、「昭和40年1月18日」の日付が記されており、今から56年も前に書いたもののようだ。更に、「松本に行ってきたのち、雪山が夕日に映えるの景を書く」と後記されており、記憶曖昧だが、学生の頃、一度 当時、松本市に在住していた親戚(母親の実父、義母)宅を訪ね、自分より歳下の叔母と、美ヶ原や美鈴湖等を巡った際の感動、印象、妄想を書き殴ったのかも知れない。
まさか 50数年後に、他人様に公開される等とは 当時、想像も出来なかった詩の類、よくもまあ、これまで仕舞い込んでいたものよ、我ながらあきれてしまっている。

「雄々しき夕映え」

薄紅いに染まった西空に
北アルプスの峰々の 
淡く やさしいシルエット
その静かなるたたづまいは
鏡に向かって 髪を解く 少女の面影
歯をむき出して 輝(きら)めいた稜線
その雄大な 白銀のスロープ
鮮やかに浮き彫られた 尾根と谷
そんな雄峰も 今はただ
紫雲たなびく 夕暮れに
ゆっくり 静かに包まれて
今日の美しい思い出を胸に秘めて
満ち足りた 休息の息遣い
女性的な 甘い調べを奏でながら
ロマンチックな色彩が
この世界に広がって
高台の我と ひとつになる。

(昭和40年1月18日)

 


「お幸せに!」(再)

2021年09月12日 12時48分48秒 | 詩・エッセイ

時々、何年も前に書き込んでいたブログ記事にアクセスが有ったことに気付くことがある。すっかり忘れてしまっている記事も有り、なんだか気になってクリックして、改めて読み返してみることもある。どうしてそんな古い記事にアクセスされたのかは不明だが、そのお陰で記憶が蘇ったりし、記憶力減退爺さんには有難いことだと思っている。アナログでは、あり得ない、デジタルのメリットでもある。コロナ禍になり、テレビ等でも、俄然、「再放送」が多くなっているような感じがしている昨今、ますますブログネタも少なくなってくる後期高齢者とて、そんな古い記事を、コピペ、リメイク(再編集)していこう等とも思っているところだ。


7年も前にブログに書き込んでいた記事、「お幸せに!」を
コピペ、リメイク(再編集)してみた。


「お幸せに!」(再)

記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中の1枚に、レポート用紙に書かれた「お幸せに!」と題した詩(もどき)も入っていた。隅に、「昭和44年10月4日」の日付が記されており、今から 52年前に書いたもののようだ。「新幹線内」とも記されており、なんとか記憶を炙り出してみると、どうも、先輩同僚の結婚式披露宴に招かれて、確か名古屋へ向かう途中の新幹線内で、その先輩同僚に贈る気持ちを認めたもののような気がする。

「お幸せに!」

唐松林を 通り抜けて
すがすがしい秋風が
二人の姿を 追いかける
「でも いいんだ」
ふと 目と目が合うだけで
愛を確かめ合えるんだもの

石畳を どんぐりが転がって
公園のイチョウの葉が
二人のまわりに 舞い落ちる
「でも いいんだ」
だまって 抱き合っているだけで
愛を確かめ合えるんだもの

夕暮れの渚に 寄せ返す
やるせない 波音も
二人の心を呼び止める
「でも いいんだ」
手をとって 歩いて行くだけで
愛を確かめ合えるんだもの

(昭和44年10月4日)


「松虫草の花咲く」(再)

2021年09月08日 11時42分53秒 | 詩・エッセイ

時々、何年も前に書き込んでいたブログ記事にアクセスが有ったことに気付くことがある。すっかり忘れてしまっている記事も有り、なんだか気になってクリックして、改めて読み返してみることもある。どうしてそんな古い記事にアクセスされたのかは不明だが、そのお陰で記憶が蘇ったりし、記憶力減退爺さんには有難いことだと思っている。デジタルのメリットでもある。コロナ禍になり、テレビ等でも、俄然、「再放送」が多くなっているような感じがしている昨今、ますますブログネタも少なくなってくる後期高齢者とて、そんな古い記事を、コピペ、リメイク(再編集)していこう等とも思っているところだ。


毎年、秋になると、山で出会った秋の花が、思い出されるが、「タカネマツムシソウ(高嶺松虫草)」も その一つだ。花を思い出すと、あの日、あの場所の情景までも、思い出されるから不思議なことだと思っている。外付けHDに放り込んである写真の中から 「タカネマツムシソウ」の写真を何枚か引っ張り出してみた。

もう、25年前の 1996年(平成8年)9月3日
霧ヶ峰・車山・八島ケ原湿原を歩いた時に撮った「タカネマツムシソウ」。
当時は デジカメ等所有しておらず、小型フィルムカメラ(バカチョンカメラ)で撮った写真を
プリントし、アルバムに貼っておいたものだが、
ブログをやるようになってから、スキャナーで取り込んで、そのまま外付けHDに残して有った。

2012年(平成24年)8月21日~22日
長年、何度も計画し、実現しなかった白山、その年、思い立って訪れたものだが、
沢山の高山植物の中に、「タカネマツムシソウ」も有った。
砂防新道、観光新道、どちらにも見られた。

2014年10月3日~4日
高山歩きも、これが最後・・・と覚悟して、
ゆっくり、ゆっくり、山小屋1泊で、唐松岳を訪れたことが有った。

第1日目は 終始 雨の中だったが、翌朝、山頂での大展望が叶い、
八方尾根歩きを満喫した山旅だったが、
八方尾根で見掛けた「タカネマツムシソウ」の拙劣写真。


随分以前に書き込んだブログ記事に「松虫草の花咲く」が有ったが、
コピペ、リメイク(再編集)してみた。


記憶から完全に喪失していた物が、つい最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中の1枚に、便箋に書かれた「松虫草の花咲く」と題した詩(もどき)も入っていた。「昭和43年10月3日」の日付が記されており、今から 53年前に書いたもののようだ。まだ独身の頃だったなー。多分 その当時、「松虫草」、「高嶺松虫草」なーんて花を知っているはずは無く、完全に妄想?の世界なり・・・。

「松虫草の花咲く」 

秋は 深まり
我が恋は 色あせり
高原に咲く 松虫草の花は
哀しくも 美しき
恋は 霧の中に消え果てて
我が呼ぶ声は
むなしく こだまするのみ
薄紫の松虫草の花
しっとり濡れた 松虫草の花
我が胸の このむなしさを、悲しみを
じっとこらえる 松虫草の花
恵まれぬ恋を はかなんで咲く花の
哀しく さびしき 運命なら
霧の中の高原に
せめて 美しき姿みせばやと
想う心に涙する
我が身の 霧に濡れゆくも
松虫草の花と共
次第に 秋のわびしさは
我が身ひとつに あらぬなり

(昭和43年10月3日)

 

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「秋海棠という花は」(再)

2021年09月05日 13時01分07秒 | 詩・エッセイ

時々、何年も前に書き込んでいたブログ記事にアクセスが有ったことに気付くことがある。すっかり忘れてしまっている記事も有り、なんだか気になってクリックして、改めて読み返してみることもある。どうしてそんな古い記事にアクセスされたのかは不明だが、そのお陰で記憶が蘇ったりし、記憶力減退爺さんには有難いことだと思っている。デジタルのメリットでもある。コロナ禍になり、テレビ等でも、俄然、「再放送」が多くなっているような感じがしている昨今、ますますブログネタも少なくなってくる後期高齢者とて、そんな古い記事を、コピペ、リメイク(再編集)していこう等とも思っているところだ。

シュウカイドウ(秋海棠)の花が あちらこちらで見られる季節


6年前、2015年に書き込んでいた記事(再)
 「秋海棠という花は」


記憶から完全に喪失していた物が、つい最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。
そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。
今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中の1枚に、便箋に書かれた「秋海棠という花は」と題した詩が有る。その隅に「S.40.2.22」の日付が記されており、昭和40年(1965年)2月22日に書いたものなのだろう。今から 56年前・・か。まだ独身の頃だったなー。


「秋海棠という花は」

秋海棠と いう花は 
薄紅いに 風薫る
秋の美空の 野の花か
我にも告げよ その詞(ことば)

秋海棠と いう花は
まだ見ぬ花と 覚しきに
美し(うるわし)乙女の 初恋の
甘き せつなき 花なりや

秋の刈穂の 夕間暮れ
薄紅いに 咲き染めし
秋海棠の 花のよな
やさしき君と 想いけり

悲しきかなや 美しく
秋海棠の花は 散り
はかなき花の 面影に
ひそかに覚ゆる 恋なれば

この詩が書かれた便箋には、もう1枚、「秋海棠」という詩が書かれた便箋が、貼り付いていた。我ながら感動したのは、この「秋海棠」という詩の方なのである。
これは、明らかに自分の筆跡とは違い、当時交際していた女性が、決別してからしばらくして、封書で送ってくれた物に違いないのである。
上の詩、「秋海棠という花は」は、どうも、この詩「秋海棠」をもらった後に、返歌?のつもりで 書いたような記憶が炙り出てきたのだ。
ただ、その女性に、「秋海棠という花は」を送ったのかどうかは、思い出そうとしても思い出せなく、多分、送れないまま、封印?したのかも知れない。

「秋海棠」

秋海棠の 花咲けば
去りにし人を 想いだす
小雨の降る 夕間暮れ
小暗き 緑の軒先に
そぼふる雨に 濡れながら
そぞろにふるう
その幻の 忘れ得ぬ
遠き昔の 夢なりき


当時はまだ、「秋海棠(シュウカイドウ)」という花を、実際、見たことも聞いたこともなく、どんな花なのかも知らなかったはずで、単にイメージを膨らませて、詩にしたのだと思う。
「秋海棠」の花言葉が、「片思い」「恋の悩み」「未熟」等であることを知ったのも、随分後年になってからのことで、「へー!、そうだったのか・・」、なんともまだるっこい男だったことが分かる。あな、恥ずかし・・。


爺さんの備忘録的花図鑑・「シュウカイドウ(秋海棠) 」
👇
こちら


 


なんでも撮る

2021年04月09日 09時18分01秒 | 詩・エッセイ

「なんでも撮る」

花の写真を撮る
鳥の写真も撮る
なんでも撮る
歩きながら撮る

花の名前を知らない
鳥の名前が分からない
知らなくても撮る
分からなくても撮る

花の名前を教えてもらう
鳥の名前を調べる
教えてもらっても直ぐ忘れる
調べても直ぐ忘れる

こりずにまた花の写真を撮る
こりずにまた鳥の写真を撮る
なんでも撮る
歩きながら撮る

また名前を教えてもらう
また名前を調べる


今朝もまた花から花へ爺散歩

君の名は?

マツバウンラン(松葉海蘭)

モッコウバラ(木香薔薇)

君の名は?

君の名は?
(追記)
「カラー」、和名「海芋」でした。
相互フォロワー登録している mirapapa様、KUMI様に教えていただきました。
「カラー」=黄色というイメージ、持っていましたが
白色、ピンク色、紫色等が有るようです。

君の名は?

ノジスミレ?

キランソウ(金瘡小草)?

スズラン(鈴蘭)

イチリンソウ(一輪草)

ハハコグサ(母子草)

君の名は?

アネモネ?

 

君の名は?

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「冬の海」(再)

2021年03月23日 09時44分30秒 | 詩・エッセイ

押入れや天袋、物置等に詰め込んで有る不要雑物整理を動ける間に出来る限りしようと決め、し始めてから久しいが、正直、一向に進まない。数年前のことだが、そんな雑物整理中に、M男の記憶からは 完全に喪失していた物が出てきた。M男が 若かりし頃、若気の至りで書きなぐっていた詩の類である。それは、不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。これまで何回も引っ越しをしたにも拘らず、押し込まれたままにきたようだった。そのまま、ゴミ箱行きになるような代物であったが、数十年ぶりに目にして、まるでタイムカプセルを開けるがごとしのある種感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」等として、一度ブログに書き留めたことが有った。そんな古いブログ記事をコピペし、リメイクしてみよう等を思っているところだ。
詩、詩、詩、・・・、
後期高齢者の今のM男とっては、「冷や汗が出るような・・・」「ぞっとするような・・・」 気恥ずかしい、拙劣な詩の類ばかりであるが、原文のまま、恥も外聞もなく、居直りながら・・・・。
当時のM男には こんなメモみたいな詩が 数十年後にブログで他所様に公開される等、想像だに出来なかったことであり、今更ながら感慨深いものがある。 


「冬の海」 昭和38年12月

暗い水平線
幻想的な 神秘の海よ
その黒い底から むき出しの白い刃が
幾重にも連なって 迫って砕ける
不気味な旋律は 絶えずして
空と海とが 溶け合って舞い上がる
日は隠され そこだけが
何か暗示的な 不安を宿す
吹き付ける北西風に 松はしなり
冷たい雨が 激として 砂をける
大自然のたけり 力強い脈動に
いつしか 身も心も 引き締る
日本海の遠きより
やがて 宵闇迫り来て
その脈動を 包んでしまう
時として 白い刃が光り
ごうごうとする 砂浜をうかがう
我一人 たたずみてやまず
冬の海


記憶定かでないが どうも、年末の帰省の際、宵闇が迫り、北西の季節風で荒れ狂う日本海を、北陸本線鈍行の車窓から眺めながら、走り書きしたような気もしてくる。新幹線では とてもそんな風景等も目に止まらないかも知れないだろうなとも思ったりする。


「ちまたに雨がふるように・・・」

2021年02月15日 10時06分15秒 | 詩・エッセイ

夜半から降り始めたと思われる雨、
午前中も、降り続いているが、
当地、ややまとまった雨が降るのは 
およそ3週間振りのような気がする。
一雨毎に春が近づくと よく言われるが 
ピリピリした厳しい寒さが和らいできていることが分かる。

久し振りの雨の情景を眺めながら、ふっと思い浮かんだ詩がある。
「ちまたに雨がふるように・・・・」
春夏秋冬、どの季節の雨をうたった詩なのか、よく知らないが 雨の詩。
多分数十年前、若い頃に 買ったのか貰ったのか 記憶定かでないが 
赤木靖恵朗読のソノシート付きの「ヴェルレーヌ詩集(橋本一明訳・角川書店)」が有る。
度々の不要雑物整理でも廃棄処分し切れずに、未だに書棚に残っており、その中にも収録されている。

橋本一明訳
「ちまたに雨がふるように・・・」
ちまたにしずかに雨がふる
アルチュール・ランボー

ちまたに雨がふるように
ぼくの心になみだふる
なんだろう このものうさは
しとしととこころのうちにしのび入る

おお 雨の音 地上にも
たちならぶ屋根の上にも
この倦怠の心には
雨の歌 おお しずかなひびき

いわれなく なみだふり
いわれなく しめつける ぼくの心よ
なんと言う? 裏切りはないと言うのだね
いわれなく 喪にしずむ ぼくの心よ

いちばんわるい苦しみは
いわれもしれぬ身のいたみ
恋もなく 憎しみもないというのに
ぼくの心は こんなにも苦しみにみちている


ヴェルレーヌの詩集「無言の恋歌」に有る同詩には 堀口大學により訳された「巷で雨が降るごとく」、鈴木信太郎により訳された「都に雨が降るごとく」、渋沢孝輔により訳された「街に雨が降るように」、金子光靖により訳された「街に雨が降るように」等が有るようだが 学生の頃に初めて知り、うろ覚えしたのは 堀口大學訳の「巷に雨が降るごとく」だったような気がしてならない。
今更になってネットで調べてみた。
やっぱり、どちらかというと 橋本一明訳の「ちまたで雨のふるように」より 堀口大學訳「巷に雨が降るごとく」の方が 好みかも知れない。

堀口大學訳
「巷に雨が降るごとく」
雨はしとしと市(まち)にふる
アルチュード・ランボー

巷に雨が降るごとく
わが心にも涙降る
かくも心ににじみ入る
このかなしみは何やらん?

やるせなき心のために
おお雨の歌よ!
やさしき雨の響きは
地上にも屋上にも!

消えも入りなん心の奥に
ゆえなきに雨は涙す
何事ぞ! 裏切りもなきにあらずや?
この喪そのゆえの知られず

ゆえしれぬかなしみぞ
げにこよなくも堪えがたし
恋もなく恨みのなきに
わが心かくもかなし


 

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