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契りおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめり

2024年12月18日 14時30分08秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。


百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その25

契りおきし させもが露を 命にて
あはれ今年の 秋もいぬめり

出典
千載集(巻十六)

歌番号
75

作者
藤原基俊

歌意
「私がいる限りは頼みにせよ」と約束して下さった
あの「させも草」という恵みの露のような、
有難いあなたのお言葉を命としてきましたが、
その甲斐もなく、
ああ、今年の秋も、望みが叶わないままに、
むなしく過ぎていくようです。

注釈
「契りおきし」=「約束しておいた」の意。
「おき」は、「露」の縁語。
「させもが露」の「させも」は、「さしも草(よもぎ)」のこと。
「露」は、「させも草」「命」「秋」の縁語で、
「恩恵」の意味を含む。
ここでは、
「関白藤原忠通が清水観音の歌を使って作者に約束してくれたこと」
を意味している。
「命にて」=「命として」「生きる力として」の意。
「あはれ」=感動詞、「ああ」、
「いぬめり」の「いぬ」は、「往ぬ」で、「行く」「去る」の意。
「めり」は、不確かな推量を表す助動詞、
「・・・のように思われる」「・・・のようだ」と訳す。

「千載集」の詞書(ことばがき)には、
作者が、作者の子僧都光覚(そうずこうがく)を、
維摩会(ゆいまえ)の講師に就かせようと
氏の長者である関白藤原忠通に訴えたところ、
「清水観音の歌」を引用して約束してくれたが、
結局、選にもれてしまい、
忠通を恨んで詠んだものとある。
行く秋の悲しみと、
我が子を思う父親の嘆きが響き合う歌、
その哀調に心打たれる歌である。

「清水観音の歌」
「なほ頼め 標茅(しめぢ)が原の させも草 わが世の中に あらむかぎりは」
(やはり、私を頼みにしなさい。そのようにも、私がこの世の中にいるであろう限りは)
「新古今集(巻十)釈教」
忠通が、基俊に対して、
「失望せずに私に任せなさい」と、
確約している内容に受け取れる歌。


藤原基俊(ふじわらのもととし

右大臣藤原俊家の子、藤原道長の曽孫、
名門に生まれながら、
従五位上・左衛門佐に就いた後、
出家した。
「無名抄(むみょうしょう)」で、
性格が傲慢であったと語られている。
家集に、「藤原基俊集」がある。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(完)


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