たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「爺さんの備忘録的花図鑑」・「ハ」

2024年11月30日 22時59分05秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

「爺さんの備忘録的花図鑑」

「ハ」

◯バーベナ(美女桜)           ⇨ 2024.0517
◯バイカウツギ(梅花空木)        ⇨ 2021.05.27
◯バイカオウレン(梅花黄蓮)       ⇨ 2022.03.04
◯ハクサンイチゲ(白山一花)       ⇨ 2022.03.09
◯ハクサンチドリ(白山千鳥)       ⇨ 2024.11.26
◯ハクサンフウロ(白山風露)       ⇨ 2022.03.10
◯ハクモクレン(白木蓮)         ⇨ 2021.03.10
◯ハコネウツギ(箱根空木)        ⇨ 2021.05.13
◯バコパ                 ⇨ 2020.05.14
◯ハゼラン(爆蘭)            ⇨ 2024.10.31
◯ハナイカダ(花筏)           ⇨ 2022.03.11
◯ハナウド(花独活)           ⇨ 2022.05.22
◯ハナカイドウ(花海棠)         ⇨ 2022.12.17
◯ハナズオウ(花蘇芳)          ⇨ 2022.04.03
◯ハナトラノオ(花虎ノ尾)        ⇨ 2020.08.10
◯ハナニラ(花韮)            ⇨ 2023.03.27
◯ハナネコノメソウ(花猫の目草)     ⇨ 2022.03.03
◯ハナミズキ(花水木)          ⇨ 2022.04.15
◯ハハコグサ(母子草)          ⇨ 2020.05.10
◯ハバヤマボクチ(葉場山火口)      ⇨ 2022.12.13
◯ハンゲショウ(半夏生・半化粧)     ⇨ 2021.07.11


 


晩秋の公園

2024年11月30日 17時01分21秒 | 散歩・ウオーキング

今日は、最低気温=1℃前後だったようで、
早朝は、真冬並みの寒さだったが、
日中は、快晴で、17℃前後まで気温が上がり、
気持ち良い1日だった。
好天に誘われて、
午後になってから、買い物のついでに、
晩秋の彩りの公園をちょこっと歩いてきた。
スマホの歩数計で、約8,000歩。

 

 

コメント (2)

葉室麟著 「風花帖」

2024年11月30日 10時49分01秒 | 読書記

図書館から借りていた、葉室麟著 「風花帖(かざはなじょう)」 (朝日新聞社)を、読み終えた。本書は、江戸時代後期に、小倉藩で実際に起きた藩内抗争「白黒騒動」を下敷きにした長編時代小説だが、史実をもとにしながら、互いに思いを交わした男女が、別々の道しか選べなかった悲哀をいかんなく描いた物語になっている。


読んでも読んでも、そのそばから忘れてしまう老脳。
読んだことの有る本を、うっかりまた借りてくるような失態を繰り返さないためにも、
その都度、備忘録として、ブログ・カテゴリー「読書記」に、書き留め置くことにしている。


▢目次
(一)~(二十五)

▢主な登場人物
印南新六(いんなみしんろく、印南弥助の子)、
菅源太郎(すがげんたろう、書院番頭、江戸屋敷側用人菅三左衛門の嫡男)・吉乃(きちの、書院番頭杉坂監物の三女)・千代太、
犬甘兵庫知寛(いぬかいひょうごともひろ
小笠原忠苗(おがさわらたたみつ)、小笠原忠固(おがさわらただかた
小笠原出雲(おがさわらいずも)、伊勢勘十郎、
小宮四郎左衛門、二木勘右衛門、小笠原蔵人、伊藤六郎兵衛、
上原与市、直方円斎、早水順太、

▢あらすじ等
九州小倉藩(小笠原藩)勘定方の印南新六には、生涯をかけて守ると誓った吉乃がいたが、ある日の事件がきっかけで、新六は一時的に江戸詰めになり、その間に、吉乃は菅家の嫡男源太郎に嫁いだ。
折しも、藩内は、犬甘兵庫派、小笠原出雲派の派閥争いがエスカレート、新六も、源太郎も、その騒動に巻き込まれていく。もともとは、出雲派だった新六だが、想いを寄せる吉乃とその家族、菅源太郎、千代太を守るために、両派閥の刺客にもなる。
藩の存亡に関わる、ドロドロした派閥抗争の中にあっても、一途に、一人の女性のために命を懸けた男の姿を、鮮烈に描いた作品だった。
  吉乃は国許に残り、千代太を育てる日々を過ごしたが、
  月命日には新六の墓参りを欠かさなかった。
  祥月命日の墓参りのおりには、なぜか風花が舞った。
  (中略)
  「新六殿」
  吉乃は胸の中で新六の名を呼びながら佇んで、いつまでも風花を見つめていた。

コメント (2)

心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな

2024年11月30日 09時08分31秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。


百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その19

心にも あらでうき世に ながらへば
恋しかるべき 夜半の月かな

出典
後拾遺集(巻十五)

歌番号
68

作者
三条院

歌意
もはや、この世に生き長らえたい望みはないが、
心ならずも、今後も、辛くて苦しいこの世に、
生き長らえるならば、
さぞかし、恋しく思い出されることであろう、
今宵のこの美しい夜半の月であるなあ、

注釈
「心にもあらで」=「不本意にも」「自分の本心ではなくて」の意。
「うき世にながらへば」の「うき世」は、「憂き世」に通じて、
「辛い、苦しいことの多い世の中」の意。
「ながらへ」は、「生き長らえる」の意。
「恋(こひ)しかるべき」=「恋しくなるだろう」の意。
「べき」は、推量の意を表す助動詞。
「夜半(よは)の月かな」の「夜半」は、夜中のこと。
後拾遺集の詞書(ことばがき)には、
「例ならずおはしまして(御病気でいらっしゃって)、
位など去らむとおぼしめしけるころ、
月のあかかりけるを御覧じて」
とあり、
退位が迫った絶望の嘆きと
美しい月を見ての感慨が表現されている。


三条院(さんじょういん)

第63代天皇冷泉天皇の第2皇子、第67代天皇、
母親は、藤原兼家(ふじわらかねいえ)の娘超子(ちょうし)、
在位5年で譲位、翌年に崩御、
病弱だったこと、在位中に二度も内裏が炎上したこと、
藤原道長の圧迫を受け退位を迫られたこと等々、
薄幸の天皇だった。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)

コメント (1)