「中学生日記より」
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。
その48 「元日、書き初め、百人一首」
昭和31年(1956年)1月1日(日)、天気 雨、
起床 6時30分、就床 9時50分、
1、元日、初日の出など、元旦にきなんで(因んで)、ラジオは、にぎやか、
さかんに、「明けましておめでとう」といっている(言っている)。
新聞、2日分、五枚入り、
2、このよい元日に、新潟県彌彦神社で、死者112人余り、重軽傷者、
50名余りという大事件(大事故が発生した)、
3、10時から、ぼく(僕)たちの新年の式、
4、僕への年賀状をくれた人、〇〇、△△、✕✕・・・・・、
5、昼後、全部、かきぞめ(書き初め)をおえた(終わらせた)、
6、夕食後、かるた、百人一首、トランプ等をした、
帰家 11時20分、
1、その年の元日は、雪ではなく、雨だったようだ。暗い元日?
冬季は、日本海から渡ってくる冷たく湿った北西の季節風のため、1日中、快晴ということが
少ない北陸の山村。M男は、子供の頃、ラジオ等から伝わってくる、晴れ渡った太平洋側の
大晦日や元日の賑やかな情景を、羨ましく、別世界?のようにも感じていたものだ。
当時、村落の中心から外れたM男の住んでいた集落には、新聞配達は無く、簡易郵便?で
届けられていたような気がする。ニュース等は、ラジオからか1日遅れの新聞からでないと
受けることが出来なかったことで、新聞が届くのを待ち構えている風でも有った。
2、すっかり忘れてしまっていたが、昭和31年の元日、新潟県の弥彦神社で、
押しかけた初詣客の死者112人余の大惨事が発生。
正月早々、大ニュースだったこと、思い出した。
参考「NHKアーカイブス」 → こちら
3、全く記憶が残っていないが、元日には登校して、「新年の式」等が有ったようだ。
帰家、11時20分となっている。
4、同級生同士、年賀状のやりとりしていたようだ。信じられないことだと思われるが、
今の、メールやLINE感覚だったのかも知れない。
5、毎年、元日には、茶の間の炬燵から、冷え切った座敷に引っ張り出されて正座、
墨を摺る作業から始めて、父親の指南で、「書き初め」を書き上げることが、
M男の家の習慣になっていた。これが終わらないと遊ばせてもらえなかったと思う。
書き初め用紙も貴重だった時代、まずは、父親のOKが出るまで、新聞紙で練習を重ね、
それから清書。10枚程度を書き上げ、一番良さそうなものを学校提出用に、
次ぎに出来がよさそうなものを自分の家の梁に貼り、残りは 近所の子供の家に配ると
いうものだった。お互いの家で配り合い 年始回りの来客の目に触れ
品評したり話題にしていたものだ。
振り返り記事 ⇨ 2012年12月8日「書き初め」
6、テレビも無かった時代、まだまだ 伝統的なゲームや遊びしか無く、M男の家では
正月になると必ず 家族で「百人一首カルタ取り」をしていた。父親が読み手となり、
負けず嫌いの母親もムキになって参加していた。勝った時の賞品?は
みかんや落花生だったような気がする。
振り返り記事 ⇨ 2017年12月31日「正月と百人一首」
貴重な日記をとっていらっしゃって、素晴らしいですね。
また遊びに来ますね。
ありがとうございました😊
よくも捨てないでいたものだと、我ながら呆れているんです。タイムカプセルを開けるが如しで、すっかり忘れていたことでも、書いてあるものを見ると、うっすら記憶が炙り出されてくるものですね。
コメントいただき有難うございます。