昭和20年代から30年代、M男は 北陸の山村で 小学生、中学生だった。
当時 M男の家には カメラも無く 日常のスナップ写真を撮る等ということは 皆無だった。
それだけに 古いアルバムに貼り付けられている セピア色の数少ない写真は 宝物の如くに 思えてくる。
当時 村落のはずれに 禿山となっていた なだらかな山が有って、冬の間、子供達にとっては 絶好のスキー遊び場となっていたが そこで遊んでいた時の写真が 1枚だけ残っている。
居合わせた カメラを持っていた知り合いが撮って 焼き増ししてくれたのかも知ない。
M男は 時々 古い写真を見ては 記憶を蘇らせ ブログに書き込んだりしているが 書き込んだことを忘れて また 書き込む の 繰り返しのような気がしている。
眠っている・・70歳までスキーを楽しんでいたが「骨折」
を心配して70歳で止めた。子供や孫たちにも教えた。
ボーゲン・パラレル・ウエンディルを北海道のゲレンデ
を自由に滑ったものだが もうこの歳では滑れないはずだ。
今でも「爺ちゃん一緒に滑って」と孫たちの呼びかけに
心ウキウキなのだ・・
そうですね。今じゃ 転んだら 骨折心配で とても・・・。
あの頃のスキー、スキー板に付いた金具に長靴を引っかけて 皮ベルトで縛りつけるだけのような類でした。ボーゲンもパラレルも出来たものではなく ただただ 直滑降で 坂を滑り降りるだけ、転ぶとスキー板が外れて 坂の下まで滑っていってしまい 仲間に拾ってもらったりして・・・・、用具装備、貧弱でした。そんな時代でした。
確かに記憶が薄れ書き込んだことがあるのにと
思うことが多くなりました
天気が良く良いお正月を過ごすことが出来ましたね
雪国で育ったのですね
郷愁を誘う写真です
明日から正月気分も抜けていつものように忙しい日々です
どうぞよろしくお願いいたhします
大きいお月さまの写真、、うまいですね~~
の 言葉も もしかしたら2回目??・・等と、
記憶曖昧になってしまう爺さんです。
tango様は 2018年始動ですね。
気力体力減退してますが なんとかまた1年、なんだかんだ言いながら暮していきたいと思っています。
ことしも よろしくお願いします。