足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、昨年、一昨年、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログに書き留めたが、今回は、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、書き留めてみることにした。
百人一首で「恋」を詠んだ歌 その20
今来むと いひしばかりに 長月の
ありあけの月を 待ち出でつるかな
出典
古今集(巻十四)
歌番号
21
作者
素性法師
歌意
(あの人から)今すぐに来よう(行こう)と連絡があったばっかりに
その言葉をあてにして待っていたが、(あの人は)来ないで、
とうとう、陰暦九月の(秋の長い夜の)明け方の月が出てくるまで、
待ち明かしてしまったことですよ
作者は男性であるが、女性の立場から歌ったもの。
冷たい男性に対する恨み言。
当時は、男性が女性の家に通うのが習慣であった。(通い婚)
注釈
「今来むと」は、「今すぐ来ようと」と訳する。
「長月」=陰暦九月の異名。
「ありあけ(有明)の月」=陰暦時代の月末の出の遅い月、
夜明けに空に残っている月のこと。
「待ち出で」=「待つ」と「逢う」、2つの動詞の合体語。
「待っていて逢うこと」
「つるかな」=「つる」は、完了の助動詞。「かな」は、詠嘆の終助詞。
素性法師(そせいほうし)
僧正遍昭の出家前の子供、
俗名良岑玄利(よしみねのはるよし)
最初、雲林院に住み、宇多天皇雲林院行幸の際
権律師に任じられ、後に大和の良因院に還った。
三十六歌仙の一人。
家集に「素性法師集」が有る。
参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)
(つづく)