たけじいの気まぐれブログ

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わたの原 こぎ出でて見れば ひさかたの 雲居にまがふ 沖つ白波

2024年10月27日 13時04分41秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。


百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その9

わたの原 こぎ出でて見れば ひさかたの
雲居にまがふ 沖つ白波


出典
詞花集(巻十)

歌番号
76

作者
法性寺入道前関白太政大臣

歌意
大海原にこぎ出して眺めると
白い雲と見間違えるような
沖の白波が立っていることよ

注釈
「わたの原」の「わた」は、「海」の古語で、「原」は、広々としている所、
「大海原」の意。
「こぎ出でて見れば」=「こぎ出して見ていて、その結果は・・」と訳す。
「ひさかたの」=「雲居」に掛かる枕詞、
「雲居(くもい)」=「雲の有る所」の意、
「雲」そのものの他、
「天」「空」、時には「宮中」を指す場合も有る。
「まがふ」=「見分けがつかなくなる、入り混じってはっきりしなくなる」の意、
「沖つ白波」の「つ」は、格助詞で「の」にあたる。
「沖の白波」と訳す。

「詞花集(しかしゅう)」の詞書(ことばがき)には、
「海上遠望といふことをよませ給ひけるによめる」と有り、
心の中のイメージを描いた題詠である。
題詠ではあるが、白雲が浮かぶ大空と沖の白波とが
見分けのつかないほど一つに融合した壮大な大自然の迫力を、
技巧を用いず、格調高く、堂々と表現している歌になっている。


法性寺入道前関白太政大臣(ほっしょうじにゅうどうさきのかんぱくだいじょうだいじん

摂政関白藤原忠実(ふじわらただざね)の長男、藤原忠通(ふじわらただみちのこと。
別荘が法性寺(ほっしょうじ)の傍らに有ったことから、
「法性寺殿」と呼ばれた。
25歳で関白となり、鳥羽、」崇徳、近衛、後白河、四朝に仕え、
長年、摂政、関白の地位にあったが、
弟藤原頼長との不和が元で、保元の乱の一因を作った。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)


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投稿再開のご挨拶~ (ひろし曽爺1840)
2024-10-28 09:22:23
👴>おはようございます・頂きましたコメントや応援ポッチのお礼や訪問が遅く成り申し訳ありません!
💻>本日より投稿を再開しましたので宜しくお願いします。
@('_')@今日は「人気ブログランキングとにほんブログ村」と「👍&👏&😍」にポッチし、明日よりゆっくりとブログを見せて頂ますネ。
*👴:今朝~🎥blogをUPしてますので遊びにお越しをお待ちしてます!
🔶お互いに体調管理をしっかりして元気で過ごしましょ~:それではまた👋・👋!
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