足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。
百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その9
わたの原 こぎ出でて見れば ひさかたの
雲居にまがふ 沖つ白波
出典
詞花集(巻十)
歌番号
76
作者
法性寺入道前関白太政大臣
歌意
大海原にこぎ出して眺めると
白い雲と見間違えるような
沖の白波が立っていることよ
注釈
「わたの原」の「わた」は、「海」の古語で、「原」は、広々としている所、
「大海原」の意。
「こぎ出でて見れば」=「こぎ出して見ていて、その結果は・・」と訳す。
「ひさかたの」=「雲居」に掛かる枕詞、
「雲居(くもい)」=「雲の有る所」の意、
「雲」そのものの他、
「天」「空」、時には「宮中」を指す場合も有る。
「まがふ」=「見分けがつかなくなる、入り混じってはっきりしなくなる」の意、
「沖つ白波」の「つ」は、格助詞で「の」にあたる。
「沖の白波」と訳す。
「詞花集(しかしゅう)」の詞書(ことばがき)には、
「海上遠望といふことをよませ給ひけるによめる」と有り、
心の中のイメージを描いた題詠である。
題詠ではあるが、白雲が浮かぶ大空と沖の白波とが
見分けのつかないほど一つに融合した壮大な大自然の迫力を、
技巧を用いず、格調高く、堂々と表現している歌になっている。
法性寺入道前関白太政大臣(ほっしょうじにゅうどうさきのかんぱくだいじょうだいじん)
摂政関白藤原忠実(ふじわらただざね)の長男、藤原忠通(ふじわらただみち)のこと。
別荘が法性寺(ほっしょうじ)の傍らに有ったことから、
「法性寺殿」と呼ばれた。
25歳で関白となり、鳥羽、」崇徳、近衛、後白河、四朝に仕え、
長年、摂政、関白の地位にあったが、
弟藤原頼長との不和が元で、保元の乱の一因を作った。
参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)
(つづく)
💻>本日より投稿を再開しましたので宜しくお願いします。
@('_')@今日は「人気ブログランキングとにほんブログ村」と「👍&👏&😍」にポッチし、明日よりゆっくりとブログを見せて頂ますネ。
*👴:今朝~🎥blogをUPしてますので遊びにお越しをお待ちしてます!
🔶お互いに体調管理をしっかりして元気で過ごしましょ~:それではまた👋・👋!