たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「夕焼けのとき」(再)

2021年10月20日 10時14分30秒 | 詩・エッセイ

6年も前、2015年9月25日、
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に書き込んでいた記事を、
コピペ、リメイク(再編集)してみた。


「夕焼けのとき」

記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中に「夕焼けのとき」と題した詩(もどき)が有る。「昭和42年11月15日」「遠州浜にて」と記されており、今から54年も前、当時、静岡県浜名郡舞阪町に有った独身寮に暮らしていた数年間に書いたもののようだ。マイカー等まだ夢だった時代、休日は レコードを聴いたり、同室の先輩とヘボ碁を打ったり、親しい同寮友人等と、舞阪、浜名湖、弁天島、新居等を、ぶらつくことくらいしか、無かったような気がしているが、秋の夕暮れ時、もしかしたら、子供の頃、故郷北陸の山村で見ていた、夕焼けに染まった紅葉の山々や、日本海に沈む太陽等の情景を想いながら、感傷と妄想で書いたのかも知れない。50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、想像も出来なかった拙劣詩、よくもまあ、これまで仕舞い込んでいたものよ、我ながらあきれてしまっている。

イメージ
(ネットから拝借画像)

「夕焼けのとき」

今黄昏れる
晩秋の憂いを秘めて
金色に映える大海原
影残す砂丘のかなた
潮の香りに誘われて
人知れぬ望郷の思い
美しき天然の変り行く姿は
感傷の旋律
遠く船影一つ
渚に涙する少女一人
悲しく唄うシルエット
やるせない波音に
胸ふたぎ
秋の終わりの、
ひたぶるに 
うら悲し
浜辺の暮れる

(昭和42年11月15日、遠州浜にて)


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