足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、昨年、一昨年、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログに書き留めたが、今回は、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、書き留めてみることにした。
百人一首で「恋」を詠んだ歌 その19
恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり
人知れずこそ 思ひそめしか
出典
拾遺集(巻十一)
歌番号
41
作者
壬生忠見
歌意
恋をしているという私の浮名(評判)は
早くも立ってしまったことよ。
誰にも知られないように、
(あの人を)恋し始めたばかりだったのに。
自分の恋は、誰にも分からないように心がけていたのに
早くもバレてしまい、どうも困ったことだと
戸惑っている心情が詠まれている。
注釈
「恋すてふわが名」は、恋をしているという私に浮名(評判)。
「すてふ」は、「という」の意、「名」は、評判、噂の意。
「まだき」は、副詞で、「早くも」と訳す。
「人知れずこそ」、「人」は、他人のことで、恋をする相手ではない。
「知れ」は、「知られる」の意。
壬生忠見(みぶのただみ)
「古今集」の選者の一人壬生忠岑の子。
天徳2年(958年)に、摂津大目(せっつのおおさかん)になっている。
三十六歌仙の一人。
中世の説話文学「沙石集」によると、天徳4年(960年)に行われた
内裏歌合(だいりうたあわせ)で、平兼盛の歌に負け、その悲しみから
病気になり死んでしまったとされている。
参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)
(つづく)