たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「中学生日記より」その45(再)

2021年09月27日 08時35分27秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

「中学生日記より」

「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。


その45 「リヤカー後押し」

昭和30年(1955年)9月22日(木)、天気 晴、

1限目、国語、
2限目、理科、
3限目、英語、
4限目、体操、マット上のデングリ返し、
5限目、保体、(本をわすれた)(教科書を忘れた)、病気の種、
6限目、社会、近畿地方の産業、

1、川原から、リヤカーあとおし(後押し)

4限目の体操は、マット運動だったようだ。運動、スポーツ苦手だったM男、マット上を前転(デングリ返し)するだけでも、左右にぶれ,、マットから転げ出る等していたような気がする。
5時間目の保体(保健体育)の授業、どうも教科書を忘れていったようで、隣りの生徒の机とくっつけて、教科書を見せてもらいながらの授業を受けたのだろう。
学校から帰ると直ぐ、家から一番遠い田んぼ(河川敷に有った田んぼ)の稲刈りの手伝いに行ったのだと思う。当時、M男の父親は、農業をする傍ら、隣り町の印刷店兼文房具店に勤めており、昼間の農作業は、ほとんど、母親が一人で、ボチボチしていた。この日も、母親一人で稲刈りをしていたようで 刈り取った稲の把を、リヤカーで家の敷地内の稲架場(はさば)まで運ぶ仕事に、中学生のM男の力をあてにしていたのだと思う。刈り取ったばかりの稲の把はずっしり重く、それを道端まで担ぎだし、リヤカーに山積みにし、舗装等されていない、ややアップダウンも有る、デコボコの田んぼ道を、リヤカーで引っ張ったり、押したりして運ぶ作業は、大変な重労働だったが、当時はそれが当たり前の時代だった。家の近くの急坂に差し掛かり、立ち往生してしまうこともたびたび有り、近所の人が見兼ねて加勢、「せーの!」の掛け声に合わせて後押ししてくれることも有った。


懐かしい 昭和20年代、30年代の農村風景
「リヤカーで作物を運搬する風景」
相互フォロワー登録している「気ままぶらぶら」たなのぶ様のパソコン画。
ご本人のご了解を得て拝借している。


 


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