「中学生日記より」
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。
その49 「P・T・A(父兄会)と映画『緑はるかに』」
昭和30年(1955年)6月21日、火曜日、天気 曇、
起床 5時25分、就床 9時5分
1限目、音楽 はにゅうの宿、
2限目、(自治会)
1、P・T・A(父兄会)なので 1限だけ、
2、櫂男が遊びに来た、
3、(隣り町の)劇場(映画館)で映画を見た、
(1)緑はるかに
(2)??
(3)ニュース、三種類くらい
(4)予告編、ゴジラのぎゃくしゅう(逆襲)、風雲講道館、など
帰家(宅) 10時半
M男の通っていた小中学校では、P・T・A(父兄会)が、年に1回か2回有ったような気がするが、その日が、P・T・A。1限だけで、下校。「音楽」の時間は、「埴生の宿」を習ったようだ。
小学生の内は、母親等も、結構授業参観したりしていたような気がするが、中学生になってからは、授業参観する父兄等、ほとんどいなかったように思う。農作業の合間に、たいてい、生徒が下校する時刻に、三々五々集まり出し、担当教師と面談をしていたのだと思う。
10時半には、帰宅。珍しく、同級生が遊びに来たようだ。
その同級生に誘われたのかどうか不明だが、隣り町の映画館に、映画を見に行ったと書いてある。当時、M男が通っていた中学校では、学校で推薦する映画に限っては、子供だけで映画館に見に行って良しとされており、この日、見に行ったのだろうか。
映画「緑はるかに」
M男の家では、当時、読売新聞を購読していて、子供向けの絵物語「緑はるかに」が連載されていたことは、おぼろげに記憶にあるが、格別の印象、関心が有った分けではなく、どんなストーリーだったか等、まるで記憶に残っていない。映画「緑はるかに」は たまたまその物語が映画化されたものだったということになる。
今更になってネットで調べてみると、「緑はるかに」は、1955年(昭和30年)5月に公開された日活映画だった。とすると、封切映画だったのか。
原作 北条誠、児童向け物語「緑はるかに」を、水の江滝子が、製作プロデュース、監督 井上梅次、出演 浅丘ルリ子、フランキー堺、高田稔、内海突破、市村俊幸、有島一郎、岡田真澄、北原三枝等の映画だった。この映画の主役、ルリ子役には、3,000人のオーディションから、当時15歳だった浅丘ルリ子が選ばれ、浅丘ルリ子の映画デビュー作となったということも、ずいぶん後年になってから知ったことだった。そんな情報等を知る由も無かったはずのM男だが、はからずも、まだ無名だった浅丘ルリ子を、いち早く見たことになる。
予告編に、「ゴジラの逆襲」、「風雪講道館」等と書いてある。
そんな時代だったかと、つくづく思う。
(ネットから拝借画像)
それにしても、起床 5時25分、早!、就床 9時5分 早!
テレビも無かった時代、北陸の山村の中学生は そんな暮らしをしていたのだった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます