たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「中学生日記より」その57(再)

2022年02月05日 15時42分40秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

「中学生日記より」

「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。


その57 「 学校植林と修学旅行の準備?」

昭和32年(1957年)4月30日(火)、

学校林植林
1、9時集合
中三男、大から10人(自分も入る)は、
樋口先生の部下で(班で)、補植など(等)をしたりして、
皆と離れて作業した。
手にマメがおえた(出来た)

旅行必要品、ボストンバッグ、トリパン(トレパン)、パンツ、くつ下、シャツ、歯磨き粉・歯ぶらし、さいふ、

M男の通っていた北陸の山村の1学年1クラスの小さな中学校では、当時、戦後禿山と化していた村営林に、毎年、カラマツ(唐松)を植林していたが、この日が、その植林日だったようだ。生徒は、登校せず、9時に、直接、植林する山に集合したようだ。植林には、生徒だけでなく、PTA、村の職員等も参加していたような気がするが、何班かに別れて作業に当たったのだろう。この日、M男は、教頭で国語担任の樋口教師の班に入り、植林した後の補植作業をしたようだ。手にマメが出来たと書いて有り、カッサビ?、クワ?、カマ?、スコップ?等で かなり一生懸命、働いたのかも知れない。
修学旅行が近づいていたのだろう。旅行に必要なものを確認したようだ。
ボストンバッグ・・とは懐かしい響きだ。


「学校植林」?

終戦後、全国で禿山化した山がどれだけ有ったのかは知らないが、そうした山にスギ(杉)やカラマツ(唐松)等の苗を植林する運動が繰り広げられていた時代だったのではないかと思われる。記憶定かではないが 当時「学校植林コンクール」等という催しが有ったように思う。M男の通っていた中学校は、これに参加し、県単位だったのか、全国規模だったのか記憶無いが、その実績に対して表彰され、校長が、朝礼で、「こんな小さな学校でも、表彰された」等と、誇らしげに報告していた記憶は有る。禿山を抱えていた村と、学校植林に積極的な校長が意気投合して行われていたのかも知れないが、「学校植林」も教育の一環として考えられていた節もある。M男達が植林したのは、カラマツ(唐松)で、後年、見事な唐松林になっていたことを知っているが、時代が変わり、利用価値が無いまま伐採され、その山全体が開発され、現在は運動公園になっている。


「学校植林コンクール」?

ネットで調べてみると、現在の公益社団法人国土緑化推進機構の前身である「森林愛護連盟」と「国土緑化推進委員会」が中心となって 1950年度から実施された活動の一環、「全日本学校植林コンクール」だったようだ。


植林したカラマツ(唐松)が 成長する前の山は 
冬期、子供達の絶好の遊び場(スキー場)だった。
滑り降りては、エッチラオッチラ、登り、また滑る。
飽きずに遊んだものだ。

当時は、スキー板に取り付けた金具とフィットと呼んでいた留め具で
長靴に掛けて滑る類だったが、
転んだりして スキー板が外れると最悪、
スキー板を拾いに行くのが一苦労だった。

(家にカメラ等無かった時代、誰かに撮って貰った貴重な写真)

 

 


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