(2010年8月29日 富士山南山麓)
9年前に初めてブログなるものを始めた直後は 見様見真似、恐る恐るの投稿だったような気がする。まだ仕事中心の暮らしだったこともあり、時間的、精神的余裕も無く、投稿はままならず、数多のブログを拝見拝読する暇も無かった。
「gooブログ」に引っ越してきて、さらに数年が経ってからのこと、次第に見ず知らずの方々から 多くの情報や知識を得られるという、それまでの暮らしでは考えられなかったことが起こり始めた。それまでは 読書の習慣すら皆無だった爺さんが これほど多くの他人様の文章を、日々読むことになろうとは 信じられないことでもあった。SNS時代に乗り遅れている爺さんにとっては ブログの記事であれ、メールであれ、コメントであれ かっての「手紙」と同じ感覚であり、常に「拝見、拝読させていただく」という感覚になってしまっているのだ。さらに ブログ投稿するために 日々、やたら写真を撮ったり、ネタを探すようになる等、ブログを続けてきたことで 9年前までには想像もしていなかった暮らし方になってきたような気もしている。
数多のブログを拝見拝読するようになって以来、ブログに対する考え方、思い、目的、意図、期待、使い方、内容、スタイル、等々は 多種多様、人の顔が違う如く千差万別であることが分かったが、それぞれに個性が有り、何ひとつ同じでは無く、だからこそ面白い、それが良い、それで良いと思うようになっている。
生き方、暮らし方、政治等 幅広い分野について 考え方や意見等を発信するブログであったり、
山岳写真、風景写真、花や鳥の写真等、自慢の作品を発表、展示するブログであったり、
詩、俳句、随筆、小説、等々、文芸的創作作品を披露するブログであったり、
音楽に造詣が深いブログであったり、
家庭菜園やガーデニングの記録中心のブログであったり、
旅行や登山の思い出を綴るブログであったり、
それぞれの地元の詳細情報を発信するブログであったり、
日々の何気ない暮らしを綴るブログであったり、
その他、諸々、
型式(フォーム)に囚われずに 自由自在に編集出来るブログだからこそ実現出来ることではないかと思ったりしている。
では「たけじいの気まぐれブログは どうなんだ?」と 問われると
記憶力減退老脳に代わる「記憶補助ツール」として、自分が活用しているブログ?
誰かに向けて発信することを第一義としている分けではないブログ?
過去、現在の自分のあしあとを記すツールとしているブログ?
等と 答えてしまうかも知れない。
であれば ブログでなくても 単なる日記、日誌、備忘録、回顧録のようなもので十分ではないかとなる。
でも、それらは、経験上、面白みもなく、刺激も無く、いい加減になり、三日坊主で終わってしまうこと明白である。
勝手に思い込んでいる ブログの利点、効用は、
(1)投稿した瞬間、不特定多数の目に触れるブログとなると、誤字脱字にも細心の注意を払わなくてはならないし、内容等も最低限検証しなければならず、緊張感、責任感をが伴う。ネタを探し、作文し、編集し、投稿する・・そんなことを日々繰り返すことは 錆びついた老脳を多少でも働かすことになるはずで、「ボケ防止の一助になるのではないか」と勝手に思い込んだこと。
(2)人は老境に入ると そろそろ自分の人生どうだったのだろうか、何かの形にまとめてみたい等と漠然と考えるものだが、自分史等というものを書ける才も無しである。ブログだったら、子供の頃や若い頃の断片的な記憶を ふっと思い出した時、その都度書き込んで行ける。順不同にはなってしまうが 「塵も積もれば山となる」で、ある程度、ぼんやりと自分史的なものになるかも知れない等と 勝手に思い込んだこと。
(3)気が付いたこと、思い出したことも すぐまた忘れてしまう爺さん、メモの如く、日記の如く、備忘録の如く、その都度 ブログに書き留めておけば 後日になって、後年になって 「あれ、いつだっけ?」、「あれ 何だっけ?」の際、「ブログ内検索」で 関連記事を引っ張りだし 確認したり、参照することが出来ることで 記憶力減退老脳に代わる「記憶補助ツール」として最適と思い込んだこと。実際 大いに役立っている。
(4)もしも かってのような紙ベースの日記、日誌の類であれば たちまち膨大な量になり、始末に負えなくなり、挙句後日になり、後年になり 確認したり、参照したりすることも難しく、結局は大量のゴミと化すだけで 遺された家族にも迷惑がかかってしまうが、ブログであれば ほぼ無限に保管出来、しかも、「ブログ内検索」で 確認、参照するなど活用も可能、しかも 不要になった時は 契約を解約すれば すべて消えて無くなる運命。遺された家族にも迷惑も掛からない。いまは それでいいのではないかと思い込んだこと。
いまのところまだ、自分の引き出し(ブログ カテゴリー)に 日々、書き留めた記事を 放り込んでいるが ほとんどが自分のためのものであり、時々は 「ブログ内検索」で 助かったりするし、不要無用な記事に気が付いたら場合は 削除したり、間違っていることに気が付いた場合は、訂正、修正、追記をしてしまったりもしている。
やっぱり 「不常識な?ブログ」・・・なのかも知れない。
そんなブログであるが、老い先短い爺さん、
「ブログも 書き込めなくなったら 本当のおしまいだな・・・」
そんなことをつぶやきながら・・・・・。
(おわり)
(2018年12月15日 パノラマ台)