「中学生日記より」
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。
その56 「 「明星」、「平凡」をこっそり見たり 」
昭和30年(1955年)10月9日(日)、天気 雨、
起床 6時30分
1、今日は、雨なのでさんざ遊んだ。
正君の家へ行って、「明星」、「平凡」など、みせて(見せて)もらった。
2、昼から(午後)、すこし(少し)、トマト畑の整理となす(茄子)畑の整理となたね(菜種)の植えかえ。
1、すっかり忘れていた言葉「さんざ」が出てきた。「さんざ」、「さーんざ」とは、「長時間」「沢山」「だいぶ」等という意味合いで、聞いたり、話したりしていたような気がする。日曜日なので、晴れていれば、農作業の手伝いをさせられるところ、「遊んできていいよ」と言われて、近所の正君の家に遊びにいったようだ。
「正君の家」とは、従兄弟で同級生で近所の正君の家(M男の父親の生家、本家)で、当時、藁葺きの大きな百姓屋だったが、その頃はまだ、M男の父親の7人兄弟姉妹の末弟が独身で同居しており、M男にとっても、正君にとっても叔父にあたるわけで、まだ20代?の若者だったが、「オジチャン」と呼んでいた。そのオジチャンが、当時、月刊雑誌「明星」、「平凡」等を買っていて、オジチャンが寝起きしていた奥座敷の横の小部屋には、いつも転がっていた。「明星」「平凡」は、大人向けの雑誌で有り、子供がそんな雑誌を見たりすると、「不良」等と見られたりした時代、多分、「子供が見る本じゃない」と、再三、叱られたと思うが、当時の女優等、スターのカラー写真が満載、やたら華やかな雑誌に、中学生ともなれば興味津津、オジチャンが留守の時間帯等に、従兄弟が引っ張り出してきては、二人でこっそり見ていたような気がする。因みに、そのオジチャン、鉛筆で描く女優のデッサン画が得意だったようで、いろいろ見せてもらった分けではないが、壁に貼って有った、初々しい「若尾文子」を描いた1枚が、まるで写真のように見事だったことが思い浮かんできた。
(ネットから拝借画像)
2、午後は、雨が弱まったのか止んだのか、多分、収穫を終えたトマトの畑、ナスの畑の片付け作業、なたね(菜種)の植えかえの手伝いとなったようだ。大人用のゴム合羽を着て、ゴム長靴を履いて、泥んこになったんだろうと思う。
「菜種の植え替え」・・、そう言えば、当時、周辺の農家のほとんどが、田んぼ、畑の一角に菜種を栽培していて、採取した種から絞って出来た油を、天ぷら油として使うのが、当たり前だったような気がする。M男達にとっては、その頃はまだ、童謡の世界、抒情的な黄色い「菜の花畑」の風景等、イメージに無かったような気がする。
コメントいただき有難うございます。
その頃春日八郎のおとみさんが流行っていて歌っていて先生に怒られた事思い出すました。
こうして蘇る事楽しいですね。