たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

古い写真から蘇る思い出の山旅・その8

2022年02月23日 17時36分32秒 | 山歩記

今から10年前、2012年2月18日、
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に書き込んでいた記事を、
コピペ、リメイク(再編集)


その8 「筑波梅林と筑波山」

かれこれ20年前、2002年2月13日のこと、まだまだ自営業をしていた頃で、時間的、精神的、経済的に余裕が無く、夫婦で旅行等はおろか、草花や鳥等に興味関心を持つこと等も出来なかった頃だったが、思い立って、旅行会社の格安日帰りツアーに申し込み、「筑波山」を訪れたことが有った。それまで、一度は訪れてみたいと思いながらもなかなか実現しなかった筑波山だったが、今になってみれば、あの時、思い切って行っててよかったと思うばかりである。

集合・出発場所が、東京丸の内鍛冶橋だったため、自宅を出発したのは、朝まだ明けぬ5時30分頃、2月中旬の早朝とて、寒さ厳しかったはずだが、そんな時間帯、バス、電車で出掛ける等、あの頃だったから出来たんだと思う。集合・出発時間は、7時30分、筑波山山麓に到着したのは、9時30分頃だったようだ。

筑波山山麓に到着後、約30分、先ずは「筑波梅林」を散策、
10時頃、青木屋ホテル前に再集合・出発したようだ。

筑波梅林

歩行コース
青木屋ホテル前→筑波山神社→筑波石→男女川水源→御幸が原→男体山山頂→御幸ケ原→女体山山頂→大仏岩→出船入船→母の胎内潜り→弁慶の七戻り岩→弁慶茶屋→白蛇神社→青木屋ホテル前

青木屋ホテル前を出発後、直ぐ、筑波山神社に参拝、
筑波山登山口から、ケーブルカー軌道に沿った登山道を登った。

男体山山頂(標高 871m)、 

御幸が原から女体山に向かう尾根上は、ところどころ凍結しており、要注意だった。
参加者の何人かが、冬装備しておらず、引き返したような気がする。

女体山山頂(標高 876m)、
関東平野一望、

弁慶の七戻り岩

15時頃、青木屋ホテル前に帰還し、帰路に付いたようだ。
自宅に帰り着いたのは、21時頃、長い1日だった。

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ラッセル車の記憶(再)

2022年02月23日 12時06分21秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

2月中旬にもなって、北海道や東北の日本海側、北陸等で、記録的大雪に見舞われており、大変なご苦労をされておられる様子が伝わってきているが、天気予報によると、明日以降、厳しい寒さは緩み、一転して、春の暖かさになるようで、ホッと胸をなでおろしているところだ。昭和20年代から30年代、雪深い北陸の山村で、幼少期を過ごした爺さん、毎年、冬になると、どうしても雪の情報に、まず目が行ってしまうのである。
ふっと、「ラッセル車」のことを思い出してしまった。「ブログ内検索」してみると、数年前にも、ブログに書き込んでいたことが分かり、コピペ、リメイク(再編集)してみた。

M男が、小学生、中学生の頃、村落の中心部に有った小さな学校のすぐ近くを、旧国鉄の路線が通っていたが、大雪になる度、「ラッセル車」が出動していた。
当時は、まだ、蒸気機関車の時代、記憶曖昧だが、「ラッセル車」も蒸気機関車が押していたような気がする。それでも、勢い良く雪を飛ばしながら、疾走する「ラッセル車」は、子供達にはカッコ良く、校舎の窓から顔を出して、一斉に歓声を上げていたものだった。
現在は、もっと性能が良くなっているはずの「ラッセル車」が、北海道、東北、北陸、山陰等で活躍しているのだろうと思うが、もう、60年以上も、「ラッセル車」が雪を蹴散らして疾走する雄姿を目にしておらず、懐かしくもある。YouTubeで、「ラッセル車」の動画を見つけ、共有させてもらった。

豪快に排雪する宗谷本線ラッセル【DE5】

 

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マイヅルソウ(舞鶴草)

2022年02月23日 09時41分25秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

草花にも疎い爺さん、ブログを始めた頃までは、我が家の庭に咲く花であろうが、道端、空き地、畑、川原等で蔓延っている野草であろうが、公園や植物園等で鑑賞出来る草木であろうが、山歩き中に撮った高山植物であろうが、見掛けても、花名も知らず、分からず、覚えられずで、ほとんど珍紛漢紛だった気がする。数多のブログを拝見するようになってから、その無知ぶりを痛感、初めて、花名等を知ろうという気になったものだったが、教えてもらっても、ネットや図鑑で自分で調べても そのそばから忘れてしまう老脳、出来る限り、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に書き込むことで、少しづつだが、分かる草花が増えてきたように実感している。草花に詳しい人からは、「なーんだ、そんな花も知らなかったの?」と笑われそうだが、爺さんにとっては、新情報、新知識、「爺さんの備忘録的花図鑑」は、後日、また忘れてしまった時等に、確認したりするのに役に立つ存在になっている。

これまで撮ってきた写真が、外付けHDに大量に溜まってきており、時々、その気になって、不要無用写真を大胆に削除しながら、散歩、旅行、山行・・・等のファイルに仕訳分類整理を進めているところだが、懐かしい写真を見掛けると手が止まってしまい、そんな古い写真を引っ張り出して、ブログネタにしているという次第である。

「マイヅルソウ」を、一番最初に見掛け、その風情が印象的で、花名を覚えたのはいつ頃、どこでだったろうか。かなり以前だったような気がする。その後も、何度か、あちこちで、「アッ!。マイヅルソウだ!」と、見掛けたような気がするが、写真がほとんど残っていない。多分、あの超小さい花を、バカチョンカメラで、しかも、接写撮影の知識も無く、漫然と撮り、おおかたがピンぼけで、プリントもしていなかったのではないかと思う。外付けHDに残っていた数枚の「マイヅルソウ」の写真を引っ張り出して、今更になってネットで調べてみた。

23年前、1999年5月18日に、妻と二人で訪れた山梨県の鬼ヶ岳で見掛けた
「マイヅルソウ」、開花前、蕾の状態、
まだ、バカチョンカメラ(小型フィルムカメラ)しか持っておらず、
プリントして有った写真をスキャナーで取り込んだもの

14年前、2008年7月20日に、妻と二人で訪れた小遠見山、遠見尾根で見掛けた
「マイヅルソウ」

9年前、2013年6月16日、妻と二人で訪れた安達太良山で見掛けた
「マイヅルソウ」


マイヅルソウ(舞鶴草)

キジカクシ科(クサスギカズラ科)、マイヅルソウ属、多年草、山野草、
   和名「舞鶴草」は、大きな葉と小さな白い花の姿が、
   鶴が羽を広げて舞う姿に見立てられたことに由来している、    
原産地・分布 日本、環太平洋北部    
       亜高山帯の針葉樹林内等で見られる、群落を作ることが多い       
草丈 5Cm~25Cm
   葉は、2枚互生、長さ3Cm~7Cmm、基部が葉鞘になって
   茎を包み込むような形状、
花色 白色
   茎先に出る総状花序に白い小さな花を20個程付ける、
   花後、直径5mm程の丸い液果が出来、赤く熟す、
開花時期 5月頃~7月頃
花言葉 「清純な少女の面影」


マイヅルソウ(舞鶴草)の実
(ネットから拝借画像)

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藤沢周平著 「白き瓶・小説 長塚節」

2022年02月22日 17時04分22秒 | 読書記

図書館から借りていた、藤沢周平著 「白き瓶・小説 長塚節」(文藝春秋)を、やっとやっと読み終えた。藤沢周平氏の作品と言えば、武家物、市井物、芸道物が中心だが、本作品は、明治時代から大正時代初期に掛けて、旅と短歌創作に生涯を捧げ、妻子を持つこともなく、37歳の若さで逝った、歌人、小説家の長塚節を描いた作品である。厖大な文献、資料を綿密に検証、丹念にしかも怖るべき執拗な態度で、長塚節について知りたいことを全てを取り込み、詳密を極めた作品で、昭和61年(1986年)の第20回吉川英治文学賞を受賞している。書簡その他で見られるささいなエピソード等も抜かり無く網羅し、長塚節の生活像を鮮明なものにしているが、その正しさ、細かさが余って、小説としての面白さには、問題が有る位に感じてしまう作品で、しかも超長編、なかなか読破するのがしんどい作品だった。
巻末の「解説」で、清水房雄氏が、「小説は、何よりも面白さが第一とされるが、面白さにもいろいろ有り、この「白き瓶」は、「骨の折れる面白さ」である」と記述しており、まさしくその通りだと思った。

長塚節(ながつかたかし)

明治12年(1879年)4月3日に、父源次郎、母たかの長男として、
茨城県岡田郡国生村(現常総市国生)で生まれた、歌人、小説家。

(常総市ホームページから拝借)

参考 → 「長塚節について」(常総市ホームページ)

「白き瓶(しろきかめ)・小説 長塚節」

目次

「根岸庵」、「初秋の歌」、「亀裂」「暗い輝き」「婚約」「女人幻影」「ほろびの光」「歌人の死」

主な登場人物

長塚節(主人公)、長塚源次郎(節の父)、長塚たか(節の母)、順次郎(節の次弟)、整四郎(節の三弟)、嘉七(農夫)、おしづ(嘉七の娘)、正岡子規、伊藤左千夫、森田義郎、斎藤茂吉、島木赤彦、岡麓、蕨真、古泉千樫、高浜虚子、夏目漱石、田山花袋、島村抱月、相馬御風、徳田秋声、幸徳秋水、平福百穂、松山貫道、黒田昌恵、黒田てる子、久保猪之吉博士、久保夫人、等々、

  白埴の瓶こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり

大正4年3月1日発行の「アララギ」3月号で、「大正4年2月8日午前10時、長塚節氏逝く。謹みて哀悼の意を表す。アララギ同人」の弔事が掲載された。編集発行責任者の島木赤彦は、「長塚さんは逝かれました。37歳の短生涯に妻子も無くして逝かれました。人間の世の中に清痩鶴の如く住んで、孤り長く逝かれました」と記述、慟哭を捧げたが、彼は、節との長い交際による想いの他に、悲恋に終わった節と黒田てる子のことが去来したからに違いないと作者は、記述している。「白き瓶・小説 長塚節」は、「この歌人は、みずから好んでうたった白埴(しらはに)の瓶(かめ)に似ていたかも知れないのである」で終わっている。

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2月22日、今日は、何の日?

2022年02月22日 10時37分42秒 | 暮らしの記録

数多のブログを拝見していて気がついたが、今日、2月22日は、「猫の日」なのだそうだ。「2」が、3個並ぶことで、「ニャン(2)、ニャン(2)、ニャン(2)」の語呂合わせ、全国の愛猫家からの公募で、1987年(昭和62年)に、「猫の日制定委員会」が制定、ペットフード工業会が主催しているという。
更に、今年 2022年2月22日は、「2」が、6個並ぶことで、「スーパー猫の日」等と呼ばれるそうで、「へー!、そうなの」である。

10年前、2012年6月28日に、19歳で永眠した
三毛猫「ノンノン」が、思い出される。

ネットで調べてみると、「猫の日」以外にも、様々な記念日が有る。

◯世界友情の日
 ボーイスカウト、ガールスカウトの創始者ベーゲン・パウエル卿夫妻の
 誕生日に因んで、ボーイスカウト世界会議が、1963年(昭和38年)に
 制定した記念日。
◯行政書士の日
 1951年(昭和26年)2月22日に、行政書士法が施行されたことを
 記念し、日本行政書士連合会が制定した記念日。
◯ヘッドフォンの日
 ヘッドフォンが左右2チャンネルの出力を持っていることに因んで、
 ヘッドフォン情報サイト「ヘッドフォンナビ」が制定した記念日。
◯食器洗い乾燥機の日
 食器洗い乾燥機によって食後にゆとりが出来、夫婦だんらんの時間が出来ると
 いうことから、「ふう(2)ふ(2)にっ(2)こり」の語呂合わせで、
 社団法人日本電機工業会が制定した記念日。
◯竹島の日
 1905年(明治38年)2月22日に、日本政府が日本海海上の島、竹島を
 島根県の所管とすることを公示したを踏まえ、2005年(平成17年)に
 島根県議会が、条例で制定した記念日。
◯その他にも、「おでんの日」「太子会」「風生忌」「駅すぱあとの日」
 「忍者の日」等々、

冬季間、室内に運び込んであるクンシラン(君子蘭)、
ゆっくりゆっくり開花している、

コダカラソウ(子宝草)
子沢山、そんなに増やしてどうするの


爺さんの備忘録的花図鑑「コダカラソウ(子宝草)」
👇
こちら


 

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タカネビランジ

2022年02月21日 21時15分15秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

草花にも疎い爺さん、ブログを始めた頃までは、我が家の庭に咲く花であろうが、道端、空き地、畑、川原等で蔓延っている野草であろうが、公園や植物園等で鑑賞出来る草木であろうが、山歩き中に撮った高山植物であろうが、見掛けても、花名も知らず、分からず、覚えられずで、ほとんど珍紛漢紛だった気がする。数多のブログを拝見するようになってから、その無知ぶりを痛感、初めて、花名等を知ろうという気になったものだったが、教えてもらっても、ネットや図鑑で自分で調べても そのそばから忘れてしまう老脳、出来る限り、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に書き込むことで、少しづつだが、分かる草花が増えてきたように実感している。草花に詳しい人からは、「なーんだ、そんな花も知らなかったの?」と笑われそうだが、爺さんにとっては、新情報、新知識、「爺さんの備忘録的花図鑑」は、後日、また忘れてしまった時等に、確認したりするのに役に立つ存在になっている。

これまで撮ってきた写真が、外付けHDに大量に溜まってきており、時々、その気になって、不要無用写真を大胆に削除しながら、散歩、旅行、山行・・・等のファイルに仕訳分類整理を進めているところだが、懐かしい写真を見掛けると手が止まってしまい、そんな古い写真を引っ張り出して、ブログネタにしているという次第である。

今から26年前、1996年8月2日に、妻と次男と三人で、南アルプス「鳳凰三山(薬師岳・観音岳・地蔵岳)」を歩いたことが有ったが、その時、初めて出会い、撮っていた高山植物に「タカネビランジ」が有る。なんとも変わった花名で記憶に残ったものだが、デジカメを持ったのは20年位前のことで、やはり、バカチョンカメラ(小型フォルムカメラ)で撮った紙焼き写真をスキャナーで取り込んだものが、HDに残っていた。見るに耐えられない写真ばかりだが、山歩きを卒業した今となっては貴重な写真。引っ張り出して、今更になってネットで調べてみた。

26年前、1996年8月2日に訪れた「鳳凰三山」で撮っていた
「タカネビランジ」

(ネットから拝借画像)


タカネビランジ

ナデシコ科、マンテマ属、多年草、高山植物
   「ビランジ」の意味、マンテマ属の「マンテマ」の意味も
    不明なのだそうだ、
原産地 日本、本州中部、鳳凰三山等南アルプス高山帯、
    花崗岩帯、砂礫地、岩の割れ目等に自生している、
草丈 5Cm~15Cm
花色 ピンク、赤、白、
   最盛期には、葉が見えない程こんもり、密に咲く、
開花時期 7月頃~8月頃
花言葉 無し


 

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久し振りの畑仕事、やれやれ・・、

2022年02月21日 18時29分44秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

前日に雨が降り、晴れた日が、畑仕事には絶好のコンディションなので、ずっと雨が降るのを待っていたが、昨日、ほんの少ーし、小雨程度だったが降ってくれ、今日は、快晴。
冷たい風強く、気温も10℃以下、ちょっと、ちょっと・・だったが、
明日以降は、また晴天が続くようだし・・・、
今日、やるっきゃないか・・・、
午後になって、やおら重い腰を上げ、
Go To 畑! と相成った。

(1)イチゴの畝の除草、予備株補植、追肥、土寄せ、
   まだまだ、最低気温が氷点下の日も有る当地だが、
   そんな厳しい寒さもなんのその、雑草はたくましく蔓延り、
   畑一面、雑草の原と化しており、
   イチゴも雑草に埋もれてしまって・・ウヒョー!

雑草の山

除草、予備株補植、追肥、土寄せ後のイチゴの畝
昨年と比べると、俄然、生育が悪い、
今冬、例年より気温が低い日が多いせいなのかも知れない、

お客様が・・・、
ジョウビタキ♀・・・かな?

(2)大根、ホウレンソウ 収穫

予想より時間が掛かってしまい、約3時間、
久し振りの畑仕事で、鈍っている老体は悲鳴を上げ・・、
またまた、脚、腰 痛!、痛!、
それにしても、16時半は、まだ明るい。
随分、日が伸びていることを実感。

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ふっと思い出した故郷の言葉 No.69 「はかいく」

2022年02月20日 17時20分31秒 | 懐かしい故郷の方言

昭和20年代から30年代前半、幼少期を北陸の山村で過ごした爺さん、当時 聞いたり、話したりしていた言葉(方言)も、ほとんど思い出せなくなっている。根っからの地元民ではなかった家族の中で育ったこともあり、身に染み込んでいなかったからだと思う。それでも 時々 何かのきっかけで ふっと思い出すことがある。記憶曖昧、多少ニュアンスが違っていたり、勘違いだったりの可能性も有りだが またすっかり思い出せなくなる前に 爺さんの引き出し(ブログ カテゴリー)「懐かしい故郷の方言」に 書き留め置くことにしている。

当時の近所の雪景色
子供の頃は 珍しい光景ではなかった。
除雪車両等無かった時代、雪上、かんじきで踏み固めた一本道を 
長靴でズブズブ埋まりながら 登校したものだ。


No.69 「はかいく」

「順調にいく」「捗る」「能率が上がる」という意味合いで、使われていたような気がする。

例えば

「オマンタ、テツドウテクレタソイ イネカリ ハカイッタワネ」
(あなた方が 手伝ってくれたので、稲刈りも順調に進みましたよ)

「ユキワリモ オオゼデヤリャー ハカイクノー」
(雪割り(除雪)も 大勢でやれば 捗りますね)

「シャベッテバッカリデ ハカイカンネ」
(おしゃべりばかりしていて、ちっとも捗りませんね)

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コケモモ(苔桃)

2022年02月20日 14時59分45秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

草花にも疎い爺さん、ブログを始めた頃までは、我が家の庭に咲く花であろうが、道端、空き地、畑、川原等で蔓延っている野草であろうが、公園や植物園等で鑑賞出来る草木であろうが、山歩き中に撮った高山植物であろうが、見掛けても、花名も知らず、分からず、覚えられずで、ほとんど珍紛漢紛だった気がする。数多のブログを拝見するようになってから、その無知ぶりを痛感、初めて、花名等を知ろうという気になったものだったが、教えてもらっても、ネットや図鑑で自分で調べても そのそばから忘れてしまう老脳、出来る限り、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に書き込むことで、少しづつだが、分かる草花が増えてきたように実感している。草花に詳しい人からは、「なーんだ、そんな花も知らなかったの?」と笑われそうだが、爺さんにとっては、新情報、新知識、「爺さんの備忘録的花図鑑」は、後日、また忘れてしまった時等に、確認したりするのに役に立つ存在になっている。

先日の「黒百合」と同様、「乗鞍岳」で撮っていた花に、「コケモモ」の花の写真も有った。古い写真を引っ張り出し、今更になって、ネットで調べてみた。

10年前、2012年7月28日に訪れた「乗鞍岳」で撮っていた
「コケモモ」の花

11年前、2011年8月4日に訪れた「日光白根山」で撮っていた
「コケモモ」の実、


コケモモ(苔桃)

ツツジ科、スノキ属、常緑多年生低木、
   別名 「リンゴンベリー」「カウベリー」「マウンテンクラウベリー」
      「フレップ」(アイヌ語で「赤い実」の意)
   和名「苔桃」の「苔」は、地面を這うように成長、日陰で自生する
   様子から例えられたもので、「桃」は、「木の実」を意味する方言。
原産地・分布 北半球温帯~寒帯
       寒さに強く、日本では、北海道や本州の亜高山の
       岩場や砂礫地に自生している、
樹高 10Cm~30Cm
   葉は、真ん中に葉脈が目立つ楕円形、
   硬く、光沢が有るが、葉の縁に、ギザギザ(鋸歯)は無い。
花色 ピンク色、赤色を帯びた白色
   枝先に、可愛らしい鐘状の花を数個下向きに付ける、
   花の先は、4つに裂けている
開花時期 5月頃~8月頃
     花後、秋には、直径8mm~1Cm程の赤い実が出来る
     実には酸味が有るが、食べられる。
     果実酒やジャム等にされるようだ、
花言葉 「反抗心」「冷淡」「くじけない」「不実」「不信」
    「幼い心」「小さな甘いときめき」


 

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「この胸のときめきを(You Don't Have to Say You Love Me)」(再)

2022年02月19日 21時10分24秒 | 懐かしいあの曲

2月第3土曜日、今日は、通っているスイミングクラブの2月6回目の成人クラスレッスンの日だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響、スタッフの確保困難等の事情で、急遽、2月17日~2月28日が臨時休館となってしまったため、✕点。コロナ新規感染者数が高止まりしている当地、感染者だけでなく、濃厚接触者が広がって、休みをとる従業員やスタッフが増え、企業、医療関係等々で、人手不足が深刻となり、業務に支障が出始めているとの報道が有る中、まさか、まさか、極く身近な施設で、臨時休館を余儀なくされるとは・・・。
またまた、昨年の緊急事態宣言下、休業要請による休館となった時期と同様の、辛抱、我慢の暮らしに戻ってしまった感有りだ。


夕食前の手持ち無沙汰な時間、ふっと思い浮かんだ曲、「この胸のときめきを」。
「ブログ内検索」してみると、5年前にも書き込んでいたことが分かり、
コピペ、リメイク(再編集)してみた。


今更になってネットで調べて見ると
「この胸のときめきを(You Don't Have to You Love Me)」は、1966年(昭和41年)に、イギリスの女性歌手、ダスティ・スプリングフィールド(Dusty Springfield)がリリース、彼女の代表曲になっているが、原曲は、1865年(昭和40年)のサンレモ音楽祭で発表された、作詞・作曲 ピーノ・ドナジョ、ヴィトー・パッラヴィッチーニ の「Io che non vivo senza(君なしでは生きられない僕なのさ)」だったのだそうだ。サンレモ音楽祭に参加したダスティ・スプリングフィールドは、イタリア語がさっぱり分からなかったものの、この曲に涙を流す程感動し、翌年、英語訳でリリースしたところ、イギリス、アメリカで大ヒット、日本でも、曲名「この胸のときめきを」でヒットした。世界中の数多の楽団や歌手にカヴァーされたが、日本では、岩谷時子が日本語訳し、尾崎紀世彦等が歌っていた。1970年(昭和45年)には、エルヴィス・プレスリーがカヴァーし、彼の知名度から、「この胸のときめきを」=「エルヴィス・プレスリーの曲」というイメージが付いてしまったようだ。

「この胸のときめきを」は、
古いLPレコード盤「想い出のジュークボックス
HIT POPS IN MEMORY」にも
収録されている。

「この胸のときめきを」・ダスティ・スプリングフィールド (YouTubeから共有) 

「この胸 のときめきを」・ポール・モーリア(Paul Mauriat) (YouTubeから共有)

「この胸のときめきを」・エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)(YouTubeから共有)


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