たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

朝日に映える、薄化粧?の山並み

2024年02月24日 08時23分27秒 | 暮らしの記録

朝日に映える、薄化粧?の山並み、

雪国では、さして珍しい風景でもなんでもない積雪の山並みだが、
当地では、滅多に見られず、
北陸の山村育ちにとっては、懐かしい風景、
つい、撮ってしまう。
昨日、真冬並みの寒さで、霙混じりの雨が降り続いた当地、
周辺の山には、降雪、積雪が有ったようだ。
当地、今日の日の出時刻は、6時20分頃、
ちなみに、日の入時刻は、17時32分頃、
日長時間は、約11時間12分、
早朝、なかなか布団から出られず、
起床時間は、未だに、冬型?のままの爺さん、
ここしばらく、日の出を見ることも無しだったが、
ずいぶん、夜明けが早くなり、日が長くなっていることに気付かされる。
まもなく、啓蟄、
そろそろ、爺も這い出さないと・・・。

 

 

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「どこかで春が」

2024年02月23日 18時50分47秒 | 懐かしいあの曲

今日は、全国的に、真冬並みの寒さの1日だったようだが、
当地も、霙混じりの冷たい雨が降り続いた。
先日は、初夏を思わせる異常な暑さで、今日は、真冬に逆戻り、
2月下旬、これから先もしばらくは、三寒四温が続くのかも知れない。
今冬は、おおむね、暖冬だったと言えるようで、
雪国でも、降雪量積雪量共、例年よりかなり少なかったようだが、
それが、良かったのかどうなのか、
異常気象が、次第に異常でなくなりつつある近年、
日本の四季の巡りも、かなり変化している気がする。
  異常気象出る時期迷うふきのとう
とは言っても、植物は健気に季節を知らせてくれる。
童謡、「どこかで春が」が、思い浮かんでくる季節である。

フキノトウ(蕗の薹)

今更になってネットで調べてみると
「どこかで春が」は、1923年(大正12年)に、作詞 百田宗治、作曲 草川信で、発表された日本の歌曲。
厳しい冬も峠を越えて、あちこちで春の息吹が感じられる今頃の歌でもある。

「どこかで春が」 (YouTubeから共有)


宮沢賢治著 「風の又三郎」(再)

2024年02月23日 17時27分14秒 | 読書記

2月23日、「今日は、何の日?」
未だに、瞬間的に出てこない類だが、
国民の祝日「天皇誕生日」である。
世の中は、三連休の初日。
当地、今日は、生憎の天候で、終日、霙(みぞれ)混じりの雨降りで、
真冬並みの寒さとなっている。
毎週金曜日は、定例の食料買い出しの運転手、
冬用ダウンを着込んで出掛けてきた。
午後は、もっぱらコタツムリ?、
「雨読」としたいところだったが、
図書館から借りていた本は、読み終わっており・・・。
通っている図書館は、毎年2月の中旬から下旬に掛けての2週間、蔵書の点検整理作業のため休館となるが、今年も今、その休館中で、次に借りられるのは、来週以降になるため、なんとなく手持ち無沙汰?、ふっと、書棚に並んでいる本の1冊、宮沢賢治著、「風の又三郎」(ポプラ社文庫)に目を止まった。
自分で買った記憶無く、息子達が置いていったものなのか、妻が実家から持ってきたものなのか、 定かではないが、かなり古くて、すでに、変色、腐食、綴じ部は崩れて、ページがバラバラになっている本だ。数年前に、大胆に本類を廃棄処分したことが有ったが、その際にも、子供の頃から愛着が有る、「宮沢賢治」、「風の又三郎」・・・、なんとなく残しておいたものだ。

宮沢賢治著 「風の又三郎」

本書には、表題作の「風の又三郎」の他、「雪渡り(ゆきわたり)」「とっこぺとら子」「ざしき童子(ぼっこ)のはなし」「よだかの星」「虔十公園林(けんじゅうこうえんりん)」「なめとこ山のくま」の6作品が収録されている。

◯雪渡り
 その1 子ぎつね紺三郎
  雪がすっかり凍って大理石よりかたくなり、空も冷たいなめらかな青い石の板でできている
  らしいのです。

  「かた雪かんこ、しみ雪しんこ」
  お日様がまっ白に燃えてゆりのにおいをまきちらし、また雪をぎらぎら照らしました。
  木なんかみんなザラメをかけたように霜でぴかぴかしています。
  「かた雪かんこ、しみ雪しんこ」
  四郎とかん子とは小さな雪ぐつをはいてキックキックキック、野原に出ました。
  (後略)

  ※「雪渡り」=昭和20年代、30年代、子供の頃、北陸の山村では、
   「凍み渡り(しみわたり)」と、言っていたような気がする。


 その2 きつね小学校の幻燈会
  おとらぎつねのはなしは、どなたもよくご存じでしょう。おとらぎつねにも、いろいろ
  あったのでしょうか、私の知っているのは、「とっこべ、とら子」というのです。

  (中略)
  さて、むかし、とっこべとら子は大きな川の岸に住んでいて、夜、網打ち行った人から
  魚を盗ったり・・・。

  (後略

  ※岩手の伝承民話お書き改めた作品。

◯ざしき童子のはなし
  ぼくらの方のざしき童子のはなしです。
  (中略)
  どこかで ざわっさわっと ほうきの音が聞えます。
  (後略)

  ※岩手の伝承民話お書き改めた作品。

◯よだかの星
  よだかは 実にみにくい鳥です。顔は、ところどころ、みそをつけたようにまだらで。
  くちばしは、ひらたくて、耳までさけています。

  (中略)
  そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。
  今でもまだ燃えています。


◯虔十公園林
  敬虔十はいつもなわのおびをしめて、わらって森の中の畑の間をゆっくりあるいているの
  です。

  (中略)
  そして林は、虔十のいた時のとおり雨が降っては、すきとおる冷たいしずくをみじかい草に
  ポタリポタリと落とし、お日さまが輝いては、新しいきれいな空気をさわやかに
  はきだすのでした。


  ※みんなにバカにされていた虔十、
   賢治は、この作品の最後で、「まったく誰が賢くて誰が賢くないかは分らない」と、
   博士に言わせている。


◯なめとこ山のくま
  なめとこ山のくまのことならおもしろい。なめとこ山は大きな山だ。
  (中略)
  「おお小十郎、おまえを殺すつもりはなかった」。もうおれは死んだ、と小十郎は思った。
  ほんとうにそれらの大きな黒いものは、参(からすき)の星が天のまん中にきても、
  もっと西に傾いても、じっと化石したようにうごかなかった。


  ※くまとりの名人、淵沢小十郎は、熊をうたなくては暮していけない。
   熊と対峙する小十郎、悲しい物語だ。

◯風の又三郎
  どっどど どどうど どどうど どどう
  青いくるみも吹きとばせ
  すっぱいくゎりんも吹きとばせ
  どっどど どどうど どどうど どどう
  谷川の岸に小さな学校がありました。教室はたった一つでしたが、生徒は一年から六年まで
  みんなありました。

  (中略)
  「そうだなぃな。やっぱりあいづは風の又三郎だったな」
  嘉助が高く叫びました。
  (中略)
  風はまだやまず、窓ガラスは雨つぶのために曇りながら、まだがたがた鳴りました。

  ※教室がたった一つの小さな小学校に、一人の転校生、高田三郎がやってきた。
   村の子供達が、三郎を、伝説の風の子「又三郎」だと信じていく心の揺れ動きを、
   親しみ深く描いている作品。


振り返り記事
「星めぐりの歌」
👇
こちら


 

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爺さんの備忘録的鳥図鑑その36「シロハラ(白腹)」

2024年02月22日 22時06分53秒 | 爺さんの備忘録的鳥図鑑

鳥にも疎い爺さん、子供の頃から目の当たりにしていた、スズメ、ツバメ、カラス、ハト、位は、パッとみて直ぐに分かるが、その他の野鳥については、実際に見ても、以前は、ことごとく、「君の名は?」だった。
それが、ブログをやるようになってからのこと、数多の方々の鳥の写真等を見て、次第に興味関心が湧き、散歩・ウオーキング途中等に、やたら写真を撮ってきたり、教えて貰ったり、自分で調べたりして、少しずつ分かる鳥が増えてきている。ただ、一度分かっても、そのそばから忘れてしまう老脳。ネット等から参照した情報を、記憶力減退老脳に代わる記憶補助として、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的鳥図鑑」に、書き留め置こう等と思っているところだ。鳥に詳しい方からは、「なーんだ、そんな鳥も知らなかったの?」と笑われそうだが、爺さんにとっては新知識、新情報、備忘録的鳥図鑑になる。


先日、季節外れの初夏のような陽気に誘われて、片倉城跡公園に出掛けたが、園内で、「ツグミかなあ?」等と思いながら、鳥名が分からないまま、撮ってきた写真が有る。
帰ってきてから、図鑑やネットで照らし合わせてみたが、半信半疑ながら、どうも、「シロハラ」で間違いなさそうなので、また思い出せなくなる前に、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的鳥図鑑」に書き留め置くことにする。

先日、2024年2月20日、東京都八王子市の片倉城跡公園内で撮っていた「シロハラ」、


「シロハラ(白腹)」

スズメ目、ヒタキ科(ツグミ科)、ツグミ属、
形態 体長 24cm~25cm、
   ツグミ、アカハラに似ているが、腹が白い。
   ツグミの腹には、斑模様が有る。
分布 日本、朝鮮半島、中国東北部、ロシア沿岸部等、東アジア、
   中国東北部、ロシア沿岸部等で繁殖し、日本には、越冬のため渡来する。
   4月頃になると繁殖地に帰って行く鳥で、日本では、「冬鳥」。
   日本では、鳥獣保護法により禁猟されており、捕獲すると罰せられる。
生態 食性は、昆虫、ミミズ、木の実等 雑食
   ツグミと同じように、地上に降りて捕食するが、
   ツグミが、どちらかと言うと、明るく開けた畑や空き地等に降りて
   捕食するののに対して、シロハラは、林の中等、やや薄暗く、
   枯葉が多いような地上に降りて捕食することが多い。
   枯葉の下の獲物を探して、落ち葉を1枚1枚ひっくり返す、
   木の葉返しする習性が有る。


爺さんの備忘録的鳥図鑑「ツグミ」
👇
こちら


 


振り返り見る読書の記録、「葉室麟作品」

2024年02月22日 09時39分12秒 | 読書記

つい数年前までは、まるで「読書」の習慣等は無くて、まさか、図書館通いする暮らしになるなんて、全く想像もしていなかった。数年前のある時、相互フォロワー登録しているある方から、コメントで、「藤沢周平の時代小説」をすすめられ、その気になって、生まれて初めて、最寄りの図書館に出掛けたのだったが、それがきっかけになって、少-しずつ「読書」の習慣が身に付いてきたような気がしている。これも、やっぱり、ブログをやっていたからこそ起こった「自分の大きな変化」の一つだと思っている。ただ、何分、「読書」に不慣れ、作家や作品の情報にも疎く、視力、記憶力、減退、根気力無し、気まぐれなの爺さんのこと、これまでのところは、主に、読破し易い、肩が凝らない、「時代小説」を中心に読んできた気がしている。
さらに、読んでも読んでも、そのそばから、表題名も、作者名も、内容も忘れてしまう爺さん、読んだことの有る本を、うっかりまた図書館から借りてくるような失態を繰り返さないためにも(最初の内、そんなことが数回有った)、その都度、備忘録として、ブログ・カテゴリー「読書記」に、書き留め置くことにしてきた。
ブログに書き留めてあることで、記憶が無くなっても、これまで読んできた本を、「ブログ内検索」で、確認出来たり、
振り返ることも出来るので、大いに有難いと思っている。


昨年の秋のこと、相互フォロワー登録しているある方のブログを拝見していて、作家「葉室麟(はむろりん)」の名を初めて知った。読書家の方々からは、「なーんだ、葉室麟も知らなかったの」と笑われそうだが、正直なところ、それまでは、葉室麟も、その作品も、まるで念頭には無かったのだ。それだけ、読書に興味関心を持っていなかったということになる。
いったい、どんな作風の作家なのかもわからないまま、興味本位、初めて、図書館から借りてきたのは、葉室麟著、「いのちなりけり」だった。雨宮藏人シリーズの1冊だったが、いっぺんに、葉室麟作品にに惹かれてしまい、以後、今日までの約半年間、はまってしまっている感有りだ。
通っている図書館は、毎年2月の中旬から下旬に掛けての2週間、蔵書の点検整理作業等のため休館になる。今年も今、その休館中で、次の作品を借りてくるまでは、ちょっと手持ち無沙汰?になっている。
暇つぶしに?、
これまでに読んだ葉室麟の作品、「ブログ内検索」してみた。
「塵も積もれば山となる」、「へー!、こんなに読んだっけ?」、
我ながらビックリ、
物心ついてから八十路過ぎの今日に至るまで、こんな風にのめり込んで読書するようになったのも、ここ数年のこと。人間、変われば変わるものだとつくづく思ってしまう。
この歳になり、どうやら、「読書」も生活の一部になりつつあるような気がしている。

雨宮藏人シリーズ
◯いのちなりけり    ⇨ 2023.10.02
◯花や散るらん     ⇨ 2023.10.09
◯影ぞ恋しき      ⇨ 2023.10.16

秋月藩シリーズ
◯秋月記        ⇨ 2023.10.30
◯蒼天見ゆ       ⇨ 2023.11.16

扇野藩シリーズ
◯散り椿        ⇨ 2024.01.20
◯さわらびの譜     ⇨ 2024.01.22
◯はだれ雪       ⇨ 2024.02.03
◯青嵐の坂       ⇨ 2024.02.21

◯恋しぐれ       ⇨ 2023.11.25
◯風渡る        ⇨ 2024.01.11
◯銀漢の賦       ⇨ 2024.01.15
◯乾山晩愁(短編5篇) ⇨ 2024.01.31
◯おもかげ橋      ⇨ 2024.02.08
◯千鳥舞う       ⇨ 2024.02.13
◯川あかり       ⇨ 2024.02.16

まだまだ、序の口、
葉室麟作品リストにズラリと並んでいる作品。
これからも、順不同、気まぐれに、ボチボチと読んでいきたいものだと
思っているところだ。


葉室 麟(はむろ りん)
福岡県北九州市小倉出身。
誕生 1951年(昭和26年)1月25日 
死没 2017年(平成29年)12月23日
享年66歳
略 歴
西南学院大学文学部外国語学科卒業。
地方紙記者やラジオニュースデスクなどをつとめた。

   2005年(平成17年)「乾山晩愁」で、第29回歴史文学賞を受賞。      
   2007年(平成19年)「銀漢の賦」で、第14回松本清張賞を受賞。      
   2012年(平成24年)「蜩ノ記」で、第146回直木賞を受賞。        
   2016年(平成28年)「鬼神の如く・黒田叛臣伝」で、第20回司馬遼太郎賞受賞


 


葉室麟著 「青嵐の坂」

2024年02月21日 15時56分24秒 | 読書記

図書館から借りていた、葉室麟著「青嵐の坂」(角川文庫)を読み終えた。本書は、著者創作の架空の小藩「扇野藩(おうぎのはん)」を題材にして描かれた長編時代小説「扇野藩シリーズ」の第4作目(最終巻)になっている。
第1作目「散り椿」、第2作目「さわらびの譜」、第3作目「はだれ雪」を読んだ後に読んだものだが、同じ扇野藩を舞台にした作品とは言っても、それぞれ、時代が異なり、登場人物も重なってはいないので、どの作品から読んでも差し支えないことが分かった。


読んでも読んでも、そのそばから忘れてしまう老脳。
読んだことの有る本を、うっかりまた借りてくるような失態を繰り返さないためにも、
その都度、備忘録として、ブログ・カテゴリー「読書記」に、書き留め置くことにしている。


■目次
 (一)~(三十)
 解説 大矢博子

■主な登場人物
 檜主馬(ひのきしゅめ、矢吹主馬(やぶきしゅめ))、那美、
 佐助、お鹿婆さん、
 檜弥八郎、檜慶之助、
 千賀谷右京大夫定家(ちがやうきょうのだいぶさだいえ)、千賀谷左近将監仲家
 千賀谷右京大夫正友、
 丹生松右衛門、渡辺主膳、
 叶屋善右衛門、松屋左衛門、白坂屋久藏、
 升屋喜右衛門、力(りき)

■あらすじ等
城下の大半を焼き尽くした大火「お狐火事」、追い打ちを掛けた大凶作、さらには幕府から命じられた隣国の弥生川護岸工事の出費等々で、財政破綻寸前に追い込まれていた扇野藩。
時の藩主千賀谷定家は、郡代の檜弥八郎を中老に抜擢し、藩政改革を行わせ、困難を脱しようとしたが、厳しい年貢の取り立てで、農民からは「黒縄地獄」と呼ばれ、弥八郎は、反発する旧態の執政達の罠にはまり、有らぬ賄賂の疑いを掛けられ、切腹に追い込まれた。弥八郎は、淡々とこれを受け、自分の後を継ぐのは「あの者であろうか」と言い残した。
あの者とは?、
弥八郎の娘の那美は、親戚筋の矢吹主馬の預かりとなり、嫡男の慶之助は、江戸で、世子千賀谷仲家に気に入られていた。
数年後、世子仲家が家督を継ぎ、側近の慶之助を連れて扇野藩に戻り、藩政改革へ取り組むことになったが、旧態の執政達の策謀、藩札発行を巡る商人達との策略攻防、慶之助の出生の秘密、慶之助と主馬の信念と覚悟。
那美と祝言を上げ、檜家を継ぐことになった主馬は、お救方頭取を拝命、苦難の道へ歩み出す。
「他人のままでいるしか無い」
「武家は利では動かぬ。義で動くものだ」
「政を行うということは、いつでも腹を切る覚悟ができているということだ。そうでなければ何もできぬ」
葉室麟作品には、必ずといっていい程登場する、多くを語らず、正義を貫く、清廉な武士、
悪に屈っせず、信念を貫いた武士を描いた作品である。
  那美はふと気が付いたように
  「堀川国広の脇差はいまどこにあるのでございましょうか」と訊いた。
  主馬は澄んだ目で那美を見つめた。
  「いまはわたしが差している。義兄上の覚悟を生涯、忘れぬためにな」、
  ・・・・・、

  立ち尽くす那美と主馬の背中を押すように清々しい風が包んだ。
で、終わっている。
表題「青嵐の坂」は、主馬が、改革に乗り出す覚悟を決めた時発した言葉、「嵐の吹き荒ぶ坂を上っていくようなもの」から、「嵐の坂」をとり、青葉の頃に吹く強い風のことから、「青」の文字を加えたもののようだ。
ただの嵐ではなく、嵐に耐えた後でまっすぐに雄々しく育っていくもの、未来への希望を込めて、表題にしたのではないかと思われる。

 


スプリング・エフェメラル(春の妖精)

2024年02月20日 18時28分59秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日も、未明まで、小雨が降っていたようだが、
朝方には止み、やや雲が多かったものの、おおむね、「晴」。
気温もぐんぐん上がり、最高気温は、24℃前後だったようで、
体感的には、初夏のような陽気となった。
こんな好天に、家籠もりでは、もったいない?
午後になって、車で片倉城跡公園へ出掛け、
園内を、1時間程、歩いてきた。
お目当ては、スプリング・エフェメラル(春の妖精)たち。
長袖シャツの腕をまくり、中には、半袖シャツ姿もチラホラ、
スマホの歩数計で、約5,000歩。

セツブンソウ

 

フクジュソウ

 

ユキワリソウ、(ミスミソウ)

 

 

 

カメ、甲羅干し?

 

ゲロ、ゲーロ ♫、
賑やかなカエル合唱団

 

君の名は?
ツグミのような気もするけど、
ちょっと違うような気もして・・、


(追記)
長男、次男が子供の頃に使っていた小学館の「鳥類の図鑑」や
ネットで照らし合わせてみているところだが、
どうも、
「シロハラ」のメスのような気がしてきた。

鳥にも超疎い爺さん、もし、「シロハラ」だったら、
「初めまして!」・・・である。


 


偉人賢人先人の名言あれこれ・その1

2024年02月20日 10時13分10秒 | つぶやき・うんちく・小ネタ・暇つぶし・脳トレ

相互フォロワー登録している数多の方々のブログを拝見拝読するようになって久しいが、この歳になって、あらゆる物事に関して、無知振りを痛感している。
その都度、「へー!、そうだったのか」、
気付かされ、教えられること多しである。
現在は、ネット等で簡単に調べたり、確認出来る時代。
一つの物事から、さらに、派生的、芋蔓式に、
これまで全く知らなかったことも知ることが出来る時代。
便利で有難い世の中である。


先日来、相互フォロワー登録している、神様がくれた休日様のブログで、甲越軍記・現代語訳シリーズ記事を拝読しているが、登場している、「武田家」、「武田信玄」で、ネット検索してみたりしている内に、戦国最強の武将と言われる武田信玄が残した言葉が元の名言なのか?、あるいは、作者不詳?の名言なのか、明らかでないようだが、「正範語録」(「せいはんごろく」または「まさのりごろく」)なるものが有ることを知った。
なかなか含蓄有り?、うなづいてしまう言葉、
こういうの大好き?人間、
早速、書き留め置くことにした。

武田信玄像
(ネットから拝借画像


「正範語録」

実力の差は努力の差          
実績の差は責任感の差         
人格の差は苦労の差          
判断力の差は情報の差         

真剣だと知恵が出る          
中途半端だと愚痴が出る        
いい加減だと言い訳ばかり       

本気でするから大抵のことはできる   
本気でするから何でも面白い
本気でしているから誰かが助けてくれる


解説無用、
フム!、フム!、誰しも思い当たる節有りの言葉、
上司の訓示等にも引用されそうな名言である。

 

 

 

 

 


「美しく青きドナウ(An der schönen, blauen Donau)」

2024年02月19日 20時39分57秒 | 懐かしいあの曲

当地、今日は、最高気温18℃前後、
体感的には、ほんわか暖かかったものの、
1日中、小雨が降ったり止んだり、
ここしばらくは、寒暖を繰り返しながら、
こんな天気が続きそうだ。
午後、車で、ちょこっと野暮用で出掛けただけで、
家籠もり。
夕食前の手持ち無沙汰な時間、
久し振りに、アルフレッド・ハウゼ楽団演奏のコンチネンタルタンゴを
聴きたい気分になり、YouTubeで聴いている内、
アルフレッド・ハウゼ楽団が演奏する
ウインナー・ワルツの名曲「美しく青きドナウ」を見つけた。
ウイーン・フィル等の演奏とはまた一味違う「美しく青きドナウ」
ワルツも、いいね!

今更になってネットで調べてみると
「美しく青きドナウ(原題、ドイツ語、An der schönen, blauen Donau)」は、
元々、1867年に、ヨハン・シュトラウス二世が作曲した合唱用の
ウインナー・ワルツで、「ウイーンの森の物語」「皇帝円舞曲」と共に、
ヨハン・シュトラウス二世の「三大ワルツ」とされている。
その中でも、最も人気の高いのが「美しく青きドナウ」で、
「ウインナー・ワルツの代名詞」にもされているようだ。
オーストリアでは、帝政時代から今日に至るまで、正式なものではないが、
「第二の国歌」と呼ばれているのだそうだ。
邦題「美しく青きドナウ」は、原題「An der schönen, blauen Donau」のうちの
「An(英語のbyに相当)」を無視したもので、正確に訳すと
「美しく青きドナウのほとり」にといった題になる。

アルフレッド・ハウゼ楽団演奏の「美しく青きドナウ」(YouTubeから共有)


振り返り記事
ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏の「美しく青きドナウ」
👇
こちら


(ネットから拝借画像)
ヨハン・シュトラウス二世


「中学生日記より」その65

2024年02月19日 12時31分33秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

「中学生日記より」

「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」で、一度書き込んだことの有る「中学生日記より」、順不同、で、ボチボチと、コピペ、リメイクしているが、まだ、少し残っており、再開?。
「中学生日記」とは、北陸の山村で中学生だった頃のM男が、ほんの一時期だが、付けていた日記帳のことで、数年前に実家を解体する際に発見した、変色、腐食し、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等まで、全て押し入れの奥に詰め込んでいたようで、その中から出てきたものだ。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じがして、即廃棄処分出来ずに、持ち帰っている。ページを捲ってみると、日毎に、わずか数行のメモ、日誌のような類ではあるが、自分で書いた文字から、すっかり喪失してしまっていた当時の情景までも、断片的に炙り出されてくるから不思議である。まさか 60数年後に、第三者の目に晒される等とは、当時のM男には想像すら出来なかったはずで、下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。


その65 「週番」

昭和30年(1955年)7月4日、月曜日、曇、
起床 5時40分、就床 8時50分、

1限目 数学
2限目 職業 本立て(作り)
3限目 職業 々
4限目 社会 中国(地方)、四国地方

1、今日から1週間、週番、

帰家(宅) 13時10分、

2限目、3限目、「職業」の時間、
本立て作りをしたようだ。記憶曖昧だが、自分で作った本立て、秋の「文化祭」に展示されたりしたのだろうが、その後、子供部屋等無しで、座敷の隅に置かれた座り机の上に置き、長年使っていたような気がする。
4限目、「社会」の時間、
「地理」だったのだろうか。「地理」は、最も好きな科目であり、得意科目だった気がする。
「週番」
M男の通っていた中学校は、1学年1クラス、全校生徒も100人程度の小さな学校だったが、当時、1週間毎の輪番制で、「週番」というのが有った。
学年、男女問わず だいたい 登下校を一緒にする集落毎に班分けされた、5~6人単位だったが、その週は、M男達の班の番が回ってきたということだ。

「週番」は、通常より30分程度早く登校し、夏であれば、校舎内の窓を開けて回る作業、冬であれば、各教室に、薪や石炭1日分を配り歩いたり、ストーブに火を入れる作業等、
下校時も、ある時間まで待機し、窓を閉めて回る作業、各教室を見回る作業等、いくつかの作業をこなし、最後に 教員室の前に整列し、担当教師に、「異状無し」の報告をし、「週番日誌」を提出するというものだった。もちろん こずかいさん(用務員)が、最終点検をしていたに違いないが、子供達の自主性や責任感、協調性等を植えつける狙いがあったのかも知れない。
当然、全生徒が下校した後に下校となり、その日、家に帰ったのは、13時過ぎということなのだと思われる。
それにしても、寝る時間の早いこと、
テレビも無い時代、夜勉強することも無し?
そういう時代だったんだなあ・・とつくづく感じる。


(参照)
👇
昭和30年(1955年)の出来事


おお!、懐かしい!
千代の山、鏡里、栃錦
そう言えば、
NHKラジオ第1の
大相撲実況放送、
よく聞いていたっけ・・、、