たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

民謡をたずねて・その41

2024年07月21日 08時51分32秒 | 懐かしいあの曲

先日、不要雑物整理廃棄処分中に、記憶から完全に喪失していた小冊子2冊が出てきた。
表題は、「日本縦断お国ぶり・民謡文庫」
何時頃、入手したものやら、ページを開いてみても、まるっきり覚えが無く、巻末を見ると、
制作・発行は NHKサービスセンターで、1981、1982、(無断転記禁ず)となっている。
どうも非売品のようで、表紙には、「朝日新聞」と印刷されていることから、何かの進呈品だったのかも知れない。

               

「民謡」・・・、最近は、とんと聴く機会が無くなってしまっているが、子供の頃は、よくラジオ等から流れていて、NHKの素人のど自慢等でも、盛んに民謡が歌われていたような気がする。
子供のこととて、しっかり覚えるようなことは無かったが、なんとなく脳裏に焼き付いている民謡が、かなり有り、懐かしくもなる。
昭和20年代後半から30年代、小学生、中学生の内から、民謡が好きだった祖母と一緒になってNHKラジオ第1放送の夜8時台の放送番組、「民謡はこころのふるさと・・・・♫」のナレーションで始まる「民謡をたずねて」という番組をなんとなく聴いていたこともあって、どちらかというと、民謡に親しみを感ずる人間になっている気がする。
昔のことを懐かしがるのは、老人のもっとも老人たるところだが、ページを捲りながら、
ボチボチと ランダムに、日本全国の「民謡をたずねて」・・・、みよう等と思い込んだところだ。


民謡をたずねて・その41
「五木の子守唄」
(熊本県)

「五木の子守唄」もまた、NHKの「あなたが選ぶ民謡ベスト100」等で、常に上位にランクインするような民謡のひとつであり、子供の頃から、ラジオ等から流れてくるのを聞いていた民謡で、脳裏に焼き付いている民謡である。
今更になってネット等で調べてみると、
「五木の子守唄」は、熊本県球磨郡五木村が発祥の熊本県の代表的民謡とされているが、一般に知られているのは、戦後、お座敷歌の曲調にアレンジされ、レコード化されたもので、商業的な色合いの薄い「正調・五木の子守唄」も存在するのだそうだ。
曲名からは、子供を寝かし付ける時に、穏やかに優しく歌われる「子守唄」をイメージしてしまうが、「五木の子守唄」の場合は、かって、小作人の娘達が、7歳位から13歳位になると、故郷を離れて住み込みの「子守女」として奉公に出され、その辛い心境、悲哀を歌ったものだったようだ。
歌詞には、様々なバリエーションが有って、伝承者によって多様な歌詞が伝えられており、どの歌詞が元歌なのかも不明なのだそうだ。
「へー!、そうだったのか」
目から鱗・・・・・、である。

歌詞の例

おどま盆限り(ぼんぎり)盆限り
盆から先きゃおらんど
盆が早よ来りゃ早よもどる

   奉公も今年のお盆まで。
   だから、子守り仕事のお盆まで。

   その盆が早く来れば、早く家に帰れるんだけど

   どんな厳しい奉公先でも、盆には父母の許へ帰ることが許されていて、
   それを楽しみにして、辛い奉公に耐えていた少女の気持ちが歌われている。

おどま勧進勧進(かんじん かんじん)
あん人達ゃ良か衆(し)
良か衆(し)良か帯良か着物

おどんが打っ死んだちゅうて
誰(だい)が泣いちゃくりょか
裏の松山蝉が鳴く

おどんが打っ死んねば
道端埋けろ(いけろ)
通る人ごち花あげる

花は何の花
つんつん椿
水は天から貰いも水

「五木の子守唄」 (YouTubeから共有)


(参考・参照)
👇️
NPO法人日本子守唄協会ホーム・ページ・「五木の子守唄」


 


懐かしい映画と映画音楽・その14

2024年07月20日 15時04分10秒 | 懐かしいあの曲

昭和30年代、40年代、地方の小都市にも、邦画、洋画の映画館が1館や2館、必ず有ったものだ。テレビで映画を観られる時代ではなく、ビデオも無し、映画は 映画館に足を運んで観るものだった。薄給だった若い頃、おいそれと映画館通いすることは無理だったが、後年「不朽の名作」と評されているような映画は、結構観ていたように思う。
映画が斜陽産業の代名詞にもなり、映画館が身近な街からどんどん姿を消してしまった頃から、映画館に足を運ぶことも ほとんど無くなっているが、最近は テレビで放送される映画番組等で 時々ではあるが、懐かしい名作映画を楽しんでいる類である。これまで、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めてきた曲の中で、特に懐かしく思うような映画と映画音楽を、ピック・アップ、コピペ、リメイク、改めて、書き留め置くことにした。


懐かしい映画と映画音楽・その14
映画「真昼の決闘」と主題曲「ハイヌーン」(再)

昭和30年代~40年代頃には、数多の西部劇映画が制作され、日本でも一時期、西部劇映画ブームが有ったように思う。映画は、若者を中心にした、レジャーの中心でもあり、ご多分に漏れず、結構、西部劇映画も観ていたはずではあるが、本当に記憶に残っている作品となると、やはり指折り数える程になってしまう。そんな記憶に残る映画のひとつに、「真昼の決闘」が有る。

(ネットから拝借画像)

今更になってネット等で調べてみると、
映画「真昼の決闘(ハイ・ヌーン、High Noon)」は、1952年(昭和27年)に、フレッド・ジンネマン 監督、ゲイリー・クーパーグレース・ケリー(後のモナコ王妃)主演で、製作、公開された、アメリカの西部劇映画だった。
映画の方は、当然、公開当時に観ているはずはなかったが、主題曲「ハイ・ヌーン(High Noon (Do Not Forsake Me,Oh My Darlin)」の方は、当時、ラジオ等から盛んに流れていて、脳裏に焼き付いたものだ。
当時、アカデミー歌曲賞を受賞、アメリカ映画主題歌ベスト100にも選ばれている楽曲だった。
映画の内容は、ほとんど覚えていないが、多くの西部劇映画に登場する保安官が、悪漢に立ち向かう無敵のヒーローとして描かれることが多いが、「真昼の決闘」では、暴力を恐れる普通の人間として描かれていて、多方面に影響を与えたと言われた映画だったようだ。因みに、日本の時代小説、藤沢周平著の「孤立剣残月」は、「真昼の決闘」の時代小説版等とも言われているのだそうだ。
「へー!、そうだったのか」、
である。

映画「真昼の決闘」・主題曲「ハイ・ヌーン」 (YouTubeから共有)

 

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古い写真から蘇る思い出の山旅・その52(2)

2024年07月20日 11時10分26秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その52
「家族で初めて訪れた乗鞍岳と上高地ハイキング」(再)
(2)


山行コース・歩程等

健康保険保養所上高地山の家→河童橋→明神池→穂高神社奥宮→嘉門次小屋→明神橋→小梨平→河童橋→上高地バスターミナル
(標準歩行所要時間=約2時間15分)


正確な記録メモが残っておらず、記憶も曖昧だが、
早朝に目覚め、
快晴、爽快な山の空気に歓喜、
朝食までの時間、梓川周辺を散歩したような気がする。
2日目は、宿泊した健康保険保養所上高地山の家から、
梓川河畔の遊歩道を明神池まで周回するコースをハイキングすることにしていて、
絶好のコンディションを喜んだような気がする。
いざ、出発!、

梓川の右岸、
後方には、焼岳の姿が、

河童橋

後方に、岳沢、前穂、奥穂・・・、

明神池で、小休憩、

嘉門次小屋に立ち寄り、
なにか、土産物?(記念品?)を買ったような気がするが、
何、買ったか、記憶が無い、

 

明神橋を渡り、明神、小梨平を辿り・・・・、
梓川左岸の遊歩道を、下り・・・・、

正確な記録メモが残っておらず、記憶も曖昧になっているが、
確か、「上高地バスターミナル」には、そろそろ、観光客でごった返し始める時間帯、
9時~10時頃には、戻り着いたような気がする。
人混みを嫌って、そそくさと、バスだったか、タクシーだったかで、沢渡に戻り、
途中、数ケ所観光しながら、のんびり、ドライブし、家路に着いたような気がする。
「上高地」には、学生時代、松本市出身の友人U君に誘われて、「西穂高岳」に登ったことが有ったが、その頃は、貧乏学生、電車、バスを乗り継いで、上高地入りするしか無く、当時、上高地に夏季常設?していた、その友人U君の出身高校の登山部のテントに、頼み込んで潜り込み1泊させてもらい、翌日、西穂高岳へピストンしたものだが、初めて訪れた「上高地」に興奮した記憶が有る。
その時以来の、数十年振りの「上高地」であり、ほとんど初めて訪れるようなもので、ほんの僅かな滞在だったが、最高に感動したような気がしている。
後年になって、「中高年の山歩きブーム」到来で、前穂・奥穂に、2回、槍へ、1回登る機会が有り、登山口、下山口として、再び「上高地」を訪れることが出来、結局、トータル、4回、「上高地」を訪れたことになる。今となっては、「上高地」もまた、二度と訪れることの出来ない、遠い思い出の地になってしまった。

(おわり)

 

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自分に祝杯?

2024年07月19日 17時27分23秒 | 健康・病気

気象庁から、「梅雨明け」が発表されてから2日目の今日、
当地、「晴時々曇」だったが、最高気温は、35℃超、
猛烈に暑い日になっている。
湿度も高く、熱中症情報=「危険」、
特に高齢者は、外出を控えた方が良さそうな日であるが、
今日は、先日受けた、1年に1回の、内蔵疾患の経過観察検査の結果説明を受ける予約日であり、電車、地下鉄を乗り継ぎ、東京都心の大病院G病院へ行って帰ってきたところだ。
毎度のこと、担当医師による結果説明は、ものの15分も掛からないものだったが、
家を出てから帰着するまでの移動時間、待ち時間も合わせると所要時間は6時間余りにもなり、
1日仕事?である。
なにも、そんな時間を掛けて、東京都心まで出掛けることをせずとも、地元の病院で・・・、とも思うが、信頼性の高い国内最高最新水準の医療機関の担当医師の結果説明や言葉は、いまや、生きる支え、力、糧になっているようにも思い、代え難くなっているのだ。
「昨年に比べ、大きさが僅かに変化しているものの、場所、形は、ほぼ同じで、今のところ、緊急、危険な状態には至っていないようだ・・・。ただ、急変する可能性は、ゼロではなく、これからも、経過観察検査を継続した方が望ましい」
毎度のこと、検査結果説明を受けるまでは、最悪のケースを想像したりして、不安と緊張が入り混じりもしてしまうが、診察室に入り、担当医師から、検査画像や検査数値を見せられながら、詳しく説明を受け、「今のところ、心配無さそう・・」等と太鼓判を押された瞬間、大いに安堵、
1年間生きてきて、これから先、まだまだ生き延びられそう?(普通の暮らしが出来そう)という喜びが湧き上がり、
「有難うございます。先生、今日は帰って祝杯をあげます」等と、軽口を叩いてしまう爺さんなのである。
汗だくで帰宅、シャワーを浴びてスッキリ、
いささか疲れたが、畳に上で、「大の字」となり、気持ちは、晴れ晴れ、
夕食には、自分に祝杯?を上げたいと思っているところだ。

(ネットから拝借イラスト)


振り返り記事
「生きているということは」「生きるものの歌」
👇️
こちら





懐かしい映画と映画音楽・その13

2024年07月19日 05時45分21秒 | 懐かしいあの曲

昭和30年代、40年代、地方の小都市にも、邦画、洋画の映画館が1館や2館、必ず有ったものだ。テレビで映画を観られる時代ではなく、ビデオも無し、映画は 映画館に足を運んで観るものだった。薄給だった若い頃、おいそれと映画館通いすることは無理だったが、後年「不朽の名作」と評されているような映画は、結構観ていたように思う。
映画が斜陽産業の代名詞にもなり、映画館が身近な街からどんどん姿を消してしまった頃から、映画館に足を運ぶことも ほとんど無くなっているが、最近は テレビで放送される映画番組等で 時々ではあるが、懐かしい名作映画を楽しんでいる類である。これまで、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めてきた曲の中で、特に懐かしく思うような映画と映画音楽を、ピック・アップ、コピペ、リメイク、改めて、書き留め置くことにした。


懐かしい映画と映画音楽・その13
映画「八十日間世界一周」と主題曲「アラウンド・ザ・ワールド」(再)

昨日7月18日、気象庁から、「関東甲信越地方、東海地方も、梅雨明けしたとみられる」と、発表が有った。この先、日中、35℃前後の猛暑が続きそうで、いよいよ今年も、夏本番に突入・・・。
いろいろガタがきている老体、だましだまし、いかにしてこの夏を乗り切っていくか、それが、テーマ?の暮らしである。
今日は、先日受けた、年1回の経過観察検査の結果説明を聞きに、都心まで出掛ける日であり、いつもより少し早寝した分、早起きしてしまい、朝食までの数時間、手持ち無沙汰になっている。
ふっと思い浮かんだ曲、「アラウンド・ザ・ワールド」、
「ブログ内検索」してみたら、数年前に書き込んで有り、コピペ、リメイク、改めて書き留め置くことにした。
今更になってネットで調べてみると、
「八十日間世界一周(Around the World in 80 Days)」は、1956年(昭和31年)に製作公開された、マイケル・アンダーソン監督、デヴィット・ニーヴン、カンティンフラス、ロバート・ニュートン、シャーリー・マクレーン、フランク・シナトラ、バスター・キートン、等々、数十人の有名俳優が入れ替わり立ち代り登場、大俳優が ちょい役、端役で出演したことで知られてる、アメリカ映画だった。

(ネットから拝借画像)

映画の方は、公開当時に観た分けでも無く、後年になって、テレビの映画番組で観た位で、あまり印象に残ってないが、この映画の主題曲、ビクター・ヤング作曲、ビクター・ヤングオーケストラ演奏の「アラウンド・ザ・ワイルド(Around the World)」の方は、若い頃からテレビやラジオ等から流れていて、映画音楽としてよりも、格調高い優雅な曲として、脳裏に焼き付いている。
「八十日間世界一周」という映画の題名のイメージから、テレビやラジオの旅行番組等のテーマ曲に使われたり、コマーシャル等にも良く使われていたような気がしている。
海外旅行等、まだ庶民には夢のまた夢だった戦後の一時期、初期のテレビ番組に「兼高かおる世界の旅」が有ったが、そのテーマ曲にも使用されていたようだ。

映画「八十日間世界一周」・主題曲「アラウンド・ザ・ワールド」 (YouTubeから共有)




古い写真から蘇る思い出の山旅・その52(1)

2024年07月18日 18時35分07秒 | 山歩記

長男、次男がまだ保育園、小学生だった頃は、夫婦共働きで、時間的余裕も、精神的余裕も、経済的余裕も無い自営業を続けていた時代ではあったが、せめて子供達の思い出になれば・・・との思いが有って、春、秋の行楽シーズン等の休日には、忙中敢えて閑を作り、強引に?、家族で周辺の低山を、よく歩き回っていたものだった。その後、次男が小学生になった頃からは、「せめて毎年1回、夏休みには、家族で登山しよう」と決め込んで、尾瀬や八ヶ岳や白馬岳、乗鞍岳、木曽駒ケ岳、仙丈岳等、夏山登山をしていたが、それまで、登山の経験等ほとんど無く、体力にも自信が無く、山の知識情報にも疎かった人間が、よくもまあ思い切って出掛けたものだと、後年になってからつくづく思ったものだった。長男、次男が巣立ってからも、その延長線で、夫婦で細々、山歩きを続けてはいたが、10数年前に完全に仕事をやめてからは、時間が出来たものの、今度は気力体力が減退、あの山もこの山も、今や、遠い思い出の山となってしまっており、今となっては、あの頃、思い切って、登山を敢行していて、本当に良かったと思うようになっている。ブログを始めてからのこと、そんな山歩きの思い出を、備忘録、懐古録として、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込み、古い写真は、「デジブック」にし、ブログに貼っていたものだが、その後、「デジブック」が終了したことで、ブログから写真が消えてしまい、改めて、順次、古い写真を引っ張り出して、過去の記事をコピペ、リメイク(再編集)しようと思っているところだ。昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・・。


かれこれ38年前、1986年8月に、当時、中学1年だった長男と、小学3年だった次男を連れて、家族4人で、「乗鞍岳」「上高地」を訪ねたことが有った。もちろん、乗鞍岳も上高地も、家族で訪れるのは初めてだったが、とにかく、時間的余裕、経済的余裕、精神的余裕の無かった頃で、自宅を真夜中に出発し、高速道路を飛ばし、畳平まで上がり、乗鞍岳をピストンした後、上高地で1泊、翌日は、明神池までハイキングし、その日の内に、高速道路を飛ばし、家に戻るという、強行軍山行だった。後年になって、なんと無茶なことをしていたものよと自嘲もしたが、当時は、それが精一杯だったのだと思っている。
まだ、バカチョンカメラ(ポケット型フィルムカメラ)しか持っていなかった頃で、フィルム代、プリント代を気にしながら撮った写真は、ほんの数枚だが、プリントして、アルバムに貼って有り、以前スキャナーで取り込んだものが、外付けみHDに残っており、改めて引っ張り出し、思い出を辿ってみることにした。でした。


深田久弥著 「日本百名山」
「乗鞍岳(のりくらだけ)」
(一部転載)

どこの山もそれぞれ信者を持っていて、その信者たちはそれぞれ独自の雰囲気があるように思われる。例えば近代登山精鋭分子の道場である北アルプス、その中で穂高と乗鞍を挙げてみると、両信者の間にはどこかニュアンスの差異がある。
それを少し誇張して言うと、穂高信者は闘争的で、現実的で、ドライなのに引きかえ、乗鞍信者は平和的で、浪漫的で、ウエットである。もちろんここで言う乗鞍信者とは、信仰登山のそれではなく、まして遊覧バスで運ばれてくる大衆ではない。お金はあまり無いが暇は十分あるという学生時代に乗鞍に住んだことのある人たちを指す。全く、乗鞍は登るというより、住むと言った方が似つかわしい山である。
(中略)
位ケ原まで登って、初めて真正面に、遮るもののない乗鞍岳それ自身に接する。ここからの眺めを、私は日本で最もすぐれた山岳風景の一つに数えている。まずその姿がいい。雄大で、しかも単調ではない。ゆったりと三つの頭を並べたその左端が主峰である。その主峰の右肩の巨大な岩が、間延びを引きしめるアクセサリーになっている。「それから前景の豊かな拡がりがいい。胸を透くように伸びてコセコセしたところがない。
乗鞍は、北アルプスに入れられているが、遠くから眺めると、北アルプスの連嶺とは独立した形で、御岳と並んで立っている。そして御岳の重厚に対して、乗鞍には颯爽とした感じがある。
   うるはしみ見し乗鞍は遠くして
   目といえどながくほこらむ
これは、長塚節(ながつかたかし)の歌だが、乗鞍の姿を一ぺん見た人は、その山を忘れることが出来ないだろう。
(中略)
近代の乗鞍信者は信州の大野川から登るが、昔の登拝者は多くは飛騨側からであった。この山を詠んだ多くの詩歌の類が飛騨側にあるところを見ても、昔は乗鞍は飛騨の山であった。そして幾筋かの登山路もその側から開かれていた。
戦後、頂上まで登山バスの通じたことは一つの驚異であった。街を歩く格好で三千メートルの雲の上を散歩出来ようとは、誰が予想しただろう。しかし、自動車道路がついたために、その道路から外れた所はかえって寂れて、本当に山好きな者に静かな場所を残してくれることになった。
現在、夏の頂上はちょっとした繁華街のおもむきを呈しているそうだが、私はまだ知らない。しかし乗鞍の全体は、バス道路くらいで通俗化するようなチッポケなマッスではない。これほど豊かさと厚みを持った山も稀である。
ただ、頂上を極めるだけで飽き足らない人、そのの湖沼や森林や高原に暇をかけてさまようことに楽しさを見出す人、・・・、私の言う乗鞍信者が多くはロマンチストであるのもそこから来ている。
(中略)
私が最初に主峰に立ったのは、戦前の初冬快晴の日で、そこから眺めた日本アルプスは言わずもがな眼前に大きく御岳、遠くに美しい白山、そしてその二つの間には、限りもない果てまで山並みが続いていた。
(後略)


山行コース・歩程等

畳平→肩の小屋→頂上小屋→乗鞍岳山頂(剣ケ峰)→肩の小屋→畳平
(標準歩行所要時間=約2時間30分)

(昭文社「山と渓谷地図」から拝借)


古い写真から蘇る思い出の山旅・その52
「家族で初めて訪れた乗鞍岳と上高地ハイキング」(再)
(1)

当時はまだ、畳平まで、マイカーでも行けた時代で、畳平の駐車場に車を置き、乗鞍岳山頂(剣ケ峰)をピストンする山旅が出来たのだった。
エコーライン途中で、車を停め、ちょこっと休憩、
天気は、最高、気分も最高・・・、
だったが・・・・、

正確な記録メモは無く、畳平の駐車場に到着した時刻が何時頃だったのか、はっきりしないが、
到着時、すでに満車寸前状態で、順番に案内され、かろうじて駐車出来たような気がする。
駐車場に入れない後続車の長い列を見て、タイミングの良さを喜んだ記憶が有る。
畳平の標高は、2,707m、爽快!、
いざ、山頂に向けて出発!、



途中、高山植物がいっぱい有ったはずだが・・・・、
花の写真、1枚も無し。
当時はまだ、高山植物であろうがなんであろうが、
花に興味関心も無く、まるで無知だったことが分かる。
休憩しては、パチリ!、

寝不足、疲れ、暑さで、バテバテ・・・・、
肩ノ小屋を振り返り、また 休憩・・・、

また、休憩・・・、

頂上小屋、
とにかく 休憩・・・、

13時頃、乗鞍岳山頂(剣ヶ峰、標高3,026.3m)に着いたようだ。

14時過ぎには、畳平に戻ったようだが、
上高地に宿泊予約して有り、ゆっくり、楽しむ余裕も無く、
すぐさま出発、エコーラインを下って戻り、沢渡へ移動、
沢渡の有料駐車場に車を停めたが、
その時間帯、上高地へのバス便が少なかったのだろう、
待機時間節約?のため、4人だと、それほど料金に差がなかった、
タクシーを利用して、上高地に入ったような気がする。 
経済的余裕の無い頃のこと、あらかじめ宿泊予約していたのは、
「健康保険保養所上高地山の家」だった。
やはり、正確な記録メモは残っていないが、
山宿チェックインとしては、ギリギリ、セーフ、16過ぎに、到着したような気がする。

 

ノビている次男

長男は、宿題?、手紙?

ぎゅうぎゅう詰めの山小屋とは違い、
ゆっくり寛ぎ、眠りについたような気がする。

(つづく)


懐かしい映画と映画音楽・その12

2024年07月18日 13時43分49秒 | 懐かしいあの曲

昭和30年代、40年代、地方の小都市にも、邦画、洋画の映画館が1館や2館、必ず有ったものだ。テレビで映画を観られる時代ではなく、ビデオも無し、映画は 映画館に足を運んで観るものだった。薄給だった若い頃、おいそれと映画館通いすることは無理だったが、後年「不朽の名作」と評されているような映画は、結構観ていたように思う。
映画が斜陽産業の代名詞にもなり、映画館が身近な街からどんどん姿を消してしまった頃から、映画館に足を運ぶことも ほとんど無くなっているが、最近は テレビで放送される映画番組等で 時々ではあるが、懐かしい名作映画を楽しんでいる類である。これまで、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めてきた曲の中で、特に懐かしく思うような映画と映画音楽を、ピック・アップ、コピペ、リメイク、改めて、書き留め置くことにした。


懐かしい映画と映画音楽・その12
映画「ドクトル・ジバゴ」と主題曲「ララのテーマ」(再)

長年続けていた自営業を完全にやめたのは、今から8年前のことだった。
それまでは、日々のスケジュール管理をしていた手帳腕時計は、肌身離さず?で、無くてはならない存在だったが、その機に、その2点とはきっぱりとおさらばし、時間に追われない暮らしを目指した気がする。最初は、ある種、気が抜けたところも有ったが、不思議なことに、なんだかんだ有って、今では、たっぷり時間が有るようでいて、なんとなく時間が足りないような感じがする暮らしになっている。
それは、多分、どっしり構えて、殿様ぜんとしていることが出来ない性分、なにかしてないと落ち着かない、貧乏性?からくるものではないかと思ったりしている。
最近は、病院予約日、各種締切日等、絶対忘れてはならない予定は、月別カレンダーに書き込んで、目の前に置き、済むと消し込んでいるが、「キョウヨウ無し」、「キョウイク無し」、(教養無し、教育無し・・・に非ず、今日特に用も無く、特に行く所も無し)の日がほとんどなのにも拘らず、何故か、毎日忙しそう?
時々は、ぼーっとする時間帯、手持ち無沙汰な時間が有ることが有るが、そんな時はまた、古いレコード盤やCD、カセットテープ等を引っ張り出して、聴いたりしてしまうせいなのかも知れない。
いずれも、30年以上、50年以上も前のもの?で、CD時代到来時にも、なかなか廃棄処分出来ずに、段ボール箱に詰め込んで、とって置いたもの、我ながら、呆れる程であるが・・・。
そんな古いレコード盤を懐かしがって、引っ張り出して聴いたりし出したのも、ブログを始めた頃からのこと。ブログ・ネタにしている次第だ。

そんな古いレコード盤の中に、自分が買った記憶は無く、多分、妻が独身の頃買って、実家から持ってきたものと思われる、45回転、ドーナッツ盤のレコード盤、映画「ドクトル・ジバゴ」の「ララのテーマ」が有る。
妻に、「映画音楽の中で、一番好きな曲は、何?」と、何回か聞いたことが有ったが、いつも、真っ先に、「ドクトル・ジバゴの音楽」と答えていたことを思い出した。若い頃、余程、感動した映画で、レコード盤まで買ったのかも知れない。

                                         

今更になってネット等で調べてみると
映画「ドクトル・ジバゴ(Doctor Zhivago)」は、1965年(昭和40年)に、デヴィット・リーン 監督、オマー・シャリフ、ジュリー・クリスティ出演で、製作、公開された、アメリカとイタリアの合作の恋愛映画だった。この映画では、モーリス・ジャール 作曲の主題曲「ララのテーマ(Lara's Theme)」が、シーンのあちこちで、強く、弱く流れ、ストーリーを印象的にしていたような気がする。

(ネットから拝借画像)

映画「ドクトル・ジバゴ」・主題曲「ララのテーマ」 (YouTubeから共有)


 

 

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久し振り、早朝散歩・ウオーキング、カワセミ、めっけ!

2024年07月18日 09時22分39秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日の天気予報は、「曇のち晴」
昨夜から未明に掛けては、かなりまとまった雨が降った様子で、
早朝はまだ、雨雲が低く垂れ込めていたが、
日中は、最高34℃が予想されており、
猛暑の1日になりそう?
なんやかんや有って、
ここしばらく、休んでいた(サボっていた)散歩・ウオーキング、
少しでも、涼しい内に・・・と、
やおら、重い腰を上げ、ちょこっと近くを歩いてきた。
  君の名は?花に訊ねつ爺散歩
途中、何度も立ち止まり、背伸ばし、屈伸、伸脚・・・しながら、
スマホの歩数計で、約5,200歩。

君の名は?

 



モミジアオイ

エッ!、フジ(藤)って、今頃、花咲かせるんだっけ?
実(種)が出来ているのに・・・・、

 

毎年のこと、この時期の川沿い、草木が鬱蒼と生い茂るため、
なかなか、カワセミの姿を見掛けられなくなるが、
今朝は、めっけ!、
かなり、距離有り、コンデジ、手持ち、オートフォーカス、
老眼、液晶ピント合わせ不能・・、
やたら、当てずっぽうに、10数枚撮ってきたが、ほとんどピンボケ、削除
なんとか、2枚だけ・・・・、

 


イノシシ、白昼堂々?、御出まし?

2024年07月17日 18時04分13秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

当地、今日の天気予報は、「曇時々雨」、
・・・・・だったが、
午後には、青空も広がり出し、気温も、30℃超、
猛暑の1日になっている。
もしかしたら、明日あたり、「梅雨明け」の発表が有るのかも知れない。
  もう、3日間も行ってないし・・・・、
  今日は、どうしても、様子をみてこなくては・・・、
というこことで、
昼過ぎ、Go To 畑!、と相成った。

ヤ、ヤ、ヤ、ヤ、ヤ・・・、
また、イノシシ出没?、

 

ここしばらく、畑地に、イノシシ出没の形跡はみられず、
活動場所を変えたのかな?、捕獲されたのかな?
等と、やや安堵していたものだが、
  イノシシは、忘れた頃にやってくる、
再び、出没したようだ。
畑地の隅に、積み上げていた雑草の山は、
ダンプカーで均した如くに崩され・・・、
大好物のミミズを探し回ったものなのか、
あちらこちら、穿り回した跡が有り・・・、
今のところ、ネットで囲って有る作物にまで侵入しておらず、
被害は無いが、
その気になれば、ネット等、なんのそののはずのイノシシ、
全く・・・である。
畑地の地主のFさん夫婦がやってきて、
「2~3日前、真っ昼間に、あっちこっち、匂いを嗅ぎ回って、穿ってるところ、見たよ」
と教えてくれた。
ミミズのいそうな場所を穿り回して引き上げていったようだが、
学習能力優秀?のイノシシ、
いったん大好物のミミズにありつけた場所には、必ずまたやってくるに違いなく、
先日蒔いて、発芽し始めた地這いキュウリの畝も、ネットで囲うことにした。
やれ、やれ、
イノシシのせいで、余分な労力と時間を費やすことになり・・・、

(ネットから拝借、無料動くイラストgif)

(1)トウモロコシ、初収穫、
   ハクビシンや、野鳥に、先取りされない内に・・・、
   ということで、
   トウモロコシ、試しに採ってみたが、
   不出来を予想していた分、まずまずの出来で、満足?


   家に戻ってから、早速、茹でて、今年の「初トウモロコシ」となった。

(2)ゴーヤ、収穫

(3)トマト、ミニトマト、収穫
   そろそろ、ピークを迎えている、トマト、ミニトマト、だが・・・、

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(4)ナス、シシトウ、収穫

 


懐かしい映画と映画音楽・その11

2024年07月17日 06時03分07秒 | 懐かしいあの曲

昭和30年代、40年代、地方の小都市にも、邦画、洋画の映画館が1館や2館、必ず有ったものだ。テレビで映画を観られる時代ではなく、ビデオも無し、映画は 映画館に足を運んで観るものだった。薄給だった若い頃、おいそれと映画館通いすることは無理だったが、後年「不朽の名作」と評されているような映画は、結構観ていたように思う。
映画が斜陽産業の代名詞にもなり、映画館が身近な街からどんどん姿を消してしまった頃から、映画館に足を運ぶことも ほとんど無くなっているが、最近は テレビで放送される映画番組等で 時々ではあるが、懐かしい名作映画を楽しんでいる類である。これまで、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めてきた曲の中で、特に懐かしく思うような映画と映画音楽を、ピック・アップ、コピペ、リメイク、改めて、書き留め置くことにした。


懐かしい映画と映画音楽・その11
映画「シェーン」と主題曲「遥かなる山の呼び声」(再)

昭和30年代~40年代頃には、数多の西部劇映画が制作され、日本でも一時期、西部劇映画ブームが有ったように思う。映画は、若者を中心にした、レジャーの中心でもあり、ご多分に漏れず、結構、西部劇映画も観ていたはずではあるが、本当に記憶に残っている作品となると、やはり指折り数える程になってしまう。そんな記憶に残る映画のひとつに、「シェーン」が有る。

今更になってネット等で調べてみると
映画「シェーン(Shane)」は、1953年(昭和28年)に、ジョージ・スティーブンス 監督、アラン・ラッド 主演で制作され、公開された西部劇映画だった。公開当時に観たはずは無く、いつ頃、どこで観たのか等は、記憶定かでないが、映画の中で流れる、ビクター・ヤング作曲の抒情的感傷的な主題曲「遙かなる山の呼び声(The Call of the Faraway Hills)」と、ジョーの息子、ジョーイが、去っていくシェーンを、必至に呼びかける、「シェーン!、カムバック!」が山にこだまする最後のシーンが、印象深く、脳裏に焼き付いた映画だった。 

(ネットから拝借画像)

映画「シェーン」と主題曲「遥かなる山の呼び声」 (YouTubeから共有)