松宮史朗・訳 新潮文庫 平成17年
今回は阿部公房氏を見て行こう。キーン氏と阿部氏の
初めての出会いは、一九六四(昭和三十九)年の秋。
「砂の女」の英訳本出版に当たって、ニューヨークに
安部氏が来ていて、コロンビア大学のキーン氏
の研究室を訪れ、この年、カンヌ映画祭の審査員特別賞を
獲った勅使河原宏氏が一緒だったという。そして、若い女
性がひとり通訳に伴って来ていたが、キーン氏は通訳なしで
喋ると言い、心外に感じたと云うことだ。
その女性は、なんとオノ・ヨーコ女史であったことを
数年後に知ることになる。
この時、三人を110丁目の中華料理屋にキーン氏は
案内したのだが、日本から戻ったばかりだったキーン氏
は時差ボケが抜けず、様子がヘンだったらしいのを
医学部出身の阿部氏は麻薬常習者と勘違いし、確信し、
それがのちの交際に暗い影を落とすことになるが、ある
酒席で誤解もすんなり解けて、無二の友人となった
という。その後、阿部氏は戯曲などを手掛けるが、
1993年に亡くなった、癌だったと云う。
(読了日 2024年10・11(金)21:55)
(鶴岡 卓哉)
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