映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

ヒューゴの不思議な発明

2012年03月10日 | 映画(は行)
機械の仕組みが眼の前にあって、理解の範疇にある時代



                * * * * * * * * * *

1930年代パリ。
駅の時計塔、壁の中に隠れ住む少年ヒューゴの物語です。
なぜ隠れ住んでいるかというと、彼はお父さんを亡くし、
この時計塔で時計のメンテナンスをして暮らしている叔父さんに引き取られたのですね。
けれど飲んだくれの叔父さんは、出ていったきり帰らない。
孤児と知られれば、施設に入れられてしまう。
やむなく彼は一人で時計の手入れをしながら生きていたのです。



この作品、この題名や予告編で、
子供向けのファンタジックな作品かと思っていたのですが、少し違いました。
いえ、期待は良い方へ裏切られたのです。
これはヒューゴが魔法のような発明をする冒険ファンタジーではなく、
映画の創成期への熱い思いを捧げたオマージュ作品だったのです。
ヒューゴが駅で出会った気難しいおもちゃ屋のおじいさんは、ジョルジュ・メリエス。
この方は実在の人物で、映画の創成期に活躍した方。
初の“映画監督”といってもいい。
当時の精一杯の撮影方法の工夫で、SF的作品も手がけました。
この作品中に登場する「月世界旅行」は1902年作品で、最も有名なものの一つですね。
多くの人の映画への愛がタップリと包み込まれた作品なのです。
人類初の映画作品は、蒸気機関車が駅に到着するシーン。
その映像を見て人々は思わず逃げ出したというのです。
汽車に轢かれると思ったのですね。
思えば映画の撮影技術もこのスタートラインからほんの100年ほどで、随分遠くまで来たものです。
CGや3D。
でも、何時の時代も、
映画は人々の夢や未知への憧れ、驚きや好奇心を掻き立ててきたんですねえ・・・。



少し話を戻しますが、ヒューゴは亡きお父さんから、ある機械人形を受け継ぎます。
きちんと動けばペンで文字を書くというその人形を何とか直そうと、
ヒューゴは部品を集め、修理を試みるのですが・・・。
動かすために必要な“鍵”が見つからない。
ここでちょっと、先日見た「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」を思い出してしまいました。



お父さんを亡くした少年。
そのお父さんが指し示した指針。
その鍵は文字通り“鍵”。

なぜか符合してますねえ・・・。
思うに、ハリウッド的父子の確執は、父親が早く亡くなることで避けられる。
息子がまだ子供のうちなら、父親の「偉大さ」だけを見せることができるのです。
その時に父を亡くせば、父親も一人の人間で、本当は弱いものだということを知らないままでいられる。
でもそれは永遠に乗り越えられない父親像を作ってしまうかもしれませんね・・・。
両作品ともそこまでは言及していませんが。
現実にそこにいて乗り越えられないのと、永遠に仰ぎ見る手の届かない星とは違うのかもしれません。


「人間は社会の歯車の一つで、皆何らかの役に立っている」という言葉がありました。
よく、「自分は社会の歯車の一つにしか過ぎない」みたいなセリフがありますね。
でも考えてみればどんな小さな歯車でも、
それがないと、機械が機能を果たさないわけです。
社会の中で、自分の役割を知る。
それはとても大切ですね。



全体的にセピア調のトーン。
ちょっぴり「オリバー・ツイスト」なども思い起こされる、ノスタルジックな雰囲気に満ちています。
蒸気機関や大きな時計の歯車、おもちゃのゼンマイ・・・。
機械が機械としてきちんと目の前にあって、その働きがまだ「理解」の範疇にある。
そして同様に、映画の撮影の仕組みも、目の前にあって「理解」できる。
こうした時代には世の中の仕組みも、今よりはわかりやすい気もします。
そんな時代の雰囲気が、万国共通でノスタルジーをかきたてるのでしょうか・・・。


駅に集う人々もいいですね。
鉄道公安官と彼の愛犬ドーベルマンはすごくいいコンビでした。
作中彼は悪役なのですが、最後に彼の意外な面を知るというのも素敵です。



・・・というようなわけで、満足いっぱいの素晴らしい作品でした!!
決して子供向けというわけではないと思います。
私は2Dで見ましたが、3Dでなくても全然大丈夫。
だって、3Dは皆日本語吹き替えなんだもの・・・。
それはないと思うのですが・・・。

「ヒューゴ不思議な発明」
2011年/アメリカ/126分
監督:マーティン・スコセッシ
原作:ブライアン・セルズニック
出演:エイサ・バターフィールド、クロエ・グレース・モレッツ、サシャ・バロン・コーエン、ベン・キングズレー、ジュード・ロウ、レイ・ウィンストン、クリストファー・リー