幕末、外交に尽くした男の奮闘記
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この国の岐路を、異国にゆだねてはならぬ。
開国から4年、攘夷の嵐が吹き荒れるなか、
幕府に外交を司る新たな部局が設けられた。
実力本位で任ぜられた奉行は破格の穎才ぞろい。
そこに、鼻っ柱の強い江戸っ子の若者が出仕した。
先が見えねぇものほど、面白ぇことはねぇのだ――
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幕末、攘夷の風が吹き荒れる中、幕府の外交を司る部局に出仕した若者、
田辺太一の物語です。
実在の人物なので、様々な資料に基づいたリアルな物語が展開していきます。
「面白ぇ、先が見えねぇものほど、面白ぇことはねぇのだ」
と、太一はワクワクしつつ仕事に就いたはいいけれど、
あれやこれやの壁やら困難が立ち塞がり、ほとんど思うように行かないのです。
それはそうですよね、そもそも「幕府」の立場自体が揺れに揺れている。
尊皇攘夷思想に熱中する日本。
力をつける薩摩や長州、抑えきれない幕府。
攘夷に固執する朝廷。
老獪な欧米列強の開港圧力。
無能・無理解な幕府の上層部。
太一は癖の強く頑固な上司に翻弄されながらも得るものも多く、
徐々に力をつけていきます。
当時は上司には言われるまま、自分の意見やましてや反対意見を言うなどもってのほか
というのが普通であったのに、彼はつい思ったことを口にしてしまう。
でもそんなところを汲んでくれる人もいるわけですね。
しかしそういう上司もまた、さらに上のものからは理解を得られず、
役を外されたり蟄居を申しつけられたりと、安泰ではありません。
実はそれが幕府にとって大きな損害であることにも気づいていない。
幕府という組織の病巣もすでに末期症状、
新しい自体にはまるで対応できないのです。
こんな中で太一もいつかは欧米に行ってみたいと思うのですが、
なかなかチャンスが回って来ず、
やっと巡ってきたチャンスというのが、全く自分の意には沿わない「横浜の鎖港」交渉。
いったん開いた横浜港を朝廷はしつこくまた閉鎖せよという。
そんなこと無理に決まっている、第一そんなことは国のためにはならない、
という太一の個人的な思いと裏腹の任務に、それでも太一は努めるのです。
苦しい、苦しい・・・。
以前何かのテレビ番組で、幕府の使節団が
エジプトのスフィンクスのところで撮った写真を紹介していたのを覚えているのですが、
この使節団の中に太一もいたわけです。
ただし、このときは太一は留守番だったので写真には写っていません。
ただし個人の写真も撮っていて、ウィキペディアで太一の顔を確認することができました。
なかなかキリッとしています!!
また、外交とは少し外れた任務だったかも知れませんが、
太一は小笠原諸島にも渡っています。
まだはっきりとは日本の領土となっていたわけではないこの島に、
漂流したアメリカ人が住み着いたりもしていて、
この機会に日本の領土としてしまったほうがいいと考えた幕府が、
珍しく早めに手を打ったのですね。
そこで、実際に鍬をふるって開拓にまで従事した太一。
道半ばで終了になってはしまいましたが、そのおかげで今も小笠原諸島は日本の領土です。
このとき北方領土も同様の手はずを踏んでおけば良かったのに・・・
さて話はそれましたが、太一またパリへも赴きます。
今度はパリ博覧会。
そう、あの渋沢栄一ももちろん登場しますよ。
同じ一団ですから。
しかし幕府が整えた日本の出品とは別に、
薩摩がさも日本と並び立つ一国であるかのように出品していたという衝撃。
このあたりは「青天を衝け」にも描かれていました。
当時の薩摩の興隆ぶりがうかがえます。
つまり「攘夷」を盛んに喧伝していた長州や薩摩が
いち早く外国人と通じていたという・・・。
何度見聞きしてもあなどれない幕末の日本史・・・。
そんなこんなで時代は明治に突入しますが、
結局の所、明治政府も能力のある人材を必要としていたというわけで、
太一はまた外交の仕事に就くことになるわけですが、本巻は「江戸」時代まで。
波瀾万丈の人生をたっぷりと楽しみました。
「青天を衝け」でこの時代をなぞっていたことが、本作の理解にとても役に立ちました!
<図書館蔵書にて>
「万波を翔る」木内昇 日本経済新聞出版社
満足度★★★★.5