合理的精神と因習
* * * * * * * * * * * *
1845年、オーストリア帝国最貧の地、ガリチア。
若い妻を連れて寒村ジェキに赴任したゲスラーは、かつては文学を志したこともあり、
土地の領主で詩人でもありポーランド独立の夢を捨て切れないまま逼塞している
アダム・クワルスキとの交流を楽しみにしていた。
だが赴任と時を同じくして村では次々に不審な死が発生し、
村人は土俗的な吸血鬼の影に怯えるようになる。
* * * * * * * * * * * *
佐藤亜紀さんのヨーロッパを舞台とするストーリー、
場所も時代も、なんとも渋くてユニーク、
他の誰もまねできないのではないでしょうか。
本作、「吸血鬼」という題名ではありますが、
あの、私たちがイメージする吸血鬼ドラキュラとはちょっと違う。
ヨーロッパ、特にここでは地元の因習で、
人々の理解の及ばない災い全般がこの吸血鬼のしわざとされるようなのです。
1845年、オーストリアに統治されていたポーランド。
しかもその片隅の貧しい村。
ほんの一握りの人以外は教養もまともな知識もありません。
司祭すらも字が読めないというくらいのど田舎。
こんな村に、ゲスラーがごく若い妻を連れて役人として赴任してきます。
この土地の領主で詩人でもあるアダム・クワルスキとの交流を楽しみにして・・・。
クワルスキはなまじ教養があるために、このど田舎の暮らしに絶望を感じています。
すでに老境に入った年齢ではありながら、やはり「詩人」で、
冷めた目で人々を見ながらも、どこか現実離れをした理想を追っているかのような・・・、
なかなか複雑な人物なのです。
ゲスラーは最も現代の私たちの感覚に近い、合理的な精神を持ったオジサン。
クワルスキのところで下男として働いていたマチェクの頭の良さを見込んだゲスラーは
即、彼を引き抜いて自分のところの事務員に採用したりします。
そんな彼はもちろん、この村の「吸血鬼」の因習など信じない。
けれど、村人とうまくやっていくために、彼は自らその習慣に準じてみせるのです。
例えば不審な死者が出た場合、その家から遺体を出すときには
わざわざ壁を壊して穴を開け、遺体の足の方から運び出す。
そしてその後、その壁の穴をもう一度しっかり塞ぐ。
死者が再び戻ってくることがないように、ということなのです。
そしてさらには、遺体に、あることを施す・・・。
ゲスラーには全く無意味なことと思いながらも、村人の盲信を否定できず、
下手をすると暴動や焼き討ちなどにも発展しかねない事を憂うのです。
そんな中、村人の不審死が続き、何と彼の愛する若き妻までもが・・・!
そういえば先に読んだ「黄金列車」の主人公もお役人でした。
周囲の人々の様々思惑は理解しながらも、ただ淡々と己の勤めを果たそうとする、
そしてそれは合理的で正しいと思える。
これはもう、職務ではなく、「生き方」なのです。
そんなところが私にはしっくりきます。
本作中で魅力的だったのは、マチェクの父親。
貧しい猟師の彼は、もちろん無学。
ひどい訛りの持ち主。
しかるに実に俯瞰的に物事を考えることができるのです。
ラスト付近の彼のセリフは実に感動的!!
学校に行って人からものを教わらなくても、
本当に頭の良い人は自分で考えることができるワケですね。
なるほど、マチェクの聡明さはこの人譲りなのだな、と納得できます。
図書館蔵書にて
「吸血鬼」佐藤亜紀 講談社
満足度★★★★☆
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます