ステージおきたま

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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

命は重い!されど!!山形県高校演劇発表会2日目

2007-11-02 21:11:11 | 演劇

 ようやっと、本番始まりました!事務局としては、ここまで、長かったね。まだ、これからが勝負だけど。今日は午前中4本のリハーサルと3校が本番の上演だった。相変わらず、送迎のバスの打ち合わせやら、顧問会議の仕切りやら、何かとあって、上演も舞台袖から、つまみ食い的に見るしかなかった。

 だから、あまり、きっかりとした感想は書けない、と断り書きした上で、幾つか感じたこと。その第1は照明が、とってもシンプルで、係としてはありがたかったけど、なんか物足りなかったな。せっかく素晴らしいホールを使ってもらうんだから、目一杯、我が儘言ってほしいと思って、基本仕込みも自由度の高いものにしたのに、すべて生、つまり、色を入れない学校なんてのもあって、正直がっかりだった。昨日も装置のことで書いたけど、芝居は総合芸術なんだから、もっともっと、照明や音響やその他諸々アイディアを絞りきって頑張って欲しかった。

 で、考えたんだけど、どうも、山形の高校演劇の力量が低下してるんじゃないか?ってこと。部員もそうだけど、それを指導する顧問の力が間違いなく落ちてるって感じた。どうですか?みんなの感想は?装置も作れない(けこみまで、会館の備品を使うってどういうこと?君たちそんなに忙しいの?)、照明も扱えない、そういった学校がどかどか県大会に出てくる、これって、どう考えても悲観的状況だと思わないか?一部顧問からは、いや、ああいう舞台もあっていいんだ、って意見もあったけど、僕はそうは思わない。今日の3本の脚本だって、装置や照明の工夫で、まるで違う舞台になったはずだよなって思った。

 次に、筋立て、これが、すべて、病気や死が大切なターニングポイントとして使われていたってこと。これって、安易だよって、憎まれ口たたいちまう。最近はやりの携帯小説やヒット作品のパターンじゃないか。たしかに、死はいつの時代でも人間が向かい合うべき最大のテーマだ。だけど、いや、だからこそ、気を付けなくちゃなんないんだよ。死とか不治の病を持ち出しただけで、もう、感動、お涙間違いなし、これに頼っちゃいけないだと思うんだ。いじめや不登校も同じ。もう、これ出てきただけで、共感しちまう、こういうのって、高校演劇のなれ合いなんじゃないかって、常々不満なんだ。演劇は創造なんだから。新しい驚きを、未知の感動を作り出すことなんだから。こういう、万人共通の感性にべったり寄りかかってはいけないんだと思うんだ。

 で、今日の結論だ。お互いに、もっともっと感性を磨こう!鋭く時代と人間を射抜こうじゃないか、高校演劇部の諸君!そして、もっともっと芝居を勉強しましょうよ、顧問のみなさん!!

 

コメント (3)
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