『ヴィンチェンツォ』が終わった!って、Netflixだもの、見る人それぞれ、みんな一緒に見終わるわけじゃない。
が、若者風にロスっていっちまうよな寂しさを感じてるんだ。あぁ、終わったちまったぜぇぇ!シーズン1全20エピソード、総時間数にすると30時間!楽しませてくれたなぁ、夢中にさせてもらったなぁ。いつもなら、さっさと次に移るのに、最終回のエンディングは最後までじっくり見ちまったものな。エンドロールとともに流れる過去のシーンの様々に、あぁ、あった、あった!そうだ、いろんな物語が繰り広げられたんだぁ、なんて感動の振り返り、なんてしたりして。
ファンとしては、ヴィンチェンツォ・カサノ!とか、ホン・チョヤン!なんてため息交じりに呟いてりゃいいんだが、ド田舎のアマとは言え、台本書く身としちゃ、ちっとは、その魅力を探って書き留めておきたい。てほど、真剣に向き合うわけじゃない。気づいたことを幾つかメモしておこうって程度の話しだ。
まずは、リアルなんて二の次三の次で構わない!って姿勢だよ。あんなに人殺されてるのに、警察なんて、話の展開に都合のいい時だけしか登場しない。しかも、上からの一声で簡単に捕まえたり釈放したり!検察の人事だってお好みしだい。悪徳財閥の犯罪もすげぇちゃちだし、ヴィンチェンツォは狙われても、事務所は襲われない。弱っちい住民たちが実はそれぞれ格闘技の猛者だったり、って、はぁぁぁ?窮地に陥れば、鳩の大群まで味方に登場する!っておいおい、いいのか?それ反則技だろ。禁じ手じゃないのか?はっきり言って、ご都合主義のオンパレードだぜ。
でも、いいの!そんなこと気にしなくていいの!その分、痛快な活劇や驚きの展開やウイットに富んだ挿話とかカッコいいシーンや残虐な殺し方とか、これでもか!って繰り出されてくるんだから。
そう、このリアルは無視、面白けりゃすべてOKこれがこの作品作りの基本ってことだ。そして、その毎回、毎分、毎秒投げつけられるアクションやギャグや切ないラブシーンが楽しめる人なら、そんな些細なことに文句は言わない。これがまず一点目。
次の魅力は、マフィアのコンシリエーレ(顧問弁護士?)として悪行の数々を踏み越えて来た主人公のニヒルな姿だろうな。ニヒルと言うより、感情を失った欠格人間。正義など信じない、愛にも心動かされない、親子の情にも懐疑的な能面のような表情に塗り固められた本来のやさしさ正義感がゆっくりじわじわと溶きほぐされて行く。この無感動、凝り固まった心、今の時代に通じる何かがあるんだと思う。
マフィアの掟ややり口を巧みに引き込んでいるのも上手だな。
でも、一番の見ものは、クムガ・プラザの住人達だぜ。当初、立ち退きを迫るヤクザの暴力にビビりまくってたおじさん、おばさん、お姉さんたち、もっぱらコミカルキャらで登場してたのが、ヴィンチェンツォの戦いに勇気つけられ、意志と力を自覚した市民に成長して行く様子だ。散々の裏切りの末に、共に戦うことを決意して、揃って黒スーツで登場するシーン!
もう、これ絶対、やってみたい奴だよ。『ピーキー・ブラインダーズ』にも、ほぼ同じ構図のシーンが見せ場としてあったの思い出した。あのシーンのオマージュなんじゃないか。ラストでは、自分たちの手で、違法な立ち退き命令、開発政策に敢然と立ち向かって行く。いつか必ず立ち上がる民衆って韓国の伝統がはっきりと描かれていた。羨ましい!
そうそう、人はみな変わって行く、ってのもこの作品の大きなテーマの一つだぜ。住民たちばかりじゃない。襲撃側のヤクザも最敵対していた財閥会長の弟も、ヴィンチェンツォを慕うようになる。相方の女性弁護士も毛嫌いしていた父親の正義派にいつしか変わって行くし、ヴィンチェンツォ自身も、愛を受け入れ、自分の存在も受け入れるようになっていく。
と、どこか、優しい部分を匂わせつつ、悪にはとことん非情!って、これ必殺仕置き人とかと同じ、変わらぬ売れ筋なんだよなぁ。ただ、違うのは、もう、とてつもなく、工夫や準備に凝って遊んでるってことだろうな。どうやったら、見る者を楽しませることができるか、驚かせにられるか、惹きつけられるか、スタッフ全員の強烈な意志を感じるな。
そう、このとことん遊び尽くす!その面白さ、その快感、その情熱、これが『ヴィンチェンツォ』!ってことだぜ。
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