ステージおきたま

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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

偏屈ジジイに未来はあるか?『オットーという男』

2023-11-19 12:47:28 | 映画
うおー、なかなかの偏屈ジジイだぜ、トム・ハンクス!あっ、ネタバレありなんで注意!
世の中のあれもこれもが気に入らない。ロープをフィート単位で売らないDIY店も、集合住宅の隣人たちのルール違反も、勝手にしっこする犬にも、理解しがたい隣人のランニング習慣とかにも、退職を祝った振りで喜ぶ会社の同僚たちの善意を装った悪意にも、なんもかも腹が立って仕方ない。
世間の変貌に取り残され、超最愛の妻に先立たれて、もう死ぬっきゃないぜ。首吊り用にロープも買ったしな。次々と邪魔が入るもいざ乗っていた机を蹴せばせばロープは首に食い込んで自殺成功!と思ったら、天井からの吊り具が壊れて失敗。
飛び込み自殺は転落者に先を越され、排気ガス車内引き込んだがガレージのシャッターを激しく叩く音、ええい、お節介な隣人め。挙句はショットガンを喉に擬するも・・・あぁ、どれもこれも邪魔が入って上手く行かないもどかしさ。

なるほど、なるほど、世をはかなんだ遜ピン(米沢弁でへそ曲がりの意)ジジイが、様々周囲の善意に手を差し伸べられて、生き甲斐を取り戻すって、あるある、ストーリー。
ジイサンに次々現れるお節介、その一番はとろい男と妊娠中の妻と子どもたち。メキシコ人だってとこがみそだな。白人アメリカンの他人行儀とはさらさら無縁、好意の押し売り、お願い連発でずんずんジイサンの懐に飛び込んで来る。無類の人懐こさ、これって、メキシコ人特有なのか?なんとなく納得しちまうけど。
特別支援学級の教師をしていた亡き妻の教え子、トランス男性の若者も彼の元に飛び込んで来る。性別変更を理解しない親から逃れて。
今は肢体不自由になって座ったきりの生活を送る古くからの友人とその妻、アフリカンアメリカン、からも頼られる。さらには、薄汚い野良猫までジジイに懐いてきて。
ここまで親しまれ、信頼されたら、さすがの偏屈・頑固も溶けて行こうってもんじゃないか。
この心が通い合って行くエピソードの数々と、妻との思い出の数々がよく出来ていて、泣かせられるんだぜ。10分に一度?
Netflixドラマの手に汗握る快感とは別にこういうしっとりほんのりの映画もいいなぁ、なんて、月並みの感想寄せて終わるわけにゃいかんよ、同じ偏屈ジジイの身としては。
あれっ、ジジイの助っ人ってみんな弱者じゃねぇ!メキシコ移民にトランス男性、身体障碍者、貧乏な高齢のアフリカンアメリカン、それに捨て猫。これって意味深だよな。
ほら、クリント・イーストウッドの『グラントリノ』も世捨て人の退役軍人を社会に引き出すきっかけになったのは、ベトナムから逃れたモン族の移民少年だった。
つまりは、弾き出された者は社会的弱者とこそ、繋がり合えるって考え方だよな。お互いにこの世からの疎外者、その苦しみを知る者同士にこそ連帯の可能性があるってことだ。
そうであって欲しい、虐げられ続けるなんてたまらない。互いに手を取り合い、助け合って一歩を踏み出したい、そこが、見る人たちの心に響く部分なのだろう。
だがなぁ、現実世界のひねくれ者としちゃ、世の中、そうは上手くいかないぜ、弱者同士の足の引っ張り合いから、果ては面と向かって殴り合いまでしてるじゃないか、生活保護者や難民に対するヘイトのひどさなんか見ろよ。罵倒する側だって決してゆとりある人々じゃないはずなんだぜ。
って、映画への異議申し立てをするなんてのは、筋違いなんであって、物語とか映画ってものは、まさしく夢を見させてくれればいいのさ。同情、共感の涙を流させてくれればいいんだ。それが物語の役割ってもんなんだ。
心根ねじ曲がったジジイの一人として、あぁ、やっぱり人には親切にしんなねなぁ、ってその時だけでも素直な気持ちを抱かせてもらえたんだ、『オットーという男』に感謝して余韻に浸ろう。



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