第3章 ローマ神学生時代(1923年-1930年)
4.アクション・フランセーズの排斥 (その4)
調査、調査の調査、ル・フロック神父の追放
4月 26日から 5月 6日まで、門外の聖パウロ修道院の大修道院長 ----- 将来の枢機卿であり、福者に列福される ----- ドン・イルドフォンス・シュステル (Dom Ildefonse Schuster) によって遂行された調査は、彼が教皇に書いて送ったように「それらすべては、捏造 (montatura) でしかなかった」ことを見せてくれた。
彼は何人かの神学生たちに「神学校の精神を受け入れない何人の人はにとって・・・このアクション・フランセーズ事件は、もう既に古くからあった教義的傾向を守ろうと試みるための口実に過ぎなかった 」とまでも言った。
しかしそれについて何もなされなかった。研学聖省 (注: すべての神学校とカトリック大学に関する事務を管轄する聖省) はまたも新たな不平を聞いた。そして神学校長に関する不平不満を見つけ出そうと労力した。研学聖省はそれさえも出来ず、絶望のあまり、手段方法を選ばず ---- 間違って ---- 教会法 505条に訴えてル・フロック神父を入れ替えろと要求した。
ローマへ駆けつけたル・アンセック司教に対して、ピオ11世はこう命令した。
「あなたはル・フロック神父を直ちに放逐しなければならない。」
総長がこれを履行することはできないと拒否すると 、最高司教は拳で机をバンと叩いていった。
「私は教皇だ!」
そして教皇は、アクション・フランセーズと反自由主義に対して話し始めた 。
ピオ11世の「鋼鉄のような意志」に直面し、ル・アンセック司教はル・フロック神父が教皇に辞表を提出することができるかを尋ねた。教皇はこう言った。
「彼は反逆者だ。従わないだろう。」
「教皇聖下、私は彼の従順について聖下に保証します。お願いですから、少なくとも私に試みることを許して下さい。」
ピオ11世は言った。
「そうするが良い。しかしあなたはすぐにわかるだろう。私は断言する。彼は反逆者で、あなたの言うことを聞かないだろう。」
勿論、神学校長は総長の言葉を「聞いた」し直ちに教皇に辞表を提出した。
ル・アンセック司教はまたその代償として、ケレール神父の人事異動をするという聖霊修道会の最高顧問会によってなされた決定を実行に移す権能を得た。もしもそうされないようならば自分は聖霊会総長職を辞任するという脅迫にものを言わせた 。ル・フロック神父は 3日後にローマを発った 。ル・アンセック司教は後に自分の思ったことを打ち明けてベルト神父にこう言った。
「今となっては、彼らは私に対して自分のしたいようにすればよい。私にこれ以上悪い事はもう起こりえない。私はもうひるまない 。」
事件の詳細を知り尽くしていたイタリア人司祭モンシニョール・プッチ (Pucci) はすぐ次のように書いた。(それを要約する)
「ピオ11世は、ル・フロック神父が 20年間のあいだ別の政治方針のために奉仕してきたが、自分の方針のために勤めることも、それの適応を教えることも相応しくないと判断した。 」もしもこの種の「適応」が神学校で勉強する内容と関係があることならば。
(つづく)
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