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ベネディクト十六世と「ロゴス」と「みことばの種子」

2007年03月30日 | カトリック・ニュースなど

アヴェ・マリア!


 ベネディクト十六世は3月21日の一般謁見で「みことばの種子」とは、聖ユスティノの表現によれば、異教の諸宗教の中にではなく、ギリシア哲学にある、とおっしゃっいました。


教皇ベネディクト十六世の88回目の一般謁見演説

親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 この連続講話の中でわたしたちは初代教会の偉大な人びとについて考察しています。今日は哲学者にして殉教者聖ユスチノについてお話しします。・・・


 現存するユスチノの著作は、二つの『弁明』と『ユダヤ人トリュフォンとの対話』のみです。これらの著作の中でユスチノは何よりも、創造とイエス・キリストによってもたらされた救いにおける神の計画を明らかにしようとします。イエス・キリストは「ロゴス」すなわち、永遠のみことば、永遠の理性、創造主である理性です。すべての人は、理性的な被造物である限り、この「ロゴス」にあずかります。こうしてすべての人は自らの内に「種子」をもち、真理のかすかな光をとらえることができます。ロゴスは旧約の中でユダヤ人たちに預言者の姿で示されました。そしてこのロゴスはギリシア哲学の中でも「真理の種子」として部分的に現されます。そこでユスチノは結論づけます。キリスト教は完全な「ロゴス」が歴史において人を通して現されたものです。ですから「あらゆる人びとの間で語られてきた正しいことばは、どれもわたしどもキリスト教徒に属しているのです」(『第二弁明』13・4)。このようにしてユスチノは、ギリシア哲学の矛盾を批判しながらも、あらゆる哲学的真理をはっきりと「ロゴス」へと方向づけます。そのために彼は、合理的な観点に基づいて、真理とキリスト教の普遍性に関する独自の「要求」を根拠づけるのです。像が、像の示す現実に方向づけられるように、旧約はキリストを目指しています。そうであれば、部分が全体との一致を目指すように、ギリシア哲学もキリストと福音に方向づけられています。そしてユスチノはいいます。この旧約とギリシア哲学の二つは、「ロゴス」であるキリストへと導く二つの道です。だからギリシア哲学を福音の真理と対立させてはなりません。またキリスト教徒は、自分の持ち物であるかのように、自信をもってギリシア哲学を用いることができます。・・・


 要するに、ユスチノの生涯と著作は、古代教会が、異教宗教ではなく、哲学すなわち理性をはっきりと選んだことを示します。実際、初期キリスト教徒は、異教宗教とのいかなる妥協も粘り強く拒みました。彼らは「不敬虔」で「無心論者」と非難されることを覚悟の上で、異教宗教を偶像礼拝と考えました。中でもユスチノは特に『第一弁明』で異教宗教とその神話を厳しく批判しました。ユスチノはそれを真理への道からそらす悪魔の姿とみなしたからです。これに対して、哲学は、まさに異教宗教とその誤った神話を批判する点で、異教とユダヤ教とキリスト教が出会うための特別な場となります。そこでユスチノの同時代のもう一人の護教家サルデイスの司教メリトンは、新しい宗教であるキリスト教をはっきりと「わたしたちの哲学」ということができたのです(カイサレイアのエウセビオス『教会史』4・26・7)。


 実際、異教宗教は「ロゴス」の道を歩まず、ギリシア哲学が神話を真理と合致しないと認めたにもかかわらず、神話の道に固執しました。ですから異教宗教の没落は不可避だったのです。それは宗教(すなわち、人間の手で儀礼と慣習としきたりにおとしめられた宗教)を存在の真理から切り離したことから来る当然の帰結でした。ユスチノや他の護教家たちは、異教宗教の偽りの神々ではなく、哲学者の神を認める、キリスト教信仰としてのはっきりとした立場をとりました。彼らは「慣習」に基づく神話ではなく、存在の「真理」を選んだのです。ユスチノから数十年後、テルトゥリアヌスはキリスト教徒のこの同じ選択を簡潔で永遠に有効な次のことばで述べました。「わたしたちの主キリストはご自分を慣習ではなく真理と呼ばれた」(『処女のヴェールについて』:De virginibus velandis 1, 1)。ここでテルトゥリアヌスが異教宗教を指すために用いた「慣習(consuetudo)」ということばは、近代語で「文化的流行」、「時代の流行」といった言い方で訳せるものであることにご注意ください。


 価値観や宗教をめぐる議論における(諸宗教対話にもそれがいえますが)相対主義を特徴とする現代において、これは忘れてならない教訓です。・・・

(カトリック中央協議会 司教協議会秘書室研究企画訳)
(2007.3.22)

* * *

 「教会の宣教活動に関する教令」("Ad Gentes" DECRETUM DE ACTIVITATE MISSIONALI ECCLESIAE)の11番にはこうある。

 

「11(生活と対話によるあかし) 教会はこれらの人間社会に、かれらの中に生活しているか、あるいはかれらのもとに派遣されている教会の子らを通じて、現存しなければならない。すべてのキリスト信者は、自分が生活している場所で、模範的生活とことばのあかしをもって、洗礼に際して身につけた新しい人と、堅信によって強められた聖霊の力を現わさなければならない。そうすることによって他の人々が、彼等のよい行ないを見て、父を賛美し、人間生活の真の意義と人々の交わりの普遍的なきずなとを、よりよく理解するよう努めなければならない。
 かれらがキリストについてのあかしを立派に立てうるためには、尊厳と愛をもってそれらの人々に結ばれ、各自が自分の生活している人間社会の構成員のひとりであることを認め、人間生活の種々の交際と交渉とによって、文化的・社会的生活に参与しなければならない。人々の民族的、かつ宗教的な伝統に精通し、その中に含まれているみことばの種子を、喜びと敬意をもって見いだすように努めなければならない。・・・」


* * *

 第二バチカン公会議は「民族的、かつ宗教的な伝統に精通し、その中に含まれているみことばの種子を、喜びと敬意をもって見いだすように努めなければならない」という。 しかし、「御言葉の種子」とはどこにあるのだろう? ベネディクト十六世は言う。


「ロゴス」すなわち、永遠の天主のみことばである私たちの主イエズス・キリストにである。


 人間は、理性を使って真理を求めるかぎり、真理のかすかな光をとらえることができる。


 ロゴスは旧約の中でユダヤ人たちに預言者の姿で示されました。そしてこのロゴスはギリシア哲学の中でも「真理の種子」として部分的に現された。


 旧約とギリシア哲学の二つは、「ロゴス」であるキリストへと導く二つの道だ。


 異教宗教とその神話は真理への道からそらす悪魔の姿であるが、これに対して、哲学は、まさに異教宗教とその誤った神話を批判する点で、異教とユダヤ教とキリスト教が出会うための特別な場である。


 実際、異教宗教は「ロゴス」の道を歩まず、つまり「御言葉の種子」の道を歩まなかった。それにもかかわらず異教は神話の道、民族的、かつ宗教的な伝統に固執した。そこにはロゴスがない。


 わたしたちの主キリストはご自分を「文化的に皆がやっていること」「時代の流行」「民族的流行」ではなく真理と呼ばれた。


 価値観や宗教をめぐる議論、諸宗教対話において、相対主義を特徴とする現代において、これは忘れてならない教訓である。



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4月の聖伝のミサの予定: Die Welt 紙によると、自発教令の準備は整った

2007年03月30日 | 聖伝のミサの予定

兄弟姉妹の皆様を心から、聖伝のミサにご招待いたします。


アヴェ・マリア!


 ■ 聖伝のミサにようこそ! ■ WELCOME TO THE TRADITIONAL MASS!


 兄弟姉妹の皆様、

 兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサに心から歓迎します! 
(聖伝のミサは、本来なら「ローマ式典礼様式のミサ」と呼ばれるべきですが、第二バチカン公会議以前のミサ、聖ピオ5世のミサ、古いミサ、昔のミサ、旧典礼、ラテン語ミサ、トリエントミサ、トリエント公会議のミサ、伝統的ミサ、伝統ラテン語ミサ、・・・などとも呼ばれています。)


何故なら、聖伝のミサは、聖ピオ5世教皇様の大勅書によって義務化され永久に有効なミサ聖祭だからです。(1570年7月14日聖ピオ5世の大勅令『クォ・プリームム』


■ ドイツの Die Welt 紙によると、ベネディクト十六世教皇様は、聖伝のミサが自由に挙行されるべくモトゥー・プロプリオ(自発教令)の発表を望まれており、その「準備は整った」そうです。

 

(要約)
 ベネディクト十六世は成し遂げた。ルターの国から出た教皇はラテン語のミサを再び許可する。この一歩は教会を変えるだろう。むしろビクビクしている教皇は、巨大な抵抗に反対して決断した。多くの人々は、教皇がそのような軋轢を避けると思った。・・・ ベネディクト十六世は古い典礼を自由化する。教皇はフランスやドイツの枢機卿や司教たちからの反対で影響を受けるのを許さなかった。教皇は古いミサをどこでも自由に捧げることができるようにするだろう。それにはもはや地方司教たちの許可は必要ではない。教皇に何もなければこれは復活節に発表されるだろう。それに伴う全ての司教たちへの手紙もすでに準備されている。これは決定された。ベネディクト十六世は、この典礼をもってカトリック教会自身のスタンダードに戻る。聖伝のミサと1969年の新しいミサとの比較の腕相撲へと道が開かれた。まあ教皇の出身のババリア地方では腕相撲が盛んだが。


Benedikt XVI. hat sich durchgesetzt: Der Papst aus dem Land Luthers wird die lateinische Messe wieder zulassen - Ein begleitender Brief an alle Bischoefe ist schon vorbereitet - Von Paul Badde / Die Welt

Die Wiederzulassung des alten lateinischen Ritus von 1570 durch Benedikt XVI. steht bevor. Fuer eine solche Wende laesst sich in der Geschichte der katholischen Welt kaum ein Beispiel finden. Der Schritt wird die Kirche veraendern. Die souveraene Entscheidung hat der scheue Papst fast im Alleingang auf die Tagesordnung gesetzt, gegen enorme Widerstaende. Auch darum haben viele nicht damit gerechnet, dass er diesem Konflikt nicht auswich, sondern unbeirrt nach seiner Auffassung zu entscheiden suchte - etliche Kardinaele eingeschlossen, die vor zwei Jahren mit Joseph Ratzinger noch einen Uebergangspapst wahlen wollten und zu waehlen glaubten.


Die Sache ist entschieden. Es wird keine Systemwiederherstellung werden, wie man sie sich bei einem abgestuerzten Computer vorstellen kann. Benedikt XVI. gibt der katholischen Liturgie nur ihr Urmeter zurueck, an dem sich fortan auch der vielfach orientierungslos gewordene neue Ritus von 1969 wieder entscheidend neu ausrichten kann. Ein ueberraschend kosmisches Fingerhakeln hat die Entscheidung vorbereitet. Doch Fingerhakeln ist eine bayerische Spezialitaet.


【英訳】


<2007年4月>


【大阪】大阪市東淀川区東中島1-18-5 新大阪丸ビル本館511号(JR新大阪駅の東口より徒歩5分)「聖母の汚れ無き御心巡回聖堂」

3月
30日(金)平日(4級) 大阪 午後5時半
31日(土)平日(4級) 大阪 午前11時


【東京】東京都文京区本駒込1-12-5曙町児童会館1F 「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」

3月31日(土)午後6時半 グレゴリオ聖歌に親しむ会(http://sound.jp/gregorio/
     午後8時30分 グレゴリオ聖歌による終課

4月1日(主)午前10時  ロザリオ及び告解
     午前10時半  枝の主日
     午後2時半  十字架の道行き
     午後4時   グレゴリオ聖歌による主日の第二晩課

2日(月)午前7時 聖月曜日

 

 詳しいご案内などは、
http://fsspxjapan.fc2web.com/ordo/ordo2007.html
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila351.html
http://sspx.jpn.org/schedule_tokyo.htm
 などをご覧下さい。

For the detailed information about the Mass schedule for the year 2007, please visit "FSSPX Japan Mass schedule 2007" at
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/tradmass/


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