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ルフェーブル大司教様の1988年の司教聖別と『破門問題』周辺

2007年03月03日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア!


 ルフェーブル大司教様の1988年の司教聖別と『破門問題』周辺


 ルフェーブル大司教様の1988年の司教聖別やヨハネ・パウロ二世教皇様の『エクレジア・デイ』に関して、どう考えたら良いのでしょうか? 


 最近、「護教の盾」のヨゼフ・ジェンマさんが、ヨハネ・パウロ二世教皇様の『エクレジア・デイ』を日本語に訳して下さったようです。


 これを日本語に訳されて「聖ピオ十世会の人達に悪いかなぁ」と思うご必要はありません。何故なら、この文書が出たことは現実であり、私たちは現実を直視しなければならず、「そうあればいいのに」という夢の中で生きるのはまさに近代主義のやり方だからです。


 ローマと聖ピオ十世会関係の公文書は、レネー神父様の編集しアンジェルス・プレスが本で出版しています。Archbishop Lefevre and the Vatican


 また同じ本の内容は、聖ピオ十世会アジア管区のホームページでオン・ラインでアップされつつあります。


 エクレジア・デイについて、私は一部をここそこらで、訳したことがあります。しかし私はこれを敢えて全文を日本語に訳しませんでした。何故なら、せっかく訳しても聖ピオ十世会の訳は、バイアスがかかっているから信頼できない、とか言われるのがオチだと思ったからです。ですから日本の中央協議会などが公式の訳を出してくれるのを待っていましたし、またそれ以外の仕事も多かったからです。


 さて、この文章に対して、どう考えればよいのでしょうか? 私たちは『エクレジア・デイ』を読んであることを前提に、以前からそれに対して回答をしてきました。しかし、日本のカトリック信徒の方々が全てが全て、教会の歴史や教会法について勉強されたわけではありませんし、変な思い込みがあるでしょう。ですから、私たちが言ってきたことがあまりよく伝えられていないように思われます。


 そこでこの『エクレジア・デイ』が日本語に訳されたことをよい機会に、もう一度、ここでそれを考察してみましょう。


 ところで、この文書に注目する前に、旧約、新約の実例を思いついたまま幾つか取り上げてみたいと思います。



(1)旧約時代のマカベオ兄弟と「安息日」


 紀元前4世紀、有名なマケドニア人のアレクサンドロは諸国を征服し大帝国を築き上げ、パレスチナも彼の手に落ちました。その後、アンティオコ・エピファネ(アンティオコ四世)は、エジプトに攻め入り勝利を収め、イスラエルとエルサレムを攻め襲いました。「王は全国に書面を送り、みな各々の国の習慣を捨て、一つの民にならねばならぬと告げた」のでした。145年、王は荒らす厭わしいものを祭壇に立て、見つけ出す限りの律法の本を引き裂いて焼き、割礼を禁じ、棄教せよと命じたのでした。この迫害の中、イスラエル人の多くは王の方につきました。しかし、マタティアは「律法を守る熱意に燃え、契約を行おうとする者は私に従え」と呼びかけて山に逃れたのです。マタティアの言葉に従って、正義と公正を求める多くの人々は荒れ地に逃げました。


 王の兵隊は彼らを追い、安息日に闘いを交えようとしました。しかし一部の人々は安息日だったので、応戦せず、身を守ることもせず、安息日を犯すよりも死のうといって死んでいきました。その数は1000名ほどでした。


 しかし、マタティアとその友は、私たちがあの兄弟達にならって安息日だからといって異国人と戦うことをしなければ、たちまち私たちは地の表から滅ぼされてしまう。安息日に戦いを仕掛けるものがあれば、安息日であろうと私たちは彼らと戦おう、と決心したのでした。マタティアの死後は、マタティアの息子でマカベオと呼ばれていたユダがあとを嗣ぎましたが、ごく少数にすぎませんでした。アンティオコは、これらの抵抗をにじりつぶすために、4万の歩兵と7千の騎兵を送り、その他多くの軍勢もそれに加わりました。しかしマカベオ兄弟達はそれらと戦い、イスラエルの宗教を守り抜いたのです。


 カトリック教会はマカベオ兄弟を聖人として祝っています。1962年のミサ典書において全世界で祝われる唯一の旧約の聖人です。


■ 天主の十戒の第一戒を守るために、第三戒の安息日は犠牲になった。信仰を守ると言うことは何にもましてなされなければならないこと。



(2)ファリザイ人たちと私たちの主イエズス・キリスト


 ファリザイ人たちはイエズス・キリストが天主であることを信じるのを拒びました。私たちの主イエズス・キリストにおいて、モーゼに代表される全律法とイザヤに代表される全預言が成就してました。またイエズス・キリストは、多くの奇蹟に代表される善行をなしていました。しかし、ファリザイ人たちにはそれが見えませんでした。何故でしょうか? 彼らには「安息日を守る」という律法の字面しか見えなかったからです。


 イエズス・キリストは命の必要なら、善のためなら安息日を「無視」して善をなしました。


 安息日に、イエズスは麦畑をお通りになると、弟子たちは空腹だったので、麦の穂をつんで食べはじめ、ファリザイ人がこれを見て、「あなたのお弟子は、安息日にしてはいけないことをしています」といったことがあります。


 彼らはイエズス・キリストを訴えようとしてこう尋ねました。「安息日に病気を治してもいいのですか?」と。


 イエズスはかれらにむかって「あなたたちの中に、一匹の羊をもっている人がいて、羊が安息日に穴におちたら、ひき上げないでおくだろうか?人間は羊よりもはるかにすぐれたものである。だから、安息日に善を行なうのはよいことだ」とおおせられ、そしてその人にむかって「手をのばせ」とおおせられ、その人が手をのばすと、その人の手は治って、もう一方の手と同じようになりました。


 だから私たちの主イエズス・キリストは、ファリザイ人たちについて大変厳しい言葉でこう言われました。


「のろわれてあれ、偽善者の律法学士ファリザイ人よ。あなたたちは、他人の前に天国をとざし、自分もはいらず、はいろうとする人がはいるのもゆるさない!」


「のろわれてあれ、偽善者の律法学士ファリザイ人よ。あなたたちは、はっか、ういきょう、いのんどの十分の一をおさめながら、律法の中でいちばん重大な正義と慈悲と忠実とを無視している!さきのをも無視することなく、あとのをこそ、おこなわねばならない。めくらの案内人よ、あなたたちは、小蝿をこし出して、らくだをのみこんでいる!」


■ ファリザイ人たちは「法!法!法!」と叫んでいた。そして律法の字面にこだわるあまり、法の目的とその意味しているところ(イエズス・キリストへの信仰)が理解できなかった。だから彼らは、律法の目的と安息日の主を、律法を壊す者・安息日を破る者として断罪した。

 


(3) 旧約の大司祭の権威と使徒達の本当の従順


 イエズス・キリストの御復活後、ユダヤ人のかしらたち、長老たち、律法学士たちは、イェルザレムに集まり、大司祭アンナも、カヤファも、ヨナタンも、アレキサンドロも大司祭の一族みな集まった。互いに相談して「その噂が、これ以上人々のなかにひろまらないように、今後、その名によって誰にも話すなと、おどして禁じよう」といった。


 そして使徒達をよんで、一切イエズスの名によって話したり教えたりするなと禁じた。しかしペトロとヨハネとは「天主をおいて、あなたたちに従うことが、天主のみ前にただしいことかどうかは、あなたたちが判断しなさい。私たちとしては、見たこと聞いたことを黙っているわけにはいきません」と答えた。


■ 長上の権威は天主の代理であり、天主への信仰と天主への従順のためにある。もしも正当な権威であっても、天主への真の信仰や真の従順に背くことになるなら(たとえば「ウソをつけ」「イエズス・キリストだけが真の宗教を作ったと真理を言ってはいけない」)、それに従うことは、本当の従順ではなくなる。

 

(4)聖ペトロと聖パウロとはアンティオキアで


 聖ペトロがアンティオキアに来たとき、聖パウロは面と向かっでかれに反対した。かれに非難するところがあったからである。というのは、かれはある人々がヤコボのほうから来るまでは、異邦人といっしょに食事していたのに、その人たちが来ると、退いて、割礼を受けた人々をはばかって異邦人を避けたからである。他のユダヤ人もかれにならって、いつわりの態度をとり、バルナバもそのいつわりにさそわれたほどであった。しかし聖パウロは、かれらが福音の真理にしたがって正しく歩んでいないのを見て、皆の前で聖ペトロにいった。「あなたはユダヤ人であるのに、ユダヤ人のようにせず、異邦人のように生活している。それなら、どうして異邦人にユダヤ人のようにせよと強いるのか」。(ガラチア書 第二章)


■ 一司教にすぎなかった聖パウロは、初代教皇聖ペトロの偽りの態度を見て、皆の前で聖ペトロを公然と非難した。何故なら、Melius permittitur nasci scandalum quam Veritas relinquatur.真理を裏切るより躓きが生じるのを許した方が良い(大聖グレゴリオ)からだ。「この非難の機会はささいなことではなく、適宜であり有用であった。福音の真理からそれる危険があったからである。やり方もふさわしかった。なぜなら、この過失がすべての人々の信仰を惑わす危険があった限りにおいて、公であり、明白であったからである。」(聖トマス・アクィナス)

 

(5)教皇リベリウスと聖アタナジオ


 357年、教皇リベリウスは半アリウス主義(半分アリウス異端説に染まった説)の信教にサインし、ニケア公会議の擁護者であった聖アタナジオを破門しました。360年、コンスタンチノポール教会会議はカトリック、アリウス異端者、半アリウス異端者の全てがサインすることができる信教を採用し、聖イェロニモは「全世界はうめき自分がアリウス異端説に染まってしまったのを知り驚いた」と言っている程でした。


 聖アタナジオとサモサタの聖エウゼビオとは自分の司教区以外でも(もちろん、教皇様の許しなく!)正統信仰の司教たちを聖別しました。有名な神学者ドン・アドリアン・グレアはこう書いています。「4世紀に、サモサタの聖エウゼビオはアリウス異端者たちによって壊滅状態に陥った東方の司教区を旅行し廻って、彼らの上に特に裁治権があったわけではなかったが、彼らのために正統な牧者(司教)たちを聖別した。これらは極めて異常な行動であったが、状況がそうさせたのであった。」(Adrien Grea, l'Eglise et sa Constitution Divine, p. 236)


 もちろん、リベリウスの聖アタナジオに対する破門は有効だと見なされるべきではありません。何故なら、カトリック教会は、教皇リベリウスから歴代の教皇として初めて「聖人」の称号を取り除き、聖アタナジオには「聖人」の称号を送っているからです。


■ 信仰を守ることは何よりも重要。




(5)教皇オノリオ一世(ホノリウス一世)(625-638)とそのキリスト単意説


 教皇オノリオ(Honorius)一世は、キリスト単意説の異端をコンスタンチノポールの総大司教セルジオへの二通の書簡で述べ、第三コンスタンチノポール公会議(第六公会議)によって教皇オノリオ一世は異端者であると排斥され、これを教皇レオ二世は承認しています。


デンツィンガー・シューンメッツァー552番
 彼らを追放すると共に同時に、天主の聖なるカトリック教会から、オノリオも同時に私たちは排斥することを決議した。彼は古きローマの教皇であったが、彼がセルジオ宛てて書いた書き物を通して彼が全てにおいて彼の説に従ったことそして不敬虔な教えを承認したと私たちは見いだしたからである。


552 Cum iis vero simul proiici a sancta Dei catholica Ecclesia simulque anathematizari praevidimus et Honorium, qui fuerat papa antiquae Romae, eo quod invenimus per scripta, quae ab eo facta sunt ad Sergium, quia in omnibus eius mentem secutus est et impia dogmata confirmavit.

 


■ 教皇はその在位中は誰からも裁かれ得ないが、後継者の教皇或いは公会議によって裁かれうる。

 

(6)東欧の共産主義の迫害下で


 フランスのアンシーと言うところの司教区に非常に高齢の司祭がおります。彼はモーリス・ドゥ・ネッシ神父 (Reverend Pere Maurice de Nessy) と言います。ドゥ・ネッシ神父は東欧職国の事情に詳しく、強制収容所に送り込まれた司教たちの義務はローマと連絡せずに司祭や司教たちを叙階する事である、と言っています。例えば Dachau では Piguet 司教によって秘密の叙階式がありましたし、アルバニアでもそのようなことがありました。


 ドゥ・ネッシ神父
「ルーマニアでは私は東方典礼のカトリック司教である Gorcea 司教と話をすることが出来ました。彼は Hossiu 首都大司教枢機卿によって或る強制収容所で秘密のうちに司教に聖別された司教です。Gorcea 司教と Hossiu 首都大司教枢機卿は共に同時に解放されましたが、自由になったその同じ日に二人とも亡くなってしまいました。ソビエト連邦では Herbigni 司教が Sloskans 司教、 Frison 司教、Nevu 司教、Malecki 司教の4人を聖別しました。Herbigni 司教が処刑されると Malecki 司教は Maultonis 司教と Amudru 司教とを聖別しました。」

 「ウクライナでも秘密の司祭叙階や司教聖別があったことを知っています。例えば Ronya 司教は強制収容所で行方不明となり Alexander Shira 司教を聖別しました。また Vassil Welichkovshi 司教も聖別され13年間投獄生活を送りその後追放され、1973年にカナダで亡くなっています。また Pavlo Vassilik 司教と Ivan Simidi 司教も秘密裏に聖別され、両司教は23名の司祭、12名の修道者また74名の平信徒と共に署名請願をし、ゴルバチョフに教会の公式認可を求めて森の奥から出てきました。これらの4名の司教たちは、ローマと連絡を一切持たずに逃亡中の或いは投獄中の司教たちから強制収容所或いは「山の中」で司教に聖別されたものたちです。もちろんこれには理由がありました。何故なら東方典礼のカトリック教会は生き残るために司祭が必要であり特に司教がどうしても必要だったからです。…」


■ 共産主義者たちの迫害の元で、カトリック教会の生き残りのために、多くのカトリック司教たちは教皇様の許し無しに司教聖別をしたが「破門」になったわけではない。


 

 すこし前置きが長くなりすぎてしまいました。この続きはまた後ほど書きます。

 


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