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【質問】 第二バチカン公会議の全ての文書を捨て去らなければならないのか?

2007年07月31日 | 質問に答えて
アヴェ・マリア!

【質問】 第二バチカン公会議の全ての文書を捨て去らなければならないのか?

【答え】
 第二バチカン公会議の文書は、3つのカテゴリーに分類できます。

* 一部の文書は受け入れることができます。何故なら、カトリックの教義と一致しているからです。例えば「司祭の養成について」の教令がそうです。

* その他の文書は曖昧です。つまり、正しい意味において理解することができますが、同時に間違った意味にもとれます。

* 一部の文書は、正統な意味において理解されることができません。今のままでの言い回しでは受け入れることができません。例えば『信教の自由に関する宣言』がこれに当たります。

 もしも聖伝の光に照らして解釈されるなら(ルフェーブル大司教の表現)、曖昧な表現は受け入れられることが可能です。
 第3のカテゴリーの文書は、その表現が改められない限り受け入れることができません。

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ルフェーブル大司教著
『DUBIA 信教の自由に関する私の疑い』

第一章
■ 自由についての一般的考察 「自由」の3つの意味
■ 法とは何か? 法は自由にとって敵なのか?
■ 良心とは何か。行為の実効的規範とは客観的真実のみ。
■ 良心および強制に関する一般的考察:良心を侵すことになるか。法律上の強制についてどう考えるべきか
■ 基本的諸権利とは何か。その限界は?誤謬または道徳的悪に対する権利は存在するか
■ 誤謬または悪に対する消極的権利は存在するか?また、寛容に対する権利は?

第二章
■ 本来の意味での「信教の自由」:人間人格の尊厳は、真理を考慮に入れない自由には存しない。
■ 19世紀の教皇たちはこぞって、いわゆる「良心と諸信教の自由」を排斥した
■ 諸教皇は、何故「良心ならびに信教の自由」を排斥したのか、理由は?
■ 信教の自由とその新たな「根拠」:およびそれへの反駁
■ 真理探求の自由は宗教的自由の根拠となり得るか
■ 宗教無差別主義について確認しておくべき点
■ 信教の自由は人間人格の基本的権利なのか、歴代の教皇様は何と言っているか?
■ 聖書の歴史に見られる、宗教的事柄においての強制
■ 「宗教的事柄における一切の拘束からの免除」としての宗教的自由の是非
■ 「宗教的事柄における一切の拘束からの免除」としての宗教的自由の是非 (つづき)
■ 世俗の共通善、カトリック宗教とその他の諸宗教
■ 真の宗教に対して国家が取るべき奉仕の役割
■ 教会と国家との関係
■ 宗教的寛容
■ 宗教的寛容についての結論

第三章
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 人間人格の尊厳?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 存在論的尊厳、行動の自由?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 主観的権利、それとも客観的権利?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 拘束を伴わない探求?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 対話、それとも説教?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 真理の宗教? それとも偽りの宗教?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 誤った諸宗教の有する権利?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 権利、それとも認容?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 真の信仰にとって有利となる国家の不介入?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 自由な国家における自由な教会?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 真の宗教の原則が認知されないことこそ「正常な」状態?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: すべての信教の自由が最良の制度?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 宗教の真理から独立した法的秩序?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 信教の自由: どこまでが「正しい範囲」か?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 宗教上の問題におけるすべての人間的権力による一切の強制からの免除?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 教導権に反する『信教の自由に関する宣言』?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 『信教の自由に関する宣言』かクァンタ・クラか?

聖ピオ十世「パッシェンディ」の内容と第二バチカン公会議後の改革

2007年07月31日 | 第二バチカン公会議
アヴェ・マリア!


兄弟姉妹の皆様、
 教皇聖ピオ十世 近代主義の誤りについて『パッシェンディ Pascendi Dominici gregis』1907年9月8日 の「改革者としての近代主義者」の内容と大変に似通っている次の事実を紹介します。

38.さて、私はここで、改革者としての近代主義者について少し述べておかなければなりません。これまで述べてきたことから、このような人々が抱く刷新への熱情がどれほど強く、どれほど激しいものであるかは充分すぎるほど明らかです。カトリシズムの中で、かかる熱情の対象とならぬものは、実に一つとしてありません。

■ 彼らは哲学が、特に神学校において刷新されることを望んでいます。彼らはスコラ哲学が哲学史の単なる一章として種々の絶対的体系の中に位置づけられること、また「唯それのみが真でありかつ私たちの生きる時代に適合したものである現代哲学」が青少年に教えられることを望んでいます。(聖ピオ十世)

◆ 1917年のカトリック教会法典では、神学校で聖トマス・アクィナスの神学を学ぶことが義務であった。
 1983年のカトリック新教会法典では、その義務が無くなっている。


■ [近代主義者によれば]「公教要理においては、刷新されたものおよび一般の人々の理解能力の及ぶものをのぞいていかなる教義も記されるべきではありません。(つまり、刷新されたものおよび一般の人々の理解能力の及ぶものだけを教義をして記すこと)」(聖ピオ十世)

◆ 1992年、新しい『カトリック教会のカテキズム』(1992年10月11日の使徒憲章『Fidei depositum』)。


■ 礼拝について彼ら[近代主義者]が言うには「外的な信心の数は減らされ、これ以上それが増えることのないように手段が講じられなければなりません。」もっとも、彼らの中で象徴主義を信奉する一部の者は、このことに関しては、より寛容な姿勢を見せるのですが。(聖ピオ十世)

◆ 1968年、叙階の秘蹟の新しい儀式が出される(1968年6月18日の使徒憲章『Pontificalis romani』)。

 1969年、新しいミサが出される(1969年4月3日の使徒憲章『ミサーレ・ロマーヌム』)。

 1969年、新しい洗礼の儀式が誕生する(1969年5月15日)。成人洗礼の新しい儀式は1972年1月6日に出る。

 1969年、新しい婚姻の儀式(1969年3月)。さらに1990年に更に新しい婚姻の儀式が出ている。

 1971年、新しい堅振の儀式(1971年8月15日の使徒憲章『Divinae consortium naturae』)。

 1972年、新しい終油の秘蹟(1972年11月30日の使徒憲章、及び1971年8月22日の教令)。

 1973年、新しい悔悛の秘跡(1973年12月2日の教令)。

 1970年、新しい聖務日課(1970年11月1日の使徒憲章『Laudis canticum』、1971年4月11日の教令)。

 1969年、新しい典礼暦(1969年2月14日自発教令『Mysterii paschalis』)。

 1970年、新しい聖香油(1970年12月3日の教令)。

 1983年、カトリック新教会法典(1983年1月25日の使徒憲章『Sacrae disciplinae leges』)。

 1991年、新しい十字架の道行き(新しい十字架の道行きには14留の代わりに15留があり、様々な変更がある)。

 1998年、新しい払魔式(Exorcismus)

 2001年、新しい殉教録(2001年6月29日発行。この中に6538名の聖人及び福者の名前が掲載されている。そのうち約3分の1である1717名はヨハネ・パウロ二世によって列聖列福された)。

 2002年、新しいロザリオの祈り(2002年10月16日の回勅『Rosarium Virginis Mariae』)。

 日本語では、新しい「天にまします」(主祷文)と「めでたし」(天使祝詞)、使徒信経の訳がある。


■ [近代主義者によれば]ローマ聖省、中でも特に図書検閲聖省ならびに検邪聖省も同様に改変されなければなりません。(聖ピオ十世)

◆ 検邪聖省が「信仰教義聖省」となる

 ルフェーブル大司教は検邪聖省で長く働いておられたブラウン枢機卿にこう質問をしたことがある。

 ルフェーブル大司教 「検邪聖省(Holy Office, Sanctum Officium)が教義聖省と名称を変えたことは、ただ名前が変わっただけの本質とは関係のない表面的なことなのでしょうか?それとも本質的な抜本的な変化だったのでしょうか?」
 ブラウン枢機卿 「本質的な変化です。全く明らかです。」

 実際に、信仰の法廷は「神学探究所」に変わった。例えば、「解放の神学」についてこの「神学」とその誤謬を明確に排斥するどころか、むしろ奨励する結果を生んでしまった。何故なら、信仰の法廷であるべきものが「神学研究所」に変わったからだ。カトリック教会は真理を持っているのではなく、「共に探しているところである」という態度に変わったからだ。

 従って、第二バチカン公会議後のローマは、誤謬を排斥しない。異端を異端だと言わなくなった。ただ、1年ほど沈黙を守るように、そして「この教えはカトリックの教壇で教えられるには相応しくない」と言われるだけとなった。そのために誤謬がカトリック教会内に自由に宣伝され、教えられるようになってしまっている。

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第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 人間人格の尊厳?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 存在論的尊厳、行動の自由?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 主観的権利、それとも客観的権利?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 拘束を伴わない探求?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 対話、それとも説教?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 真理の宗教? それとも偽りの宗教?
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第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 権利、それとも認容?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 真の信仰にとって有利となる国家の不介入?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 自由な国家における自由な教会?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 真の宗教の原則が認知されないことこそ「正常な」状態?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: すべての信教の自由が最良の制度?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 宗教の真理から独立した法的秩序?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 信教の自由: どこまでが「正しい範囲」か?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 宗教上の問題におけるすべての人間的権力による一切の強制からの免除?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 教導権に反する『信教の自由に関する宣言』?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 『信教の自由に関する宣言』かクァンタ・クラか?

第二バチカン公会議『信教の自由に関する宣言』に即したカトリック国家に対するローマ教皇庁の政策 バチカンの圧力によるコロンビア国家の世俗化、及びルフェーブル大司教とスイスの教皇大使アンブロジオ・マルチオニ司教とのベルンでの会話
第二バチカン公会議『信教の自由に関する宣言』に即したカトリック国家に対するローマ教皇庁の政策 スペインの世俗化、及び聖座とイタリアとの間の新しい政教条約の承認

第二バチカン公会議の『信教の自由に関する宣言』(DIGNITATIS HUMANAE)日本語訳のみ
第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」(DIGNITATIS HUMANAE)羅和1と2
第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」(DIGNITATIS HUMANAE)羅和3と4
第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」(DIGNITATIS HUMANAE)羅和5,6,7.8
第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」(DIGNITATIS HUMANAE)羅和 第二部 9,10,11
第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」(DIGNITATIS HUMANAE)羅和 第二部 12,13,14,15

カトリック新聞の「教皇ベネディクト16世 朝のミサはイタリア語」を読んで

2007年07月31日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

 カトリック新聞の「教皇ベネディクト16世 朝のミサはイタリア語」を読んで

 カトリック新聞は「教皇ベネディクト16世 朝のミサはイタリア語 バチカン、ラテン語説を否定」という記事を発表している。しかし日本語で記事にすることってもっと他にありそうに思う。

 何故なら「教皇が個人的なミサをトリエント公会議の典礼でささげているとする説」を紹介したのは、「教皇ベネディクトは彼の個人的なミサで古い典礼書を使う」という外電ニュースをくわしく日本語で紹介したのは「護教の盾」さんぐらいで、聖ピオ十世会では軽く触れただけ、日本中でおそらく二人だけだったのに。そんなに重要だったのかな?と思った。もし重要なら、何故それほど重要だったのだろうか? 



【参考資料:カトリック新聞】

 教皇ベネディクト16世 朝のミサはイタリア語
 バチカン、ラテン語説を否定

 教皇ベネディクト16世は毎朝のミサをイタリア語で、現行のローマ・ミサ典礼書によって共同司式している、とバチカンの報道担当者が明らかにした。
 教皇が個人的なミサをトリエント公会議の典礼でささげているとする説は誤っている、と7月17日、教皇庁広報局長のフェデリコ・ロンバルディ神父(イエズス会)が語った。
 トリエント公会議ミサは第二バチカン公会議前のラテン語による典礼で、1962年に最後の改訂版ローマ・ミサ典礼書が公布された。
 教皇が7月7日、自発教令でトリエント公会議ミサについての規制を緩和して十日もたたないうちに、教皇が個人的に古い典礼でミサをささげてきたとする報道が相次いだ。
 「こうした混乱はおそらく、教皇が祭壇に向かってミサをささげている姿の映像によって起こったと思われるが」、教皇専用の礼拝堂では、「祭壇が壁に向かっていることによるためだ」とロンバルディ神父は説明した。
 礼拝堂の祭壇が壁に向かっているために、司式者たちは奉献文を唱える間、会衆に背を向ける事になる。朝のミサに参加する会衆は主に教皇の随員や教皇居室棟で働く修道女からなっている。
 ロンバルディ神父が言及した映像は、バチカンが4月16日に教皇の誕生日に合わせて公開したミサの模様。同神父はこの映像を制作したバチカン・テレビ・センターと、教皇庁広報局、バチカン放送の責任者を務めている。
 ロンバルディ神父はさらに、教皇の二人の秘書が毎朝、教皇と共同司式していることからも、「明らかに教皇が新しいミサ典礼書を使っていることが分かる」と付け加えた。トリエント公会議ミサは厳しく共同司式を制限しているためだ。
 国際的な会衆を伴う公のミサでは、教皇は第二バチカン公会議後のミサを主司式し、ほとんどの祈りをラテン語で唱えている。しかしローマ教区の行事としてささげられる「キリストの聖体」の祭日のミサでは、会衆が国際的でも、教皇はイタリア語で祈りを唱える。



■ もとのCNSの記事は次の通りです。
Vatican spokesman: Pope concelebrates daily Mass using current missal
By Cindy Wooden
Catholic News Service

VATICAN CITY (CNS) -- Pope Benedict XVI concelebrates his daily morning Mass in Italian using the current edition of the Roman Missal, the Vatican spokesman said.

Claims that the pope celebrates his private Mass using the Tridentine rite are incorrect, Jesuit Father Federico Lombardi told Catholic News Service July 17.

The Tridentine Mass is the Latin-language liturgy that predates the Second Vatican Council; it was last revised in the 1962 edition of the Roman Missal.

Less than 10 days after Pope Benedict July 7 issued his letter and norms providing greater opportunity for the celebration of the Tridentine Mass, news reports claimed Pope Benedict already had been celebrating the old rite privately.

"The confusion probably was caused by our footage of the pope celebrating facing the altar, which is due to the fact that the altar is against the wall" in the private chapel of the Apostolic Palace, Father Lombardi said.

With the altar against the wall, the concelebrants in the private chapel end up having their backs toward the congregation during the eucharistic prayer. The congregation at the morning Mass generally is made up of the pope's valet and the consecrated women who staff the papal apartment.

The images Father Lombardi referred to were released by the Vatican to coincide with celebrations of Pope Benedict's 80th birthday April 16. Father Lombardi heads the Vatican Television Center, which produced the footage, as well as serving as director of the Vatican press office and Vatican Radio.

Father Lombardi also said the fact that the pope's two private secretaries concelebrate the Mass with him each morning "obviously means he is using the new Missal," since the Tridentine Mass strictly limits concelebration.


At public Masses with an international congregation, Pope Benedict uses the post-Vatican II Mass with most of the prayers in Latin. However, on occasions such as the feast of the Body and Blood of Christ, which is considered a Rome diocesan celebration although there is an international congregation, the pope recites the prayers in Italian.

END

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教皇グレゴリオ十六世 自由主義と宗教無差別主義について『ミラリ・ヴォス』1832年8月15日
教皇福者ピオ九世 現代社会の誤謬表『シラブス』 1864年12月8日
教皇福者ピオ九世 現代の誤謬の排斥『クヮンタ・クラ』 1864年12月8日
教皇福者ピオ九世 現代社会の誤謬表『シラブス』 1864年12月8日
すべてのプロテスタントおよび非カトリック者にあてた教皇書簡『ヤム・ヴォス・オムネス』 1868年9月13日
教皇レオ十三世 フリーメーソンの悪について『フマヌム・ジェヌス』1884年4月14日
教皇レオ十三世 自由について『リベルタス・プレスタンティッシムム』1888年6月20日
教皇レオ十三世 フリーメイソンについて『クストディ・ディ・クエラ・フェーデ』1892年12月8日
教皇レオ十三世 聖公会の叙階の無効性について『アポストリチェ・クーレ』(抜粋)1896年9月13日
アメリカ主義について『テステム・ベネヴォレンチエ』1899年1月23日
教皇聖ピオ十世 聖楽に関する自発教令『Inter Pastoralis Officii』(MOTU PROPRIO "TRA LE SOLLECITUDINI" SULLA MUSICA SACRA)1903年11月22日
教皇聖ピオ十世 近代主義の誤りについて『パッシェンディ Pascendi Dominici gregis』1907年9月8日
教皇聖ピオ十世 司祭叙階金祝にあたって、カトリック聖職者への教皇ピオ十世聖下の勧告『ヘレント・アニモ』1908年8月4日
教皇聖ピオ十世 シヨン運動に関する書簡『私の使徒的責務 Notre charge apostolique』1910年8月25日
教皇聖ピオ十世 近代主義に反対する誓い『サクロールム・アンティスティトゥム』1910年9月1日
教皇ピオ十一世 真実の宗教の一致について『モルタリウム・アニモス』1928年1月6日
教皇ピオ十一世 王たるキリストについて『クワス・プリマス』1925年12月11日
教皇ピオ十二世 福者ピオ十世の列福式に於けるピオ十二世の説教 1950年6月3日
教皇ピオ十二世 進化論及びその他の誤謬について『フマニ・ジェネリス』1950年8月12日
教皇ピオ十二世 支那の国民に対し『アド・シナールム・ジェンテム』1954年10月7日
教皇ピオ十二世 日本国民に対するメッセージ 1952年4月13日
教皇ピオ十二世 童貞聖マリアの無原罪の教義宣言の百年祭 回勅『フルジェンス・コロナ・グロリエ(輝く栄光の冠)』 1953年9月8日
【参考資料】
【参考資料】ベネディクト十六世教皇の自発使徒書簡 Motu Proprio 『スンモールム・ポンティフィクム SUMMORUM PONTIFICUM 』の非公式日本語訳
【参考資料】第二バチカン公会議宣言『信教の自由に関する宣言』

七月一日に行われた高山右近像祝別式(小豆島新聞より)

2007年07月31日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

 兄弟姉妹の皆様、
 七月一日に行われた高山右近像祝別式のニュースをお知らせします。(小豆島新聞2007年7月10日号より)

 待望の「高山右近像祝別式」は7月1日午後1時から土庄町小豆島カトリック教会前庭で溝辺修司カトリック高松司教区司教、浜口秀昭小豆島主任神父の祝別式が荘厳のうちに進められ、梅雨の晴れ間に恵まれ八〇余名が参列。
 特に大阪から高山右近研究会の池山和男、田中庸策、友永徳市、鍋島国士の皆さんの献身的奉仕で420年ぶり小豆島に高山右近が帰ってこられた。感激もまたひとしおであった。


●高山右近祝別式記念歌
 小豆島信徒代表浜野尚作
(注:典礼聖歌集の替え歌です)

○オリーブの風薫る島で
 人びとにはなされた
 めぐみの みことばを
 私たちにも聞かせて下さい。

○小豆島教会の庭に
 右近像凛と立つ
 ちからの みことばを
 私たちにも聞かせて下さい。

○二十四の瞳の島で
 弟子(十二人)たちをさとされた
 すくいの みことばを
 私たちにも聞かせて下さい。

○十字架を我が胸に抱き
 神は愛 主をたたえ
 いのちの みことばを
 私たちにも聞かせて下さい。


【参考資料】
このほど大阪の教会より土庄町のカトリック小豆島教会に高山右近像が移設されました。高山右近はキリシタン大名でしたが棄教せず一時小豆島に潜伏していた縁があるのでこの像が来ました。ついでに隣にあるキリスト教伝来記念碑の写真も掲載します。

或る画像掲示板 より

■高山右近像:キリシタン大名の銅像、大阪・玉造教会から小豆島教会に /香川【毎日新聞 2007年6月2日より】

 ◇十字剣持ち、りりしい姿 やっとこの地に帰って来てくれた

 香川県土庄町渕崎のカトリック小豆島教会に5月28日、戦国武将でキリシタン大名としても知られる高山右近(1552-1615)の銅像が設置された。

 信仰心の強い風土をもつ小豆島は隠れキリシタンゆかりの地でもあり、江戸中期ごろ、「小豆島八十八カ所霊場」ができる以前はキリシタンの島であり、右近潜伏の地でもあった。

 設置された銅像は大阪市中央区にあるカトリック玉造教会から移設された。高さ2メートル、重さ約250キロの立像。教会関係者ら約20人が見守る中、トラックからつり上げられ、慎重に台座に据え付けられた。

 銅像は10年ほど前に、兵庫県西宮市のカトリック関係施設から玉造教会へ移されたが、同教会にはすでに右近の像があったため、移設先を検討していた。大阪府高槻市の「高槻高山右近研究会」のメンバーや「小豆島キリシタン」研究家らの働きかけで、今回の移設が実現した。修復を終えた立像は十字剣をおさえるりりしい姿をしている。・・・

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聖ピオ十世会韓国のホームページ
トレント公会議(第19回公会議)決議文
第一バチカン公会議 (第20回公会議)決議文(抜粋)
聖ピオ五世教皇 大勅令『クォー・プリームム』(Quo Primum)
新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae
グレゴリオ聖歌に親しむ会

【参考資料】
【参考資料】ベネディクト十六世教皇の自発使徒書簡 Motu Proprio 『スンモールム・ポンティフィクム SUMMORUM PONTIFICUM 』の非公式日本語訳
【参考資料】第二バチカン公会議宣言『信教の自由に関する宣言』

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