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「キリストにならいて」 の「他人の欠点をしのぶことについて」より

2007年08月07日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

「キリストにならいて」は、幼きイエズスの聖テレジアが暗誦していた本ですが、いつ読んでも多くを学ぶことができ、慰められます。ですから兄弟姉妹の皆様にもご紹介致します。次は、第1巻、第16章からです。

16 他人の欠点をしのぶことについて
Cap. 16. De sufferentia defectuum aliorum.

1. 天主の御旨があるまで、人は、自分と他人との欠点をしのばねばならない。それは、あなたをためし、また寛容にするための、よい方法で、それがなければ、私たちの功徳には、大して価値がないと考えよ。またその場合には、天主の助けによって、あなたが、それを快く忍べるよう、よく祈らねばならない。

1. Quæ rarissime homo in se vel in aliis emendare non valet, debet patienter sustinere, donec Deus aliter ordinet. Cogita quod sic forte melius est pro tua probatione et patientia, sine qua non sunt multum ponderanda merita nostra. Debes tamen pro talibus impedimentis supplicare, ut tibi dignetur Deus subvenire, ut possis benigne portare.

2. ある人に、再度注意をしても、反省しないなら、口論するな。悪を善にかえることを知る天主に、すべてをまかせよ、それは、天主の僕のうちに、その御旨と光栄とがあらわされるためである。他人の欠点や短所を、忍耐強くしのぶように努めよ、あなたにも、他人にしのばせねばならない多くの欠点がある。自分で自分を、思いのままにすることさえできないのに、どうして、他人をあなたの思いのままにすることができよう。私たちは、他人に完全であってもらいたい。しかし、自分自身の欠点を直そうとはしない。

2. Si quis semel vel bis admonitus non acquiescit, noli cum eo contendere, sed totum Deo committe, ut fiat voluntas sua, et honor in omnibus servis suis, qui scit bene, malum in bonum convertere. Stude patiens esse in tolerando aliorum defectus, et qualescumque infirmitates, quia et tu multa habes, quæ ab aliis oportet tolerari. Si non potes te talem facere qualem vis, quomodo poteris alium habere ad beneplacitum tuum? Libenter videmus alios perfectos, sed tamen proprios non emendamus defectus.

3. 私たちは、他人がきびしくいましめられることを望むが、しかし自分がいましめられることは望まない。他人が充分自由にふるまえることは悲しむが、しかし自分の要求が拒否されることは望まない。多くの規則によって、他人が束縛されることは望むが、しかし自分の自由が束縛されることは、しのべない。それは、他人を自分と同じはかりで計ることが、いかにむずかしいかを証明する。みなが完徳に達したら、天主への愛のために、他人をたえしのぶことは、なくなるだろう。

3. Volumus quod alii districte corrigantur, et nos ipsi corrigi nolumus, aut negari quod petimus. Alios restringi per statuta volumus, et ipsi nullatenus patimur amplius cohiberi. Sic ergo patet, quam raro proximum, sicut nos ipsos pensamus. Si omnes essent perfecti quid tunc haberemus ab aliis pro Deo pati?

4. しかし天主は、「たがいに重荷をしのぶ」(ガラツィア6・2)ことを、私たちに習わせるために、そうお定めになった。だれ一人として、欠点のない人、重荷のない人、自分に満足している人、自分の知識に不足を感じていない人はいない。私たちは、たがいに忍びあい、慰めあい、助けあい、教えあい、戒めあわねばならない。したがって、人の徳は、逆境のときに一層よくわかる。徳をおこなう機会は、人を弱気にはしない。むしろそれは、その人のひととなりをあらわす契機となる。

4. Nunc autem Deus sic ordinavit, ut discamus alter alterius onera portare, quia nemo sine defectu, nemo sine onere, nemo sibi sufficiens, nemo sibi satis sapiens, sed oportet invicem portare, invicem consolari, pariter adjuvare, et ammonere. Quantas autem virtutes quisque fecerit, melius patet occasione adversitatis. Occasiones namque hominem fragilem non faciunt, sed qualis sit, ostendunt.

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「キリストにならいて」 の「性急な判断をさけるべきこと」より

2007年08月07日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

 「キリストにならいて」からの引用です。

14 性急な判断をさけるべきこと
Cap. 14. De temerario judicio vitando.

1. 他人をさばかず、自分をかえりみよ。他人をさばくのは、無駄なことで、あやまることが多く、罪におちいることも多い。しかし自分自身をさばくのは、いつもためになることである。私たちは、好悪の感情によって、事をきめがちである。自愛心に目がくらんで、正しくさばく自由を失う。

1. Ad te ipsum oculos reflecte et aliorum facta caveas judicare. In judicando alios homo frustra laborat, sæpius errat, et leviter peccat. Se ipsum vero judicando et discutiendo semper fructuose laborat. Sicut nobis res cordi est, sic de ea frequenter judicamus. Nam verum judicium propter privatum amorem faciliter perdimus. Si Deus semper esset pura intentio desiderii nostri, non tam faciliter turbaremur pro resistentia sensus nostri.

2. 天主が、いつも私たちののぞみの、唯一の対象であれば、自分の考えに他人が反対しても、それほど心を乱されることはないだろう。しかし往々、私たちを左右するものが、内にかくれていたり、外からきたりすることがある。ひそかに、意識せずに、自分のためばかりを計って事をおこなっている人が多い。この人々は、事が思いのままにすすんでいる間は、平和に生きているように見える。しかし思いどおりにいかなくなると、すぐうろたえ、悲しむ。友人、同国人、修道者、信仰者の間でも、よく仲たがいが生じるのは、その感情と意見の相違のためである。

2. Sed semper aliquid ab intra latet, vel etaim ab extra concurrit, quod nos etiam pariter trahit. Multi occulte se ipsos quærunt in rebus, quas agunt, et nesciunt. Videntur etiam in bona pace stare, quum res pro eorum velle fiunt. Propter diversitatem sensuum, et opinionum satis frequenter oriuntur diffensiones inter amicos et cives, inter religiosos et devotos.

3. 長い習慣をすてることは、なかなかむずかしい。また、だれも、自分と違う意見を強いられることを好まない。もしあなたが、どんな人も承諾しなければならないイエズス・キリストの教えよりも、あなた自身の考えと手腕とに、かたくなに重きをおくと、あなたは、ごくまれにしか、また長い年月ののちにしか、霊の光に照らされないだろう。天主は、私たちが完全に服従し、天主に対する愛のために人間的な考え方を越えることを、のぞんでおられる。

3. Antiqua consuetudo difficulter relinquitur et ultra proprium videre nemo libenter ducitur. Si rationi tuæ magis inniteris vel industriæ, quam virtuti subjectivæ Jesu Christi, raro et trade eris homo illuminatus, quia Deus vult nos sibi perfecte subjicii, et omnem rationem per inflammatum amorem transcendere.

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【参考資料】
【参考資料】ベネディクト十六世教皇の自発使徒書簡 Motu Proprio 『スンモールム・ポンティフィクム SUMMORUM PONTIFICUM 』の非公式日本語訳
【参考資料】第二バチカン公会議宣言『信教の自由に関する宣言』

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