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「祈りと犠牲とによってだけ、私たちは教会のためになることが出来ます。」幼きイエズスの聖テレジア

2007年10月11日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

祈りと犠牲とによってだけ、私たちは教会のためになることが出来ます。


兄弟姉妹の皆様、
幼きイエズスの聖テレジアは、シスター・ルチアと同じことを言っているので、ご紹介します。 

幼きイエズスの聖テレジアの最後の言葉より

1897年7月8日
 シスター・テレジアは、後に、彼女が二人の宣教師とために霊的妹の役割を果たしたことを知ると、多くの若い司祭たちが霊的妹を求めるだろうと警告しました。これはある霊魂にとって危険なことだろうと指摘しました。


「もしも他のシスターが、私が書いたようなことを書き、同じ褒め言葉を言われ、同じ秘密を打ち明けられたとしても・・・。祈りと犠牲とを持ってだけ、私たちは教会のためになることが出来ます。そのような(司祭との)手紙のやりとりは極めて希でなければなりません。そしてこのようなことをすることが全く許されない修道女たちもいます。つまり、それのことで頭がいっぱいになってしまい、自分は素晴らしい仕事をしているのだと思うようなタイプの霊魂がいるという意味です。しかし現実は、彼女は自分の霊魂を傷つけ、もしかしたら悪魔の罠に陥ってしまうでしょう。修母(はは)様、私が今言っていることはとても重要です。後々忘れないで下さい。」
「カルメルでは、私たちは霊魂を買い取るために偽のコインを偽造してはなりません。綺麗な言葉を書いたり受け取ったりすることは、しばしば偽造貨幣を交換するだけでしかありません。」


1897年7月11日
 シスター・テレジアは信仰に反する誘惑にひどく苦しみ、肉体的にも大変弱っていました。そんな時、彼女は聖母マリアのために作った Pourquoi je t’aime, ô Marie! (聖母マリアよ、何故私は御身を愛するか)という自分の歌のこの節を唱え始めるのでした。

天国の御稜威の王の御旨なり、
その母の心の苦悩。

感覚の暗夜のうちに苦しまれ、
御母は深く悲しみ給う。

おお聖母、苦しむことは良きことか、
さすらいの身のこの世において?

愛しつつ苦しむならば、その通り、
最高の幸、大いなる善。

主のわれに給うたものはこれ全て
御旨のままになし給うべし。

わが母よ、主に言い給え、わが思い、
我が身について遠慮は要らぬ。

望むなら御旨のままに身を隠し、
われを暗夜に置き給えかし、

御姿をしかとま見ゆるその日まで
われを自由に扱い給え。

その日こそ、顔と顔とを相合わせ、
陰ることなく映え輝く日、

信仰は用がなくなり消え失せて
ありのままに御身を知る日。

Puisque le Roi des Cieux a voulu que sa Mère
Soit plongée dans la nuis, dans l’angoisse du coeur,
Marie, c’est donc un bien de souffrir sur la terre?
Oui, souffrir en aimant, c’est le plus pur bonheur!...
Tout ce qu’Il m’a donné Jesus peut le reprendre.
Dis-lui de ne jamais se gêner avec moi…
Il peut bien se cacher, je consens à attendre
Jusqu’au jour sans couchant où s’étentdre ma foi…
(Poèmes N. 54 verset 16)


Since Heaven’s high King has willed it so,
His Mother and His dearest
Should know the anguish of that night, the torn heart’s deepest woe,
Then are not those who suffer thus, to Mary’s heart the nearest,
And is not love in suffering God’s highest gift below?
All, all that He has given me, oh! tell Him He may take it.
Thell Him, dear Mother, He may do whate’er He please with me:
That He may bruise my heart to-day, and make it sore and break it,
Sothat only through eternity y eyes His Face may see!
(Navissima Verba: Enlish translation by the Carmelite nuns of New York, 1953)

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【推薦図書】
小さきものよ,われに来たれ
神との親しさ(6)
小さき聖テレジア自叙伝―幼きイエズスの聖テレジアの自叙伝の三つの原稿 ドン・ボスコ社

小さき花の聖テレジア最後の言葉 By 東京カルメル会
幼きイエズスの聖テレジアの教訓と思い出 From 中央出版社
テレジアの詩 By 幼きイエズスの聖テレジア 伊庭 昭子訳
Mon Chant d'Aujourd'hui

第一バチカン公会議 (第20回公会議)決議文(抜粋)
教皇グレゴリオ十六世 自由主義と宗教無差別主義について『ミラリ・ヴォス』1832年8月15日
教皇福者ピオ九世 現代社会の誤謬表『シラブス』 1864年12月8日
教皇福者ピオ九世 現代の誤謬の排斥『クヮンタ・クラ』 1864年12月8日
教皇福者ピオ九世 現代社会の誤謬表『シラブス』 1864年12月8日
すべてのプロテスタントおよび非カトリック者にあてた教皇書簡『ヤム・ヴォス・オムネス』 1868年9月13日
教皇レオ十三世 フリーメーソンの悪について『フマヌム・ジェヌス』1884年4月14日
教皇レオ十三世 自由について『リベルタス・プレスタンティッシムム』1888年6月20日
教皇レオ十三世 フリーメイソンについて『クストディ・ディ・クエラ・フェーデ』1892年12月8日
教皇レオ十三世 聖公会の叙階の無効性について『アポストリチェ・クーレ』(抜粋)1896年9月13日
アメリカ主義について『テステム・ベネヴォレンチエ』1899年1月23日
教皇聖ピオ十世 聖楽に関する自発教令『Inter Pastoralis Officii』(MOTU PROPRIO "TRA LE SOLLECITUDINI" SULLA MUSICA SACRA)1903年11月22日
教皇聖ピオ十世 近代主義の誤りについて『パッシェンディ Pascendi Dominici gregis』1907年9月8日
教皇聖ピオ十世 司祭叙階金祝にあたって、カトリック聖職者への教皇ピオ十世聖下の勧告『ヘレント・アニモ』1908年8月4日
教皇聖ピオ十世 シヨン運動に関する書簡『私の使徒的責務 Notre charge apostolique』1910年8月25日
教皇聖ピオ十世 近代主義に反対する誓い『サクロールム・アンティスティトゥム』1910年9月1日
教皇ピオ十一世 真実の宗教の一致について『モルタリウム・アニモス』1928年1月6日
教皇ピオ十一世 王たるキリストについて『クワス・プリマス』1925年12月11日
教皇ピオ十二世 福者ピオ十世の列福式に於けるピオ十二世の説教 1950年6月3日
教皇ピオ十二世 進化論及びその他の誤謬について『フマニ・ジェネリス』1950年8月12日
教皇ピオ十二世 支那の国民に対し『アド・シナールム・ジェンテム』1954年10月7日
教皇ピオ十二世 日本国民に対するメッセージ 1952年4月13日
教皇ピオ十二世 童貞聖マリアの無原罪の教義宣言の百年祭 回勅『フルジェンス・コロナ・グロリエ(輝く栄光の冠)』 1953年9月8日

「この世を救う手段は2つあります。祈りと犠牲です。」(シスター・ルチア)

2007年10月11日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

「この世を救う手段は2つあります。祈りと犠牲です。」(シスター・ルチア)

 兄弟姉妹の皆様、
 数日前にアップした記事で、有名な内容ですが、10月13日はファチマの聖母マリアの太陽の奇蹟90周年ですので、もう一度お伝えするのをおゆるし下さい。


 今から丁度50年前、1957年12月26日にメキシコの司祭、フエンテス神父(Padre Augustin Fuentes)は、コインブラのカルメル会修道院にいたシスター・ルチアを訪問した。フエンテス神父は、フランチスコとジャシンタの列福推進者(postulator)、また同時にフリーメーソンの迫害(1924-28年)のもとのメキシコ殉教者たちの列福推進者となる準備をしていた。

 フエンテス神父はメキシコに戻り、1958年5月22日に聖心とガダルーペの聖母の宣教シスター会本部(Casa Madre de las Misioneras del Sagrado Corazon)で講話し、シスター・ルチアの言葉が報告され、後にこの講話の内容が公表された。

 ファチマの公式文書保管者アロンソ神父(Padre Joaquin Maria Alonso)は、このインタビューの真理を検証し「正真正銘性の全ての保証とレイリアの司教認可を含めて、当然の司教認可(サンチェス大司教)の出版許可のこと)を持っている」と強調した。

 フエンテス神父は、これがシスター・ルチアの「まさにその唇から」受けた内容であると断言している。アロンソ神父の公表したスペイン語原文は Veridad sobre Fatima (pp. 103-106)に掲載され、英語訳は、ライアン神父(Father Ryan)によって Fatima Findings, June 1959 誌に発表された。Frere Michel de la Sainte Trinite, The Whole Truth About Fatima, Vol. III: The Third Secret, Part One, Chapter X にも掲載されている。

 それが最初にフエンテス神父によって公表されたとき、それは世界中の信徒の多くから広範な関心を呼び起こした。しかしながら、この重大なメッセージの勇敢な公表の結果として、フエンテス神父は、シスター・ルチアが1948年以来住んでいたコインブラ司教区における何人かの匿名の当局者たちからのまったくそれに値しないそして前例のない迫害を受けた。

 第1と第2の秘密の本質を語りながら、シスター・ルチアはフエンテス神父に新しいテーマを語っている。聖母マリアと悪魔との決定的な闘いというテーマ、天主に捧げられた聖職者や司祭たちに対する悪魔的な攻撃の計画、償いへの呼びかけと招きを期待し待つことなく自発的に聖なる生活を送る信徒の義務、である。

 聖職者達は悪魔の攻撃を受けて、罪の償いの生活・祈りの生活の重要さを疎んじるだろう。(それよりも「人類の連帯」「人間の尊厳」のために活動するようになる? 「神父様のお説教は、貧しい虐げられた外国人の方に真っ先に手を差しのべられる活動はすばらしい、「キリストを着る」と言うことは、過去の典礼にこだわることではなく、私のそばにいる小さな人を大切にすることだと、いう内容」となる? 「毎年8月15日の「お盆ミサ」は夕刻に始まり、その後反戦パーティーとなり、神父様のミサは戦争反対の話ばっかりで、選挙になると憲法9条の話になって、社民党か共産党へ投票しましょうっていうこと」になる?)


 だから信徒たちは「ローマから教皇様から全世界のために改悛への呼びかけがくると期待しないようにしましょう。その呼びかけが司教区の司教様がたから、あるいは修道会からくると期待しないようにしましょう。今は私たち一人一人が自分で自分の霊的改革を始めなければなりません。一人一人は自分の霊魂を救わなければならないばかりか、その道に天主様が置かれ給うたすべての霊魂をも救わなければなりません。」

 ファチマのシスター・ルチアは、既に1957年、教会の重大な危機を予知していた。

フエンテス神父とシスター・ルチアとの預言的インタビュー

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「昨年(1957年)12月26日に私がシスター・ルチアとした最後の会話についてあなたたちに告げることだけを私は望んでいます。私は彼女の修道院で彼女に会いました。彼女は非常に悲しんでおり、非常に青ざめそしてやつれていました。彼女は私にこう言いました。」

「誰一人何の注意も払いませんでした」

「神父様、聖母は、よい人も悪い人もだれもそのメッセージを重大視しないので悲しんでおられます。善人は彼らの道を続けていますが、しかし聖母のメッセージには何らの注意も払っていません。悪人は、彼らの上に実際に降りかかってくる天主の罰を見ずに、メッセージについては注意を払うことさえせずに、彼らの罪の生活を続けています。しかし、神父様、私を信じてください、天主は世界を罰しようとしておられます。そしてこの懲罰は恐るべき仕方で為されるでしょう。天からの懲罰は間近に迫っています。


秘密は明らかにされなかった

「神父様、1960年が来る前にどれだけの時間があるでしょうか?もし前もって世界が祈り償いをしないならば、そてはすべての人にとって悲しいことでしょう、一人も喜ぶ人はいないでしょう。私はさらに詳しいことを言うことはできません。なぜなら、それはまだ秘密だからです。聖母マリア様の御旨によれば、ただ教皇様とファチマの司教様だけが、秘密を知ることをされています。しかし彼らは、影響を受けないように、それを知らないことを選びました。」

「これは1960年まで秘密のままにとどまるであろう聖母のメッセージの第三の部分です。」


天主の鞭、ロシア

「神父様、聖母マリア様は、私のいとこであるフランシスコとジャシンタ、そして私自身に、多くの国々(many nations)が地の面から消え去るだろうと告げられたということを、皆に告げてください。聖母はもし私たちが前もってロシアの回心を勝ち取らないならば、あの哀れな国(ロシア)が世界を罰するために天によって選ばれた懲罰の道具となるだろうと言われました。・・・」


マリアとサタンとの間の「決定的な戦い」: 奉献された霊魂たちと司祭たちの堕落

「シスター・ルチアはまた私にこう告げました:神父様、悪魔は聖母マリアに対して決定的な戦いを挑もうとしています。悪魔は天主を最も侮辱することが何か、また最も短期間にどうやったら最も多くの霊魂らを地獄に落とすことが出来るか知っています。だから悪魔は天主に捧げられた霊魂(=聖職者たちのこと)を勝ち取ろうと全てのことをしています。何故なら、こうすることによって悪魔は、指導者によって捨てられた信者らの霊魂たちが取り残され、いとも簡単に彼らを餌食にすることが出来るからです。」

「聖母の汚れ無き御心とイエズスの聖心を悲しませることは、修道者、司祭の霊魂たちが堕落することです。悪魔は、自分の美しい召命の道から堕ちた修道者と司祭らが、多くの霊魂を地獄に引きずり下ろすことを知っています。・・・ 悪魔は、天主に捧げられた霊魂たちを奪いたいと望んでいます。悪魔は、彼らを腐敗させるように試みています。それは彼らが平信徒の霊魂たちを眠り込ませる子守歌を歌い、彼らが最終的に罪を痛悔しないように導くためです。悪魔は修道生活へ入ることを遅らせる暗示を与えるところまで行きさえして、あらゆる計略を採用します。このことから結果することは内的生活の不毛であり、そして平信徒の間では、諸々の快楽の断念や天主への全面的献身ということがらに関する冷淡さ(熱意の欠如)です。」


ジャシンタとフランシスコを聖化したこと

「また皆に告げてください、神父様、私のいとこのフランシスコとヤチンタは、聖母マリア様のすべての御出現において、彼らが常に聖母が非常に悲しんでおられるのを見たがゆえに、自己犠牲を行いました。聖母は私たちに決して微笑まれませんでした。私たちが聖母のうちに認めたこの悲しみ、この苦悩は私たちの霊魂を貫きました。この悲しみは天主に対する諸々の背きと罪人たちを脅かす罰によって引き起こされています。そしてそのように、私たち子どもたちは祈り、犠牲をするさまざまの方法を発明する以外に何を考えるべきか、知りませんでした。」

「これらの子どもたちを聖化したもう一つの事柄は地獄の幻視を見ることでした。」


ルシアの使命

「私の使命は、この世界が祈らず、償いを果たさなかったら必ず受けるであろう物質的な天罰について、この世界に指し示すことではありません。いいえ、違います。私の使命は全ての人々に、もし私たちがこのまま罪に頑なにとどまるなら、永遠に私たちの霊魂を失ってしまうというその身に迫る危険を指し示すことにあります。」


回心の緊急性

「シスター・ルチアは私にこうも言った。神父様、ローマから、教皇様の方から全世界のために改悛への呼びかけがくると期待しないようにしましょう。その呼びかけが司教区の司教様がたから、あるいは修道会からくると期待しないようにしましょう。今は私たち一人一人が自分で自分の霊的改革を始めなければなりません。一人一人は自分の霊魂を救わなければならないばかりか、その道に天主様が置かれ給うたすべての霊魂をも救わなければなりません。・・・」

「悪魔は私たちの気を散らせ、私たちから祈りに対する愛を取り去るために力の及ぶ限りあらゆることをします。私たちは一緒に救われるか、それとも一緒に地獄に落とされるか、でしょう。」


この世の最後の時

「神父様、聖母マリア様は、私たちが世の終わりの時にいると私に告げられませんでした。聖母はこのことを三つの理由で私に理解させてくださいました。」

最終的な戦い

「第一の理由は、聖母が、悪魔は聖母マリアに対する一つの決定的な戦いに従事しようとしていると私に告げられたからです。そして決定的な戦いとは、そこで一方の側が勝利し、他方の側が敗北を喫する最終的な戦いです。また今からは、私たちはどちらかの側を選ばなければなりません。私たちは、天主の側に付くか、それとも悪魔の側に付くか、そのどちらかです。他のいかなる可能性もありません。

最後の救済策

「第二の理由は、聖母がいとこたち並びに私自身に、天主は世界に二つの最後の救済策をお与えになっていると言われたからです。これらの救済策とは、聖なるロザリオとマリアの汚れなき御心に対する信心です。これらは他の救済策はないだろうということを意味する最後の二つの救済策です。」


聖霊に反する罪

「第三の理由は、天主の摂理の御計画において、天主は、世界を懲罰しようとなさる前に、常に他のすべての救済策を使い尽くされるからです。ところで、天主が世界は何であれいかなる注意も払わないということを御覧になるとき、そのとき、私たちが不完全な話し方で言うように、天主は『ある虞』と共に私たちに救いの最後の手段、すなわち、御自分のいとも聖なる御母、を提供なさいます。それは『ある虞』と共にです。なぜなら、もしあなたがこの最後の手段を軽蔑し退けるならば、私たちはもはや天から許しを得ることはないでしょうから。なぜなら、私たちは福音書が聖霊に反する罪と呼ぶ一つの罪を犯したことになるでしょうから。この罪は完全な知識と同意をもって、天主が提供なさる救いを公然と拒絶することに存します。イエズス・キリストが非常に善なる御子であり、イエズスのいとも聖なる御母に背き御母を軽蔑することをお許しにならないということを思い起こしましょう。私たちは教会史の多くの世紀を通じて、われらの主イエズス・キリストが御自分の御母の栄誉をどのように常に守られたかを、御母の栄誉を攻撃した人々に下されてきた恐るべき罰によって証明された明白な証言を記録してきました。」


祈りと犠牲、そして聖なるロザリオ

「神父様、この世を救う手段は2つあります。祈りと犠牲です。
「シスター・ルチアはこう言いました、聖なるロザリオに関しては、神父様、ご覧ください。私達の生きるこの最後のときに当たって聖母はロザリオを唱えることに新しい効果を与えてくださいました。たとえそれがどんなに難しくとも、この世的なあるいは、特に霊的な問題、私たち一人一人の個人的な生活上の問題、家族の問題、この世のすべての家族の問題、修道会の問題、民族の問題、国家の問題などなど私たちがこの聖なるロザリオの祈りによって解決できない問題などありません。もう一度言います。それがどれほど困難であろうとも、私たちが聖なるロザリオの祈りによって解決し得ない問題はありません。ロザリオを唱えることによって私たちは自分を救い、聖化し、我らの主を慰め、多くの霊魂の救いを勝ち取るのです。ですから私たちのいとも聖なる母、マリア様の汚れ無き聖心への信心をもたなければなりません。そして聖母を仁慈・善良さ・赦しの座であると考え、天国への確かな門であると考えなければなりません。」


聖母の汚れなき御心への信心

「最後に、私たちのいとも聖なる御母、マリアの汚れなき御心に対する信心は聖母を慈悲、善そして許しの座として、そしてそれによって私たちが天国へと入る確実な扉として考えることに存します。」


La conversacion de Sor Lucia con el Padre Fuentes (26 de Diciembre de 1957).

LA ULTIMA ENTREVISTA PUBLICA DE SOR LUCIA
Por el Padre Joaquin Maria Alonso, C. M. F. - Archivero oficial de Fatima.


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第一バチカン公会議 (第20回公会議)決議文(抜粋)
■ 現在、教会に危機は存在するか?
■ 教会における現代の危機の責任は、司教様たちなのか?
■ 教会における現代の危機の責任は、司教様たちなのか?(つづき)
■ イエズス・キリストは、市民社会の王であるか?
■ イエズスは「自分の王国はこの世からのものではない」と言われたのではないか?
■ 第二バチカン公会議はどこが特別なのか?
■ ミサ聖祭とは何か?ミサがいけにえであるということを誰が否定したのか?
■ 新しいミサの第二奉献文(Prex eucharistica II)は、極めて古代のものではないのか?
■ 決して廃止されたことのないこの古い典礼を求める新しい刷新された関心 聖伝のミサは廃止されているか?
■ どのように御聖体拝領をすべきか?
■ 現在手による聖体拝領を拒むことは、進歩への跳躍と発展をも拒むことであるか?
■ ミサ聖祭はラテン語でなければならないのか?ベネディクト十六世教皇のラテン語奨励はいいアイデアか
■ カトリック典礼が普通に有するべき三つの性質:新しいミサはこの三つの特徴を満たすか?
■ モンシニョール・クラウス・ガンバー(Msgr Klaus Gamber)の「ローマ典礼の改革」
■ 新しいミサの神学的な問題点: 新しいミサの基礎になっている考えとは何か?

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】