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聖ピオ十世会 総長第一補佐 ニクラス・フルーガー神父へのインタビュー

2012年11月02日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会総長第一補佐ニクラス・フルーガー神父へのインタビューの日本語訳を皆様にご紹介します。

 愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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原文はこちら
http://www.dici.org/en/documents/interview-with-father-pfluger/


ニクラス・フルーガー神父様へのインタビュー
「私たちは振り出しに戻った」

二〇一二年十月十六日

聖ピオ十世会の現況について、聖ピオ十世会第一補佐ニクラス・フルーガー神父へのインタビュー

Kirchliche Umschau: ちょうど二、三ヵ月前、ヴァチカンは聖ピオ十世会の教会法的承認を与える寸前であるかのように思われました。今となってはあらゆる努力は無に帰したかのように思われます。教理聖省新長官ミュラー司教が、最近のいくつかのインタビューで同じように示唆しました。

ニクラス・フルーガー神父: あらゆる努力は、無駄ではありませんでした。ですが近い将来の同意はあり得ないでしょう。 信仰がまことに意味することについて私たちが同じ考えを持たない限り、いかなる同意も意味を持たないだろうというのが、私たちとローマ・クリアの両者の見方です。この共通の理解は、私たちが充分に時間をかけて書き上げた「教義上の宣言(doctrinal declaration)」において表現されるはずでした。そして二〇一二年四月、総長フェレー司教様は非公式の序文の草稿を提出しました。ですが、驚いたことに、この文書は教理聖省によって拒否されました。ですから私たちは振り出しに戻ったのです。

Kirchliche Umschau: ローマの方向変換についてどのように説明しますか?

フルーガー神父: ローマには聖ピオ十世会の教会法的正常化に強く反対するグループがあります。このような聖ピオ十世会の公式の承認は、実質的に第二ヴァチカン公会議の時代は終わりを告げ、新しい時代の幕開けが来たというしるしになるだろうからです。言うまでもなく、これは公会議支持者たちの意に沿いません。彼らにとって、聖ピオ十世会の公的承認は単に侮辱であるだけでなく、公会議の立場に疑問を投げかけ、その結果、崩壊へと導くものだからです。[承認がとりやめになったことで]公会議信奉者たちは勝利を得たかのように見えます。

Kirchliche Umschau: あなたは新たな動きがあり得るとお考えですか?

フルーガー神父: 考えているどころか──私は確信しています! いくつもの事実がそれを証明しています。世界中のあらゆる場所で、教会は、少数の例外を除いて自己破壊の過程を経験しています。ヨーロッパだけではありません。例えばラテンアメリカ諸国では、物事は少しも良くなっているように見えません。ドイツ、スイス、アメリカのような経済が比較的好調な国では、外的体制は以前として残っています。ですが、信仰の喪失は至るところで見られます。ところで、信仰がないならば教会は存在しえません。ドイツでは、司教たちは最近明確なメッセージを発しました。すなわち、教会の会員たちから維持費を徴収する権利は、年々教会に背を向けていく十二万人のカトリック信者たちよりもっと重要だというのです。私たちは教会史上例を見ない破壊への行軍を目の当たりにしています。司教たちは信仰の精神を欠いた戦法を使うので、潮は満ち、司教たちですら[信仰の溺死を]止められません。五十年前の公会議の教父の一人であるヨゼフ・ラッツインガーは、「異教的精神がしみ込んだ」と教会について語りました。公会議は部分的にそのような業を教会内に導き入れたと。一方で、この情勢の変化は、司教たちにもっと厳格な考えの枠組みをもたらし、他方では、信仰を固守する保守派の人々だけを残すだろうと確信しています。つまり、教会が常に信じ続けたように信じ、彼らのカトリック信仰を粘り強く続けることをただ単純に望む人々のことです。信仰を固く守り続ける人々とともにあるならば、私たちにはもう議論は必要ではありません。信仰における合意はすぐにその後について来るでしょう。

Kirchliche Umschau: 自己破壊の潮流が進歩主義カトリック信者たちを飲み込んでしまうだろうとあなたはほのめかしています。ですが、進歩主義者たちは物事を違った目で見ています。彼らはまさに改革にこそ、生ける教会を延命させる保証があるのだと思っています。

フルーガー神父: 私は作り話をしているのではありません。情勢と進歩主義者たちが導く場所を見ています。教会の未来の発展を保証するはずの若い信者たちは、一体どの修道会あるいは司教区に存在し、そして、死につつあるのはどちらでしょうか? 私たちは衰退と解体が、いわゆる公会議の改革が最も熱心に行われているこのような場所で最も顕著に現れていると観察できるのです。公共の場で──そして教区レベルで──進歩的やり方はもっと受け入れられているということを私は否定しません。ですが、教会を生かすのは社会的支持や人間的賞讃ではありません。教会は信仰を信じ実践する男女から、司祭、修道士、修道女になるため世俗の楽しみを放棄する用意ができている男女から、その活力を引き出します。このうち、後者の人々は進歩主義者たちの間にはまったく見られず、そのため、彼らは現在司祭職に叙階されたがりますが、もちろん独身でもなく、いかなる自己否定もないままにです。彼らは基準を下げることで、召命が自然に増えることを期待しています!

Kirchliche Umschau: あなたは聖ピオ十世会の四司教の新たな破門、あるいは会全体の破門すら予測しておられますか?

フルーガー神父: 新たな破門を歓迎するような人々は大勢いますが、現教皇様の治世においては、それはきわめてありそうもないことに思えます。どうやって彼らはそのことを正当化するのでしょうか? 「聖伝を守る異端」は存在しないからです。私たちは教皇聖座空位主義者ではありません。私たちは聖霊が教皇様と司教様たちに助力の恩恵をお与えになると完全に受け入れています。ですがローマの観点から見て、聖ピオ十世会は「不従順」の有罪宣告を受けました。一九八八年の破門がのちに撤回された時ですらそうでした。

 教会による新たな罰則をどうやって彼らは正当化するのでしょうか? 公会議を拒絶したから? 使徒信経には「我は第二ヴァチカン公会議を信じ……」という一文はどこにもありません! 今から私が述べる、印象的な、現実に起きているいくつもの事実は議論よりももっと重要であるはずです。私たちは今日、新たな若い世代の司祭たちが、ゆっくりとでも確実に古いミサを発見し、それを通して、その中に完全なカトリック信仰と正真正銘の司祭職を発見するのに気づきます。しかし、信仰に関心を持つ若いカトリック信者たちは、多くの場合、ほとんどいつも彼らの教区外でそれを発見していると、私たちは気づくのです。これらの誠実な霊魂たちは、いまだ新しいミサにあずかっているとしても、聖伝の教義と礼拝形式に非常に強い印象を受けています。彼らは聖ピオ十世会をじっと眺め、関心を持って追いかけ、私たちにコンタクトを取る方法を探し、私たちの出版物を求め、私たちとの交流を続けます。二〇〇七年の自発教令のおかげで、エクレジア・デイ傘下の修道会に対して同じ影響があり、教区司祭たちの間でもそうですが、彼らはトリエント・ミサを捧げ始めました。私たちは単に六〇〇名の司祭たちを有する修道会以上のものです。つまり、私たちの影響は、特に未来あるこういった集団の中で深く教会内に及んでいます。ローマ当局が面目を保ちたいなら、彼らは新たな破門を賢明にも避けるでしょう。それはいずれ取り消さざるを得ないからです。

Kirchliche Umschau: ということは、聖ピオ十世会の合法化の機会はいまだにあるが、肝心な点は「第二ヴァチカン公会議の承認」するか否かのようですね。

フルーガー神父: 私たちはもちろん第二ヴァチカン公会議があったということは認めています。ルフェーブル大司教様ご自身、公会議の教父でした。にも関わらず、私たちは、公会議後の改革だけでなく公会議自体の諸文書も、教会が過去に定めた重要な教義に反していると認めなければなりません。例の曖昧さと新規なことが、目下、教会内で進行中の崩壊の中心にあるのです。私たちが「公会議の誤謬」について話すことはローマにとって受け入れ難いことです。ご存知のように、私たちは、公会議があらゆるところで喜ばれ、教会が今日よりもずっと深い信仰と活力に恵まれていた時、公会議を批判してきました。

 なぜ、私たちの警告と批判が長い時間をかけて正しかったと証明された時に、私たちはいきなり回れ右をすることがあるのでしょうか? 公会議後から五十年を経て、ルフェーブル大司教様の予測がまったく大げさではなかったという悲しむべき現実があります。一九七〇年代、つかのまの熱狂と騙されやすい楽天主義が原因で、カトリック司教たちが同性愛、イスラム教の伝播、結婚の崩壊を喜んで支持するなどと誰も想像できませんでした。結婚の崩壊は不幸にも現在の風潮になっています! ヴァチカンは今、教会の崩壊に直面させられています。教会はかつては非常に美しく強固でした。ですが、今はまことの刷新も救済のめども立っていません。新カリスマ主義的集団、その現実的評価は過去十年間活気のしるしとして賞讃されましたが、代わりに警告としての役目を果たすはずです。教会内の現在の状況の原因を探る、公平で徹底的な調査をなぜ行わないのか私にはわかりません。教会はみずからを破壊しており、この問題についてのあらゆる議論に沈黙していることは問題の解決にはならないでしょう。公会議をその後に続く危機の理由として非難すべきでないと偽ることは、自分の頭を砂の中に突っ込んでいるのと同じことです。

Kirchliche Umschau: あなた方はほとんど妥協することがないと思われていますが、なぜあなた方はいまだに教理聖省と議論を続けるのですか?

フルーガー神父: 教皇様とローマは、信仰とは切っても切り離せない現実があるからです。教会の諸機関における信仰の喪失──天主のおかげで私たちが免れている信仰の喪失──は教会の危機の一つの側面に過ぎません。私たちの役割として、私たちもまた不具合、つまり私たちの教会法上の非合法性の事実を耐え忍びます。公会議の教会の状態は不完全ですし、私たちの状態も理想的ではありません。

Kirchliche Umschau: ローマとの議論を拒否する会員たちについて、一言ありますか?

フルーガー神父: はい、ですが彼らは少数です。非常に少ない人数です。長期間の分離のため、一部の会員たちは神学上、混乱に陥ってしまいました。これらの会員たちは内心で信仰を教会法に対立するものであるとしました。あたかも、教皇との一致、教皇の首位制はごくささいな教会法の問題に過ぎないというかのようにです。

 信仰から教皇の正統性を分離すること、そして教皇の正統性を単に法的問題にすぎないものとすることは、重大な危険のしるしです。つまるところ、教会をプロテスタント的視点から眺めていることになります。しかし教会は可視的な存在です。教皇制度は信仰の領域に属します。

 私たち自身、聖伝に忠実なカトリック信者たちは二通りのやり方でこの危機を耐え忍びます。種々雑多で、より高レベルではありますが、私たちはこの危機に加わります。私の考えではこうです。この危機を克服するため、積極的な役割を引き受ける責任を否定することはありません。この戦闘は、私たちの異常な教会法的身分を打開しようという望みに基づいて、私たちから始まるのです。


Kirchliche Umschau: そこで「私たちは振り出しに戻った」わけですが、なぜローマに追従しないのでしょうか?

フルーガー神父: なぜなら、完全だとは考えにくい状態のために、不完全な状態を変更できないからです。ローマとの一致は本来、切断ではなく改善になるはずです。信仰の真理のある部分を除外することは、さまざまな疑わしい進歩的な意見の批判を禁じられるのと同じく、切断に等しいことです。私たちはそのようなやり方に追従するつもりはありません。

Kirchliche Umschau: 総会は七月に開催されました。総会構成員の方々が取り上げた意見はどのようなものですか?

フルーガー神父: 私たちは、ローマとのいかなる一致の前に、満たされるべき六つの指針を制定しました。これらは大量の試金石であり、私たちが常に固持し続けているポイントを再び述べています。私たちは自らの立場をもう一度強固にしました。

Kirchliche Umschau: インターネットでは、この問題について論争がなされています。轟々たる非難が聖ピオ十世会の上層部に浴びせられ、彼らは裏切り者だと非難されています。

フルーガー神父: あなたはウィリアムソン司教様を引き合いに出していますが、長上たちの大多数は司教様を総会から除外しました。これは私たちがどれほど強く一致しているかを示しています。

Kirchliche Umschau: ですが、あなた方はコミュニケーション困難な状況を抱えています。インターネット上のいくつかの掲示板の判断によれば、事態は最悪だとのことです。

フルーガー神父: インターネットがコミュニケーションの新しい形を要求し、それを必要としているのは本当です。私たちはやむを得ず──ちょうどヴァチカンのように──今までに使用していた紙の印刷物の範囲を[インターネットの普及により]超えなければなりません。しかし、不和の種によってあっさりと欺かれる素朴な霊魂たちが確かにおり、彼らはインターネットで読むものから広範囲に渡って間違った情報を受け取ってしまいます。私たちの司祭は信者たちに、たいていは無作法なこういった議論サイトに行かないよう、信者たちが自らの心を乱すことのないよう、インターネットで見つかる噂や工作に腹を立てたりしないよう呼びかけました。私たちはこれからも、インターネットを含む有効なコミュニケーションの手段を使うつもりです。

Kirchliche Umschau: 一部のグループはフェレー司教様自身を標的にしています。

フルーガー神父: フェレー司教様は間違いなく、ご自分を疑い、批判し、裏切り者と糾弾するすべての人々がしたよりも、聖伝に忠実なカトリック信者たちのために、さらなる努力を重ねました。数年間に渡って、フェレー司教様は慎重に、巧みに、ローマとの関係を導いてきました。司教様は決して衝動的に振る舞ったことはなく、ご自分に苛立ったりすることも、忍耐を失ったこともありませんでした。今日、どんな司祭も立てることのできるトリエント・ミサがあります。つまり、一九八八年に私たちに対して激しい攻撃を浴びせた「破門」の撤回を目にしました。公会議の諸問題について議論をしてきました。そして、オーストリアの司教様がお認めになったように、私たちは討論のため、公会議を俎上にふたたび載せてみせたのです。その結果、公会議はもはや神聖不可侵なものではなくなり、その輝きは地に落ちました。このすべてのことは、第二ヴァチカン公会議五十周年の上に積み上げられた数々の讃美にも関わらず、事実として残ります。

 私たちの総長様は大変骨の折れることをやり遂げました。なぜなら、交渉において辛抱強く耐え、忠実に私たちの神学的意見を提示したからです。そういうわけで、司教様は教会の危機における物の見方の中で、ただ一つの目的を持っていると私にはわかります。すなわち、信仰を保持し、私たちの全霊を挙げて教会に仕えるということです。

Kirchliche Umschau: 一つの疑問が残ります。最後の二、三ヵ月に、インターネット中でフェレー司教様に対してしかけられた非難のキャンペーンに対して、司教様が何もなさらなかったように見えたのはなぜなのでしょうか?

フルーガー神父: 忍耐、親切、寛大さは、多くの人々の目には弱さのように映ります。が、この場合はそうではありません。インターネット中で繰り返された攻撃と嫌がらせに直面しても、私たちは自分たちの価値と原則を諦めません。教会法に従って陰謀や計略に対応します。これは一見、ぐずぐずと問題を先送りにしているようで一部の人々を苛立たせるかも知れません。ですが、私たちが自分たちの理想を裏切りたくないなら、これ以外のどんな方法もあり得ないのです。私はこのことをはっきりと申し上げたいです。つまり、人は責任を問われることなしに権威を批判することができるなどと、誰も思い違いをしてはなりません。

Kirchliche Umschau: 具体的にどういうことでしょうか?

フルーガー神父: ウィリアムソン司教様は正当な警告を受け続けています。これは聖ピオ十世会における残念な時期です。司教様が聖ピオ十世会と総長様に反対するインターネットでのキャンペーンを続けるなら、司教様の会からの追放は避けられません。その上、司教様の間違った考えや隠れた企みがあります。ウィリアムソン司教様が何年間も総長様の権威を受け入れていない、そして自分に天主から与えられた使命があると思ってきたという事実は正真正銘の悲劇です。総会の前に、司教様は司祭たちと信者たちに反逆を呼びかけました。カトリック司教として、これは非常に遺憾なことです。

Kirchliche Umschau: 聖ピオ十世会の目的はローマとの交渉に限られないのですね。あなた方が思い描く使徒職の他の分野とは何でしょうか?

フルーガー神父: ヨーロッパ諸国は信仰を失ってしまいました。この信仰の喪失が起きた一つの理由は、教会がもはや信仰を提供していない、信仰を世界にもたらしていないという事実です。近代主義聖職者たちはほとんど自分たちの信仰を恥じているように思われます。だからこそ、彼らは環境保護、富の再分配や、発展への援助のための運動をするのです。私たちは彼らが分別を取り戻すのをただ待っていることはできません。私たちは社会でもっと行動的になり、市民社会でより大きな影響を持ち、慎重さ、謙遜、愛徳でキリスト教社会を再建しなければなりません。聖主が地上におられる時に人々に訴えたようにです。つまり、恐れるな! ということです。

Kirchliche Umschau: あなた方は、直視するべき重要な課題がどこにあると思われますか?

フルーガー神父: 私たちは目下、東側諸国においてキリスト教徒の世界規模の迫害を目撃しています。私たちの職務は迫害された同胞たちに注意を向け、彼らを助けることです。今回の総会宣言ではこのことを明らかにしました。西側諸国では、家族の価値は衰退してきているため、子どもを持つ親たちはどんどん減ってきています。国家の法は、社会の構成要素である家族に対してより大きな脅迫を突きつけています。一つの大きな務めは家族への支援です。私たちは大家族に助けを与えなければなりません。彼らが社会で取り残され、無視されないようにです。しかし私たちの第一の義務は──七月の総会宣言で再び強調されたように──信仰の擁護と保持、具体的には、まことのカトリック司祭の養成です。これこそが、私たちが教会に奉仕できる最も優れた方法です。

 個人レベルで言えば、霊魂の聖化が求められています。一つの側面を挙げると、祈り、宗教教育、そして秘跡の執行です。別の側面としては、他の模範となる生活と兄弟的愛徳です。これらは手を携えて、そろって行くものです。この務めをやり遂げることで、私たちは自身の霊魂を救い、隣人の霊魂を救います。そうです、私たちは実際、天国の一致と幸福のまことの前触れがある、そのような数々の機会を知っています。物質主義、無神論は偽りの諸宗教と手を取り合い、これらすべてが次から次へと健全なカトリック生活の道に立ち塞がっています。私たちは聖ピオ十世会のための断固とした使命についてここで話しています。すなわち、善意の信者たちが困難な時代において信仰を保ち、信仰を生きるのを助けることです。私たちが天主から与えられた才能(タレント)を、地の果てまで、天主の愛の炎を広めるため使うなら、これこそが私たちの今日の、さらに最高に気高いただ一つの務めです。このことは深い活気に満ちた信仰を通してのみ可能です。

Kirchliche Umschau: 神父様、インタビューに回答いただきありがとうございました。


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