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ルフェーブル大司教と、ウィリアムソン司教との間の、驚くほどの違い、著しい対照

2015年03月21日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会アジア管区は、一昨日の「司教聖別」に対して、ルフェーブル大司教のなされていたこととあまりに違いがあり、あまりにコントラストが強く、あまりにやり方が違っているので、次のようなコメントが作られました。
 どのように考えてよいのか疑問に思っている、愛する兄弟姉妹の皆様のためにご参考になれば幸いです。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

著しい対照、驚くほどの違い


最近、ウィリアムソン司教による最近の司教聖別と1988年にルフェーブル大司教によって行われた司教聖別との間には、著しい対照、驚くほどの違いがある。

 ルフェーブル大司教は、1970年11月1日にシャリエール(Charrière)司教によって教会法に則って正式に承認された、固有の「誓願無しの共同生活をする修道会」として、聖ピオ十世会を創立した。
 ところが、ウィリアムソン司教には、それに似たような「修道会」は存在しない。「マルセル·ルフェーブル司祭連盟」には本当の権限がないし -- ウィリアムソン司教自身がそのような権威は今は不可能だと言ったことがあるように -- 教会法上の立場もなければ規律も全く存在していない。

 ルフェーブル大司教はいつでも教会法を尊重することを努め、自分のエコンの神学校のため、そしてその他の小修道院設立のために、適切な当局の承認を得た。そして1975年にあった聖ピオ十世会の非合法な「廃止」が、それを不可能にさせるまでそうし続けた。しかもその時でも、ローマに二件の控訴を提起した。が、この控訴はビヨ(Billot)枢機卿によって葬られてしまった。しかし、そのような教会法上の控訴は「停止力」を持っているので、たとえ、多くの場合そのように認識されていないとしても、聖ピオ十世会は合法的に実際にまだ存在している。それ以後、聖ピオ十世会は、実質的に承認されてきている。このことは明らかにルフェーブル大司教が、決して教会法を無視したことがないことを示している、ルフェーブル大司教は「信仰」によって教会法に従う義務から免れるなどと思ったことは決してない!
しかし、ウィリアムソン司教の側には、教会法に対する敬意というようなものがどこにあるのだろうか? それはどこにも見いだされない。

聖ピオ十世会は、創立から1988年までの間(18年間)、生き続け成長し続けた。その間、六校の神学校、しっかりと確立された多くの聖堂、学校、ミッション、カトリック修道会にとって通常のことである多くの管区に組織され、聖ピオ十世会はその活力を示し続けてきた。聖ピオ十世会は、1988年において、200名以上の司祭、さらに200名以上の神学生、修道士、修道女、奉献修道女、等を擁していた。
さて、ウィリアムソン司教と共にいる司祭らの「緩やかな連合」は、存在しだして3年さえにもならず、実際上、神学校もない。(フィリピンのマニラから南にあったものは、その所有者が彼らのあまりもの不秩序に嫌気がさし、閉じられた。) 彼らの間にはすでに大きな対立がある。(対立は、彼らの一部司祭は、他の司祭に対して民事訴訟を行ってさえいるほどだ。) しかも、一部司祭らは、すでに公然の聖座空位主義者である。従って、彼らの間には一致が存在していない。連帯もない。
フォール司教は神学校を開校する「つもり」だと主張している。しかし、まだ存在していない何かのために「生き残り作戦」をどうやって主張することが出来るのだろうか? ルフェーブル大司教とは、何と大きな対照だろうか!

ルフェーブル大司教は、すでに一人の司教聖別のために80年代初頭にラッツィンガー枢機卿に許可を求めていた。さらに、1988年の司教聖別の前年には、丸々一年を、司教聖別が適切な教皇の許可のもとに行われるために、可能なあらゆる努力を尽くすために使った。 - その努力により、教皇が1988年5月5日にルフェーブル大司教によって一名の司教聖別をするという原則を承認するに至った。彼はその後、5月6日に、この承認が実際にどのように実現するのかを尋ねた。つまり、司教聖別の儀式の日付を求めたのだ。ルフェーブル大司教自身、すでに司教聖別の日付を数回に亘って延期していた。ローマは彼に日付を与えるために三週間待たせた。そして日付を提示していた正にこの同じ手紙が、それがその日付に間に合わせることが不可能にさせるようなことを要求していた、つまり、新たな司教聖別の候補者を求めていた。この不誠実な態度は、ローマが5月5日に与えた承認を守る意図がなかったこと、無期限の遅延によってこの司教聖別の承認を事実上反故にするだろうことが明らかになった。これが、これ以上、ルフェーブル大司教の「生き残り作戦」を遅延させないことを決意させた。
しかし、ウィリアムソン司教が教皇による司教聖別の承認を得るためになした努力がどこにあるのだろうか? 全く存在していない! 何と対照的なことだろうか!

ルフェーブル大司教が教皇の権威の認めていることは、1988年5月5日のプロトコールによって極めて明確にかつ具体的に、明らかにされていた。ただローマの不誠実さだけが、このプロトコルを反故とさせた。
しかし、ウィリアムソン司教が教皇の権威を認めるというのは、実際には、理論的な認識だけであって、事実上は否定され、そして、現在の教皇への、いかなる従順でさえも拒否することを自分の多くの宣言によって明らかにされている。
聖アウグスティヌスは、殉教者とは、苦しみと死という事実によって殉教者となるのではなく、人間がそのために死ぬその原因によって殉教者となる(したがってイスラム教徒の「殉教者」というものは存在しない)、と説明している。【つまり、何のためにか、ということがものごとの価値を決める。ここでは、司教聖別が何のためになされたのか、がその価値を決める。】
ルフェーブル大司教は、現実の権威の乱用に、それらが実際に行われた後に始めて抵抗したのであって、それがなされる前ではなかった
しかし、ウィリアムソン司教とその追随者らは、聖ピオ十世会について将来起こると主張する「妥協」が起こる前に、逆らって抵抗した。しかも、三年後でさえも、そのような妥協はどこにも見られない。
ルフェーブル大司教は、第二バチカン公会議の革新的なことごと(信教の自由、エキュメニズム、団体主義)、新しい典礼、手による聖体拝領、およびその他の多くの「認可を得た」新奇なこと、そして最後には、1986年のアッシジでの巨大なスキャンダルといった、極めて大きな、なおかつ明白な不祥事に抵抗した。
しかし、ウィリアムソン司教は、2012年4月に提案された宣言のなかの幾つかの曖昧な言葉遣いに反対する。しかし、この宣言は、数ヶ月以内には、全く反故とされ完全に廃棄されたものである。一体何のために、それほどまでに反対するのかというその理由が、あまりにも不釣り合いであって、対照的である。

聖ピオ十世会の生き残りを確保するために、ルフェーブル大司教は、1988年当時、35歳から52歳という、自分よりも若い司祭らを4名司教に聖別した。
ウィリアムソン司教は、生き残りを確保するためと口では主張しているが、実際には自分自身よりわずか一歳年下である者(73歳)を司教に聖別した。世俗的な退職年齢をかなり超えた、しかも、司教の隠退の年齢に極めて近い年の司祭を、である。
もう一度、ルフェーブル大司教とは何と明白な対照、大きな違いがあることだろうか!

聖ピオ十世会 アジア管区

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A Striking Contrast

There is a striking contrast between the recent episcopal consecration by Bishop Williamson and those done by Archbishop Lefebvre in 1988.

Archbishop Lefebvre had founded the Society of St. Pius X, as a proper religious “society of common life without vows”, duly canonically approved by Bishop Charrière on 1st November 1970. There is no similar “society” with Bishop Williamson, the “sacerdotal union Marcel Lefebvre” has no real authority – Bishop Williamson himself said that such authority was now impossible – absolutely no canonical standing and no rules.

Archbishop Lefebvre always strove to respect Canon Law, and obtained the approval of the proper authorities for his seminary of Ecône and other priories until the illegal suppression of the SSPX in 1975 made it impossible; even then he filed two appeals at Rome, which Cardinal Billot buried. Since such appeal has “suspensive power”, the SSPX legally still exists in fact though often not recognised. It has been practically recognised since. This clearly shows that Archbishop Lefebvre never neglected Canon Law, never thought that “faith” would dispense him from the Canon Law! But where is such respect of Canon Law on Bishop Williamson’s part? It is nowhere to be seen.
The Society of St. Pius X has lived and grown for 18 years, showing its vitality by its six seminaries, its solidly established chapels, schools, missions, organised in districts as is normal for a Catholic religious society. It had in 1988 more than 200 priests, plus more than 200 seminarians, brothers, sisters, oblates, etc. The “loose association” of priests with Bishop Williamson does not even have three years existence, with no regular order, practically no seminaries (the one in the Philippines in south of Manila was closed because their hostess was so disgusted by the disorder!): they already have big divisions among themselves (to the point that some have already made civil lawsuits against others) and some are already openly sedevacantists, thus manifesting no unity among themselves: hence no solidity.
It is claimed that Bishop Faure “intends” to open a seminary: how can he claim a “survival operation” for something that does not yet exist? What a contrast!

Archbishop Lefebvre had already asked Cardinal Ratzinger in the early 80s for the consecration of a bishop, and for a whole year before the 1988 Consecrations, he made every effort possible to have it done with the proper papal mandate – to the point that the Pope approved on May 5th 1988 the principle of a consecration by Archbishop Lefebvre. He then, on May 6th, asked for the practical realisation of this approval, requesting a date for the ceremony: he had himself already postponed several times the date; Rome waited three weeks to give him a date, and the very letter offering a date asked for new candidates which made it impossible to be ready for that date: this dishonesty manifested that Rome did not intend to observe the approval given on May 5th, and by indefinite delays would made it void. This decided Archbishop Lefebvre not to delay any more his “survival operation”. But where are the efforts of Bishop Williamson to obtain any approval by the Pope? Absolutely none! What a contrast!

The recognition of the authority of the Pope was very clear and concretely manifested by the protocol; only the dishonesty of Rome made this protocol void. But the recognition of the authority of the Pope by Bishop Williamson is only a theoretical recognition, denied in practice and by his many declarations rejecting ANY submission to the current Pope.

St Augustine says that what makes a martyr is not the fact of suffering and death but the cause for which one dies (thus there is no Muslim martyrs!)
Archbishop Lefebvre resisted real abuses AFTER they were done, not before! But Bishop Williamson and his followers resisted BEFORE any compromise by the SSPX was made, and even three years later such compromise is nowhere to be seen.

Archbishop Lefebvre resisted BIG and evident scandals, such as the novelties of Vatican II (religious liberty, ecumenism, collegiality), the New Liturgy, with its communion in the hand, and many other “approved” practices and finally the huge scandal of Assisi in 1986. Bishop Williamson opposes some ambiguous words in a proposed April 2012 declaration, which was made void and completely discarded within months: the disproportion of the cause is against striking.

To assure the survival of the SSPX, Archbishop Lefebvre consecrated four bishops between 35 and 52 years younger than he was in 1988. Bishop Williamson pretends to assure a survival… consecrating a bishop who is just one year younger than himself, very past secular retirement age and very close to bishops’ retirement age! Again, what a contrast!

シスター・ルチア「神父様、この世を救う手段は2つあります。祈りと犠牲です。」

「わが天主よ、私は御身を信じ、礼拝し、御身に希望し、御身を愛します!御身を信じない人々、礼拝しない人々、御身に希望しない人々、御身を愛さない人々全てのために、赦しを乞い求めます。」

「至聖なる三位一体、聖父と聖子と聖霊よ、私は御身を深く礼拝いたします。私は、世界中のすべての御聖櫃の中にましまし給うイエズス・キリストのいとも尊き御体、御血、御霊魂、神性を、天主御自身が犯されている侮辱、冒涜、無関心を償うために、御身にお捧げいたします。イエズスの至聖なる聖心とマリアの汚れなき御心の無限の功徳により、私はあわれな罪人の回心を御身に願います。」

ああ、イエズスよ、われらの罪を赦し給え。われらを地獄の火より守り給え。また、すべての霊魂、殊に最も必要としている霊魂を、天国に導き給え。

「聖マリアの甘美なる御心よ、ロシア、ヨーロッパ、中国、韓国、日本、そして全世界の救いとなり給え。」

「ああ聖マリアよ、御身の清き汚れなき御宿りによりて、ロシア、ヨーロッパ、中国、韓国、日本、そして全世界の回心を得させ給え。」


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トリエント公会議による公教要理 主祷文 「天にまします」の意味について

2015年03月21日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 明日は、聖伝の典礼によれば、受難の第1主日です。トリエント公会議による公教要理の主祷文についての説明の続きをご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


§ III. 「天に在す」


35.天主についての正しい概念を有する者皆にとって、天主が全ての場所、全ての国に在すことは、疑いの余地のない事実です。無論、これは、天主が部分に分かれており、そのあるものは某々の場所を占め、かつこれを守り、また他のものは別の場所を占め、守るというように解してはなりません。実際、天主は霊であり、したがって分割され得ないものだからです。天主ご自身が「私は天と地とを満たす者ではないか36」といっておられるのを承知の上で、誰があえて彼に特定の場所を定め、限られた境界の内に封じ込めることができるでしょうか。

36.この言葉は,天主が、その力と広大さとによって、天と地およびこれらが含む一切のものを包含し、なおかついかなる場所にも内包されない、という意味に解するべきです。天主は全てのものの中に、これを創造するため、あるいはこれを存続させるために在(お)られますが、ご自身は、いかなる地域、境界によっても限定ないし束縛されることがなく、また、ご自分の実体と権勢とによって、あらゆる所に現存するのを妨げられることがありません。しかるに、これこそダビドが「天に駆け上ってもあなたはそこにおられ、冥土を床にしても、あなたはそこにおられる37」という言葉で表しているところです。

37.先述のとおり、天主はいかなる境界によっても制限されることなく、あらゆる場所、あらゆる事物の中に現存しておられますが、しかるに聖書は頻繁に、天主が天におられると述べています。そのわけは、私たちが頭上に仰ぎ見る天は、世界の最も貴い部分であり、腐敗を被ることなく、他のあらゆる物体を、その力、大きさ、美しさにおいて凌駕し、又、規則的で一定した動きをするものだからです。したがって、天主が聖書中で、天がご自分の居場所であると述べられるのは、ことさら天の御業において輝き出る、限りない権勢と御稜みい威つとを観照すべく、人々の心を促すために他なりません。とは言え、同じ聖書中で、しばしば天主は、世界のいかなる部分にも、天主がその本性と権勢とによって現存されることのない所は、およそないことを証ししておられます。
この「天に在す(我らの父よ)」という言葉をとおして、信徒は天主を、単に私たち皆に共通の父としてだけでなく、天に君臨される君主とのイメージ(姿)をとおして思い浮かべることになります。さらに、彼らが祈る際、心と精神とを天に上げるべきこと、また、「父」の名が彼らの心に希望と信頼を抱かせる如く、同様に「天に在す我らの父」という言葉の示す、はかり知れない至高の本性ならびに天主としての御稜威は、キリスト教的謙遜と敬虔の念で満たすべきことを思い起こさねばなりません。
当の言葉はまた、私たちが祈りをとおして天主に願うべきことを定めるものでもあります。すなわち、この地上での生活における利便および必要に関する願いの祈りは、もしこれが天的な善につながらず、またこれを目的としてなされるのでなければ、虚しく、キリスト教信者にふさわしくないものとなります。したがって司牧者は信徒に、このようにまず第一に霊的な善を願い求めるべきことを教え諭さねばなりませんが、この際、使徒パウロの次の言葉を引用すべきです。「あなたたちがキリストとともに甦ったのなら、上のことを求めよ。キリストはそこで、天主の右に座しておられる。あなたたちは、地上のことではなく、上のことを慕え。38」

【脚注】
35 テサロニケ前 5章5節
36 イェレミア 23章24節
37 詩編 138章8節
38 コロサイ 3章1-2節

「わが天主よ、私は御身を信じ、礼拝し、御身に希望し、御身を愛します!御身を信じない人々、礼拝しない人々、御身に希望しない人々、御身を愛さない人々全てのために、赦しを乞い求めます。」

「至聖なる三位一体、聖父と聖子と聖霊よ、私は御身を深く礼拝いたします。私は、世界中のすべての御聖櫃の中にましまし給うイエズス・キリストのいとも尊き御体、御血、御霊魂、神性を、天主御自身が犯されている侮辱、冒涜、無関心を償うために、御身にお捧げいたします。イエズスの至聖なる聖心とマリアの汚れなき御心の無限の功徳により、私はあわれな罪人の回心を御身に願います。」

ああ、イエズスよ、われらの罪を赦し給え。われらを地獄の火より守り給え。また、すべての霊魂、殊に最も必要としている霊魂を、天国に導き給え。

「聖マリアの甘美なる御心よ、ロシア、ヨーロッパ、中国、韓国、日本、そして全世界の救いとなり給え。」

「ああ聖マリアよ、御身の清き汚れなき御宿りによりて、ロシア、ヨーロッパ、中国、韓国、日本、そして全世界の回心を得させ給え。」


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