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2018年12月1日(初土) 御聖体降福式にて「御告げの玄義の黙想」

2019年01月07日 | お説教・霊的講話
喜びの玄義 第1玄義の黙想
(2018年12月1日(初土)御聖体降福式にて 小野田神父)


『喜びの玄義 第1玄義:この一連を捧げて、聖母が御告げを受け給いたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて、謙遜の徳をこい願わん。』


御聖体の内に真に在すイエズス様の聖心の御前で、初土の15分の黙想を致しましょう。

今日は特に、もしも皆さんよろしければ、御告げの、喜びの玄義の最初の、御告げの玄義を黙想致しましょう。

天主三位一体がどうしても、人類の力では全く無能であった罪の償いの為に、聖子は人となる事を御望みになりました。聖父は聖子をこの世に送る事を望まれました。

天使たちの犠牲でも、人類のどれほど聖なる人々の犠牲でも、私たちの罪を償う事はできませんでした。地獄へ行くばかりの、救いのない人類に、天主聖子が人となる事を御望みになりました。天主聖父を愛するが為に、私たちを愛するが為に、私たちに全てを、御自らの御命全てを与える為に、私たちを愛するがあまり、私たちと共に居たいがあまり、天主の聖子という高貴さをも顧みず、人となる事を御望みになりました。

天主聖子は、大天使聖ガブリエルを遣わして、人類の代表者であるマリア様に、その事を提案します。マリア様が、「はい」と言えば、この世の救い主は来ますが、もしもお断りになれば、それは得る事ができませんでした。

イエズス様の人類に対する、とてつもない愛を黙想する事を提案します。

イエズス様は、天主でありながら、いとも小さき人となって、私たちに「一体何が最も大切なのか」を教えてくれます。

私はどれほど、「人からすごいと言われよう」とか、「人からどのように見られよう」とか、どれほど気にしてきた事でしょうか。「この世でどれほど楽をしようか」、「どれほど面白おかしく生活しようか」、あたかも天主様がいらっしゃらないかのように、あたかも自分が王様であるかのように、あたかも従う事が嫌であるかのように、自分の思い通りにする為にしてきた事でしょうか。

天主であるイエズス様はその反対に、「天主聖父からどのように思われるか」、「世の罪の償いをどのようにして果たすか」、「聖父をどのようにして愛するか」、「人類を私たちを愛するか」従う事、慎ましい、謙遜である事、永遠の価値だけを考えておられました。

光はこの世に来られたのですが、この世はそれを悟ろうとしませんでした。

「私の心の闇を取り去ってください。イエズス様を受け入れる事が、良いクリスマスを迎える事ができますように、イエズス様の愛を理解する事ができますように、最も大切な事が何かを理解する事ができますように。」

15分間の黙想の終わりに、ファチマの第2の祈りを、3回唱えます。

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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