Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

夫婦が結婚して家族を築くとき、三つの善を受ける:夫婦の貞節、婚姻の秘跡、子どもである。家族の黄金である夫婦の貞節について

2022年01月12日 | 聖伝のミサの予定

家族についての説教(1)

ドモルネ神父

はじめに

今日は、イエズス、マリア、ヨゼフの、聖家族をお祝いしています。天主の御子である私たちの主イエズスは、家族の中に生まれ、地上の生活の30年間を、そこで過ごされました。このことは、人間の生活における家族の重要性を、はっきりと示しています。そこで、家族についての真理を、いくつか思い起こしていただきたいと思います。

1.家族は天主が定められた制度である

家族は、人類の始まりの時に、天主ご自身が定められた制度です。創世記には、こうあります。「天主は、ご自分にかたどって、人間をつくり出された。人間を天主のかたどりとし、男と女とにつくり出された。天主は、人間を祝福して仰せられた。『生めよ、増えよ、地に満ちて、地を支配せよ』」(創世記1章27-28節)。天主ご自身が、家族と、その土台、その使命、その権利を定められました。家族の土台は、一人の男と一人の女が、生涯にわたって互いに結びあう、という婚姻の契約です。家族の第一の使命は、新しい人間を生み、教育することです。家族は、人間の命の源であり、子どもが、肉体的、霊的に成長するための枠組みです。家族の第二の使命は、夫婦が相互に助け合うことです。家族は、その使命を果たすために、必要な自由と手段を、その権利として、与えられなければなりません。

私たちの主イエズスは、公生活の最初の日に、カナの婚礼に参列することで、家族の重要性を確認されました。新郎新婦のために最初の奇跡を行うことによって、私たちの主は、家族に対する天主の最初の祝福を、更新されました。またそれどころか、主は、婚姻の契約を秘跡、すなわち聖化の源泉とさえされたのです。

2.家族は国家に優先する

重要なことは、天主ご自身が、直接、家族制度を制定された、ということです。しかし、天主は、直接、国家や政府を制定されたわけではありません。このことが意味するのは、家族は、国家に優先する、ということです。教皇ピオ十二世は、こう言っています。「家族が、社会のためにあるのではなく、社会が、家族のためにある」。国家の義務は、家族を保護し、夫婦に、その使命を果たすための手段を与えることです。

このことから直ちにえられる結論は、国家には、家族の構造を変える権限はない、ということです。もし、国家がそのようなことをすれば、それは、重大な権力の濫用です。それは、例えば、離婚や、自然に反する結合を認めることです。国家には、夫婦が子どもを生み、教育する使命を妨害したり、制限したりする権限はありません。もし国家がそのようなことをすれば、それは、重大な権力の濫用です。それは、例えば、夫婦が二人以上の子どもを持つことを禁じたり、大家族を持つことを不可能にするような社会状況を作り出したり、子どもの教育を公的機関で行うことを強制したりすることです。

3.結婚の善

カトリック教徒の夫婦が結婚して家族を築くとき、三つの善を受けます。その三つの善とは、夫婦の貞節、婚姻の秘跡、そして子どもを持つ権利です。教皇ピオ十二世は、この三つの善を、ご公現の祝日の、三人の博士たちの、イエズスへの三つの贈り物に例えています。家族の黄金は、夫婦の貞節です。家族の乳香は、婚姻の秘跡です。家族の没薬は、子どもです。そして、教皇ピオ十二世は、三人の博士たちが黄金と乳香と没薬を、天主に捧げたように、カトリック教徒の夫婦も、この三つの善を、天主に捧げるように勧めました。

今回は、家族の黄金、すなわち、夫婦の貞節についてだけお話しします。

4.家族の黄金:夫婦の貞節

教皇ピオ十二世の言葉を紹介します。「黄金は、その美しさ、その輝き、その不変性のゆえに、最も貴重な金属です。その価値は、他のすべての富の基礎であり尺度です。ですから、家族のあらゆる幸福の基礎と尺度は、夫婦の貞節です。ソロモンの神殿では、金属を変色させないため、また建物全体を装飾するために、黄金で覆われていない部分はありませんでした(列王の書上6章22節)。貞節も、同じです。夫婦の結びつきが、堅固で輝くものであるためには、それは完全に貞節で覆われ、包まれていなければなりません。黄金は、その美しさと輝きを保つためには、純粋でなければなりません。同様に、夫婦間の貞節は、完全で、汚れのないものでなければなりません。貞節が崩れ始めたら、家族の信頼と平和と幸福は、失われます。預言者エレミヤは、神殿の黄金が変色し、鮮やかな色を失ってしまったことを嘆きました。しかし、それ以上に嘆かわしいのは、貞節が汚された夫婦です。夫婦の黄金(エゼキエル7章19節)は、ちりあくたと化してしまいます。夫婦の美しい調和という宝は、すべて、疑惑、不信、非難の混じり合った、あわれな腐食へと進み、それはしばしば、取り返しのつかない傷につながるのです。そのため、天主なる幼子へ、皆さんが最初に捧げるべきものは、自分たちの婚姻の約束に、いつも忠実であり、かつそのための注意を怠らない、という決意なのです」。

親愛なる夫婦の皆さん、この教皇の勧告は明確です。皆さんは、夫婦の貞節を守らなければなりません。したがって、夫婦の貞潔を危険にさらすようなことは、何であっても、絶対に拒否しなければなりません。それは、泥棒が皆さんの家に侵入して、黄金をすべて盗むことよりも、悪いことです。皆さんの家族の中でも、付き合う人、テレビやインターネット、新聞や本、漫画、音楽や歌、服装などをチェックしてみてください。

逆に、夫婦間の友情を育み、それによって夫婦の貞節を増進するものは、何でもすべて、促進するべきです。それは、お互いの尊重、日常生活での助け合い、お互いへの信頼と親密さ、親しい会話、家庭内の秩序と清潔、一緒に子どもの世話をすること、そして何よりも、共に永遠の命を得る望みを持つことです。

結論

私は、この説教の締めくくりに、皆さんの家の玄関の扉の上に、ご公現の祝福を刻むことをお勧めします。ご公現とは、三人の博士たちに代表される世界のすべての国々に、イエズスが現れられたことを意味します。日本は、世界の他の国々と同様に、私たちの主イエズス・キリストに属しています。主は、日本において、公に統治なさらなければなりません。しかし、この日本におけるイエズスの統治は、皆さんのキリスト教徒としての誇りを通して、皆さんの家族や家庭で始まるのです。


童貞聖マリアは天主に奉献された霊魂の霊的な豊かさを美しく表している。イエズスに完全に身を捧げ、成聖の恩寵の進展に最善を尽くす人々は、霊的に豊かになる。

2022年01月12日 | お説教・霊的講話

ご降誕の後のマリアの終生童貞性についての説教

ドモルネ神父

はじめに

2週間前の主日に、私は、童貞聖マリアのご胎内における、イエズスの処女懐胎についてお話ししました。先週の主日には、聖母のご胎内からの、イエズスの処女降誕についてお話ししました。今日は、マリアの終生童貞性の話で、このテーマを終えようと思います。では、ご降誕後の、聖母の終生童貞性についてお話しします。

1.教義

至聖なる童貞聖マリアが、私たちの主イエズス・キリストのご降誕後も童貞のままでおられたことは、カトリック信仰の教義です。

聖書には、このことについての直接的な啓示ではなく、間接的な啓示があります。実際、大天使ガブリエルが、救い主の御母となることをマリアに告げたとき、マリアは、こう答えました。「私は男を知りませんが、どうしてそうなるのですか」(ルカ1章34節)。聖母は、天主のみ旨に反対されていたのではなく、一つ障害が存在することを、言っておられたのです。聖アウグスティヌスは、「童貞聖マリアは、その返事を通して、自分がすでに終生童貞の誓願をしていたことを、明らかにしたのである」、と述べています。

誓願とは、天主に対してする約束です。ですから、救い主の御母となるために、マリアが童貞性を保たなければならないかどうかは、天主がお決めになることでした。天主は、マリアの誓願を取り消されませんでした。それどころか、天主は、マリアの童貞性を保つために、二重の奇跡を起こされることによって、その誓願を承認されたのです。マリアは、体も霊魂も完全に童貞のままでありながら、イエズスの御母となられたのです。聖母は、イエズスのご降誕後も、死ぬまで、童貞の誓願の義務を持ち、その誓願を守り続けられました。これについてのカトリックの聖伝の教えは、非常に明確であり、その教えを否定することは異端です。

2.妥当性

さらに、イエズスのご降誕後に、聖母と聖ヨゼフが婚姻の権利を行使したと考えるのは、全く話にもならないことです。そのようなことは、童貞の状態のままご托身の神秘を実現することによって、マリアのご胎内を聖別された、聖霊に対する侮辱となってしまったことでしょう。また、聖母がイエズスのような息子を持つことで満足なさらず、他の子を望まれたことになってしまうでしょう。天主によって聖母の童貞性が奇跡的に守られたにもかかわらず、聖母が、御自分の童貞性をそれほど重要だとは思っておられなかったことになってしまうでしょう。そして、聖ヨゼフは、聖霊の浄配と結ばれようとするような、耐え難いほど傲慢な人だったということになってしまうでしょう。

マリアもヨゼフも、マリアの奉献された童貞性と、マリアにおける天主のみわざを、完全に尊重なさいました。お二人とも、死ぬまで、完全な童貞性を保ち、その結果、お二人の間で子どもをお持ちになることはなかったのです。

3.反論

福音の中に、ある人が、イエズスに対して、このように言ったことが書かれています。「あなたの母と兄弟が、外で待っています」(マルコ3章32節)。また別の日には、ナザレトの人々が、イエズスについて、こう言いました。「あれは大工の子ではないか。その母はマリアと呼ばれ,兄弟はヤコボ,ヨゼフ,シモン,ユダではないか。姉妹もみな、われわれの中にいるではないか」(マテオ13章55節)。福音のこの言葉を用いて、聖ヨゼフと聖母が、イエズスのご誕生後、お二人の間で子どもをお持ちになったと言う人々がいます。この反論に対して、どのように答えることができるでしょうか?

聖書に出てくる「兄弟」や「姉妹」という言葉は、しばしば、母親が同じ兄弟ではなく、いとこや近親者を意味します。ヘブライ語やアラム語には、「いとこ」という言葉がありません。いとこは、広い意味で、「兄弟姉妹」と呼ばれます。この言い方は、たとえばアフリカでは、今でも非常に一般的です。

聖マテオは、福音で、聖ヨゼフは「妻を迎え入れた。そして、マリアは子を生んだが、ヨゼフは彼女を知らなかった。彼は、その子をイエズスと名づけた」(マテオ1章25節)と書いています。この文から、イエズスのご誕生の後、ヨゼフとマリアは婚姻関係を持った、という結論を導き出す人々がいます。しかし、そのような結論は乱暴です。聖マテオの文は、ただ、イエズスのご降誕の前に、ヨゼフとマリアは婚姻関係をもたなかった、といっているに過ぎません。イエズスのご降誕後については、何も言っていないのです。

結論

童貞聖マリアは、私たちの主イエズス・キリスト以外には、ひとりも子をもっておられませんでした。しかし、イエズスの御母となられることによって、マリアは、すべての人間の霊的な母となられました。十字架上で亡くなられる直前、「イエズスは、その母と、愛する弟子とが、そばに立っているのをごらんになり、母に、『婦人よ、これがあなたの子です』と言われ、また、弟子には、『これがあなたの母です』と言われた」(ヨハネ19章26節)。イエズスの弟子は誰でも、マリアを母として持っているのです。

童貞聖マリアは、天主に奉献された霊魂の霊的な豊かさを、最も美しく表しています。私たちの主イエズスに完全に身を捧げ、自分の霊魂の中で、成聖の恩寵を進展させることに最善を尽くす人々は、霊的に豊かになります。そのような人々は、私たちの主と親密であることによって、私たちの主から、他の人たちのための、強力な、そして数多くの恩寵を獲得するのです。言い換えれば、私たちは、自分自身を聖化すればするほど、他の人たちに対する、より多くの霊的な善を行うことになるのです。ですから、現在、カトリック教会を揺るがしている恐ろしい危機の下で、私たちが教会にもたらすことのできる最善の助けは、私たちが、真摯さと寛大さをもって、カトリックの信仰を生きることであり、また、私たちの霊的な生活、すなわち、私たちの主イエズス・キリストとの友情の生活において、私たちが成長することなのです。

天主の御母であり、また人類の母である聖母が、私たちがそのようにすることができるよう、助けてくださいますように。


新年のあいさつ ドモルネ神父さま

2022年01月12日 | お説教・霊的講話

新年のあいさつ

ドモルネ神父さま

親愛なる信者の皆さん、

今日は、2022年1月1日です。2021年が完全に終わり、2022年が始まりました。この二つの点について、少しお話ししたいと思います。

1.昨年について

昨年2021年を通して、天主が私たちに与えてくださったすべての善いものに対して、天主に感謝しましょう。衣食住や、仕事での成功など、物質的な善きものに対して、また知識や友人関係など、霊的な善きものに対して、さらに、超自然的な善きもの、つまり、善き主が私たちに授けてくださったすべての恩寵に対して、感謝しましょう。一年を通して受けた、すべてのミサ、すべての聖体拝領、すべての告解、すべての祝福に対して、天主に感謝しましょう。

次に、それが物質的な贈り物であれ、あるいは、どんな種類の援助、または祈りや犠牲であれ、私たち司祭の日常生活や、使徒職を助けてくださった、すべての方々に感謝したいと思います。特に、東京、大阪、名古屋の各ミサ会場における、次の方々に感謝したいと思います。各ミサ会場の信徒会長、侍者、聖歌隊のメンバー、そして花や会報、インターネットでの発表の世話をしてくださる方々、そして、カテキスタのみなさんに。ここ東京では、毎週、ミサのために、祭壇や部屋の準備、また後片付けを、すすんでしてくださる信者の皆さんに、特別に大きな「ありがとう」を、言いたいと思います。司祭がいなければ、信者はチャペルを成長させることができませんが、信者の助けがなければ、司祭も多くのことをすることはできません。

2.新しい年について

新年を迎えるにあたり、二つのポイントを思い出していただきたいと思います。第一のポイントは、その年の間に皆さんが行うことをすべて、あらかじめ天主にお捧げしておくことです。精神の清らかさを持つようにしてください。言い換えれば、どんな状況でも、常に、天主のみ旨を探し求める決心をしてください。心の清らかさを持つようにしてください。言い換えれば、すべてのものごとを、天主への愛のために行う決心をしてください。

第二のポイントは、特に今年、自分にふりかかる苦しみを、受け入れて、お捧げすることです。完全な幸福がこの世に存在しないことを、私たちはよく知っています。私たちの主イエズスが、私たちのために天国を開いてくださったのは、苦しみの道を通じてであることを、私たちは知っています。 天国に到達するためには、その同じ苦しみの道を歩まなければならないことを、私たちはよく知っています。主はこう言われました。「私のあとに従おうと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を担って、私に従え」(マテオ16章24節)。善き主は、私たちが聖性において進歩するのをお助けくださるために、私たちの人生に苦しみが存在することを、お許しになるのです。苦しみを通じて、私たちは自分の罪を償い、より高い段階へと聖徳を実践することによって、天国でのより大いなる栄光を得ることができるようになるのです。

結論

私たちの主が、私たちを祝福してくださいますように。この一年間、私たちが天主に忠実であり続けるために、また、天主の愛において成長するために、必要なすべての恩寵を、童貞聖マリアを通じて、天主が私たちに与えてくださいますように。


明日、1月13日は、聖ピオ十世会が日本での最初の修道院を創立して一周年記念です。このお恵みを天主と聖母に深く感謝申し上げます。

2022年01月12日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

明日、1月13日は、聖ピオ十世会が日本での最初の修道院を創立して一周年記念です。このお恵みを天主と聖母に深く感謝申し上げます。

一緒に働いてくださっているドモルネ神父さまをはじめ、休みを知らずに献身的に助けてくださっておられる東京と大阪の信徒会長に、会計係の方々、侍者の方々、聖歌隊の方々、香部屋や会場のセットをしてくださる方々、カテキスタの方々、受付の方々、印刷物やカレンダーその他のお世話をしてくださっている方々、インターネットでのお手伝いをしてくださってくださる方々、祈りや物質的な援助を寛大にしてくださる方々、ここで私が申し上げることができない多くの愛する兄弟姉妹の皆様のサポートに、深く感謝申し上げます。

私たちの主イエズスさまの御許で、愛する兄弟姉妹の皆様とともに、聖伝のミサで祈りをささげることができ、心から感謝でいっぱいです。

愛深い主の憐みと祝福をいのりつつ、カトリック教会の聖伝が日本中で復興しますように心から祈ります。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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