Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

【参考情報】ヴィガノ大司教「ルフェーブル大司教は、教会に対する素晴らしい忠誠心をもった聖なる人である」

2022年09月16日 | カトリック・ニュースなど

【参考情報】ヴィガノ大司教「ルフェーブル大司教は、教会に対する素晴らしい忠誠心をもった聖なる人である」

ヴィガノ大司教は、ルフェーブル大司教による1988年の司教聖別について、「全時代のミサ【聖伝のミサ】を守るために不可欠なもの」だったと示唆した。

私たちが沈んでいる世俗的・教会的危機を、人間の手段で解決することは不可能です。人間はまず、天主にして王である私たちの主イエズス・キリストの前にひざまずかなければなりません。各国や各民族は、主の主権を認め、教会は、簒奪者たちが王から奪った王冠を、真っ先に王にお返ししなければなりません。私たちの心の中心に、そしてすべてのものの中心に、キリストを、アルファでありオメガであるお方を戻しましょう。まず天主の国とその正義を求めましょう。そうすれば、残りのものもすべて加えて、私たちに与えられるでしょう。

Abp. Viganò: Abp. Lefebvre not a ‘schismatic,’ but a ‘holy man’ with great ‘fidelity’ to the Church

カルロ・マリア・ヴィガノ大司教

2022年8月29日(月)―米東部標準時夏時間午前11時56分

【編集者注】以下は、2022年8月14日にフランスで開催された夏季大学「チヴィタス」(CIVITAS)でヴィガノ大司教が行った講演の最後に行われた質疑応答です。講演の全文はこちらでご覧いただけます。

親愛なる友人の皆さん、今回、皆さんの夏季大学に参加する機会を与えてくださったことを大変うれしく思っております。チヴィタスの兵士の皆さん、会長のアラン・エスカーダさん、事務局長のレオン・ピエール・デュランさん、チャプレンのジョゼフ神父様、そしてレジスタンスのカプチン会士の皆さんに、心からご挨拶できることを大変光栄に思っております。

私たちの主イエズス・キリストの社会的統治の再確立のために戦い、メーソン寡頭政治やダボス・セクトと戦うことによって、チヴィタスは、ゴリアテに対するダヴィドのように、私が心から呼びかけた反グローバリズム同盟の戦いの中心に自らがいることが分かっているはずです。

フランスの例に続き、スイス、ベルギー、イタリア、カナダ、スペインでもチヴィタスが設立されたことを知って、ただただ喜ばしく、同じ取り組みが全世界に広がることが強く望まれると思っております。今こそ、世界中のカトリック信者が団結して、グローバリストの専制に対抗する共同戦線を形成する時です。

岩の上に建てられた家は、カトリック教会であり、キリスト教文明です。それはまた、聖レミギウスによってランスで洗礼を受け、フランク王クローヴィスの戴冠式の日に、玉座と祭壇の同盟で建てられたフランスです。

私たちの主イエズス・キリストの社会的統治以外に、天主と和解し、天主を敬う社会、また使徒たちから受け、聖なる教会によって何世紀にもわたって忠実に伝えられてきたカトリック信仰を公に告白する社会以外に、私たちの時代の悪に対する救済策はあり得ません。

これこそが真の反革命である。

親愛なる友人の皆さん、キリスト教を守り、私たちの主イエズス・キリストの社会的統治を推し進めるために、殉教者たちの模範を皆さんの心に留めてください。これらの殉教者たちは、教会と社会と人民の未来をその血で豊かにしました。平和の君なる王たるキリストが統治なさらないところには、公正で豊かな社会はあり得ません。キリストの平和は、キリストの御国においてのみ存在し得るからです。Pax Christi in Regno Christi.(キリストの御国のおけるキリストの平和)。

デュランさんが私に知らせてくださいました。皆さんが私に質問なさりたいことは承知しております。

【質問】大司教様、第二バチカン公会議は60年以上前に、典礼の破壊は50年前に、アッシジはほぼ30年前に起こりました。すべてが破壊され、忠実なカトリック信者が軽蔑され、不当に非難された60年間にわたる宗教と政治の大惨事の後、大司教様は80歳で、断固とした反公会議派になっておられます。なぜ今になって行動を起こされているのでしょうか。

【回答】

カトリック教会を苦しめている危機と現在の背教の深い原因に対する私の斬新的な認識の旅がどのようなものであったかは、すでに過去の介入において証言する機会を得ました。そのとき申し上げたように、私の仕事は聖座の外交官でした。(最初は若い書記官として、イラクとクウェートの教皇使節、次にロンドン、国務省、その後、欧州評議会のストラスブール代表部のトップとして、その次はナイジェリアの教皇大使として、その後、再び、国務省で教皇使節代理として、次にバチカン市国行政庁次官として、最後は駐米教皇大使として勤務しました)私の仕事――前述しましたように――聖座への奉仕は、私の時間と力のすべてを捧げて懸命に実行しようとしたため、私の時間を完全に奪ってしまい、教会で起こっていた出来事について深く考えることが事実上不可能になりました。

しかし、このことは、公会議後に導入された「新奇なもの」に対して、私が内心で強い当惑と批判を抱くことを妨げるものではありませんでした。私が考えているのは、特に、深刻な典礼の濫用、修道生活の危機、アッシジのパンテオン、十字軍の赦しを求める嘆かわしい要求、例えば二千年の聖年のときでした。また、ローマのグレゴリアン大学の若い学生として感じたことも思い起こしています。私は、これらすべてが、公会議が設定した新しい原則に由来するものであると感じていました。

しかし、ずっと後になって、当時のマカリック枢機卿と彼の同性愛ネットワーク全体の重大なスキャンダル、そしてベルゴリオのさらに深刻なスキャンダルに直面して、教理的腐敗と道徳的腐敗の本質的なつながり、また、教会で何十年も続いている危機の深い原因が、公会議革命によって生じたことが、私にとって明らかになったのです。

ですから、私は黙っていられなくなったのです。

この大惨事は最初から予見できました。しかし、これまで説明してきたように、私たちは、司祭職の養成、さらには外交官としての養成において、教皇とカトリックの位階階級全体が、私たちの主が教会に意図なさったものとは反対の目的のためにその権威を行使することで濫用するなど考えられないと思うように訓練されていたのです。私たちは、長上の権威を疑ってはいけないと教えられてきました。そして、このことは、まさに私たちの従順とキリストの教会への愛を利用して、ゆっくりと、一歩ずつ、特にエキュメニズムと信仰の自由に関して、聖なる教会が常に教えてきた教理とは異なる新しい教理を受け入れるように私たちを導いた人々によって利用されたのです。

さらに、教会においてディープ・チャーチが、教会組織の解体に向けて徐々に広がってきたように、世俗的領域においてもディープ・ステートが、専制的形態を持つ新世界秩序、世界経済フォーラム、アジェンダ2030に到達する段階的な浸透を通じて、私が同様の方法と呼びたい方法で拡大してきたのです。

この場合にも、こう問うことができるでしょう。「なぜ市民は、共通善のために奉仕すべき団体を破壊するために権力を握った扇動的な人々による国家の転覆に反抗しなかったのだろうか」。

多くの人はこう答えるでしょう。「私たちを不道徳なシステムの奴隷にしようという、彼らの倒錯した設計、彼らの計画など想像もつかなかった。彼らが民主主義や人民主権について語るとき、根本的に反キリスト教的な全体主義的権力に私たちを徐々に服従させようと望んでいるとは信じられなかった」と。

昨日、私が進行中の革命的プロセスの本質を理解していなかったという事実は、弁解の余地があると考えています。一方、今日、理解していないということは、無責任であり、世俗的なことでは世界クーデターの共犯者、教会的な領域では背教の共犯者になるのだと思います。

ですから、私たちよりもずっと前に、預言者の声で、世俗社会とカトリック教会の両方に対する脅威について警鐘を鳴らした人々に感謝しましょう。

【質問】大司教様、ありがとうございます。二つ目の質問をさせていただきます。ルフェーブル大司教と彼の闘い、特に最も議論を呼んだ1988年の司教聖別についてどう思われますか。

【回答】

私はルフェーブル大司教を、その忠実さと勇気に感嘆し、多くの感謝をもって見つめることしかできません。その勇気と忠実さは、多くの逆境や敵意、また近代化の思想に支配され、前例のない毛細管を破壊するほどのプロジェクトを支持するメーソンによって浸透された位階階級の側の執拗さに直面しても揺らぐことのないものであり、私たちは今日、その破壊の範囲を、その極端の結果で自覚しています。

ルフェーブル大司教は、離教者ではなく、聖なる人として、熱烈な宣教師にして信仰の告白者、聖伝や司祭職、カトリックのミサの熱心な擁護者としてみなされなければなりません。彼は、人間よりも天主に従うこと、近代主義の教理を受け入れるよりも聖伝を守り伝えることが正しいと考えたため、破門に至るまで、破門も含まれる厳しい制裁に身をさらしたのです。

彼の人生は、敬虔さ、犠牲の精神、義務感、良心の正しさ、そして偉大な内的一貫性によって特徴づけられています。彼の人生は、天主と教会に捧げられた人生であり、霊魂の奉仕、福音宣教、健全な教理の指導と説教、聖なる犠牲の挙行、そして司祭に召された若者の養成に捧げられた人生です。

使徒たち、教皇たち、諸公会議、聖なる信仰の博士たちによって私たちへと受け継がれ、殉教者たちがその血を流した信仰の堅固さを全面的に証しする人生です。

1988年の聖別を「行き過ぎた行為」と考える人もいますが、全時代のミサ【聖伝のミサ】を保護するために絶対に必要なものであると認識している人々もいます。

ルフェーブル大司教は、私たちが生きている時代の緊急性と、近年悪化していて、新たな重みを帯び、私たちが置かれている例外的な状態をさらに明白にしている劇的状況を把握していたのです。

不従順と言う人がいますが、私たちは忠実と言います!

マルセル・ルフェーブル大司教は、聖なる教会が常に実行し、教えてきたことを教え、実行し続けました。彼は自由主義、ミサと教会の典礼建築全体の破壊、司祭職や修道生活、キリスト教道徳の破滅に反対しました。

繰り返します。不従順と言う人がいますが、私たちは忠実と言います。

【質問】大司教様、ありがとうございました。最後の質問です。その後、大司教様の最後のお言葉をいただきたいと思います。大司教様、大司教様がおっしゃった反グローバリズム同盟のプロジェクトについて、また、具体的にはどのようにすれば参加できるのかについて、手短に説明していただけますか。

【回答】

反グローバリズム同盟は、私が昨年11月に立ち上げた呼びかけであり、歴史における今の時期に、全人類に重くのしかかる非常に深刻で前例のない脅威を意識したものです。また、非人間的で反キリスト教的な新世界秩序を確立するために、非常に強力なエリートによって画策された世界規模のクーデターに対抗するために、あらゆる場所で抵抗戦線を構築することが緊急の課題であることも認識したものです。

私は、一つの運動の指導者になるとか、その運動の組織を引き継ごうというそぶりを見せたことは一度もありません。種まく人のように、私は四方八方に種をまき、その種が賢明に集められ、実を結ぶようにしました。私には、その発芽の状態を推し量ることはできません。

現在の状況は、各国のレベルでも、国際的な場面でも、非常に流動的で、陰鬱で、読み解くのが困難です。私たちはただ、心の中で待ち受けている出来事に備え、天からの天主のご介入を願わなければならないということを知っているだけです。

ただ一つ確かなことは、私たちが沈んでいる世俗的・教会的危機を、人間の手段で解決することは不可能だということです。人間はまず、天主にして王である私たちの主イエズス・キリストの前にひざまずかなければなりません。各国や各民族は、主の主権を認め、教会は、簒奪者たちが王から奪った王冠を、真っ先に王にお返ししなければなりません。私たちの心の中心に、そしてすべてのものの中心に、キリストを、アルファでありオメガであるお方を戻しましょう。まず天主の国とその正義を求めましょう。そうすれば、残りのものもすべて加えて、私たちに与えられるでしょう。

【デュラン氏】大司教様、ありがとうございます。少し残念なのは、会場の人々と、本物の司教が話しかけてくださり、教会の永遠の真理を再び語ってくださったのを彼らが聞いた喜びを、大司教様にご覧いただけなかったことです。ここにいるカプチン会士、アブリエのドミニコ会士、そして私たちと一緒に来ているモーガン神父に代わって、改めてお礼を申し上げます。大司教様、今までありがとうございました。最後にもう一度、私たちのためにしてくださったことすべてに、個人的にお礼を申し上げます。

【ヴィガノ大司教】

親愛なるデュランさん、私も非常に残念なのは、フランスの第一の保護聖人である童貞聖マリアの被昇天祭の前夜に、皆さんが集まって、童貞聖マリアに感謝を捧げ、共に祈っておられるこの幸せな機会に、皆さんのお姿を拝見できず、とりわけ皆さんとご一緒できなかったことを大変残念に思っております。ですから、私たちの希望の祈りを新たにし、私たちのまなざしを天のものへと向けましょう。地獄の竜の頭を足で踏み砕く太陽をまとった婦人、童貞聖マリアの母としてのご保護と御取り次ぎに支えられれば、私たちはさらに強い力と勇気、そして謙虚さと信頼をもって、この世の戦いに耐え抜くことができるのです。ですから、私は喜んで皆さんを祝福します。Benedicat vos omnipotens Deus Pater et Filius et Spiritus Sanctus.(全能の天主が皆さんを祝福し給わんことを。聖父と聖子と聖霊との御名によりて。)アーメン。

 


【参考情報】ヴィガノ大司教「グローバリストの教理は本質的に『悪魔的』である。私たちはキリスト教世界を『再構築』しなければならない」

2022年09月16日 | カトリック・ニュースなど

【参考情報】ヴィガノ大司教「グローバリストの教理は本質的に『悪魔的』である。私たちはキリスト教世界を『再構築』しなければならない」

「グレート・リセット擁護派から真実を期待してはいけません。なぜなら、キリストのいないところに真理はあり得ず、私たちは、彼らがどれほど私たちの主を憎んでいるかを知っているからです」

Abp. Viganò: Globalist doctrine is essentially ‘satanic’; we must ‘rebuild’ Christendom

カルロ・マリア・ヴィガノ大司教

2022年8月29日(月)―米東部標準時夏時間午前11時56分

【編集者注】以下は、2022年8月14日にフランスで開催された夏季大学「チヴィタス」(CIVITAS)でヴィガノ大司教によって行われた講演のテキストです。大司教の質疑応答は、こちらの別記事に掲載されています。

「グローバリストの教理は本質的に『悪魔的』である。私たちはキリスト教世界を『再構築』しなければならない」

人間が行動するとき、目的を考慮して行動します。人間の行動、人間が行うことは、道徳的に良いことも悪いことも、ある目的のための手段を表しています。行動は意志から生じ、思考から生まれ、思考は知性の行いです。私たちが行うことは、私たちが何者であるか(記憶、知性、意志というすべての能力)によって決定されます。スコラ学はこの概念を、次の三つの単語で完璧に要約しています。agere sequitur esse.(行動は存在に従う。)

誰も目的なしに行動することはありません。ですから、2年以上前から私たちの目の前で起こっていることでさえ、いわば、形相を与える原理としての最初の考えがあることを想定させる、一連の同時に起こる付随的な(concomitant)原因の結果です。そして、その取られた行動を正当化するために私たちに提示された理由が合理的でないことに気づくとき、その理由は「口実」、つまり口に出せない真実を隠すために利用される偽りの理由である、ということを意味します。

これは、悪しき者【悪魔】のやり方です。私たちを誘惑するとき、彼は、自分が私たちの友人であると信じさせ、自分が私たちの善について気にかけていると信じさせるために嘘をつくのです。悪魔は、催し広場の行商人【日本風に言えば、祭りや縁日の出店業者】のように、奇跡的な発見物、幸福と富の万能薬を差し出しますが、それは私たちの不死の霊魂と引き換えに、です。しかし、このことは、詐欺師のように、もちろんそう言うのを省きます。せいぜい契約の条項に小さな字で書く程度です。

サタンは、すべてが嘘です。「あなたの天主は重い戒律であなたを抑圧する」という前提が嘘です。「あなたは自分の欲しいものを決め、手に入れることができる」という約束が偽りです。ですから、サタンの手先どもが新世界秩序のディストピアを確立しようと準備しているときも、すべてが嘘です。

グレート・リセットの陰謀家たちが、自分たちの最終的な目標が何であるかを明確に語ることは期待できませんから――それは口に出せない犯罪的なものであるからです――、それでも、彼らの行動を突き動かす原理を知り、それを彼ら自身の言葉で裏付けることによって、彼らの行動を導く「心」(mens)、つまり考えを再構築することができます。ですから、その理由が「口実」に過ぎないことを理解することもできます。しかし、その「口実」は、それが提示されているように、悪意と計画性を証明しています。なぜなら、もし彼らの計画が誠実で善いものであるならば、彼らは非論理的かつ支離滅裂な言い訳でごまかす必要はないはずであるからです。

しかし、このグレート・リセットとは何なのでしょうか。それは、現在の経済・社会システムを崩壊に至らせる「第四次産業革命」の強制的な押し付けであり、全体的な貧困化と人口の大幅な減少を通じて、不死と世界支配を熱望するエリートの手中に権力を集中させるものです。彼らは私たちを、箱の中に閉じ込められ、ネットワークに常時接続された個性のない塊のような部品あるいは奴隷に貶めようと考えているのです。

グレート・リセットを通じて、彼らは西洋のキリスト教社会を消し去って、中国の独裁国家をモデルにした自由主義・共産主義の共同統治(synarchy)を確立しようとしているのです。カトリックの価値観に少しでも影響を受けた社会には、金融権力集団や新世界秩序のエリートの居場所はありません。しかし、このことによって、彼らのキリスト教社会に対する反発が、単に経済的・政治的な動機に基づくものだと、私たちが信じるようになってはなりません。

現実には、この憎しみの引き金となるものは、地球の最も遠い片隅にさえ、グローバリストのディストピアに代わり得る世界が存在するかもしれないということです。それは、雇用主が従業員に誠実に賃金を支払い、国家が市民に妥当な税金を課し、慈善団体が無償で思惑なしに奉仕し、子どもの純真さが尊重され、LGBTQ+のプロパガンダが許されない世界です。イエズス・キリストの社会的統治が可能であるだけでなく、共通善と天主の栄光のために運営される最良の社会形態であることが示される世界です。

比較対象が存在するだけで、グローバリストの欺瞞が強く否定され、その恐ろしさと失敗が証明されます。都市封鎖の必要性についての嘘は、都市封鎖が取られなかったところでは、閉店命令や夜間外出禁止令が出されたところよりも重病の事例が少なかったという証拠によって否定されています。遺伝子血清の有効性に関する嘘は、複数回ワクチン接種を受けた人々の再感染、重篤な副反応、突然死の事例によって否定されています。「主権を持つ人民」や侵すことのできない人権という嘘は、司法の沈黙の中で、不条理なルール、違憲の規範、差別的な法律によって否定されてきています。

全時代のミサ【聖伝のミサ】との比較という点であっても、モンティーニ【教皇パウロ六世】の偽物のミサを好むことは不可能です。この理由で、ベルゴリオの教会は、全時代のミサの挙行を妨げ、信者をそのミサから遠ざけておこうと望むのです。この恐怖を私たちに押し付けるために、彼らは欺瞞に頼ってきており、信者に対しては、使徒継承のミサは理解できない、信者がその意味をよりよく理解できるように翻訳して簡略化しなければならない、と告げたのです。しかし、これは嘘でした。もし彼らが、自分たちの目的はプロテスタントの異端者たちが掲げたものとまったく同じであること、つまりカトリック教会の心を破壊することだ、と説明していたならば、私たちは投石器を片手に彼らを追いかけていたことでしょう。

グローバリストの世界では、比較することは許されません。グローバリストの世界は、この「排他性」を要求し、それを主張するのが自分自身でないならば、すぐさま恐怖で糾弾するのです。グローバリストの世界は、姦淫して異端となった聖職者らの共犯によって、教会の現世的権力を引き裂き、ダボス会議やブリュッセル【EU本部】から宣言する教義に絶対的かつ非合理的に服従することを要求するのです。グローバリストの世界は、言論と報道の自由をたたえ、それらに惜しみなく資金を提供しますが、反対意見も真実も許すことはなく、それらにたどり着けないように、見えないようにしようとするのです。

また、グローバリストの世界には、その思想、哲学、信仰の偉大さを裏付けるために見せるべき過去がありません。逆に言えば、グローバリストの世界は、歴史を改ざんし、過去を消し去り、新しい世代から過去を排除することによって生きるのです。シャルトル大聖堂の前で、キリストと聖人の像を認識することができる人が誰もいないようにするのです。その聖なる礼拝堂に、天使がフランス国王を聖別するために運んだ聖油の容器(ampulla)が保管されていることを誰も知らないようにするのです。彼らの行いを知ることも、彼らの墓を見つけることも、カトリック諸国を偉大なものにした芸術と文学の宝を理解することも誰もできないようにするのです。「キャンセル文化」は、キリスト教文明の素晴らしさを前にすれば、グローバリズムの根本的な存在論的矛盾を明らかにします。

グローバリズムの世界には未来がありません。いや、むしろ、グローバリストが私たちに与えようとしている未来は、人間の心が考え得るうちで最も暗く、最も恐ろしいものです。グローバリズムが私たちに提示する未来は、偽りのものであり、実現不可能なものです。シュワブ【ダボス会議を主宰する世界経済フォーラムの創設者】や「アジェンダ2030」の推進者たちは、「私は家も持たず、何も所有せず、そして幸せです」と私たちを説得しようとしています。しかし、彼らの目的は、私たちを幸せにすることではなく、――もちろん、いつまでたってもそうなることはありません――私たちの家や財産を奪うことです。彼らが私たちに平和主義や軍縮について語るとき、それは彼らが平和を望んでいるためではなく、私たちを武装解除し、理想のない者とし、私たちが対応することなく侵略され、支配されるがままになるためです。歓迎と「包括性」を私たちに押し付けることで――インサイダーの語彙を採用していますが――、彼らは、私たちが他の文化や宗教の人々を本当に歓迎し、人々を統合することを望んでいるのではなく、社会の混乱とその結果として生じる伝統と信仰の消滅のための前提を作りたいと望んでいるのです。

彼らが私たちに「レジリエンス」(回復力)について語るとき、彼らが私たちに告げていることは、私たちを脅かす災難から私たちを守ることではなく、私たちが抵抗することなく災難を受け入れるのに甘んじなければならないということです。彼らが私たちを過激主義や原理主義だと非難するとき、それは、彼らが、高貴かつ聖なる理想を持つ信者や市民が、抵抗したり、反対運動を組織したり、反対意見を広めたりすることができると、知っているという理由だけからです。そして、彼らが、何の効果もないものの、多くの深刻で致命的な副作用を持つ遺伝子血清を私たちに大量に接種するとき、彼らがそうするのは、私たちの健康のためではなく、私たちのDNAを改変して私たちを慢性的な病人にし、免疫システムが永久に損なわれて、平均的な健康な人よりも短い寿命にするためです。そして、最近カルロ・アルベルト・ブルーサ弁護士が提訴した訴状で私たちの知るところとなったように、私たちの肉体に自己組織化グラフェン・ナノ構造体を注入し、軍隊を含めた私たちの位置情報を取得可能にすることです。

グレート・リセット擁護派から真実を期待してはいけません。なぜなら、キリストのおられないところに真理はあり得ず、私たちは、彼らがどれほど私たちの主を憎んでいるかを知っているからです。その憎しみは隠すことができず、彼らは、欧州のイベントの落成式(スイスのゴッタルド鉄道トンネルの落成式やロンドン五輪、ごく最近ではバーミンガムでのコモンウェルスゲームの開会式を考えてみてください)で、クリスマスをお祝いせず、子どもたちにキリスト教名を使わないようにとの「勧告」で、その憎しみを見せています。彼らの憎しみは、妊娠中絶を「人権」として理論化し、その残虐性を「リプロダクティブ・ヘルス」(性と生殖に関する健康)という偽善的な表現で隠すとき、殺人的なものとなります。なぜなら、彼らが憎むのは生命であって、人間に彼らが永遠に失ってしまった天主のかたどりと似姿を見るからです。

このかたどりと似姿は、私たちが考えるよりずっと深遠なものです。それは、記憶(御父)、知性(御子)、意志(聖霊)という天主の三つのペルソナに対応する能力を持つ、人間の三位一体的な次元から成り立っているからです。そして、至聖なる三位一体においては、聖霊が、御父と御子から発出する愛であるように、人間においては、意志が、過去の物事の記憶と、現在の物事の理解から生じる能力です。現代世界の地獄のような転覆状態の中で、人間は自分の記憶、歴史、伝統を奪われています(「キャンセル文化」を見てください、また、私たちの過去の行為を偽造したり歪曲したりして、それらの歪曲された過去に対して「赦し」を乞うていることを見てください)、また批判的判断を表明できずにいます(サイコ・パンデミックが生み出す認知的不協和を考えて見てください)、自分の意志を知性に従属させて統制できないでいます(押し付けられた悪や私たちから奪われた善に対応できないことを考えてください)。これらは偶然ではありません。

現代社会は、民主主義に関する作り話を持っており、私たちに対して、誰にでも平等な権利が与えられるべきであるという事実に疑問を持たないという条件をみたすなら、私たちはカトリック信者でありうる、おそらく聖伝主義のカトリック信者でさえもありうる、と考えるように教えています。

私たちは他人の考えを尊重しなければならない、と彼らは言います。しかし、形而上学的な領域、天主の永遠性においては、善と悪の間のこの戦いは世俗的でもエキュメニカルでもありません。それは現実のものであり、配備された軍隊のように、「天主の国」(Civitas Dei)の軍隊と「悪魔の国」(civitas diaboli)の軍隊があります。天国の天使と地獄の背教の霊とは、第二バチカン公会議の平和主義とは何の関係もありません。彼らは、敵からできるだけ多くの霊魂を奪い取るための戦いを行っています。私たちのために取り次いでくださる聖人たちは、回勅「フラテリ・トゥッティ」を読んでいませんし、聖ミカエルの天秤は、異端的なイエズス会士の「ケースバイケースの道徳」や「状況倫理」、あるいはシノドスの道の司牧的な歪みを測るように調整されてはいません。

政治的に正しく(politically correct)あること、つまり、母親の胎内にいる無防備な人間を引き裂いたり、老人や病人を眠っている間に窒息させたりすることを躊躇しない人々の傷つきやすい良心を、私たちの信念がかき乱すかもしれないと常に恐れることをやめましょう。

私たちは、口にすべきではない恥ずべき事柄――悪徳の常態化から最も卑劣な違反行為に至るまで――を前にして、沈黙することがあまりにも多すぎました。しかし、カトリック信者として、私たちは、無神論者がいるとしても、天主が生きておられ真実であること、そして、リベラル派がいるとしても、キリストが私たちの創造主、贖い主として、私たちに対する主権者の称号を行使しておられることを知っておかなければなりません。

もし私たちが、この「現実」を納得しないとすれば、この現実を完全に認識している敵の行動を理解することさえできないでしょう。もし私たちが、この現実を納得しないとすれば、私たちの言葉と行動によって目を開き、恩寵に従うようになるかもしれない人々に対して、信頼できる模範を示すことはできないでしょう。自らが告白することを好まない人々を信じるのは難しいことです。それはちょうど、無慈悲な振る舞いによって自らの空疎な言葉を否定する近代主義者を信用するのが難しいのと同じです。地球を救うためにバッタやゴキブリを食べるよう私たちに要求する一方で、自分たちは高価な神戸牛を食べたり、ディーゼル車を捨てるよう私たちに要求する一方で、自分たちはプライベートジェットで移動したりする(世界経済フォーラムのときのダボスには、何百機もあります)人々を信じることは不可能です。

私たちは、この現実主義と客観性という次元を再発見しなければなりません。これらは、彼らが、私たちから一歩一歩失わせ、あるいは私たちに恥じるように教えてきたものです。私たちは、「キリストの兵士」(milites Christi)であり、私たちの背中を打ったり、私たちを臆病にも脱走させようとしたりする敵と戦うように召されています。なぜなら、敵は、私たちが公に戦うとき、私たちの背後には、「戦列を整えし軍勢のごとく恐るべきお方」(terribilis ut castrorum acies ordinata)である無原罪の童貞女がおられるのを知っているからです。敵【悪魔】がこの世のすべての母の中で最も憎むこの母、敵が結婚の神聖さと家庭の聖徳を攻撃することで中傷するこの小羊の妻【黙示録21章9節】、敵が女性らしさを醜くしたり卑猥なパロディにしたりすることで辱めるこの婦人です。

グローバリズムの教理は本質的に悪魔的なものです。なぜなら、それはサタンの反乱を最も直接的かつ容赦なく、社会的かつ世界規模で適用したものであるからです。私たちがグローバリズムのうちに見いだすのは、ヒュブリス(hybris)【ギリシャ語で傲慢】、天に対する反抗です。それは、古典的な文明(まだ異教徒だったものの、時が満ちるとキリストのメッセージの到来を運命づけられていました)が賢明にも烙印を押したもの、私たちをルチフェルの反逆に立ち戻らせるものです。「ヒュブリス」、すなわち自らを天主のごとき者と信じ、天主の属性を簒奪する人々の愚かな傲慢は、今日の科学に対して、善に奉仕するという召命を否定させ、その召命を、新秩序への奉仕に置き換えさせて、過去には考えられなかったことを、つまり、人間と機械の間の乖離、人間の心と人工知能との間の乖離をなくすことを、技術的進歩によって成し遂げようとしているのです。

したがって、トランスヒューマニズムが「アジェンダ2030」の重要なポイントの一つであることは驚くには当たりません。

被造物を手に入れて、天主のみがその恩寵とともに降り立ち給う意識の聖域をあえて改変しようとする、この狂気の計画の背後にあるものは、言い換えれば、「人間をより効率的にする」ために人間を侵害しようとする、この計画の背後にあるのものは、またもや、教理的な逸脱、天主の真理に反する嘘です。嘘が存在するのです。不死の人間を作るというのは、ある人々が言うように、地獄の錯乱状態を技術的に再現することであり、その根底には、人間の中にある原罪の結果を消し去ることができるという厚かましさがあります。アダムの罪が死と病気をもたらしたのに対し、トランスヒューマニズムの欺瞞は不死と健康を約束します。アダムの罪が知性の弱体化と意志の悪への傾きをもたらしたのに対し、機械人間という詐欺は、知識へのアクセスと自分自身の法があり得ることを約束します。罪が労働による疲労や戦争、疫病を引き起こしたのに対し、グローバリストのディストピアはベーシック・インカムや平和、あらゆる病気の予防を約束します。

しかし、死、病気、知性の衰え、意志の悪への傾き、労働による疲労、戦争、疫病は、すべての人類がその先祖において、天主の御稜威に背くことによって引き起こした無限の違反に対する正当な罰です。この不従順には何の結果【天罰】もないと自らを欺いている人は、自らの堕落を受け入れようとはしませんし、「われら人間のため、われらの救いのために」(propter nos homines et propter nostram salutem)地上に来られ、私たちをサタンのくびきから贖うために十字架上で亡くなられたイエズス・キリストの贖いのみわざを認めようともしません。

これこそ、社会と教会の危機を見るための真の神学的視点です。トランスヒューマニズムの妄想が目的としているのは、スポーツ選手の走りを速くしたり、兵士の狙いをより正確にしたりすることではありません。人間の霊魂を打った後、人間の肉体を堕落させることです。サタンは敗北に甘んじることはありません。このことは、もっと恐ろしいことです。なぜなら、その敗北において、ルチフェルの「私は仕えない」(Non serviam)の高慢さに対比して、私たちの主の永遠の御父への従順さが輝きを放ったからです。ですから、天主が恩寵という方法を通して霊魂に触れ、彼らを御自身のもとに連れ戻し、永遠の生命に回復させることに成功なさるとすれば、サタンは今、肉体を攻撃し、創造主のみわざを汚し、人間を醜く変貌させているところです。サタンの破壊的な働きは、被造物の他の部分にも及んでおり、天主の壮麗さに匹敵すると言い張るような忌まわしい結果をもたらしているのです。

善と悪の戦いは、そのようなものであり、アダムの創造以来、人間もその戦いの中にあり、どちらの側につくべきかの選択をするよう呼ばれているのです。なぜなら、中立とはすでに、敗北にふさわしい者たち【悪魔】との同盟であるからです。私たちは、新世界秩序の敵がどれほど強力であるか、その敵の組織がどんなものかを知っています。また、何がその敵を動かし、その敵が何を達成したいのかも知っています。しかし、まさにこの理由にために、私たちは、その敵の勝利は見かけだけで、失敗する運命にあることを知っており、また、十字架につけられたお方がすでに勝利なさったこの戦争において、私たちの義務は、まず第一に、主流の情報が私たちにのみ込ませる嘘に対して目を開くことによって、どちらの側につくかを選んで戦うことだということを知っています。

天主に対抗してルチフェル側につくことを意図的に選ぶ悪人たちがいるかもしれないと理解することは、進行中の巨大なクーデターに抵抗するつもりならば、私たちが取らなければならない最初のステップです。これらの者たちは、ある意味でサタンの「神秘体」であり、世界に悪を広め、キリストの名を消すために行動します。それはちょうど、教会であるキリストの神秘体が、諸聖人の通功の中で恩寵を広め、天主の御名をたたえるために行動するのと同じです。再び、「天主の国」と「悪魔の国」です。

もしもパンデミックの緊急事態を扱ったのが、冷笑的に皆殺しをしようとする者たちではなく、たんなる無能な者たちにすぎないのだと、私たちが信じるならば、私たちは完全に間違った方向に進んでいます。また、私たちの指導者たちが、この犯罪者、簒奪者、破壊者のエリートのおかげでキャリアを積んでいるにもかかわらず、エリートに従属していないと信じるならば、同じことです。

キリスト教国の臣民にとっては、天主の掟に従って生きることが当たり前だった時代がありましたが、その掟では中絶、離婚、同性愛、高利貸しが禁じられていました。その世界は、陰謀家たちのゆっくりとした忍耐強い働きのせいで、天主からも人民からも正統性が得られていない権力が支配するこの世界――まだ完全には彼らのものではありません――に取って代わられたのです。ですから、これらの権力は、以前は奨励され、報われていたことをすべて妨げ、禁止され、罰せられていたことを奨励するのです。

「天主の国」にキリストが君臨しているのなら、「悪魔の国」に君臨しているのは反キリスト以外に誰がいるでしょうか。ですから、「秩序ある共和国」(bene ordinata respublica)では、真、善、美が天主の完全なところの神学的な表現であるのなら、グローバリストの共和国では、偽、悪、醜がその完全なところの最も明白な表れです。それだけに、その表れたものは、一般的な規範、国家の法律、人が従わなければならない道徳的な戒律とならざるを得ません。この場合でも、注意を払っていれば、別の欺瞞が再び提案されます。すなわち、教皇主義者の迷信によって正当化される支配者や聖職者の専制は、革命社会から決定的に消し去られ、理性の女神の保護のもとにある人民の政府へと取って代わられます。今日、私たちが目の当たりにしているのは、国家の支配者や教会の牧者という役割の否定と裏切りとで一体となった、グローバリストのレヴィアタンやベルゴリオの最高法院(サンヘドリン)が、どれほど専制的であるかということです。

親愛なる友人の皆さん、皆さんの仕事は、他の多くの国々の多くの善意ある人々と同様に、神聖で非常に重要なものです。それは、再建、復興、啓蒙という仕事です。「悪魔の国」の信奉者がやり方を知っていること、つまり、破壊し、解体し、瓦礫を積み上げることしかできないこととは、まさに正反対です。ですから、再建するためには、土台から再出発しなければなりません。その土台とは、キリストを礎石、要石として置いている社会的建造物の土台です。

この異常で堕落した世代には未来がないということを忘れてはなりません。その世代は、自らの盲目、不妊症、生む能力の欠如の犠牲者です。なぜなら、生命を与えることは天主のみわざであって、このことは、肉体の生命にも霊魂の生命にも当てはまるからであり、その一方、悪魔は、死とともに、天主という究極にして最高の目的から引き裂かれた霊魂の持つ鈍い絶望しか与えることができないからです。

確信してください。新世界秩序は勝つことはありません。世界の人口を5億人にまで減らそうとするその破滅的な猛威は勝つことはありません。生まれていない生命と死にゆく生命に対する憎悪は勝つことはありません。彼の暴虐の計画は勝つことはありません。なぜなら、私たちは、善を奪われたときにこそ、私たちから奪われたものの価値を悟り、戦い、抵抗する決意と力を見いだすからです。

また、今やこの世のしもべであるカトリックの位階階級を苦しめている背教も勝つことはありません。私たちの教会にはびこる不和と誤謬の種を蒔く者たちは、自分たちが60年前に公会議の春という偽りの約束で占拠した司教座聖堂や教会、修道院や神学校を空っぽにしたまま、容赦なく死に絶えます。なぜなら、すべての背後には、常に嘘つき【悪魔】の詐欺と悪意が存在するからです。


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】