Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

私たちの人生と死の意味とミサの価値

2023年05月30日 | お説教・霊的講話

2023年2月18日(土)大阪 説教

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆さん、今日は、つい最近主に召されました兄弟のイグナチオさんの霊魂のために、このミサを捧げています。お祈りください。 

今日は、この葬儀のミサにおいて、私たちの人生の意味と死の意味とミサの価値について、一緒に黙想いたしましょう。

【死】

来たる水曜日――あと数日です――灰の水曜日です。四旬節に入ります。その最初に、教会は母の心を持って、私たちに思い出させてくれます。私たちの頭に灰をかけて、「人間よ、覚えよ。お前は塵であり、塵に戻る、ということを。」と言います。

アダムつまり人間は、塵から造られました。本来ならば永遠に生きるべきものとして造られました。しかし、罪を犯したがために、塵に帰る者となってしまいました。アダムの子孫である私たちも、その死を、苦しみを、病を逃れることができなくなりました。 

聖パウロは言っています。「一人の人によってアダムによって、この世に、死と苦しみが入った」と。

【復活】
しかし、四旬節の最初に私たちが言われた言葉を、四旬節の終わりに、つまり復活祭には、教会は別の喜びの言葉で投げ掛けてくれます。「主は、まことによみがえられ給えり、アレルヤ!」 

一人の人の不従順や罪によってこの世に死が入ったように、一人の男、一人の人間、人の子、アダムの子、第二のアダム、イエズス・キリストの従順によって、そのご死去によって、私たちの中に復活の希望がよみがえった、と。 

この復活に至るためには、私たちはどのようにしなければならないのでしょうか。私たちの人生の究極の目的である、私たちの永遠の命、そのために私たちがこの世に生きているこの目的に到達するためには、どうしたらよいのでしょうか。

【復活に至るための道:イエズス・キリストの十字架の木】

それはイエズス・キリストと一致することです。イエズス ・キリストのご死去と一致することです。なぜかというと、それ以外には、私たちには復活に至る道がないからです。 

どうやったら、私たちはイエズス様と一致することができるでしょうか。その最も素晴らしい最高のやり方は、ミサ聖祭に与ることです。なぜかというと、ミサ聖祭においてイエズス・キリストの死が、もう一度秘跡的に、私たちの目の前に実現するからです。再現されるからです。 

ちょうどノアの大洪水の時に全人類が滅んでしまったように、しかし方舟に乗った選ばれた人だけがその大洪水の破滅から救われたように、人類には死という大洪水が私たちを飲み込もうとしています。私達はこれから、どうやったら逃れることができるでしょうか。木でできた箱舟、つまりイエズス・キリストの十字架の中に入ることです。イエズス様の、ちょうどノアの方舟に脇から人々が入って行ったように、イエズスの開かれた脇腹から私たちが入ることです。

ですから今日この御ミサを捧げていることは、なくなった霊魂達にとってとても大きな慰めであって、お恵みです。ミサが捧げられれば捧げられるほど、霊魂は早く天国に行くことができるからです。

私たちは、特にマリア様にお祈りいたしましょう。聖母が、霊魂を煉獄の霊魂たちを、早く天国に導いてくださいますように。そして私たちにも、ミサに与るお恵みを与えてくださいますように、お祈りしましょう。 

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン 。


種を蒔く人が種を蒔きに出た

2023年05月30日 | お説教・霊的講話

2023年2月17日大阪(金)説教

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

来週の水曜日は、灰の水曜日です。大小斎の義務があります。四旬節を聖なるものとして過ごしましょう。

今日の福音は、とても有名な「種を蒔く人が種を蒔きに出た」です。
イエズス様がその譬えを説明して、その種というのは「御言葉だ」と言います。イエズス様ご自身のことなのです。その中にすべての超自然のいのちの聖寵の元がすべてぎっしりと詰まっている種が、私たちの心に蒔かれるという譬えです。

イエズス様のお恵みを受けて、ご聖体を拝領して、天主御自身を受けて、そして私たちを聖なるものに変える力を持っているその御言葉の種が力を発揮するためには、私たちは良い土地でなければなりません。 

せっかくの御言葉が蒔かれたにもかかわらずなぜ実りをもたらさないかというと、イエズス様は、その土地の状態がよくなかったからだ!と説明します。

あるものは道端に、あるものは岩の上に岩だらけのところに、あるものはとても良い土地だけれどもしかし雑草や茨(いばら)が一緒に生えている。せっかくのイエズス様の祈りが窒息してしまった、塞がれてしまった。

道端というのは、世俗の考えが制限されずにどんどん入って、そのことばかりに固められてしまった、あるいは罪や悪い習慣に凝り固まってしまった、そこで御言葉の入る余地がなくなってしまった、霊魂。その間に悪魔がその御言葉を取ってしまった、受け入れる余地がなかった、頑なな霊魂。もしかしたら私たちは、イエズス様の御言葉をイエズス様のお考えを受け入れるのでしょうか、それとも世俗の考えやテレビの話やあるいはその他のことで凝り固まっているのでしょうか 。

イエズス様が言うには、御言葉は岩だらけのところに種が落ちたのもあると言います。土はあるんですけれども、岩だらけなので根が生えてもすぐに枯れてしまって、長続きしません。イエズス様は、この霊魂は、最初は喜んでイエズス様のことを聞くんだけれども、ちょっとした辛いことや誘惑があると、もうそれで放棄してしまう、根が深くない、謙遜ではなかった。罪がまだ砕かれていない。それでイエズス様のお考えが深く根を張ることができなかった。自分のことが、愛着心が砕かれていなかった。だからちょっとしたことがあると、それでイエズス様が根絶やしなってしまう。 

第三は、良い土地なんだけれども、そして御言葉はどんどん成長するんだけれど、でも同時に雑草が入るのを許してしまっている。よく私たちにありがちのパターンのことです。

せっかくいい土地なのにもかかわらず、世俗のことに、あるいはこの世間の楽しみに、あるいは被造物への愛着に、養分を取られてしまう。そしてせっかく育ちつつあった木が、結局は実らなくなってしまう。養分を取られてしまう。私たちはもしかしたら、四旬節の間にこの茨の、あるいは雑草を、私たちの周りから取るようにしなければならないかもしれません。

良い土地はイエズス様の御言葉をよく聴いて、それを心に留めて、忍耐強く、どんなことがあってもそれを守って、100倍の実りをあるいは60倍の実りを実らせる霊魂です。

マリア様の汚れなき御心に、ぜひ私たちもこの四旬節の間に、良い実りをつける土地となることができますように、お祈りいたしましょう。 

四春節の決心として、イエズス様のことを黙想する時間を作るのはどうでしょうか。ロザリオを、特に玄義を黙想しながらお祈りをする決心を立てるのはどうでしょうか。あるいはインターネットやYouTube を制限したりするのはどうでしょう。あるいは福音書をひもといて読んでみるのもどうでしょうか。私たちが良い土地となることができますように、マリア様の御取次ぎを請い願いましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


堅振の秘跡:兵士は祖国のために他の人々を守るために軍人となる:堅振の秘跡により、全宇宙の創造よりも偉大な業が、私たちの霊魂に行われ涯続く。完成されたキリスト者となりキリストの兵士となる

2023年05月30日 | お説教・霊的講話

2023年1月29日 東京のミサにて小野田神父の説教

愛する兄弟姉妹の皆様、

今朝、堅振の秘跡の儀式がありました。
フェレー司教さまのお説教を簡単にお伝えします。

堅振の秘跡により、キリスト信者は、キリストの兵士・軍人となります。キリストのために戦うものとなります。 これは一体どういう意味でしょうか。

軍人というのは、大人です。完成されたものです。子供ではありません。
確かに洗礼を受けると、私たちは天主の超自然の命を受けて、そして天主のレベルまで上げられて、私たちの行うことは天主を喜ばすことができる、功徳を積むことができるものとなります。
 
しかし、いかんせん、私たちのなすことは赤子であって、天主から見ると幼い愚かなことばかりやっている…。言ってみれば、ちょうど子供が素晴らしいペンを持っていながらも、ペンを使って落書きをするようなものです。しかし素晴らしいペンであるので、価値はあります。しかし落書きです。しかし、堅振の奇跡を受けると、私たちは聖霊の恵みの充満をいただくので、私たちはキリストの兵士となります。

兵士というのは、自分の生存のために兵士になるのではありません。 兵士というのは、祖国のために、あるいはみんなのために、他の人々を守るために軍人となります。私たちが堅振の秘跡を受けると、他の人々の救霊さえも手伝うことができるほどの完成されたキリスト教信者になります。 

一体どうしてでしょうか。なぜかというと、聖霊が私たちに働いて私たちが子供でありながら、落書きではなくて最高の美術品を書くことができるようになるからです。 

どうしてそうなるかというと、譬えて言うと、子供の手を偉大な芸術家がとって素晴らしい絵を描くかのようです。子供がその芸術家の動きに逆らわない限り、素晴らしい絵を描くことができます。

それと同じように、堅振を受けると、私たちも聖霊の充満を、満ち溢れを受けて、聖霊が私たちの霊魂を掴んで私たちを息吹いて動かすので、私たちの自由を尊重しながら動かしてくださるので、聖霊と一緒に私たちは偉大な大傑作を描くことができます。 私たちの救霊のために、多くの人たちの救霊のために、働くことができます。

天主は、私たちが、自分の救霊のために多くの人たちの救霊の永遠のいのちのために必要なお恵みを、保証してくれます。その保証が、堅振の時に受ける霊的な刻印と言われるものです。この霊的な刻印というものは、神学によれば、天主が私たちに"保証"を与えるということです。"保証"とは何かというと、誰かが約束をする時「神父様、私はこのことを約束します。その証拠に見てください。これが保証です。これを保証に、どうぞ約束を信じてください」。

それと同じように、聖霊は私たちの霊魂に消えることのない、大罪を犯してもどんなことがあっても永久に消えることのない刻印をして、キリストの兵士・軍人として刻印を押して、名誉を高めて、そして必要なお恵みを全て与える、一生涯にわたって与えると保証してくれるのです。天主の保証は確実であって、約束をけっして破られることはありません。必要なお恵みは必ず与えられます。この聖霊の充満を、堅振の秘跡では受けます。

ですから、私たちがキリストの兵士となるというのはただのタイトルではありません。ただの名前だけではありません。リップサービスでもありません。本当にとてつもないこの全宇宙を創造しているものよりももっと偉大な業が、私たちの霊魂に行われて刻まれて、それが一生涯続くということです。

私たちは、すでに堅振の秘跡を受けた…あるいは今度受ける方がいらっしゃるかもしれません。この受けたお恵みに感謝いたしましょう。私たちがこの今地上にいるのは、この地上のためではありません。永遠のいのちに、天主に創造されました。無から造られました。今私たちは天主の命、永遠の幸せ・無限の喜びを分かち合うため、天主とともに、聖父と聖子と聖霊とともに永遠に分かち合うためにこの世に生まれて来ました。そのためにキリスト信者になり洗礼を受けました。そしてそれを完成させるために、堅振の秘跡も受けました。

マリア様にお祈り致しましょう。マリア様の御取次で、けっして聖霊に対してひとつも罪を犯して悲しませたりすることがなかった いつも忠実な聖霊の浄配であったマリア様の御取り次ぎで、私たちも聖霊の充満を受けてこれをけっして失うことがなく、天国に至るまで聖霊に導かれますようにお祈りいたしましょう。そしてついには、諸聖人とともに、聖父と聖子と聖霊との交わりとの中で、永遠の無限の喜びを分かち合うことができますように。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン 。


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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