Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

マリア様は、最初の瞬間から「永遠の命」に生き始めました。私たちに永遠の命を伝える為です。

2020年12月22日 | お説教・霊的講話
2020年12月8日(火)童貞聖マリアの無原罪の御孕りの大祝日のミサ

聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父説教


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

今日はマリア様の無原罪の御孕りで、「マリア様が、その存在の最初の瞬間から、原罪の汚れなく存在し始めた。マリア様のお母様、聖アンナの胎内にて存在し始めた」というカトリックの信仰のドグマ、真理を祝う大祝日です。

このドグマは、この今日の祝日は、カトリック教会の使徒の時代から伝わって来ているもので、最も大切な教えの一つです。祝日の一つです。

これは私たちに、「私たちが持っている一番大切なものが何か」という事を教えています。

「私たちは、猿から来たのではなくて、天主から創られて、アダムとエヴァが本当に存在して、その二人が、人類の最初の親が罪を犯した。そしてその為に、私たちは原罪を持って生まれてきている」という事を教えています。

「しかし、マリア様だけは、イエズス様の無限の功徳を既に、十字架の功徳を既に適用されて、原罪の汚れなく孕られた、存在し始められた」という事を教えています。

マリア様は無原罪の御孕りは私たちに、更にこれを教えています。

つまり、「私たちの先祖アダムとエヴァは、天主の御旨に逆らった、不従順の罪を犯した。天主を信じずに、悪魔の言葉を信じた。天主が、『これを食べたら死んでしまう』と警告したにも関わらず、それを疑う悪魔を信じた。」

ですから、その罪を犯したその瞬間、霊的に死んでしまいました。つまり、「成聖の恩寵」を失ってしまいました。「永遠の命」を失ってしまいました。「天主の命」に生きる事ができなくなってしまいました。このこれこそが、私たちにとって最も大切な宝でした。

そして天主から与えられた自然外の、特別の賜物であった、「私たちの肉体の死を免れる」という特権をも結局は失ってしまいました。

しかし本当に大切なのは「永遠の生命」でした。

マリア様は、最初の瞬間から、この「永遠の命」に生き始めました。これは私たちに、この永遠の命を伝える為です。

この「マリア様が、この地上に小さい命を、永遠の命を始めた」というのが、この日です。

日本の私たちは、宇宙の遥か彼方から採取した土を、宇宙の土が地上に来た、はやぶさ号が到着した、という事で非常に喜びました。しかしこの中に何が入っていたかというと、宇宙の塵で、ゴミで、土くれだったのですけれども、マリア様がこれから私たちに運ぼうとされるものは、「永遠の命の創り主、その創造主であるイエズス・キリスト」それを私たちに与える為に、マリア様が今、ここに存在し始められました。

天主の、この天からの最も最大の宝物を私たちに運ぶ為に、マリア様が今、今日、存在し始めました。

今日の祝日は私たちに、「永遠の命の大切さ」を、もう一度確認させてくれます。もしもそうでなかったならば、私たちの人生は全く意味の無いものになってしまいます。

永遠の命があったからこそ、殉教者はキリストの真理を宣言して、自分の命を懸けて、イエズス・キリストを信じてきました。ある王様は、イエズス・キリストの永遠の命を信じたからこそ、正義を行ないました。十字軍は、イスラム教に命を懸けて戦って行きました。



永遠の命を守るが為に、司教様たちは、時には暴君に対して、「それは罪である」と、正義の本当の事を言ってきました。命を懸けて、「これは悪である」と宣言しました。命を懸けてカトリック教会は、キリストの教えた真理を守ってきました。

なぜかというと、それこそ、イエズス様が私たちに伝えようとしたからです。十字架のいけにえによって、私たちに伝えようとしたからです。

では、カトリック教会の為に、そして日本の多くの方々の為にお祈りしましょう。

コロナの為に仕事が無くなったり、あるいは中小企業が潰れたり、あるいは収入が無い、食べ物が無い、あるいはいじめられる、という多く苦しんでいる人が、ますます多くなっていると聞きます。

そのような方々が是非、永遠の命に希望を持つ事ができますように、お祈り致しましょう。決して極端な、してはいけない選択をする事がないように、永遠の命の希望を持つ事ができますように、お祈り致しましょう。

もしも神聖なものが無ければ、この世のものは全て価値を失ってしまうからです。家族も、命も、その他何もかも、全く意味を失ってしまうからです。

そしてカトリック教会の為にもお祈り致しましょう。カトリック教会が、この「永遠の命」の事を忘れ去りつつあるからです。

今年の復活祭はありませんでした。バチカンでさえもそれを止めてしまいました。本当ならば今日、無原罪の御孕りの大祝日には、伝統的に、教皇様はその特別な行事をしなければなりません。しかし、それも中止になりました。クリスマスの夜中のミサも中止だそうです。

イエズス様がかつて、ラザロという乞食が金持ちの家の前で苦しんでいて、そして結局この乞食は天国に行き、そして金持ちは地獄に落ちた、という例え話をした事がありました。そしてその時に、「もしもできれば、」この金持ちが、「私の兄弟が、私の居る地獄に落ちないように、死者をよみがえらせて警告して下さい。」

「死者がよみがえっても、もしもモーゼの話を聞かないならば、彼らは聞かないだろう」と。

願わくは、カトリック教会が、教皇様が、マリア様の言葉を聞きますように、マリア様が天から警告した言葉を聞きますように、そして初土の信心を全世界にする事を、あるいはロシアの奉献をする事を実行しますように、お祈り致しましょう。

このマリア様の無原罪の御孕りの祝日が、全世界で大切に祝われますように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。






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