アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
山形県の東根(ひがしね)にあるマリア像をご紹介いたします。
トマス小野田神父
マリア観音 命がけの思い
写真:かつては「子育て観音」としてお参りされたマリア観音=山形県東根市観音寺の龍泉寺
かつては「子育て観音」としてお参りされたマリア観音=山形県東根市観音寺の龍泉寺
● 龍泉寺(山形・東根市)
キリスト教禁制の江戸時代、観音菩薩像に見せかけた聖母マリア像が潜伏キリシタンの間で隠し持たれた。マリア観音という。その一つが山形県東根市の龍泉寺に残されている。曹洞宗の寺になぜあるのか。
住職の高橋賢雄さん(45)が代々語り継がれてきた由来を教えてくれた。
昔、摂津国(大阪)から北前船で1人のキリシタンが仙台を目指し、龍泉寺の村にやってきた。村から仙台へ向かう国境には関所があり、そこでマリア像が見つかれば没収され、キリシタンは処刑される。そこで、龍泉寺に1泊したキリシタンは当時の住職にマリア像を預けていった。その後、寺に戻ってくることはなかった。
預かった住職もマリア像を表に出せば処罰されるので、木の箱に入れて本堂の床下に隠した。代々、秘密を口伝えしてきたが、ある代の住職が「真っ暗な床下に置いておくのはかわいそうだ」と考えて、一計を案じた。マリア像の下部には台座を、背後には光背を作り足し、観音様のようにした。幼児を抱いている姿から、村の人たちには「子育て観音」と説明し、お参りさせた。以来、昭和の時代まで、子育て観音として信仰されてきた―。
しかし、頭のベールや幼児のフリル付きの衣服など子育て観音には似合わない格好から、戦前、山形師範学校(現山形大学)の研究者が像を解体して詳しく調べ、マリア像であることがはっきりした。黒目のガラス玉の裏側に十字が刻まれており、幼児像の裏側にも十字とキリスト教のシンボルマークが描かれていた。子どもの腕に光を当てるとマリアの胸に十字の影が出るようになっていることも判明した。
さらに、取り締まり対策も施されていた。イエスの像とマリアの像をつないでいたのは1本の竹串だけ。簡単に取り外しができる。役人に見つかりそうな場合はイエスを外し、代わりに別の人形を差し込もうとしたのではないか、という。
マリア像を作らせた人、作った人、持ち込んだ人、隠した代々の住職。みんな命がけだった。高橋住職は「いろんな人の思いが込められている像です」としみじみ語る。
子どもを見つめる像の表情は見る角度によって微妙に異なる。向かって右斜め上からだと厳しく、左斜め下からだと優しく見える。マリア様でも観音様でも、そこは変わらない。