2019年8月3日(初土)聖母の汚れなき御心の随意ミサ
聖ピオ十世会司祭 小野田神父 説教
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2019年8月3日、聖母の土曜日、土曜日の聖母、そしてマリア様の汚れなき御心の随意ミサをしています。
初土曜日ですから、今日この御聖体拝領を、マリア様の汚れなき御心に対して犯される罪を償う為にお捧げ下さい。
ミサの後の感謝の祈りの後に、15分間、マリア様のロザリオの黙想を致しましょう。
特にこのロザリオを、この御聖体降福式を、教皇様の来日の為にもお捧げ致しましょう。
教皇様が今年の11月に日本に来られる、キリストの代理者が日本に来られるという事で、これは非常に特別な機会です。
「この機会に、日本の多くの方が、イエズス様の福音を知るきっかけとなりますように、イエズス様の事を知り、愛する御恵みが頂けますように」お祈り致しましょう。
そこで、8月から11月まで4ヶ月の間、私たちは特にこの意向で、教皇様の来日の意向で、ロザリオのお祈りをしたいと思っています。私たちが教皇様の為にどれほどお祈りしたか、というそのそれはもちろん数で測る事はできませんし、イエズス様のみが御存知の事です。
しかし私たちは非常に弱いものですから、励みになるものが必要で、目に見える何かが必要ですので、ぜひ私たちも、それによって私たちが、それが多いからそれだけ、その数でもちろん測る事はできません。
けれども、私たちの励みとして、ロザリオの報告を皆さんにお願いしたいと思っています。会長が準備をして下さると思うので、8月・9月・10月・11月、4ヶ月、11月の終わりまで、この意向でたくさんお祈り下さい。後で報告をお願い致します。
今日はもう1つお祈りのお願いをします。ワリエ神父様の膝の調子が非常に良くないそうです。手術を受けたのですが結果が良くなく、お医者さんの特別の審査や検査を受けている最中なのだそうです。もしかしたら、お医者さんのドクターストップがかかってですね、もしかしたら次の来たる8月10日・11日のこのミサに神父様がこれなくなるかもしれないという事で、今日その連絡があるとの事です。その時にはどうぞご容赦願います。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、
今日は8月の初土曜で、私たちは15分間の黙想をしようとするそのテーマとして、また8月15日には予定されていたミサが残念ながらできなくなってしまったので、既にこの8月15日の聖母の被昇天を祝う為に、その準備の為に、今日この御ミサの中で、「マリア様の被昇天について」一緒に黙想する事を提案します。
「マリア様の被昇天された」というのは、信仰の真理です。必ず私たちが信じなければならないという事実であり、真理であり、これは使徒から私たちに伝えられた、啓示の一部です。
このマリア様の被昇天は私たちに、2つの本当の事を教えてくれます。この2つの事は、私たちが今囲まれている嘘の仮面を暴いてくれます。「私たちは、天主様へと辿り着こうとする、天の国に行こうとする巡礼者である」という事を、もう一度教えてくれます。
2つの事というのはどういう事かというと、
1つは「私たちがこの地上で肉体を持って生きている」という事の意味についてです。
もう1つは、「私たちの人生の、この地上での人生の最終目的」です。
1つの最初の事について考えます。
「私たちの、この肉体を持ってこの地上で生きているという意味」は何でしょうか?
私たちの周りは、色んな嘘がたくさんあります、「私たちは、ただ物体だけだ。物質だけだ。だからこの体を、あたかも偶像のように、その体の要求の通りに、要求するがままにする事こそが良い事だ。だからこの体がどのような悪い事を要求しても、それを叶えてあげる事が良い事だ。」あるいは、「この体を肉体を偶像化させて、もっと美しく、もっと健康に、もっとかっこよくする事だけが良い事だ」であるかのように、色々な広告や、色々な宣伝がなされています。
大阪ではおそらく違うんじゃないかな、名古屋でも違うんじゃないかなと思うんですけれども、東京で電車に乗ると、大体あるのが、一年中続けてあるのが、「脱毛しよう」とか、「脱毛をするのは今非常に、人生で一番大切な事だ。男も女もそうするべきだ」と、何かそれだけが一番大切な事だと思っていて、それだけをすれば全てが解決するような感じのコマーシャルがたくさんあります。一年中あります。日本の人はそれほど毛深くて困っている、そういう事を思っているのかなぁ?と錯覚するほどです。
あるいは、「何とかを食べると健康になる」あるいは、「何とかをすると痩せる。驚くほど痩せる。あっという間に痩せる。」
そんなに日本に太ってる人がいるのかなぁ?と思うほどの広告があります。
そしてできる事ならば、面白おかしく、自由自在に、この体の要求するがままに、どんな事でも、それが罪に当たるような事でも、それを犯して、そして今、この今のこの地上を、この肉体の生活だけを、今ここで面白おかしく刹那的に生きるのが、一番大切であるかのように言っています。「それをそうすれば、楽しくなる、幸せになる」と約束しています。
ただそれには条件が付いていて、「私たちには永遠という次元がない。霊魂というものが、あたかもないという事を受け入れる」という条件の下で、それが約束されます。
でもマリア様の被昇天は「そうではない!」という事を私たちに教えてくれます。
「私たちのこの地上での生活というのは、限りがある。地上での私たちは、どうしても避ける事ができない『現実』というものがある」という事を教えています。それは、「年を取る」という事であり、そして「病」があり、そして「死」がある。「私たちの体は弱り、この地上にもはや生きて行かれる事ができなくなる」という事です。「この私たちの肉体は、遂には腐り果ててしまう」という事です。
「地上のこの生活だけを考えればいい。肉体だけを考えれば良い」という嘘は、この事実の前に、遂にその正体を現してしまいます。つまり、「もしもそうしたら、私たちに待っているのは、ただの絶望であり、これだけ拝め奉った肉体が、遂には不可避的に、どうしても避ける事がなく、どのような技術を使っても、どのような薬を使っても、大金を払っても、何をしても、遂には、腐って、無くなって、滅んでしまう」という事実を突きつけられるからです。
第2に私たちにこの教えている事は、「私たちのこの地上での生活の究極の目的は、この地上ではなくて、天国にある」という事です。「永遠の生命にある」という事です。
これもこの世のマスメディアや、あるいは新聞は、一切語らない事です。広告は一言も言わない事です。この地上だけが全てであって、それで全てが終わるかのように話しています。でもそれは、全くの嘘です。
「実は、私たちのこの地上での人生が終わった後には、永遠が待っている」という事を、マリア様が教えています。
しかも私たちの肉体は、ただこの腐ってしまう、年を取ってしまうというのが、実は本当のあり方ではなかったのです。罪の為にそうなってしまった、今、罪の結果を受けているだけだ、という事です。でも本当はこの肉体は、天主様の考えでは、「いつも若々しく、いつもみずみずしく、いつも健康で、永遠の命を持つように」望んでいるという事です。
しかしマリア様が、その天主の計画を私たちに実現させる道を知らせてくれています。もしもマリア様の通った道を私たちが通るならば、マリア様が示して下さる道を通るならば、つまりイエズス様といつも一致しているならば、イエズス・キリストの御旨を果たすならば、たとえ一旦は腐り果てて、一旦は見苦しくなった、この辱めを受けるこの肉体も、実はもう一度、復活の美しさを、若さを、健康を、命を、取り戻すという事です。「マリア様の被昇天が受けたその栄光に、私たちも与る」という事です。
でも一つ条件があります、「マリア様と同じ道を通る」という事です。つまり、「イエズス様と同じ道を通る」という条件です。
本当は私たちは、肉体も霊魂も、もう一度合わさって、「死」という肉体と霊魂の分離というのは、あまりにも不自然な、私たちが自然には受け入れる事ができない状態であって、実は肉体と霊魂はもう一度結合するのを待っている、「肉身のよみがえりを信じ奉る」という真理である、という事を私たちに教えています。
ではこの被昇天の時に、マリア様の栄光を少し想像してみる事に致しましょう。
マリア様のご生涯の重要な時には、天使たちがいつもその側におられました。御告げの時に、大天使は来ました。イエズス様をお生みになった時にも、天使が、天群の大天使たちが歌っていました。
諸聖人によれば教父たちによれば、「マリア様が被昇天を迎えた時にも、天使たちがマリア様を迎えに来た事だろう。天群の天使たちが、マリア様を天高くお運びになった事だろう。肉体も霊魂もお運びになっただろう」と言います。
「おそらく、そればかりではない」と言います。「イエズス様御自身が、マリア様を迎えに来ただろう」と。「ちょうどマリア様が、イエズス様の十字架を運んでいた時に、イエズス様が十字架をお運びになっていた時に、イエズス様に会いに行ったように、たった一人の、苦しまれた、捨てられた、私たちの為に血を流されておられるイエズス様を出迎えに行ったように、そしてマリア様も共に苦しまれて、悲しまれたように、栄光を受けたイエズス様が今度は、そのマリア様をお慰めに迎えに天から来られて、そしてマリア様をお連れして、天に昇られた。」まさに、ここに被昇天の神秘があります。
「もしも私たちも、イエズス様と共に苦しみや、悲しみや、あるいは辱め、その他十字架を担うならば、イエズス様とマリア様は、私たちを迎えに来られるだろう。そして天国に連れて行って下さるだろう。」
「そして世の終わりには(私たちはこの世の終わりまで待たなければなりませんが)、世の終わりには、遂には、イエズス様とマリア様と同じ栄光を分かち合う事ができる。そして永遠に喜ぶ事ができる。本当に私たちのこの人生の目的に到達する事ができる。巡礼の終わりを告げる事ができる」と教えています。
その為にも、そして私たちのみならず、私たちの知っている多くの方々が、この究極の目的を到達する事ができる為にも、今日御ミサと、御聖体降福式を御捧げ致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖ピオ十世会司祭 小野田神父 説教
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2019年8月3日、聖母の土曜日、土曜日の聖母、そしてマリア様の汚れなき御心の随意ミサをしています。
初土曜日ですから、今日この御聖体拝領を、マリア様の汚れなき御心に対して犯される罪を償う為にお捧げ下さい。
ミサの後の感謝の祈りの後に、15分間、マリア様のロザリオの黙想を致しましょう。
特にこのロザリオを、この御聖体降福式を、教皇様の来日の為にもお捧げ致しましょう。
教皇様が今年の11月に日本に来られる、キリストの代理者が日本に来られるという事で、これは非常に特別な機会です。
「この機会に、日本の多くの方が、イエズス様の福音を知るきっかけとなりますように、イエズス様の事を知り、愛する御恵みが頂けますように」お祈り致しましょう。
そこで、8月から11月まで4ヶ月の間、私たちは特にこの意向で、教皇様の来日の意向で、ロザリオのお祈りをしたいと思っています。私たちが教皇様の為にどれほどお祈りしたか、というそのそれはもちろん数で測る事はできませんし、イエズス様のみが御存知の事です。
しかし私たちは非常に弱いものですから、励みになるものが必要で、目に見える何かが必要ですので、ぜひ私たちも、それによって私たちが、それが多いからそれだけ、その数でもちろん測る事はできません。
けれども、私たちの励みとして、ロザリオの報告を皆さんにお願いしたいと思っています。会長が準備をして下さると思うので、8月・9月・10月・11月、4ヶ月、11月の終わりまで、この意向でたくさんお祈り下さい。後で報告をお願い致します。
今日はもう1つお祈りのお願いをします。ワリエ神父様の膝の調子が非常に良くないそうです。手術を受けたのですが結果が良くなく、お医者さんの特別の審査や検査を受けている最中なのだそうです。もしかしたら、お医者さんのドクターストップがかかってですね、もしかしたら次の来たる8月10日・11日のこのミサに神父様がこれなくなるかもしれないという事で、今日その連絡があるとの事です。その時にはどうぞご容赦願います。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、
今日は8月の初土曜で、私たちは15分間の黙想をしようとするそのテーマとして、また8月15日には予定されていたミサが残念ながらできなくなってしまったので、既にこの8月15日の聖母の被昇天を祝う為に、その準備の為に、今日この御ミサの中で、「マリア様の被昇天について」一緒に黙想する事を提案します。
「マリア様の被昇天された」というのは、信仰の真理です。必ず私たちが信じなければならないという事実であり、真理であり、これは使徒から私たちに伝えられた、啓示の一部です。
このマリア様の被昇天は私たちに、2つの本当の事を教えてくれます。この2つの事は、私たちが今囲まれている嘘の仮面を暴いてくれます。「私たちは、天主様へと辿り着こうとする、天の国に行こうとする巡礼者である」という事を、もう一度教えてくれます。
2つの事というのはどういう事かというと、
1つは「私たちがこの地上で肉体を持って生きている」という事の意味についてです。
もう1つは、「私たちの人生の、この地上での人生の最終目的」です。
1つの最初の事について考えます。
「私たちの、この肉体を持ってこの地上で生きているという意味」は何でしょうか?
私たちの周りは、色んな嘘がたくさんあります、「私たちは、ただ物体だけだ。物質だけだ。だからこの体を、あたかも偶像のように、その体の要求の通りに、要求するがままにする事こそが良い事だ。だからこの体がどのような悪い事を要求しても、それを叶えてあげる事が良い事だ。」あるいは、「この体を肉体を偶像化させて、もっと美しく、もっと健康に、もっとかっこよくする事だけが良い事だ」であるかのように、色々な広告や、色々な宣伝がなされています。
大阪ではおそらく違うんじゃないかな、名古屋でも違うんじゃないかなと思うんですけれども、東京で電車に乗ると、大体あるのが、一年中続けてあるのが、「脱毛しよう」とか、「脱毛をするのは今非常に、人生で一番大切な事だ。男も女もそうするべきだ」と、何かそれだけが一番大切な事だと思っていて、それだけをすれば全てが解決するような感じのコマーシャルがたくさんあります。一年中あります。日本の人はそれほど毛深くて困っている、そういう事を思っているのかなぁ?と錯覚するほどです。
あるいは、「何とかを食べると健康になる」あるいは、「何とかをすると痩せる。驚くほど痩せる。あっという間に痩せる。」
そんなに日本に太ってる人がいるのかなぁ?と思うほどの広告があります。
そしてできる事ならば、面白おかしく、自由自在に、この体の要求するがままに、どんな事でも、それが罪に当たるような事でも、それを犯して、そして今、この今のこの地上を、この肉体の生活だけを、今ここで面白おかしく刹那的に生きるのが、一番大切であるかのように言っています。「それをそうすれば、楽しくなる、幸せになる」と約束しています。
ただそれには条件が付いていて、「私たちには永遠という次元がない。霊魂というものが、あたかもないという事を受け入れる」という条件の下で、それが約束されます。
でもマリア様の被昇天は「そうではない!」という事を私たちに教えてくれます。
「私たちのこの地上での生活というのは、限りがある。地上での私たちは、どうしても避ける事ができない『現実』というものがある」という事を教えています。それは、「年を取る」という事であり、そして「病」があり、そして「死」がある。「私たちの体は弱り、この地上にもはや生きて行かれる事ができなくなる」という事です。「この私たちの肉体は、遂には腐り果ててしまう」という事です。
「地上のこの生活だけを考えればいい。肉体だけを考えれば良い」という嘘は、この事実の前に、遂にその正体を現してしまいます。つまり、「もしもそうしたら、私たちに待っているのは、ただの絶望であり、これだけ拝め奉った肉体が、遂には不可避的に、どうしても避ける事がなく、どのような技術を使っても、どのような薬を使っても、大金を払っても、何をしても、遂には、腐って、無くなって、滅んでしまう」という事実を突きつけられるからです。
第2に私たちにこの教えている事は、「私たちのこの地上での生活の究極の目的は、この地上ではなくて、天国にある」という事です。「永遠の生命にある」という事です。
これもこの世のマスメディアや、あるいは新聞は、一切語らない事です。広告は一言も言わない事です。この地上だけが全てであって、それで全てが終わるかのように話しています。でもそれは、全くの嘘です。
「実は、私たちのこの地上での人生が終わった後には、永遠が待っている」という事を、マリア様が教えています。
しかも私たちの肉体は、ただこの腐ってしまう、年を取ってしまうというのが、実は本当のあり方ではなかったのです。罪の為にそうなってしまった、今、罪の結果を受けているだけだ、という事です。でも本当はこの肉体は、天主様の考えでは、「いつも若々しく、いつもみずみずしく、いつも健康で、永遠の命を持つように」望んでいるという事です。
しかしマリア様が、その天主の計画を私たちに実現させる道を知らせてくれています。もしもマリア様の通った道を私たちが通るならば、マリア様が示して下さる道を通るならば、つまりイエズス様といつも一致しているならば、イエズス・キリストの御旨を果たすならば、たとえ一旦は腐り果てて、一旦は見苦しくなった、この辱めを受けるこの肉体も、実はもう一度、復活の美しさを、若さを、健康を、命を、取り戻すという事です。「マリア様の被昇天が受けたその栄光に、私たちも与る」という事です。
でも一つ条件があります、「マリア様と同じ道を通る」という事です。つまり、「イエズス様と同じ道を通る」という条件です。
本当は私たちは、肉体も霊魂も、もう一度合わさって、「死」という肉体と霊魂の分離というのは、あまりにも不自然な、私たちが自然には受け入れる事ができない状態であって、実は肉体と霊魂はもう一度結合するのを待っている、「肉身のよみがえりを信じ奉る」という真理である、という事を私たちに教えています。
ではこの被昇天の時に、マリア様の栄光を少し想像してみる事に致しましょう。
マリア様のご生涯の重要な時には、天使たちがいつもその側におられました。御告げの時に、大天使は来ました。イエズス様をお生みになった時にも、天使が、天群の大天使たちが歌っていました。
諸聖人によれば教父たちによれば、「マリア様が被昇天を迎えた時にも、天使たちがマリア様を迎えに来た事だろう。天群の天使たちが、マリア様を天高くお運びになった事だろう。肉体も霊魂もお運びになっただろう」と言います。
「おそらく、そればかりではない」と言います。「イエズス様御自身が、マリア様を迎えに来ただろう」と。「ちょうどマリア様が、イエズス様の十字架を運んでいた時に、イエズス様が十字架をお運びになっていた時に、イエズス様に会いに行ったように、たった一人の、苦しまれた、捨てられた、私たちの為に血を流されておられるイエズス様を出迎えに行ったように、そしてマリア様も共に苦しまれて、悲しまれたように、栄光を受けたイエズス様が今度は、そのマリア様をお慰めに迎えに天から来られて、そしてマリア様をお連れして、天に昇られた。」まさに、ここに被昇天の神秘があります。
「もしも私たちも、イエズス様と共に苦しみや、悲しみや、あるいは辱め、その他十字架を担うならば、イエズス様とマリア様は、私たちを迎えに来られるだろう。そして天国に連れて行って下さるだろう。」
「そして世の終わりには(私たちはこの世の終わりまで待たなければなりませんが)、世の終わりには、遂には、イエズス様とマリア様と同じ栄光を分かち合う事ができる。そして永遠に喜ぶ事ができる。本当に私たちのこの人生の目的に到達する事ができる。巡礼の終わりを告げる事ができる」と教えています。
その為にも、そして私たちのみならず、私たちの知っている多くの方々が、この究極の目的を到達する事ができる為にも、今日御ミサと、御聖体降福式を御捧げ致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。